3×歳(アラフォー)、奔放。

まる

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本編

新月11。

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「来たか」

そう呟いて、光の君は伏せていた目を開く。
天守の最上階は静まり返っていた。
階下には元帥の隊員たちが詰めている。この場には落ち着かない様子の年配のお付きの皆々と、元帥その人と。
廻廊からの侵入者に、安堵と不安の入り混じる視線が向けられていた。

「何か喧しそうなのも一緒なのか」

あまり友好的でない事はその雰囲気から分かる。あちらからしたら得体の知れない小娘でしかないのだろうなと、雪妃は愛想笑いだけ返しておいた。

「先代からの付き人です。確かに少し、口喧しいですかね」
「うむ…追い返されはしなそうだし、静かにしとこう」

ちらと向くフレディの双眸といい、どことなく物々しい感じもある。促されるままに光の君の前へと座して、雪妃は苦くも頭を下げた。

「変わりないか、勝永」
「ええ。紫庵さんは夜、祐の所もじきに落ち着くかと」
「ふむ。卿らは予定通りか」
「そのつもりですよ」

にこりと守ノ内が返すと、ガラス玉のような瞳はゆっくりと瞬いた。いつもの通り、それが光の君にも安堵を与えた。

「嗅ぎ回っている鼠はどうしたものか。あれの目的は何とする」
「さて、普段入れないので興味深いんじゃありませんかね」
「そうか。近くにあれば落とせ」
「心得ました、王様」

陽が傾き始めている。
変わらず麗しい御身をよく拝んでおいてから、雪妃は辺りを見渡した。確かに奈々実の姿はなかった。

「あのう、ナナちゃんは?アル先生も一緒じゃないんだね」
「ナナミサン、不明デスネ。手に負えなくなってしまったデス」

ふらりと現れる猫背の医師が肩を竦めてみせた。

「やり合ってきたデスカ、ユキチャン。痛そうデス」
「もう大分引いてるよ、どうにも嫌われちゃったみたいで」
「折れてはないデスカネ。頑丈デス」

横腹を押されると鈍く痛みが走る。
赤く腫れた頬と目元と、拭った血の跡を確かめ、アルフォンスは小さく息を吐いた。

「シアンサン来るまで、よく休んでおくデスヨ」
「うむうむ。それよりお腹空いちゃってさ、何かないの?」
「ンフフ。英気を養っておくデスネ」

刺激の少ないものを、とアルフォンスは控えていた白服に片目を瞑ってみせる。嬉々として雪妃は立ち上がった。

「チーちゃんたちは流石に来れないかな?」
「便利な技を持ってますし、あの人たちなら自分で何とかしますよ」
「そっか。戻ったりもできるのか」

階下で犇く白服たちが敬礼する。
元帥と中佐と、中枢の二強が揃い天守は確固たるものとなった。どこか誇らしげな表情を雪妃は会釈をしつつ通り過ぎていく。

「こんだけ詰まってると、却って動き難そうだね」
「ふふ。刀を振り回すには向きませんね。壁みたいなものです」
「押し入ってやろうって気は、確かに削がれそうだなあ。紫庵さまはポンと上に現れるんだろうけども」
「ええ。厄介なのはお互い様ですね」

フレディが側に控えている以上、君主の安全は確保されているのだろう。雪妃も余計な心配もなく、頭の中を食事の事ででいっぱいにしていた。

ふたつ降りた一室で握り飯を頬張った。
まだ血の味が残る中、塩気もしみるが元気が湧く。腹を満たせる幸せを大いに噛みしめた。

「いよいよ大詰めですが勝永さん、何とか上手い事済むと良いね」
「大丈夫です、問題なく済みますよ」
「うむ…これで終わるんだよね」

熱い湯呑みを啜る。
戦場を駆け巡る訳でもないので、最中である事を中々実感し得ない。
傷付き疲弊する白服たちや獣たちを思うと忍びないが、そういうものだと守ノ内は苦笑した。その場に居る者だけがすり減っていくのだ。

