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女神の末裔【本編完】 姉の許婚を奪ったら絶望しかなかった
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わたしは三久間家の娘、多津子。花の十七歳。
わたしには一歳違いの姉がひとりいる。わが家は古くからこの土地で続く商家で、かつてはこの地方を治めた豪族の末ともいわれており、姉はそんな家の跡取りとして育てられた。
長女が跡取りとなるわが家の在り方は、現在の官府が推奨する男子相続、家父長制とは相いれないため、母の代から婿をとり書類上の家長としている。
姉の佐保子は、一族の総領娘として厳しく育てられていたが、春の陽だまりのような笑みをいつもたたえた優雅な美人だ。
次女のわたしは、姉とは違いただただ甘やかされ、かわいがられて育った。
わたしが思うに最も私を甘やかしているのはこの姉だ。
そしてわたしは姉がわたしをうらやんでいることを知っていた。
「多津ちゃんはかわいいわ。わたしも多津ちゃんのように……」とよく言いかけて止めるのが姉の口癖だったから。
そんなときわたしはいつも思った。「それなら遠慮なく立場を代わってあげる」と。
※
三久間家は、地元産業である絹糸の生産を代々の家業としてきた。その後、酒造、建設業など手広く扱うようになり、そして数年前、県知事たっての依頼で開業した銀行業によりますます地元に欠かせない家となった。
それを切り盛りするのが、わたしたち姉妹の母である比米子である。
比米子は、女の子二人の母となり、年齢を重ねて今は三十代後半、女惣領としての威厳をたたえているが、雰囲気はいつまでも若々しく、輝く黒い瞳、薔薇色の頬、艶のある豊かな髪など十代にも見えるときがある。その魅力的な姿は衰えることはなかった。
父の賢三は、遠縁の三男で幼いころから婿候補としてわが家に迎えいれられて、母とともに育った。そのためなのか、今もふたりはとても仲がいい。まるでお姫様であるかのように母に傅き、常にそばに控える従者のようだった。
わたしはそれにとても憧れていた。わたしも父に甘えたかったが、父はわたしよりも常に母が優先で、わたしの願いはかなうことがなかった。
跡継ぎである姉にもまた幼いころから婿候補がいた。やはり親類から連れてこられた姉と同い年の祥吾である。美しい姉の横に並び立っても見劣りしない美青年。その祥吾も姉第一でわたしとは遊んでくれない。
幼いころから父や祥吾にかまってもらおうと近づき、断られると「わたしもお婿さんがほしい!」とよく泣きわめいた。わたしはとてもかわいくて、誰もがわたしの言うことをきいてくれるのに父と祥吾にだけは通用しない。
その日も「勉強を教えて」という口実で、琴の稽古をする姉に付き従う祥吾にこっそり近づいて袖を引いていると姉に見つかってしまった。姉は琴をひく手を止めると「多津ちゃんったら」とにっこり笑った。その美しい笑みに無性に腹が立った。
「勉強なら先生にお聞きなさい。祥吾はだめよ」
「わたしは祥吾さんがいいの。姉さまばかりずるいわ」
泣きそうな顔でこういえばだいたいわたしのわがままは通るのに、祥吾は困った顔でただ黙っている。
「祥吾はわたくしの婿様よ。いつかあなたに似合いの夫を見つけてきてあげるから、そのときを楽しみにお待ちなさい」
姉はそういってわたしをたしなめたけれど、
「夫ってなによ? わたしは婿がほしいのよ!」
とわたしは食って掛かった。
「あなたは婿をもらうのではなく、お嫁にいくのよ」
そう言ってにっこりと笑うと姉は周囲の使用人たち目くばせし、わたしは部屋から連れ出されてしまった。
「お嬢様、お姉さまにそのような態度はいけません。ちゃんとお行儀よくな……」
自室へ戻る途中の廊下で、わたしの教育係でもあるばあやが怖い顔で叱るのに腹が立って、ばあやを思いっきりどんと突き飛ばして、わたしは足袋のまま庭へ飛び出した。
腰を打ったのだろう「ひぃ!」と悲鳴をあげるばあやの声が背後から聞こえたけれど、わたしは構わず庭の奥へ走った。
わが家の庭は、そのまま裏山につながっている。裏山は人の手がほとんど入らない鬱蒼とした森となっており、その奥にはわが家の守り神を祭った祠があるらしい。
「らしい」というのは、わたしは裏山に近づくことを許されておらず、お参りをしたことがなかっいので見たことがないからだ。両親と姉と祥吾は、毎年春の決まった日に近所の神社からやってくる神職たちとともに正装して参拝をしているが、わたしは参加させてもらったことがない。そうやって家族の行事に置いていかれることにも腹が立っていた。たいていのわがままは聞いてもらえたが、家に関することだけは例外。仲間外れ。肝心ところで差別されるんだ。
ずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるい!!!!!
わたしの頭の中は姉に対する怒りでいっぱいになった。
怒りに任せて森の中をずんずん歩く。
ずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるい!!!!!
足袋だけの足から血が出ている。枝を踏んだか、石につまずいたか。
気が付くとすっかり日が落ちて暗くなっていた。寒い。怖い。
森をさまようのに疲れてわたしは大きな木の根元にしゃがみこんだ。我に返って自分の姿を見ると着物の袖や裾は泥に汚れ、一部は破れている。湿った地面が冷たくて涙が出た。
どれくらい時間が過ぎただろう。私の名を呼ぶ声が聞こえた。
「多津ちゃーん!」
あれは祥吾の声だ。わたしはうれしさで先ほどの怒りを全部忘れた。そして理解した。
わたしは婿がほしいんじゃない、祥吾がほしいんだ!!
