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第十八話 話したいこと
しおりを挟むセラスティアが目を覚ましたのは、ザカリアスが屋敷を発って随分後のことだった。
ザカリアスの急な出立をパティに聞かされ、セラスティアは呆然とした。
「どうして…………」
どうして起こしてくれなかったのか。せめて一目顔を合わせ、一声でも掛けて行ってくれなかったのか。だが、昼過ぎまで呑気に寝こけていたのは自分だ。誰を責めることも出来ない。二の句を継げず、それっきり黙り込んだ。
(……ザカリアス。あなたに会って話したいことが、沢山あったのに)
昨日は、結局空が白むまでまでマチルダの家で思いのたけを語り尽くし、何とか協力を取り付けた。不運な誤解から始まったが、彼女とはきっと上手くやっていけるに違いない。
今までのことも、これからのことも。
セラスティアは、今度こそザカリアスに包み隠さず相談するべきではないか、と考えていた。
それなのに。
セラスティアは、胸に穴の空いたような虚な気持ちに気が付いていた。それは、まだ夜も明けきらぬ暗い時間に、たった一人で目が覚めてしまった時の言い知れぬ不安と落胆に似ている。
(嗚呼、わたくしは……寂しいのだわ……)
「……ケイキョモードーは慎まれるようにとかフンベツを持ってとか、相変わらず嫌味なお小言もおっしゃってましたけど!でも確かに先日の事件のこともありますし、セーラ様も少しは……って、セーラ様?聞いてらっしゃいます?」
「………えぇ、えっと……何かしら?」
「宰相閣下からのお手紙、預かっております!」
「……ザカリアス殿から?」
パティが差し出したのは真っ白い封筒だ。開けてみれば、余程急いで筆をとったのか皴の付いた便箋に、幾らか乱れた文字。
セラスティアは息をのんだ。
(……貴女様の絶対のお味方であること……?)
「そのぅ、セーラ様、なんて書いてあったのです?」
常ならぬセラスティアの様子を、パティが心配そうに伺っている。
(なぜ?どうして?こんな言葉ひとつで……)
それは確かに、セラスティアが無意識に求めていた言葉だった。
朝日が上り暗い夜が明けるように、再び己の体に力強い希望が満ちていくのを感じる。
こうしてはいられない、と心が騒ぐ。
「パティ……すぐに支度をして頂戴。出かけるわ」
「え!?今すぐですか!?でも、昨日は夜明けまでお出掛けで、セーラ様もお疲れでしょうし……そもそも今度はどこへ!?」
「ルドルフォ叔父様のところよ」
セラスティアの口から思わぬ名前が出たことで、パティはより一層戸惑った。
「え、でも……それならわざわざお出掛けなさらずとも、使いをやってこちらへお招きすれば……」
「一人っきりの姪の婚礼披露のお茶会に、『庭の秋薔薇が綺麗だったから』という理由で遅刻するような人が、素直にいらっしゃるとも思えないもの。わたくしが行った方が早いわ」
※※※
──ルドルフォ・ディ・テニー伯爵。
セラスティアの母の年の離れた弟である叔父は、聖都の外れの辺鄙な森の中に住んでいる。わざわざ王宮からも街からも離れた場所に屋敷を構えたのは、趣味の庭いじりに没頭するためだとか。
セラスティアが屋敷を訪ねると、叔父は屋敷の裏庭で今まさにダリアの球根を掘り返していた。
幾ら園芸好きとはいえ、自ら泥まみれになって庭師と共に作業に加わる伯爵というのは普通ではない。宮廷人たちに『庭狂いの伯爵』と揶揄されているのも仕方のないことと思えた。
だが、セラスティアはこのたった一人の母方の肉親が嫌いではなかった。酔狂の過ぎる変わり者だが、母と似た穏やかで素直な人柄を寧ろ好ましく思っていた。
「ルドルフォ叔父様、ご機嫌よう。先日はお茶会にお越しくださってありがとうございます」
「やぁやぁ、可愛い小鹿ちゃんじゃないか!ご機嫌よう!」
「……その呼び方はそろそろおやめ下さいませ。テニー伯爵閣下」
「そりゃぁ失礼、セラスティア皇女殿下。きみがうちに来るなんて珍しいこともあるもんだ。ダリアならもう見頃は過ぎてしまったよ」
