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第十九話 凶報
しおりを挟むテウローアは、ラスティカと隣接する小国である。隣接しているとはいえ両国間には山脈が聳え、それによりふたつの国の土地柄は隣あっていながらずいぶんと違ったものになった。
ラスティカは肥沃な土地に穏やかな気候で資源も財政も豊かだった。対してテウローアは過酷な不毛の土地で、冬ともなれば冷たい風が吹き荒び人々の生活は苦しいものだった。
それゆえか、テウローアの民は男も女もよく鍛え武門に秀で、主な仕事は傭兵の派遣と他国からの略奪であった。
ラスティカは常にその脅威に脅かされ、テウローアに蹂躙されるか聖王国と誼を繋ぐか、豊かでありながら小さな国の生き延びる道はそのふたつしかなかった。
ザカリアスは、ラスティカの元王宮のテラスから遥かな地平に視線を向けていた。
薄曇りの稜線にけぶる山脈は、粉砂糖でもまぶしたようにうっすらと雪化粧が施されている。間もなく冬が来る。
テウローアとの交渉は今なお難航していた。
「ザカリアス殿……貴殿もよくよくわかっただろう、テウローアの石頭ども。とにかく話が通じんこと」
ラスティカの治安維持と土地の整備のために駐屯するイングルス伯は、テウローアとの交渉ではのらりくらりと話をはぐらかし続け、本格的な冬の到来と共に彼らが諦めるのを待つという、平和主義らしく古式ゆかしい外交戦略をとっていた。
時間はかかるが、当初はそれでうまく運びそうでもあったという。
しかし。
「どうにもいけませんな。ラスティカの内部に、テウローアと呼応する動きも出始めておりますし」
イングルス伯は苦々しく弱りきった様子でザカリアスに並び、王宮テラスからラスティカの都を見下ろした。
ザカリアスもそれに倣い視線を遥かな稜線から都に下ろす。
元は美しい街並みのはずだったが、ところどころにまだ戦火の跡が見て取れた。
一部区画などは完璧に崩壊し、簡易で建てられた小屋が並ぶ。
彼らは、聖王国からの支援をつっぱね、敢えてそうしているのだという。
ラスティカからの反発。
ザカリアスはこめかみを揉みながら嘆息した。
「テウローアとの外交は、これまで通りに行いましょう。その間に、ラスティカ側にいる反聖王国分子を炙り出し、排除する。……冬が来ればテウローアはラスティカに攻め込むことはできません」
「しかし……ラスティカ内の我々への風当たりは、強いものですぞ。ミストリアス卿」
「利に聡い商家の者たちから取り込みましょう。それから、主に病人と幼な子を持つ家の者たちを。彼らは、己の思想や魂の高潔さよりも、腹を空かせた子を優先したがるものです。施しはそこを重点的に。女子供が和らげば、そこから男たちも絆されますよ」
ザカリアスはそう言うと踵を返す。
とりあえずの方針はできた。あとは手配を完璧にする必要がある。
***
テウローアとラスティカ、内外の憂いの排除に奔走するうちに、日々はあっという間に流れていった。
テウローアとの主な外交は変わらずイングルス伯に任せたが、細々とした調整や采配などをザカリアスは一手に担うことになった。
ラスティカ内の以前から親交のある者の伝手を利用し商家を取り込み、彼らに利を見せつつこちらが有利になるよう運ぶのは、決して簡単なことでもない。
ラスティカ民の反発心を和らげながら、テウローアと繋がる人間や組織を見つけ出すのに費やす時間も短いものではなかった。
じんわりと重くのしかかってくる疲労感に、ザカリアスは溜息をこぼす。
既に夜半。朝に届いた手紙が、未だ文箱の上に山になっていた。
重くなる目蓋をもう一踏ん張り持ち上げて、次々と手紙を開いていく。