「祥吾さん!! わたしはここよ!」
「多津ちゃん、よかった! 佐保子が心配している。立てるかい? そこを動かないで、今迎えを呼ぶからね」
祥吾のほっとした声が聞こえる。
「いやよ、祥吾さんが迎えにきて!」
暗い森の中、人影をみつけると走ってその胸に飛び込んだ。足の痛みも忘れ、わたしの胸は喜びでいっぱいになった。
「祥吾さん!」
「多津ちゃん……」
その困惑した声にわたしは決意を固めた。
姉から奪ってやる。
これは絶好の機会だ。そう思うと次になにをすべきかが解った。
腕を祥吾の首にまわして、強く胸を押し付けて抱き着く。
「祥吾さん、今だけでいいの。今だけでいいからわたしを抱きしめて。」
目に涙をためて祥吾を見上げて懇願する。
「姉さまには秘密で……」
※
それからわたしは密かに祥吾と会うようになった。
あの日、婿がほしいと喚いたこと、ばあやを突き飛ばしたこと、そしてなにより神聖な森に無断で立ち入ったことを母にこっぴどく叱られた。しばらく謹慎しなさいと自室に閉じ込められていたが、一週間ほどしてようやく許されたので、両親への謝罪のあと姉と祥吾もとに向かった。
わたしからの謝罪の言葉を受けて、姉はいつもと変らず鷹揚とした態度で
「あらあら、母様にずいぶんと強く叱られてしまったのね。でもね、自由なところが多津ちゃんらしくてわたくしはいいと思うわ」
と言ってほほ笑んだ。いつものわたしの気持ちを見透かした上からの言葉。苛立ちをぐっと抑え込んでもう一度ごめんなさいと頭を下げる。殊勝にみえるように。
「祥吾さんも助けていただきありがとうございました」
目を潤ませて祥吾にも礼を言う。あの日、わたしを抱きしめたことを思い出させるように。
「多津ちゃん、ほんとうに心配したけれど無事でなによりだ。もうあんなことはしちゃダメだよ」
いつも姉の横で最小限のことしか言わない祥吾が今はわずかだが口数が多い。軟禁中の一週間、接触ができない間にせっかく入り込んだ祥吾の心の隙が元に戻っているのではないかと心配していたが、これならなんとかなりそうだ。
多数の使用人や親族たちが出入りするわが家で密会をするのは簡単ではなかった。でもわたしにはとっておきの場所がある。いつもお稽古をさぼるのに使っていた今は使われていない土蔵の屋根裏だ。
週に一度、家中が寝静まった深夜、わたしたちはその屋根裏に籠った。
暗くて埃っぽい場所だが、それさえもわたしの気持ちを盛り上げてくれた。
普段姉に心理的服従を強いられている祥吾がここでは解放されてくつろげるよう心掛けた。
祥吾もわが家の家督制度には思うところがあったようだ。世の中では家父長制が浸透し、公家や武家だけではなく庶民の家でも男が一家の主となることが常識の時代になぜ男の自分が女に仕えねばならないのか。
三久間家にはある神話が伝わっている。
女が家を受け継ぐことで女神の加護が与えられるといもので、その女神というのが裏山の祠に祭られた神さまだというのである。
三久間家では、不思議なことに必ず代々女子が生まれ、その言い伝えをかたくなに守って女を当主として栄えてきたのだ。
しかし近代化していく世の中、農民から商売で身を立て億万長者になったり、功績をたてて将軍になったり、才能を発揮して博士になったり、気概があれば努力次第でなににでもなれる時代。なぜ自分だけが意志を無視され、実の家族と引き離され、女の下僕として生きることを定められているのか。
時代遅れの迷信に犠牲になった自分。
誰に話すこともできない鬱屈を祥吾も抱えていたのだ。
ぽつりぽつりとこぼすその言葉をわたしは丁寧に聞いて、受け止めた。
そしてわたしの思いも打ち明けた。
秘密を共有したわたしたちが身体の関係になるのはすぐだった。
その日もこの屋根裏で待っていると祥吾が忍んできた。
わたしは、膝枕をした祥吾の髪を優しくなでて、子どもをあやすようにささやく。
「祥吾さんがこの家の主になればいいのよ」
「姉様と同じ教育を受けてきたのでしょう? あなたにだってその権利があるわ」
「時代は変わったのだもの、この家だって変わってもおかしくないでしょ?」
「あなたは素晴らしい人よ、きっとできるわ」
祥吾の耳元で染みこませるようにささやき続ける。
わたしは、祥吾に身体を与え、ほめそやし、不満と劣情を煽り、身体にも頭にも快楽を注ぎ込んだ。姉のそばにいても結婚まで触れることは許されていなかった祥吾はすぐにわたしとの快楽におぼれた。
「あなたの男らしさを見せて?」
夜着の帯を解きながら誘うと祥吾はうれしそうに覆いかぶさってきた。
そんな夜を過ごすようになって数カ月。私は祥吾の子を妊娠した。
わたしは腹の底からあふれる喜びを感じた。ついに姉を出し抜いた、姉から祥吾を奪ったと。
※
家族で朝食の膳を囲んだときのこと、座敷に入った瞬間、食事の匂いにわたしは吐き気をもよおし、洗面所に駆け込んだ。何度もえずき苦しかったけれど、不思議とうれしさがこみ上げた。
「多津子お嬢様!」
わたしに突き飛ばさればあやはそのまま暇乞いをしてしまったので、その代わりにわたしに付いた年配の女中が口元を拭くための布巾を用意してわたしの背後で待っている。青い顔だ。
布巾を受け取ると口元と手を拭くとわたしは大声で笑って言った。
