細雪、小雪

松井すき焼き

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「赤い目は禍々しい。化け物」
そんな声が小さな子供を追いかけていく。子供は必死に逃げた。
優しい女が遠くで手招きしている。
人ではない醜い爛れた手が、子供の顔の肉、腹の肉をもぎ取っていく。絶叫を上げる。意識が反転する瞬間、悲しげな女の顔がみえた。
そこで赤目は目を覚ました。いつもの悪夢だ。だがいつも悪夢に現れる悲しげな女の顔は誰だろう?
この寒いのに、悪夢で随分汗をかいた。横を見ると、白い犬が寝ている。刀を引き寄せた。

道の土煙がすごい。僕は何度もくしゃみをする。一方赤目は表情もなく歩き続けている。寒さというものを感じていないようだった。
だが流石の赤目も二日野宿は寒いのか、その夜に一軒の小屋に入った。そこに人は誰もいない。赤目は壁に寄りかかると、目を閉じた。恐る恐る鷹は赤目の身体を包み込み、身体を丸めた。寒かったのか、赤目は鷹の毛皮にもぐりこんだ。
「おや。お客さんかい」
猪の毛皮を被ったお婆さんが小屋に薪をもって入ってきた。
「少し借りているぞ。染野」
「久しぶりだね、若いの。一人ではないというのはめずらしいねぇ。好きなだけゆっくりしておいき」
そのまま曲った腰のお婆さんは出て行った。
以前赤目が人に追われているとき、この倉庫に逃げ入った。あの染野と名乗った女は赤目が突然侵入したときも、目が悪いせいか少しも怯えず、怪我をしていた赤目を匿った。
自らを包む狼の毛並は柔らかい。つい赤目はぽつりとつぶやいた。
「温かいな。この毛を食らえば、温かくなるのか?」
その言葉に鷹は噴出した。
「何がおかしい?」
「赤目は変なの」
「・・・・」
でかい犬は息を大きく吐き出して笑う。赤目のすこやかな寝息が聞こえてきた。温かくなって鷹は目を閉じた。
「・・・赤目、おいて行かないでよ。僕もすぐにおいつくから」
笑いをもらすと赤目は寝息をたてて眠った。


