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第二章

第52話 ローゼの短剣と論破王

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 翌日、朝早くローゼはテントの外に出ていた。

 他のみんなはまだ寝ている。

 相当あのボードゲームにのめり込んでいたようだ。ローゼ自身は早めにベッドに入ったため皆より早起きだった。


 ローゼは【血の短剣】を取り出し、それを見つめながら思った。

 アールにこれを渡されたと同時にバンデル先生は悪くなかったと聞かされた。そして彼の、ローゼを含めた一族の話を聞いた。残酷な一族の話を……。でも先生は最後まで悪人ではなかった。

 現に、彼は学院の優秀な先生で居続けた。まじめに生徒を教えていた。苦手だったけど皆、先生として尊敬していた。生徒にとってはちょっと怖いだけの普通の先生だった。

 でも、今はだれも思い出さない先生。先生は最後に学院の先生方と関係者の記憶を消していった。

 ――でも私は、いいえ私たちは憶えている。

 だから、私はネクロマンサーとして、血の継承者としてこの先も前を見て生きていかなければと思う。

 過去を見ていた先生は、役目を終えたのだから。

「おやおや、ローゼちゃん、思いつめてる君も素敵で、僕ごのみだけど、笑った方がカール君なんかイチコロなんじゃないかい?」

 ユーギがいつの間にか側に立っている。気配を感じなかったのでローゼは驚いた。

 しかし距離が近すぎる、顔と顔が接触してしまうくらいの距離でこちらをのぞき込んでいた。

「ひっ! ユーギさん」

 とっさに後ずさるもユーギの手が体に伸びてきた、今にも抱き着いてくる勢いだ。

「誰もいないし、いいじゃないか、お互い女の子同士だしカール君に取られる前に既成事実をだね、あははは――」

 そのとき【血の短剣】が赤く光ると同時に、拳がユーギの顔面に直撃した。

「この娘に近づくな、邪悪なものよ」

 一瞬だけだったが、確かにバンデル先生らしき人物が出現しユーギを殴り飛ばして消えていった。

「おや、その短剣の主かな? 魂の込められた武器なんて珍しいね、ほんとローゼちゃんはとっての魅力的だね」

 頬を抑えながら、立ち上がるユーギ、かなり思い切り殴られたが、腫れどころか傷一つなかった。


「やれやれ、服が汚れてしまうじゃないか。それに僕はそんなにつよくないからね、いきなり顔を殴るなんて酷いよ?
 これでも僕の美貌は神に与えられたというのに」

「今凄い音がしたけど何かあったのかい?」

 物音にいち早く気付いたハンスが二人に駆け寄る。

「あはは、起こしてしまったね。いやいや何でもないよ。ちょっとローゼちゃんにいたずらしようとしただけだし」

 いつものことかと半ばあきれるハンスだった。少し遅れて皆がテントから出てくる。

「さてと、今日も一日頑張りましょうか!」


 
 今日は見回りで早朝に先生がやってくる。

 最悪なことに、シルビアの兄さんだ。夏休み中に挨拶しようとしたが留守だった兄さん。

 前の職場にいたというが俺は避けられているのか……まあそれはそれで俺も落ち着いて過ごせるのだが、いや、今から距離を取ってどうする、紳士的にお付き合いしないといけない。それでも義兄さんになる人なのだから。

 彼は去年までは勤め人だった。魔法道具を開発する国の機関にいたらしいが。アカデミックな環境に配置換えで教授待遇らしい。偶然、魔法学の教員が不在になったので前倒しでの配属という経緯だった。
 夏休み返上で全職場の引継ぎとか、まあ大変なんだろう。

 しかし優秀な家族だな。公爵家の跡取りでもあるし。まさしくスーパーエリートだろう。保守的なのも納得できる。

 そんな彼とはあくまで冷静に真摯に向き合わないと。

「おはようございます、お兄様」

 馬に乗ってやってきた先生。先生はこれからいろんな班を回らないといけない。ある意味で生徒よりも大変だな。

 俺はコーヒーを差し出す。

「シルビアか、あくまで学院の教授としてこの場にいる、先生と呼んでもらおうか」 
 
 俺には無言で、差し出したコーヒーを当たり前のように受け取る。むう、前途多難だ。わざわざ一からドリップしたというのに……。だが、我慢だ、家族になる人に論破しても幸せにはならない。