「そうよ、わたし妊娠したの!」
バレでしまったものは仕方ない。いつか言わなければらないことなのだから。わたしはお腹に子の存在を感じてから、絶えず力が湧き上がってくるのを感じていた。古い因習などこの子が打ち破ってくれる。父親である祥吾を当主にして、この家を時代にふさわしいものにするのだ。思わずこぶしを突き上げて叫んだ。
「祥吾さんの子よ!」
私の気迫に気おされたのか、女中はひぃと情けない悲鳴を上げて尻もちをついている。
「この子が次の次の当主になるのよ、この家はわたしと祥吾さんのものよ!」
※
その後、騒ぎに気づいた父の命令で駆け付けた使用人たちにより、わたしは押さえつけられ、またもや自室に監禁された。
今までわたしを蝶よ花よと甘やかしてきた優しい使用人たちがあんなに怖い顔するなんて、あんなに乱暴にわたしを扱うなんて思ってもみなかったのでとても焦った。
祥吾はどうなっただろう。
祥吾の立場を考えず真実を叫んだことを今さらながら少し後悔した。
監禁されて数日後、母に奥座敷に呼び出された。
大きな床の間に神棚というには大きすぎる祭壇が置かれた奥座敷はめったに使用されることがない。
足を踏み入れると、そこには親族たちがずらっと顔をそろえていたが、姉と祥吾はいない。親族たちはわたしの顔見てざわつきはじめる。祥吾の父もおり、末席で小さくなって震えていた。
親族会議でつるし上げられるのだろう。でもいいわ、わたしが逆に説得してやる。
わたしは祭壇前に端座する母の前に引き据えられた。母のそばにはいつものように父が影のように控えている。
「多津子、話は祥吾から聞いた」
緊迫した空気の中にいつもと変らない優しい母の声が響いた。優しい声なのになぜか身体の奥を打ち据えられるような痛みを感じる。
「おまえは姉の婿になるはずの男を通わせただけでなく、この家の当主になるべきとそそのかした。それで間違いはないな?」
身体を引き裂くような痛みに顔をしかめながらわたしは反論した。
「はい、間違いありません!」
「なぜ婿が当主ではいけないのですか? なぜ姉様が当主なの? なぜわたしは当主になれないの? 祥吾さんが当主でも、わたしが当主でもいいではないですか!」
母は美しい眉をしかめると悲しそうに言った。
「三久間の家に生まれながら、なぜそのようなたわごとを……。幼いころから言い聞かせてきたではないか。女神様との約束なのだと。その加護によって守られているのに勝手なことを言うとはどういう了見なのだ?」
「はあ? 女神様? 加護?」
ついに言いたいことを言うべきときが来たとわたしは感じた。
「いつの時代の約束かは知りませんが、今の時代、自出に関係なく努力次第で何にもなれるのです。女だからとか、長子だからなんてくだらない理由で将来を決められるなんて、それこそ女神さまとやらはどういう了見なのです?」
力を求めてお腹に手を当てる。赤ちゃん、どうかお母さんに力を貸して!
「わたしは祥吾さんが懸命に努力されているのをみてきました。でもどれほど優秀であろうと姉様の陰で生きることを強いられる。そんな祥吾さんを見ていてわたしは同情しました。だってわたしもそうだから。次女に生まれたばっかりにすべては姉様のもの。祠のお祭りの時だって家族の中でわたしだけ仲間外れだわ。だから祥吾さんの気持ちがよくわかるの、その想いが男女の愛にかわるのは当然のなりゆきなのよ」
わたしは一息に言い切って満足した。
「やれやれ。これが『啓蒙思想』というものか」
母の声が突然しわがれたように聞こえた。
「そうよ、だからこの家も変わるべきだわ。因習は排除すべきなのよ!」
「そのような浅い理では、いつしかこの世界を壊すことになるだろうな……。だが今日ではない。まだこの家はなすべきことがある。因習と言われればそうかもしれないが、佐保子は受け継ぐ覚悟を決めてくれている。女神様の加護で守られながらそれを感じることができないおまえには家督はやれぬ。もちろんその腹の子にも。」
かあっと頭に血が上った。
「加護なんて感じるわけない! だってそんなもの存在しない!! あるのは人を縛る呪いだけだ!」
わたしはお腹から湧きおこる衝動のまま、飛び起きると目の前の母を突き倒して背後の神棚に向かって突進した。そして気が付くとそこに備えられていた祭具を力いっぱいなぎ倒していた。衝撃で手や顔から血が流れてあたりに飛び散っていたが痛みはない。むしろ血でここを精一杯汚してやりたいという思いがわいてきた。
「女神なんて迷信だ!」
わたしは父に取り押さえられ、張り手を一撃をくらい気絶した。
※
祭壇を破壊したわたしは、ついに座敷牢に監禁された。
「祥吾さんはどうしているの? なぜここに来てくれないの?」
食事や怪我の治療など最低限の世話をする使用人はやってくるが、だれも私の言葉を聞き留めてくれない。
騒ぎつづけていると結局、父からの手紙が届けられた。手紙というか一方的な通達だ。
出産までここに閉じ込められることになったことを知る。子どもをあきらめろと言われたらどう抵抗しようか考えていたが、ひとまず産ませてもらえると知ってほっとした。
でも祥吾さんのことは一言も書かれていない。