一通一通丹念に検分するのは、なんでもない時候の挨拶に重要な情報が隠されていることがあるからだった。
そうして取った最後の一通に、ザカリアスははたと動きを止める。差出人の名を見て、数度瞬く。
――セラスティア様、か。
ぐ、と眉を寄せた。
たかが手紙一通に、妙な緊張感が走る。
出立前に託した手紙は、ちゃんと届けられたのか。
なんと書いたか。
粗相はなかったか。
考えに考え抜いて、結局は大したことも書けずに終わったものである。
セラスティアからの手紙の封を切るのに、ずいぶんと時間がかかった。
ようやく開いた手紙の、流麗な文字を、ザカリアスは何度も読み返した。
決して長くもない文面に、ずいぶんと時間をかけて。
ふ、と。ザカリアスは口端が緩むのを感じた。
「なぜだろうな、やけに不安だ……きっとなにひとつ、慎んでくださってはいない気がする」
予感である。
セラスティアは、ただの儚げで控えめな病がちの姫君などではない。それは前王の語った幻だった。
ザカリアスはゆるゆると深く息を吐き出して立ち上がる。
早くこの地の仕事を終えて、聖都に戻りたいと思っていた。
***
数日後。
テウローアと呼応し、ラスティカ内で反乱を起こそうと計画していた者たちのアジトが見つかり、密輸された武器弾薬と共に摘発された。
「さすがですなぁミストリアス卿。これでテウローアもいまは手を引かざるを得ぬでしょう」
イングルス伯が上機嫌に言う。
ザカリアスもそれに頷いた。
「春までは安泰でしょうが……それまでにラスティカ側の新体制を確実なものにしておかなくてはいけません」
「心得ておりますとも。……ミストリアス卿は、すぐにでも聖都にお戻りになられるのですかな?」
イングルス伯の問いに、ザカリアスはまた頷いた。
「そうですね……あぁ、ただ……少しだけ、ラスティカの街を見てみようかと。いつも地図の上からか王宮の上からばかりでしたのでね」
ザカリアスはイングルス伯に一礼して出て行くと、その言葉通りにラスティカの都に赴いた。冬が来るというのに厚手のコートでは少し汗ばむほどに暖かい。
表通りをあてもなく歩き、商店や酒場を見て回る。
ザカリアスの後ろを、ワァキャアと甲高い歓声を上げながら走っていく子供たち。
ドンッと腰の辺りに衝撃を受けて見下ろすと、走り回っていた子供のひとりがザカリアスにぶつかって尻餅をついたところだった。
ワッと泣き出す幼な子に、ザカリアスは膝をつく。
「大丈夫かぼうず。元気なのはいいが、走り回るときはちゃんと周りを見ておかないと。怪我は……? 手のひらを擦り剥いたのか。そのくらいなら、飴でも舐めてりゃすぐ治るさ」
幼な子の手を取り、立ち上がらせ、その手にキャンディをひとつ握らせる。
意外そうに瞬く子供の背を押しやって、遠巻きに眺める仲間たちの元へ向かわせる。
ほんの少しの気の緩みが、このとき確かにザカリアスにはあった。
刹那。
――パンッ!
乾いた音が響いた。
キャアァア! と誰かの悲鳴。
「おじちゃん……!」
キャンディを握った子供が叫ぶ。
「っ……」
ザカリアスは、膝を突いていた。
視界が明滅する。
カッと熱く、痛みが走り、さぁと冷えていく。抑えた脇腹辺りから、じわじわと流れ出るもの。
――クソ、俺としたことが……、嗚呼、無分別がうつっ、た……
遠ざかる意識の中、脳裏に浮かぶのはまっすぐな珊瑚色の瞳だった。
――どんな寝顔なのか、見られなくて残念だな。
思考は乱れ、そして途切れた。
***
ザカリアスが凶弾に倒れたという報せは、イングルス伯からザカリアスの事務官ウィンストン卿へ。
そしてウィンストン卿から、ミストリアス侯爵邸へと伝えられた。
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