朝早く赤目と僕は歩く。朝早くに起きたのであんまり昨日の夜は長く眠れなかったので鷹は眠くて仕方がなかった。鷹は涙を流しながら欠伸をした。
赤目にどこへ行くの?と、鷹が尋ねても、赤目はいつも答えてくれなかった。そうこうしているうち、赤目は大勢が行きかう店や家並みにやってきた。こんな大勢の人間を初めて鷹は見たと思う。それにお店からは肉を焼く良い匂いがして、鷹は鼻で匂いを嗅いで腹を鳴らした。
・・・・赤目、腹が減ったと、赤目に言うが、赤目は無言で歩いて行ってしまう。鷹は泣く泣く肉を焼く店をあきらめた。
赤目と鷹が街中を歩いていると布で目を覆っている赤目にたいして、物珍しそうに町の人間がみているのを鷹は見た。
露店の前の女の前で赤目は立ち止まる。
「聞きたいことがあるのだが」
赤目の言葉を露店の女は遮った。
「ちょっとお兄さん。犬を街中にあまり連れてくるんじゃないよ。あんた目が見えないのだろう。その犬のあたしらが噛まれたらどうするのだい?」
「こいつのしつけは行き届いている」
赤目は鷹の方を見たのでしっぽを振ってやる。
「それならよいけど。で、私になんの用だい?無料であげられる食い物も金も内にはないよ」
「仏が見れる寺院をさがしている」
「仏?ああ、あの異教の神様か。この町一番の馬鹿でかい建物にあるよ。でもあそこには貴族しか入れないよ。ましてやあんた目が見えないんだろう?この町そんなに治安はよくないし、あんたなかなかの美男子だし気を付けた方がよいよ。この町でよい男はすぐに殺されるからね」
「・・・平気だ」
赤目の言葉に女は溜息をつく。
「あんたからは血の匂いみたいなものがするから、おそらくあんたは強い男なんだろうさ。だけどあまり街中で人を殺すと、つかまるよ。あんたが悪くなくて正当防衛だとしても役人には関係ない話さ。すぐに首を刎ね飛ばされるよ」
「そうか」
赤目は歩き出し、目隠しをはずして赤い目玉をあまり見えないように手で覆って、遠くにあるでかい寺院のほうへ、目を向けた。まったく道がわからないので赤目はもう一度目を布で覆うと、適当な道案内を頼める人を探し始めた。
だが放し飼いの狼を連れた赤目を道案内しようなどという人間は現れなかった。現れたのは、赤目の懐に手を差し入れようとした人間だけだった。赤目は持前の反射神経ですりの男の腕をひねり上げた。
「いてて」
容赦ない赤目の腕をひねる力に、すりの男は悶絶する。
「勘弁してくれ」
「二度とやるな。やるなら殺す」
静かな赤目の殺す宣言に、すりの男は青ざめて、逃げ出した。
道を聞いておけばよかったと、赤目は舌打ちして歩き出した。何度も道を行きかう人に道を聞き、何時間も歩いてやっと、赤目は都にある寺院にたどり着いた。
「赤目ここ?」
やはり鷹の質問には赤目は答えず、赤目はどんどん鷹をおいて寺の中へはいっていってしまう。
「まって」
鷹は慌てて赤目の後ろを追いかける。
唐突に赤目の懐をまさぐる手に気づいた。赤目の懐に何もないと気づくと、赤目は男に突き飛ばされ腰を地面についた。
すりとはまったくこりない奴らしい。
「もし、大丈夫でございますか?」
女の声が聞こえてきた。
「ええ、大丈夫です」
そういって両目が見えない男は微笑んだ。
「この辺に仏の像が見えられるところはございませんか?」
「仏?ああ、そんな話しを聞きました。でも有名な所は貴族の方しか入れませんよ」
「そうですか。残念です」
「建物の近くまでなら案内いたしますが」
「ぜひ、お願いします」
「貴方のお名前は?私は美祢(みね)と申します」
「私は・・・・・赤目と申します」
もう一度その男は微笑んだ。
少し迷ったが、美祢は目が見えない赤目の腕を引いて歩こうと、その腕に触れた途端、全身が震えた。
赤目と名乗るその男からは血の匂いがした。
「あちらをまっすぐ行くと門が見えます。私はこれで」
美祢は頭を下げると、そそくさその場を歩き出した。
美祢の家は下級貴族の家だった。盗賊達に襲われ、母は死んだ。美祢は隠れていて助かったのだ。今でも覚えている。あの鈍い血の匂いを・。両目を隠したあの男からも同じ匂いがした。
何故かあの男が人を殺しているだろうということを確信した。
美祢には分かっていた。
母を殺したのはただの盗賊なのではなく、立派な身なりをした貴族ども。
血の匂いだけではなく、高価な綺羅の香の香りが漂っていた。父は悲しまなかった。父とあって何故かすぐにわかった父が母を殺したのだ。どうしてそうおもったのか分からない。
気のせいだとおもいたかったが、すぐに動機や証拠も見つかった。貴族は噂好きだ。
父は一度も美祢には逢いにきていない。
「まって!」
美弥は男の背中を追いかけた。
男は美弥のほうを振り返って、立ち止まった。
「・・・・あなたに殺してほしい人がいるの。お金はいくらでも払うわ」
男は笑った。まるで両目が見えているように美弥の間近まで来ると、男は美弥の顎をつかんで、顔を仰向かせた。
「殺してやってもいいが、その代価がお前の命だといったら、どうする?」
「い、いや。お金なら払うから」
男は吐息をつくと、言った。
「人に頼むくらいなら、自分で殺せ。他人に頼むとしても、それ相応の対価を求めるぞ」
「わ、私」
「覚悟がなければ人を殺すのは無理だ」
美弥の前から盲目の男は白い狼を連れてさっていった。