わたしたちは革命に失敗してしまった。
きっと落ち込んでいるだろう。今も姉様の婿候補のままなのかしら……。
でもわたしはあきらめない。なんとか祥吾さんと連絡を取りここから助け出してもらわないと。
座敷牢に閉じ込められて数日、昼夜を問わずこの家に復讐する方法を考え続けていたある日大きな地震が起こった。今まで遭遇したことがない下から突き上げるような大きな振動で、屋敷ごと倒壊するのではないかと思うほどだった。わたしは座敷牢の格子にしがみつきながらこんなところで死にたくないと願い「ここから出せーー!」と必死に叫んだ。
幸い揺れはすぐにおさまり、屋敷も倒壊することなくわたしは無事だった。
それからどれくらい時間が経ったのか、あのわたし付きだった年配の女中が屋敷牢の格子の前に現れた。白装束に身を包んでなにかお札のようなものを両手に握りしめている。
「多津子様、奥様がお亡くなりになりました」
何を言っているのかわからない。
「多津子様、あなたのお母さまが先ほど身罷られました。多津子様はご家族の冠婚葬祭にはかかわることはできませんが、佐保子様が奥様のことはお知らせするようにとお命じになりましたので」
「先ほどの地震で亡くなったの?」
「先ほどの地震? ああ、あれは地震ではありません。女神さまの祭祀中の事故のようなもので、あの揺れはこの屋敷の周辺だけのものです。」
「女神さまの祭祀?」
「そうです、あなたが引き起こしたことの後始末のための祭祀です。祭壇を破壊され侮辱された女神様のお怒りがあのような地鳴りとなって表れたのですよ!!」
「え、そんなこと、あるわけない!」
女神なんて迷信なのに……わたしは気持ちを必死に落ち着けようとした。
「この期に及んでまだそのようなことを! 奥様は女神様の怒りをあなたの身代わりになって引き受けお亡くなりになったのに……」
女中はわたしをキッと睨んだかと思うと、次の瞬間うわーっと大声で泣き出し、駆け出して行ってしまった。
母様がわたしの身代わりで死んだ? 一体どうしてそんなことが起こるの?
その後どうなったのかわたしは知ることができなかった。母の葬儀に出席することもかなわず、座敷牢にわたしの食事などの面倒をみにくる使用人も、お腹の子の様子をみに来る産婆もわたしとは口をきいてくれなかった。
そして月満ちて、わたしは男の子を産んだ。
産んだ子はすぐに連れ去られた。
「わたしの赤ちゃんを返して! 祥吾さんを返して!」
わたしは泣いて泣いて泣いて、気が触れているもののように暴れて叫んだけれど子どもは帰ってこなかったし、誰もわたしを叫びを聞いてくれなかった。
産後、ひと月ほどでわたしは床上げし、そのまま座敷牢を出された。着の身着のままで三久間の家を放逐されたのだ。
怖くはあったけれど自由だと思った。
まずは祥吾さんを探さなくては。
そして赤ちゃんを取り戻すのだ。
わたしは監禁と出産で弱った足腰でよろめきながら歩いた。行き交う人はわたしを避ける。わたしを見る表情はみな一様に眉をしかめている。中には「げぇ」と吐き捨てるものまでいた。わたしはかつてそんな目で見られたことはない。三久間のお嬢様として、羨望と憧憬にため息をつかれることはあっても「げぇ」などと吐き捨てられることなんてなかった。座敷牢には鏡などなかったし、そもそもわたしは自分の美しさを疑ったことはなかった。
しかし、どうだろう。自らの姿を見下ろしてみる。みすぼらしい着物に身を包んだぶよぶよの身体。監禁されている間に醜くなってしまったのだ。わたしはそう思った。
ふと水たまりに目をやるとそこに見たこともないような醜悪な生き物が映っていた。内側から輝きハリのあった皮膚はいたるところが黒ずんで大きくたるみ、豊かだった髪はいまや地獄の餓鬼かとおもうほどわずかな量しか残っていない。潤んで輝いていた目はにごり、まぶたは垂れ下がっている。
悲鳴をあげようとしたが声がでない。喉からはぐぇぐぇとカエルの鳴き声のようなしゃがれた音がでるばかり。
そして女神の加護に思い至った。
母も姉も美しく、そしてわたしも美しかった。
幼いころ母に抱かれて口伝えに教えられた女神様のご加護のこと。
『三久間の当主が女神様との契りを守り、民を助けて、正しき祭りを行えば女神は加護を与えてくれる。
三久間の当主の美しさは女神様の加護の証。
三久間の当主が美しければ民は案じることなく暮らしていける。
そしてひとたび加護を失えば三久間の女は、けがれた忌み人に落とされる。
忌み人は醜い姿のまま生きねばならぬ。』
ああ、わたしは加護を失い、わたしは忌み人なってしまったのだ。
祥吾さんに会えてももはやわたしだと分かってくれないかもしれない。
やっぱり女神の加護などではなく、女神の呪いで間違いないじゃないか。
ああ、わたしの赤ちゃんは男の子でよかったな。
水たまりの脇に座り込んでわたしはそんなことをぼんやり思った。
おわり
※※※ ※※※ ※※※
別視点の後日談を近日中公開シマス。←シマシタ。
わたしには一歳違いの姉がひとりいる。わが家は古くからこの土地で続く商家で、かつてはこの地方を治めた豪族の末ともいわれており、姉はそんな家の跡取りとして育てられた。