「さてと、さっさと仕事を済ませるとしよう。この班のリーダーはシルビアか?」

「あの、一応、俺です」

「なに? ……貴様か、コホン、まあいい、さてと今までの進捗とこれからの目的地の報告を――」

 あくまで感情を消した事務的な会話だったが。圧迫面接のような気まずさがあった。

「――なるほど了解した、旅は順調のようだ。ご苦労、この先も頑張るといい」

 ふう、とりあえずは乗り切ったか。

「ところでだ、ここからはシルビアの兄として、お前には個人的に話がある」

 きた、ここからが勝負だ。いや勝ち負けではない。あくまで真摯な態度をとるのだ。

「私としてはだ、お前たちの関係は認められない。両親が認めたとしてもベルナドット家の次期当主としては認められない」

「お兄様、私は本気です。それに女同士で結婚が許されないって法律はないじゃないですか、それにアールは女という以前に私たちにとっても大切な勇者さ――」

 シルビアさんの言葉を遮り、お兄さんは反論する。

「法律にないからと何でも許されるわけではない。常識の問題だ、我がベルナドット家の栄誉に泥を塗るつもりか?
 お前はご先祖様に、勇者様に恥ずかしくないのか?」

 やはりシルビアの兄は保守的である。この手の話はいくら説得しても納得できるものではない。

 いっそのこと、勇者は俺だと言ってやろうか。

 ……いや、今それを言ったら彼は激怒するだけだろう。俺を狂人認定するに決まってる。困ったぞ、でもなんか言わないと。

「先生、いえ、その、お兄様、俺は本気なんです」

「当たり前だ、遊びだと言ったらこの場でお前を斬っている。それにこれはベルナドット家の問題だ、お前には関係ない!」

 むう、これは難攻不落か。俺は兄妹同士の口論を見守ることしかできないのか。

「おやおや、随分騒がしいと思ったら、随分と不毛な議論で時間を浪費していますね。こっちとしてはテントの片付けも終わったし出発したいところなんですが」

 げ! ユーギだ。まずい予感がする。

「なんだ、お前は転校生の……そうか、お前は異国の人間だったな。婚姻に関しての議論が不毛とは、お前の国はよほど未開なのだな」

 なんだ、いきなり喧嘩腰だ、いや吹っ掛けたのはユーギだ。しかし、お兄さん、いやアンドレ先生も随分と短気な性格のようだ。 


「未開とは随分とおっしゃいますね。お言葉ですが、女性同士の結婚が認められてる国の方が余程文明が進んでいるんですよ? ご存じでないんですか?」

「それは……失礼した。だが本当のことだろう。我が国では認められていない、それに子供が生まれないじゃないか。それは健全な結婚ではないだろう?」

「子供が生まれないと何か不都合があるんですか? シルビアちゃんは跡継ぎというわけでもないですよね?」

「しかし、女性の幸せは家庭をもつことだ、家庭を持つということは良き母でもあるのだ。これは常識ではないか」

 政略結婚の為とは言わなかったお兄さんは良識があると思った。
 まあ本心は分からないがその言葉を妹の前で言わないだけ良心があるのだと思う。あくまで妹の幸せを願っての正論であるのだ。

 だが、ユーギの口元はゆがむ。にやりと、待ってましたとばかりに次の言葉を発した。

「それって、あなたの感想ですよね。幸せだっていうならなんかデータとかあるんですか?」

 おいやめろ、その話し方だと炎上しかしないぞ、お前は権力者に恨みをかって国外に逃げるはめになってもいいのか?


「例えばですけど、僕の知り合いで結婚した人がいるんですけど、子供はできませんでした。でも夫婦は仲良く毎月、旅行とか行ってましたよ。その人たちは不幸なんですか?」

「いや、だがしかし、結婚は神の前で誓いを結ぶ重要な儀式でもあるのだ、神は男女を祝福するのであって――」

「ほう、僕に対して神の話をするとは……まあいいでしょう。ちなみに神様は同性婚はダメだと言ったんですか? いつ聞いたのですか? 聞いてないですよね? 僕は言ってないし。
 ……ええっと、なんだろう、嘘つくのやめてもらっていいですか?」

「いや、現に、貴族の家系では同性婚の前例はない」

「あのー、話そらしてますよね。神様は同性婚がダメだと言ったんですか? はい、か、いいえで答えてください」

 ああ、最悪だ。お兄さんの顔が真っ赤になってる。ユーギよ、その論法どこで覚えた、子供が真似したらどうすんだよ。
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