テニー伯はやって来たセラスティアに一瞬顔を上げると、土まみれの顔で微笑んだ。けれど、またすぐに作業に戻ってしまう。
「いいえ、ダリアの花のことではなくって……実は、叔父様に折り入ってお願いがありますの」
「なんだい?見ての通り、今時分は忙しいんだ。ダリアは寒さに弱いから、花が終わったら球根を掘り起こして乾かして保温しておかなきゃ。初霜が降りる前に全部終えてしまわないと」
「夏の離宮の件で、と言ったら……お話を聞いてくださいます?」
泥まみれのスコップを手にした手が止まる。
「あそこには、当時一流の庭師たちの手で作られた庭園がありますわ。叔父様もよくご存じでしょう?」
セラスティアが母と幼少期を過ごした、夏の離宮。だがセラスティアの父母無き今、そこに暮らす者は誰もおらず、打ち捨てられたままになっている。
「……それで、ぼくにお願いがあるっていうのは?」
テニー伯はようやく腰を上げ、セラスティアを見つめた。
セラスティアは単刀直入に切り出すことにした。
「離宮の庭園を、叔父様に整備していただきたいのです。荒れた土地を耕し、草花を植え、花畑を作って欲しいのです」
「そりゃ、あの離宮は野趣溢れる風情もいいし土地もいい。魅力的なお誘いだが、聖王家の土地だろう?幾らぼくでも、勝手は出来ないよ」
「いいえ、聖王家ではなく、わたくしのものです」
セラスティアは持参した証文をテニー伯に突きつけた。
「あの離宮は、わたくしが十歳の誕生日に父王様からお祝いの品として頂戴したものですわ」
「本当に……?」
「先王陛下直々の、勅命によって。確かにここに証文もあります」
聖王国では、女性に爵位や財産の相続権がない。
だが、勿論抜け道は幾らでも存在する。生前、親や親族から贈り物として贈与されたものであれば、話は別だ。結婚祝いや誕生祝いと称して歴代の皇女や妃に土地や建物が贈与された例は存在する。
皇女に離宮をまるごと一つ、というのは異例であるにしても。
「参ったな……ぼくが花を愛でているうちに、小鹿ちゃんはすっかり大人になってしまったらしい」
叔父は、母によく似たくすぐったげな微苦笑を浮かべた。
「それで、皇女殿下はどんな庭がお望みなのかな?」
「どこよりも薫り高く花が咲き、誰しもが貴賤なく憩い……誇れるような。そんな場所に」
テニー伯に助力を請うたセラスティアは、そこからまた精力的に動き回った。
朝は、予想していた以上に荒れ果てていた離宮へ赴き、テニー伯や庭師たちと改築のための意見を交換し、作業を見守った。昼は下町へ行き、マチルダの紹介で何人もの女たちと顔を合わせ、事情や要望を聞き取った。だが、社交の場へ出ることも疎かにはしなかった。知恵者や洒落者で名を知られた宮廷人たちのサロンで開かれるお茶会に顔を出した。
そうしてあっという間に一週間が過ぎ、二週間が過ぎた。
それでもまだ、ザカリアスは戻らなかった。
※※※
セラスティアは遠きテウローアの地にいるであろうザカリアスに手紙を書いた。
『親愛なるザカリアス殿
日に日に寒さが増す今日この頃ですが、いかがお過ごしでしょうか?
わたくしが幼少期を過ごした離宮には、この季節でもまだマリーゴールドの花が咲き誇っています。
近いうちに、あなたにお目にかけることが出来ると良いのですが……
わたくしは、あなたにお話したいことが沢山あるのです。
あなたの無事のお帰りを、何より願っています。
どうぞ、お身体にお気をつけて。
セラスティア』
筆まめなセラスティアにしては珍しいことに、手紙を出すのが遅くなってしまった。毎晩机に向かったのに、何と書き綴ってこの胸中を伝えれば良いのか、迷いに迷って何度も何度も書き直したせいだ。
一日、また一日と離れた時間が積み重なる度に、募る想いはたった一枚の便箋になど綴りきれず、罫線の隙間から溢れていく。
結局、通り一辺倒な手紙に落ち着いてしまったことに、セラスティアは溜息を零した。
だが、手紙の返事は来なかった。
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