長女が跡取りとなるわが家の在り方は、現在の官府が推奨する男子相続、家父長制とは相いれないため、母の代から婿をとり書類上の家長としている。
姉の佐保子は、一族の総領娘として厳しく育てられていたが、春の陽だまりのような笑みをいつもたたえた優雅な美人だ。
次女のわたしは、姉とは違いただただ甘やかされ、かわいがられて育った。
わたしが思うに最も私を甘やかしているのはこの姉だ。
そしてわたしは姉がわたしをうらやんでいることを知っていた。
「多津ちゃんはかわいいわ。わたしも多津ちゃんのように……」とよく言いかけて止めるのが姉の口癖だったから。
そんなときわたしはいつも思った。「それなら遠慮なく立場を代わってあげる」と。
※
三久間家は、地元産業である絹糸の生産を代々の家業としてきた。その後、酒造、建設業など手広く扱うようになり、そして数年前、県知事たっての依頼で開業した銀行業によりますます地元に欠かせない家となった。
それを切り盛りするのが、わたしたち姉妹の母である比米子である。
比米子は、女の子二人の母となり、年齢を重ねて今は三十代後半、女惣領としての威厳をたたえているが、雰囲気はいつまでも若々しく、輝く黒い瞳、薔薇色の頬、艶のある豊かな髪など十代にも見えるときがある。その魅力的な姿は衰えることはなかった。
父の賢三は、遠縁の三男で幼いころから婿候補としてわが家に迎えいれられて、母とともに育った。そのためなのか、今もふたりはとても仲がいい。まるでお姫様であるかのように母に傅き、常にそばに控える従者のようだった。
わたしはそれにとても憧れていた。わたしも父に甘えたかったが、父はわたしよりも常に母が優先で、わたしの願いはかなうことがなかった。
跡継ぎである姉にもまた幼いころから婿候補がいた。やはり親類から連れてこられた姉と同い年の祥吾である。美しい姉の横に並び立っても見劣りしない美青年。その祥吾も姉第一でわたしとは遊んでくれない。
幼いころから父や祥吾にかまってもらおうと近づき、断られると「わたしもお婿さんがほしい!」とよく泣きわめいた。わたしはとてもかわいくて、誰もがわたしの言うことをきいてくれるのに父と祥吾にだけは通用しない。
その日も「勉強を教えて」という口実で、琴の稽古をする姉に付き従う祥吾にこっそり近づいて袖を引いていると姉に見つかってしまった。姉は琴をひく手を止めると「多津ちゃんったら」とにっこり笑った。その美しい笑みに無性に腹が立った。
「勉強なら先生にお聞きなさい。祥吾はだめよ」
「わたしは祥吾さんがいいの。姉さまばかりずるいわ」
泣きそうな顔でこういえばだいたいわたしのわがままは通るのに、祥吾は困った顔でただ黙っている。
「祥吾はわたくしの婿様よ。いつかあなたに似合いの夫を見つけてきてあげるから、そのときを楽しみにお待ちなさい」
姉はそういってわたしをたしなめたけれど、
「夫ってなによ? わたしは婿がほしいのよ!」
とわたしは食って掛かった。
「あなたは婿をもらうのではなく、お嫁にいくのよ」
そう言ってにっこりと笑うと姉は周囲の使用人たち目くばせし、わたしは部屋から連れ出されてしまった。
「お嬢様、お姉さまにそのような態度はいけません。ちゃんとお行儀よくな……」
自室へ戻る途中の廊下で、わたしの教育係でもあるばあやが怖い顔で叱るのに腹が立って、ばあやを思いっきりどんと突き飛ばして、わたしは足袋のまま庭へ飛び出した。
腰を打ったのだろう「ひぃ!」と悲鳴をあげるばあやの声が背後から聞こえたけれど、わたしは構わず庭の奥へ走った。
わが家の庭は、そのまま裏山につながっている。裏山は人の手がほとんど入らない鬱蒼とした森となっており、その奥にはわが家の守り神を祭った祠があるらしい。
「らしい」というのは、わたしは裏山に近づくことを許されておらず、お参りをしたことがなかっいので見たことがないからだ。両親と姉と祥吾は、毎年春の決まった日に近所の神社からやってくる神職たちとともに正装して参拝をしているが、わたしは参加させてもらったことがない。そうやって家族の行事に置いていかれることにも腹が立っていた。たいていのわがままは聞いてもらえたが、家に関することだけは例外。仲間外れ。肝心ところで差別されるんだ。
ずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるい!!!!!
わたしの頭の中は姉に対する怒りでいっぱいになった。
怒りに任せて森の中をずんずん歩く。
ずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるい!!!!!
足袋だけの足から血が出ている。枝を踏んだか、石につまずいたか。
気が付くとすっかり日が落ちて暗くなっていた。寒い。怖い。
森をさまようのに疲れてわたしは大きな木の根元にしゃがみこんだ。我に返って自分の姿を見ると着物の袖や裾は泥に汚れ、一部は破れている。湿った地面が冷たくて涙が出た。
どれくらい時間が過ぎただろう。私の名を呼ぶ声が聞こえた。
「多津ちゃーん!」
あれは祥吾の声だ。わたしはうれしさで先ほどの怒りを全部忘れた。そして理解した。
わたしは婿がほしいんじゃない、祥吾がほしいんだ!!
