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第十七話 伝えたいこと
しおりを挟む下町でささやかな一悶着のあった翌日、登城したザカリアスは聖王から直々に呼び出された。
「宰相ミストリアス侯爵、テウローアとの交渉会談に行け」
「……テウローア、で、ございますか。そちらの方は、イングルス伯が」
「イングルスでは埒があかん。向こうが条件を呑まねば開戦も視野に入れて後押しせよ」
「……御意に」
ザカリアスは首肯し、御前を下がった。
宰相府に戻る途中は、どうにも憂鬱な気分になった。
昨夜、セラスティアと下町を視察し、マチルダを怒らせた。今日の帰路にでもマチルダに会って誤解を解くつもりでいた。
しかし、急な遠出。しかも王直々の命である。ゆっくり下町に寄っている時間などあるわけもなかった。
テウローアは、ラスティカと隣接する小国だ。しかし小さいなりに武門で鳴らし、ラスティカ亡き後その地を奪おうと蠢動し、駐留軍と小競り合いも起こっていた。
ラスティカの治安維持と外交官としてイングルス伯が駐在しているが、平和主義の弱腰なイングルス伯ではテウローアの制御は難航しているらしい。
「テウローアとの交渉でございますか。ではすぐに必要なものの手配を」
執務室に戻りことの次第を聞いた事務官のウィンストン卿が、微かに嘆息をこぼしながら頷いた。
「しばらく聖都にはお戻りになれぬでしょう。今のうちに、片付けられるものは片付けてしまわれては?」
ウィンストン卿の言葉に、ザカリアスは眉を寄せた。
一瞬、急ぎで決裁すべき内容を脳裏で整理していく。一月以内に期限の迫ったものも幾つかあったか、と思うまでして。
しかし。
――いや、それよりも。
脳裏を翻る白金と珊瑚色。
放っておけばなにをしでかすかわからない、という焦燥にも似た感情が揺らぐ。
ザカリアスは一度目を閉じて、深く息を吸って吐いた。
「……そうですね。少し、出てきます」
後のことをウィンストン卿に任せ、ザカリアスは宰相府を急ぎ足で出て行った。
***
「なんの用……?」
細く扉を開けてザカリアスを睨むマチルダは、ひどく眠たそうで不機嫌だった。
化粧もしていないその顔は、年の割にはくたびれてくすんでいる。
「昨日はすまなかった。改めて話を、と思ったが」
「あぁ……。いいわよ、もう。あたしも悪かったわ、ついカッとなって」
一夜明けて、マチルダはすっかり落ち着いていた。
ザカリアスは手土産を渡すと、マチルダは一瞬顔をしかめた。
「赤ん坊のためだ、受け取ってくれ」
マチルダは渋々という顔で手土産を受け取り、それからザカリアスを見上げて口を開いた。
「昨日の夜、お姫様が来たわ。あの後」
ザカリアスの片頬が引き攣る。
マチルダは軽く肩を竦め、笑った。
「アンタとあたしがそういう仲じゃないかって、自分たちはただの王命だから気にするなってさ。……アンタたちお貴族様も、案外大変ねぇ。好き合った同士で一緒になれないのは、どこもいっしょなのね」
「……セラスティア様が、そのように?」
「良い子じゃないの。あぁいう子なら、命令でもなんでも、好きになっちゃえそうなのに。……ふぁ。ね、もういい? 夜まで寝ときたいんだけど」
「あ、……あぁ。悪かったな。……ほかに、何か言っていたか?」
マチルダは眠そうに欠伸をしながら、昨夜セラスティアとした話を極々手短に端折って伝えると、ザカリアスを追い払うように扉を締め切った。
閉まった扉を見ながら、しばらく、ザカリアスはその場に佇みこめかみを抑えて唸っていた。
***
屋敷に向かう馬車に揺られながら、ザカリアスはもう何度目かもわからない溜息を吐いた。
――なにを、俺は……。
ザカリアスは狼狽えていた。
単なる王命だ、とセラスティアからマチルダに伝えられたという事実に。
なにか、言い知れぬ動揺を覚えていた。
仲を誤解してわざわざ伝えに行ったということは、今後も好きにせよという意味合いでもあるだろう。
そのことに幾ばくかのショックを感じている自分自身に、ザカリアスは更なるショックを受ける羽目になっていた。
馬車が止まり、御者が扉を開いても、しばらくザカリアスはそのままでいた。
「まぁ、ザカリアス。どうしたこと、随分と早いお帰りではないの!」
主の想定外の早い帰宅に、使用人たちも慌てたが、たまたまティータイムをしていたテオドラが更に驚いた声を上げた。
ザカリアスは、テオドラのお茶の相手が彼女の馴染みのご夫人方ばかりであるのを素早く確認すると、手短に丁重な挨拶をするに留めて言った。
会いたいのは義母とその友人たちではない。
「急な王命により、しばらく外遊に参ります。その支度に戻っただけですので、これで失礼」
「まぁ! また屋敷をあけるということなの!? 殿下はどうなさるの。あなたたち、まだ新婚ほやほやなのよ!」
テオドラの文句を背に聞きながら、ザカリアスは目的を果たすべく向かった。
果たして。
「セーラ様は、まだお休み中です」
セラスティアの部屋の前で、赤毛の侍女パティが立ちはだかった。
「……皇女殿下の朝は、随分とごゆっくりでいらっしゃいますな」
思ったことをそのまま言っただけではあったが、嫌味と取られたようだ。
パティはあからさまにムッとした顔をする。
「セーラ様は昨夜は……! その、な、なかなか寝付かれず……」
しかしまさか真夜中に下町に行っていたから、というわけにもいかず言葉を濁すパティに、ザカリアスはただ片眉を吊り上げた。
「わかりました。では、言付けをお願いします侍女殿。……私はしばらく外遊で、留守にいたします。どうぞ、軽挙妄動はお控えになり、分別を持って、静かにお過ごし下さいますように、と。……殿下のこと、侍女殿にもよろしくお願い申し上げます」
ザカリアスはパティに対しても丁重だった。
幾許かの釘を指す意味合いも込めた物言いは、嫌味である自覚もなくはなかったが。
そのまま目礼のみを残し、ザカリアスはセラスティアの部屋の前から立ち去る。
ザカリアスは、ほんの一瞬、セラスティアが会いたくなくて寝ていることにしたのでは? と疑った。
それをすぐに打ち消せたのは、マチルダから仔細を聞いた後であるのと、セラスティアならそうしたことははっきり告げてきそうだという皇女に対する奇妙な信頼にも似た印象からであった。
部屋に戻ったザカリアスは、しばらく呆けたようにぼうっとしていた。
――俺は、残念がっているのか。
できれば直接、会って言葉を交わしたかった。と思ったのは確かだ。
それが叶わずやや消沈している自分に気付いた。
――いったい何を思ったのか、なにを考えたのか。あの町で……。あの方は……。
それを知りたかった。
マチルダからではなく、セラスティア本人の口から明確に。
それがたとえ今は単なる夢物語に近くとも。
ザカリアスは苦笑して、便箋とペンを手にした。
***
『敬愛なるセラスティア様
この度は急な王命により、私ザカリアスはしばらく外遊に赴くこととなりました。
つきましては、私が帰還の際に、貴女様のお話をお聞かせ頂きたく存じます。
私の願いは、貴女様の絶対のお味方であること。
どうかご信頼頂ければ幸いです。
ザカリアス』
したためた手紙をパティに託し、ザカリアスは再び宰相府に戻って行った。
ウィンストン卿がつつがなく行った手配により、ザカリアスはそのままテウローアへと旅立った。
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