門の前にいた見張りにすばやく当身をし、お社に押入った。
赤目の目を覆っている布をとった。
そこには仏ではなく、五神像が置かれていた。
五神とは古くからある神だ。
哀憐、激怒、上楽、情愛、白と言う五つの顔をもつ神だ。
泣いている人には、哀憐という表情をみせる。
五神像の周りには五十の蝋燭の火が燃えていた。
その隣に見たことがない異国の神の像があった。
刀を静かにぬいた。
人の気配と小さな悲鳴に赤目は振り向いた。振り向くと、そこには小さな子供がいた。
「す、すみません。人が居るとはおもっていませんでしたから。あの、あなたは?私は馬宿といいます。あ、あの、あなたはもしかしてその紅い色の目、隣国のお方ですか?」
「・・・・・・」
赤目は子供の問いには答えない。
寺院のでかい黄金色の仏の顔が見える。
しかし、赤目がみたかった仏のものとはちがう。
金色の仏は赤目を慈悲の眼差しで見ている。でもこの仏は違うのだ。赤目が本当に見たかったものは、前世の地獄で赤目を悲しげに見ていたあの女。
生まれ変わる前の記憶なのか?見知らぬただ一人の女を、赤目は鮮明に思い出せる。
赤目は刀の居合い抜きで仏の首を刀で刎ね飛ばした。ころんと、渇いた音を立てて金属でできた仏は床に転がった。
それを見ていた子供の悲鳴が聞こえる。
俺はあの地獄で悲しんでいた女がほしい。地獄に落ちれば、会えるのか?憎む気持ちとそれは似ていて、また正反対の感情であった。
あの目が見えぬ男が死んだとき、赤目は肉を食えなくなった。あの女を食えば、また満たされる心地になるのではないかと思う。
「お主は何者じゃ!!」
子供の隣にやってきた鮮やかな紫色の衣の男が怒鳴り声をあげた。
「お主、何故そんな赤い目をしておる?はては物の怪のたぐいか」
大勢の人間が赤目を取り囲んだ。
「やはりここにきたな、化け物め!」
「やはりここにおいでですか」
突然そんな見知らぬ男の声が誰もいないはずの寺院で響いた。赤目は仏像に集中しすぎて人の気配に無頓着になっていたらしい。
赤目の腹に一本の飛んできた矢が突き刺さった。
「ぐ!」
「赤目っ」
慌てて膝をついた赤目を鷹は背中にかばう。人の気配の方へ鷹は唸り声をあげて、牙をむいた。
口から流れ出した血を赤目はぬぐって人の気配の方へ目を向けて見ると、貴族の着物を着た見知らぬ男がこちらにむかって刀をぬいてあるいてくる。
「お久しぶりですね、赤目の鬼」
男は赤目に言ったが、赤目にはその男が何もであるかわからなかった。
「何者だ?見覚えない顔だが」
「見覚えのないとは本当に残念です。友野義久ですよ」
「・・・友野・・・義久?」
聞いたことがある名前だ。確か赤目と香代と雪と三人で暮らしていた土地の名前がそんなような名前をしていたことを思い出す。
「友野の国の王の関係者か?」
赤目の言葉に義久は言った。
「正確にはその弟ですよ、赤目の鬼」
都に吸収され分割された今は亡き国の名前。
赤目はめまいがして立っていられなくなった。息苦しさをおぼえて咳き込むと血を吐いた。
「・・・毒か」
「無理に動かないでください。解毒薬はこちらにありますから」
義久が懐から小さな瓶をとりだして赤目に見せた。
・・・赤目!
矢が突き刺さっている鷹が男に向かって唸り声をあげる。容赦なく鷹の体に矢が降り注ぐ。
甲高い悲鳴を上げて鷹が倒れた。
「鷹!」
矢が降り注ぐのも構わず、赤目は鷹の前に出て、義久の元へ歩み出る。しかし何本もの矢が赤目に突き刺さる。右足に矢が突き刺さり、肩にも突き刺さり血反吐を吐きながらそれでも赤目は前に進む。
「さすがは妖、いえ、神ですか」
義久は血が流れるその場ににつかわしくない感嘆の声をもらした。そして義久は刀を振りかぶると赤目に切りつけた。とっさに利き腕を赤目はもう片方の手でかばった。赤目の左腕を刎ね飛んだ。
赤目!
鷹が動かない体をひきずり、赤目の元へ駆けつける。
「さすがは邪神。いえ、私はあなたを尊父とし、愁い崇め奉りましょう。偉大なる神。皆の神。いいえ、私の神よ」
義久はわけわからないことを言うと、ぼんやり赤目はおもう。
「・・・人を食らう神か、笑わせる」
男のわめき声や矢を射る掛け声など全部の言葉などどうでもよく赤目の耳通り過ぎてあまり聞こえず、耳に入らなかった。
弱弱しい動きで鷹が赤目の前にやってきた。そして赤目に刀を向けている男に唸り声をあげている。
義久の刀が鷹の首をはね落とした。
「よくも」
狼が切り裂かれる光景に、赤目は歯で下唇をかみ切る。赤目の口から溢れ出す血。
「動かない方が身のためですよ」
かまわず赤目は片方の手で義久に切りかかった。
赤目の刀は義久の首をかすめ、義久の刀に阻まれた。赤目の刀に触れている義久の首から血が流れる。赤目の刀を義久が力ずくで押し戻す。
背後から飛んできた矢が赤目を貫いた。
「赤目!」
鷹の悲鳴がして振り返ると、首だけになった鷹が赤目を矢で射ぬこうとしていた兵の男の首に噛みついて、男の体を引き倒した。鷹は首だけの姿になって赤目の方にむかって飛び跳ねながら寄ってきていた。
とっさに赤目は鷹の首を抱き上げると、逃げ出そうと囲まれている兵の方へ走った。
義久は追いかけず、その場にひざまずくと赤目の血を両手ですくい上げた。
自らには望んだ身分も何もなかった。
ようやく義久は求めていたものを見つけられたと、あの赤い目の神の血を口に運び飲み干した。
そう自らは神の縁者になったのだ。
自らは特別な存在になったのだ。
赤目の血を飲むことによって、義久は長年満たされず、苦しめられていたものを満たされたような心地になった。
自らが神と認めたものを追いかけねばと、義久は立ち上がり赤目の方へあるきだした。

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