「祥吾さん!! わたしはここよ!」
「多津ちゃん、よかった! 佐保子が心配している。立てるかい? そこを動かないで、今迎えを呼ぶからね」
祥吾のほっとした声が聞こえる。
「いやよ、祥吾さんが迎えにきて!」
暗い森の中、人影をみつけると走ってその胸に飛び込んだ。足の痛みも忘れ、わたしの胸は喜びでいっぱいになった。
「祥吾さん!」
「多津ちゃん……」
その困惑した声にわたしは決意を固めた。
姉から奪ってやる。
これは絶好の機会だ。そう思うと次になにをすべきかが解った。
腕を祥吾の首にまわして、強く胸を押し付けて抱き着く。
「祥吾さん、今だけでいいの。今だけでいいからわたしを抱きしめて。」
目に涙をためて祥吾を見上げて懇願する。
「姉さまには秘密で……」
※
それからわたしは密かに祥吾と会うようになった。
あの日、婿がほしいと喚いたこと、ばあやを突き飛ばしたこと、そしてなにより神聖な森に無断で立ち入ったことを母にこっぴどく叱られた。しばらく謹慎しなさいと自室に閉じ込められていたが、一週間ほどしてようやく許されたので、両親への謝罪のあと姉と祥吾もとに向かった。
わたしからの謝罪の言葉を受けて、姉はいつもと変らず鷹揚とした態度で
「あらあら、母様にずいぶんと強く叱られてしまったのね。でもね、自由なところが多津ちゃんらしくてわたくしはいいと思うわ」
と言ってほほ笑んだ。いつものわたしの気持ちを見透かした上からの言葉。苛立ちをぐっと抑え込んでもう一度ごめんなさいと頭を下げる。殊勝にみえるように。
「祥吾さんも助けていただきありがとうございました」
目を潤ませて祥吾にも礼を言う。あの日、わたしを抱きしめたことを思い出させるように。
「多津ちゃん、ほんとうに心配したけれど無事でなによりだ。もうあんなことはしちゃダメだよ」
いつも姉の横で最小限のことしか言わない祥吾が今はわずかだが口数が多い。軟禁中の一週間、接触ができない間にせっかく入り込んだ祥吾の心の隙が元に戻っているのではないかと心配していたが、これならなんとかなりそうだ。
多数の使用人や親族たちが出入りするわが家で密会をするのは簡単ではなかった。でもわたしにはとっておきの場所がある。いつもお稽古をさぼるのに使っていた今は使われていない土蔵の屋根裏だ。
週に一度、家中が寝静まった深夜、わたしたちはその屋根裏に籠った。
暗くて埃っぽい場所だが、それさえもわたしの気持ちを盛り上げてくれた。
普段姉に心理的服従を強いられている祥吾がここでは解放されてくつろげるよう心掛けた。
祥吾もわが家の家督制度には思うところがあったようだ。世の中では家父長制が浸透し、公家や武家だけではなく庶民の家でも男が一家の主となることが常識の時代になぜ男の自分が女に仕えねばならないのか。
三久間家にはある神話が伝わっている。
女が家を受け継ぐことで女神の加護が与えられるといもので、その女神というのが裏山の祠に祭られた神さまだというのである。
三久間家では、不思議なことに必ず代々女子が生まれ、その言い伝えをかたくなに守って女を当主として栄えてきたのだ。
しかし近代化していく世の中、農民から商売で身を立て億万長者になったり、功績をたてて将軍になったり、才能を発揮して博士になったり、気概があれば努力次第でなににでもなれる時代。なぜ自分だけが意志を無視され、実の家族と引き離され、女の下僕として生きることを定められているのか。
時代遅れの迷信に犠牲になった自分。
誰に話すこともできない鬱屈を祥吾も抱えていたのだ。
ぽつりぽつりとこぼすその言葉をわたしは丁寧に聞いて、受け止めた。
そしてわたしの思いも打ち明けた。
秘密を共有したわたしたちが身体の関係になるのはすぐだった。
その日もこの屋根裏で待っていると祥吾が忍んできた。
わたしは、膝枕をした祥吾の髪を優しくなでて、子どもをあやすようにささやく。
「祥吾さんがこの家の主になればいいのよ」
「姉様と同じ教育を受けてきたのでしょう? あなたにだってその権利があるわ」
「時代は変わったのだもの、この家だって変わってもおかしくないでしょ?」
「あなたは素晴らしい人よ、きっとできるわ」
祥吾の耳元で染みこませるようにささやき続ける。
わたしは、祥吾に身体を与え、ほめそやし、不満と劣情を煽り、身体にも頭にも快楽を注ぎ込んだ。姉のそばにいても結婚まで触れることは許されていなかった祥吾はすぐにわたしとの快楽におぼれた。
「あなたの男らしさを見せて?」
夜着の帯を解きながら誘うと祥吾はうれしそうに覆いかぶさってきた。
そんな夜を過ごすようになって数カ月。私は祥吾の子を妊娠した。
わたしは腹の底からあふれる喜びを感じた。ついに姉を出し抜いた、姉から祥吾を奪ったと。
※
家族で朝食の膳を囲んだときのこと、座敷に入った瞬間、食事の匂いにわたしは吐き気をもよおし、洗面所に駆け込んだ。何度もえずき苦しかったけれど、不思議とうれしさがこみ上げた。
「多津子お嬢様!」
わたしに突き飛ばさればあやはそのまま暇乞いをしてしまったので、その代わりにわたしに付いた年配の女中が口元を拭くための布巾を用意してわたしの背後で待っている。青い顔だ。
布巾を受け取ると口元と手を拭くとわたしは大声で笑って言った。
「そうよ、わたし妊娠したの!」
バレでしまったものは仕方ない。いつか言わなければらないことなのだから。わたしはお腹に子の存在を感じてから、絶えず力が湧き上がってくるのを感じていた。古い因習などこの子が打ち破ってくれる。父親である祥吾を当主にして、この家を時代にふさわしいものにするのだ。思わずこぶしを突き上げて叫んだ。
「祥吾さんの子よ!」
私の気迫に気おされたのか、女中はひぃと情けない悲鳴を上げて尻もちをついている。
「この子が次の次の当主になるのよ、この家はわたしと祥吾さんのものよ!」
※
その後、騒ぎに気づいた父の命令で駆け付けた使用人たちにより、わたしは押さえつけられ、またもや自室に監禁された。
今までわたしを蝶よ花よと甘やかしてきた優しい使用人たちがあんなに怖い顔するなんて、あんなに乱暴にわたしを扱うなんて思ってもみなかったのでとても焦った。
祥吾はどうなっただろう。
祥吾の立場を考えず真実を叫んだことを今さらながら少し後悔した。
監禁されて数日後、母に奥座敷に呼び出された。
大きな床の間に神棚というには大きすぎる祭壇が置かれた奥座敷はめったに使用されることがない。
足を踏み入れると、そこには親族たちがずらっと顔をそろえていたが、姉と祥吾はいない。親族たちはわたしの顔見てざわつきはじめる。祥吾の父もおり、末席で小さくなって震えていた。
親族会議でつるし上げられるのだろう。でもいいわ、わたしが逆に説得してやる。
わたしは祭壇前に端座する母の前に引き据えられた。母のそばにはいつものように父が影のように控えている。
「多津子、話は祥吾から聞いた」
緊迫した空気の中にいつもと変らない優しい母の声が響いた。優しい声なのになぜか身体の奥を打ち据えられるような痛みを感じる。
「おまえは姉の婿になるはずの男を通わせただけでなく、この家の当主になるべきとそそのかした。それで間違いはないな?」
身体を引き裂くような痛みに顔をしかめながらわたしは反論した。
「はい、間違いありません!」
「なぜ婿が当主ではいけないのですか? なぜ姉様が当主なの? なぜわたしは当主になれないの? 祥吾さんが当主でも、わたしが当主でもいいではないですか!」
母は美しい眉をしかめると悲しそうに言った。
「三久間の家に生まれながら、なぜそのようなたわごとを……。幼いころから言い聞かせてきたではないか。女神様との約束なのだと。その加護によって守られているのに勝手なことを言うとはどういう了見なのだ?」
「はあ? 女神様? 加護?」
ついに言いたいことを言うべきときが来たとわたしは感じた。
「いつの時代の約束かは知りませんが、今の時代、自出に関係なく努力次第で何にもなれるのです。女だからとか、長子だからなんてくだらない理由で将来を決められるなんて、それこそ女神さまとやらはどういう了見なのです?」
力を求めてお腹に手を当てる。赤ちゃん、どうかお母さんに力を貸して!
「わたしは祥吾さんが懸命に努力されているのをみてきました。でもどれほど優秀であろうと姉様の陰で生きることを強いられる。そんな祥吾さんを見ていてわたしは同情しました。だってわたしもそうだから。次女に生まれたばっかりにすべては姉様のもの。祠のお祭りの時だって家族の中でわたしだけ仲間外れだわ。だから祥吾さんの気持ちがよくわかるの、その想いが男女の愛にかわるのは当然のなりゆきなのよ」
わたしは一息に言い切って満足した。
「やれやれ。これが『啓蒙思想』というものか」
母の声が突然しわがれたように聞こえた。
「そうよ、だからこの家も変わるべきだわ。因習は排除すべきなのよ!」
「そのような浅い理では、いつしかこの世界を壊すことになるだろうな……。だが今日ではない。まだこの家はなすべきことがある。因習と言われればそうかもしれないが、佐保子は受け継ぐ覚悟を決めてくれている。女神様の加護で守られながらそれを感じることができないおまえには家督はやれぬ。もちろんその腹の子にも。」
かあっと頭に血が上った。
「加護なんて感じるわけない! だってそんなもの存在しない!! あるのは人を縛る呪いだけだ!」
わたしはお腹から湧きおこる衝動のまま、飛び起きると目の前の母を突き倒して背後の神棚に向かって突進した。そして気が付くとそこに備えられていた祭具を力いっぱいなぎ倒していた。衝撃で手や顔から血が流れてあたりに飛び散っていたが痛みはない。むしろ血でここを精一杯汚してやりたいという思いがわいてきた。
「女神なんて迷信だ!」
わたしは父に取り押さえられ、張り手を一撃をくらい気絶した。
※
祭壇を破壊したわたしは、ついに座敷牢に監禁された。
「祥吾さんはどうしているの? なぜここに来てくれないの?」
食事や怪我の治療など最低限の世話をする使用人はやってくるが、だれも私の言葉を聞き留めてくれない。
騒ぎつづけていると結局、父からの手紙が届けられた。手紙というか一方的な通達だ。
出産までここに閉じ込められることになったことを知る。子どもをあきらめろと言われたらどう抵抗しようか考えていたが、ひとまず産ませてもらえると知ってほっとした。
でも祥吾さんのことは一言も書かれていない。
わたしたちは革命に失敗してしまった。
きっと落ち込んでいるだろう。今も姉様の婿候補のままなのかしら……。
でもわたしはあきらめない。なんとか祥吾さんと連絡を取りここから助け出してもらわないと。
座敷牢に閉じ込められて数日、昼夜を問わずこの家に復讐する方法を考え続けていたある日大きな地震が起こった。今まで遭遇したことがない下から突き上げるような大きな振動で、屋敷ごと倒壊するのではないかと思うほどだった。わたしは座敷牢の格子にしがみつきながらこんなところで死にたくないと願い「ここから出せーー!」と必死に叫んだ。
幸い揺れはすぐにおさまり、屋敷も倒壊することなくわたしは無事だった。
それからどれくらい時間が経ったのか、あのわたし付きだった年配の女中が屋敷牢の格子の前に現れた。白装束に身を包んでなにかお札のようなものを両手に握りしめている。
「多津子様、奥様がお亡くなりになりました」
何を言っているのかわからない。
「多津子様、あなたのお母さまが先ほど身罷られました。多津子様はご家族の冠婚葬祭にはかかわることはできませんが、佐保子様が奥様のことはお知らせするようにとお命じになりましたので」
「先ほどの地震で亡くなったの?」
「先ほどの地震? ああ、あれは地震ではありません。女神さまの祭祀中の事故のようなもので、あの揺れはこの屋敷の周辺だけのものです。」
「女神さまの祭祀?」
「そうです、あなたが引き起こしたことの後始末のための祭祀です。祭壇を破壊され侮辱された女神様のお怒りがあのような地鳴りとなって表れたのですよ!!」
「え、そんなこと、あるわけない!」
女神なんて迷信なのに……わたしは気持ちを必死に落ち着けようとした。
「この期に及んでまだそのようなことを! 奥様は女神様の怒りをあなたの身代わりになって引き受けお亡くなりになったのに……」
女中はわたしをキッと睨んだかと思うと、次の瞬間うわーっと大声で泣き出し、駆け出して行ってしまった。
母様がわたしの身代わりで死んだ? 一体どうしてそんなことが起こるの?
その後どうなったのかわたしは知ることができなかった。母の葬儀に出席することもかなわず、座敷牢にわたしの食事などの面倒をみにくる使用人も、お腹の子の様子をみに来る産婆もわたしとは口をきいてくれなかった。
そして月満ちて、わたしは男の子を産んだ。
産んだ子はすぐに連れ去られた。
「わたしの赤ちゃんを返して! 祥吾さんを返して!」
わたしは泣いて泣いて泣いて、気が触れているもののように暴れて叫んだけれど子どもは帰ってこなかったし、誰もわたしを叫びを聞いてくれなかった。
産後、ひと月ほどでわたしは床上げし、そのまま座敷牢を出された。着の身着のままで三久間の家を放逐されたのだ。
怖くはあったけれど自由だと思った。
まずは祥吾さんを探さなくては。
そして赤ちゃんを取り戻すのだ。
わたしは監禁と出産で弱った足腰でよろめきながら歩いた。行き交う人はわたしを避ける。わたしを見る表情はみな一様に眉をしかめている。中には「げぇ」と吐き捨てるものまでいた。わたしはかつてそんな目で見られたことはない。三久間のお嬢様として、羨望と憧憬にため息をつかれることはあっても「げぇ」などと吐き捨てられることなんてなかった。座敷牢には鏡などなかったし、そもそもわたしは自分の美しさを疑ったことはなかった。
しかし、どうだろう。自らの姿を見下ろしてみる。みすぼらしい着物に身を包んだぶよぶよの身体。監禁されている間に醜くなってしまったのだ。わたしはそう思った。
ふと水たまりに目をやるとそこに見たこともないような醜悪な生き物が映っていた。内側から輝きハリのあった皮膚はいたるところが黒ずんで大きくたるみ、豊かだった髪はいまや地獄の餓鬼かとおもうほどわずかな量しか残っていない。潤んで輝いていた目はにごり、まぶたは垂れ下がっている。
悲鳴をあげようとしたが声がでない。喉からはぐぇぐぇとカエルの鳴き声のようなしゃがれた音がでるばかり。
そして女神の加護に思い至った。
母も姉も美しく、そしてわたしも美しかった。
幼いころ母に抱かれて口伝えに教えられた女神様のご加護のこと。
『三久間の当主が女神様との契りを守り、民を助けて、正しき祭りを行えば女神は加護を与えてくれる。
三久間の当主の美しさは女神様の加護の証。
三久間の当主が美しければ民は案じることなく暮らしていける。
そしてひとたび加護を失えば三久間の女は、けがれた忌み人に落とされる。
忌み人は醜い姿のまま生きねばならぬ。』
ああ、わたしは加護を失い、わたしは忌み人なってしまったのだ。
祥吾さんに会えてももはやわたしだと分かってくれないかもしれない。
やっぱり女神の加護などではなく、女神の呪いで間違いないじゃないか。
ああ、わたしの赤ちゃんは男の子でよかったな。
水たまりの脇に座り込んでわたしはそんなことをぼんやり思った。
おわり
※※※ ※※※ ※※※
別視点の後日談を近日中公開シマス。←シマシタ。
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