「今回は一般人が巻き込まれてないだけ幸いデスカネ」
「そっか、前のは確か…」

木枠の窓の外へと向かい紫煙を吐き出すと、モサモサした髪が揺れていた。未だに詳細は聞けていない、十数年前の出来事の話だった。
微笑み湯呑みに口を付ける守ノ内は、言葉を探すような雪妃に少し、もたれかかる。

「ぶつかるもの同士より、巻き込まれる方がいい迷惑ですね」
「モリノウチサン、当時はあまりにも猛威を奮うから、大陸と勘違いされたデスネ」
「ふふ。そんな事もありましたかね」
「え、そうなのか」
「乱戦だったデス。避けられないとはいえ、戦は誰もが傷付くデスネ。平和が一番デス」

華都方面から上がる火の手は中々鎮火しきれない。
紫庵の望みは燃え広がる中だったのか、焦げついた大地だったのか。皆が待ちわびている旨を伝えるも、返事はなかった。
アルフォンスは短くなった吸い殻をぐっと揉み消した。

「いつの時代もコレの繰り返しデス。一体何を見出せというデスカネ」

茜色に染まる世界は美しい。
煙の上がる地上と溶け込んで、軈て夜の帳が下りる。吹き抜ける風も冷たさを増していった。

「アル先生?」

自覚も持てず合間で揺れる、鍵でもあり扉にもなる存在を垂れた目が微笑み見た。
流され移ろい行く中でも常に変わらない。それは安定するものの、しかしあまりにも悲劇であった。

「ユキチャンはそれで良いデスネ。毎度付き合わせている悔恨の念の、せめてもの罪滅ぼしデス」
「おう、出たな難しい話」
「ンフフ。好きにやるデス。やらないと先に進めないデスネ」
「おうおう、やるっきゃないしね」

打ち拉がれない前向きさが強みだった。
己の事となると途端に不安定になるが、外へと向けられるものは危うさも含めて頼もしい。

「モリノウチサンも頼むデス。成果は上がらずとも、一旦終わりにするデスヨ」
「ええ。先生たちの企みは汲めませんが、お嬢さんとの平穏な日々の為なら何なりと」
「良いデスネ、その意気デス」

ポンと雪妃の頭を叩いてアルフォンスは先に階段を上った。
哀愁すら漂うような猫背に雪妃は首を傾げる。普段戯けていても、抱えているのは憂いである。胡散臭い保護者の真意もまた、読めないものだった。

「面倒な事は気にせず、お嬢さんは私とやり遂げましょう」
「うむ…」
「厄介なのもあれこれ残ってますしね。整地はお任せください」

手を差し伸べられ、雪妃は頷き立ち上がる。出来る事をやれるだけやる。あとはなるようになると、気楽に構えるよう努めた。
何より、この男が居る。
不可解な面が多くも、これ以上の安心感はないと、雪妃は守ノ内の温かな掌を握りしめて急な階段を行った。


***


月のない空だった。
まだ燻る城郭内は静かに夜を迎える。
天守を中心に二の丸まで中枢の白服たちが配備されていた。警戒は怠らずも暫しの休息だった。

「皆逝ってしまったのう」

軍施設の屋上から白虎は城郭を眺める。
高い天守に嫌な程の気配と、惹かれ止まない程の気配。
隣に浮かぶ青龍もまた、難しい表情だった。

「紫庵様も間もなくか。お叱りもやむを得ない」
「お叱りかのう、好きにせよとの事であったが」
「殲滅が前提であろう。怖気付きこの様よ。己が情けない」
「強きには抗えぬものよ。貴殿は間違えてはおらぬ」

しなやかに顔を拭い、白虎は青龍を仰ぎ見る。
本能のままに動いたふたりは朽ち、苦悩するひとりは残った。己はどちらの道を行くのか。

「ひと雨来るかのう、屋根の下に入れてくれると良いのだが」
「雨雲なら払おう。紫庵様の為に」

うねる鱗が外の明かりに鈍く光る。
別段仲間意識などはないが、生真面目なこの獣人は好ましく目に映る。白虎はニカリと笑って豊満な身を猫のように反らした。

「どうなるかワシらには分からぬが、最後まで尽くすか。そこに意義も生まれよう」

建物内へと入り戻らない蒼念を追う事にして、白虎は屋上から悠然と飛び降りる。
宙で揺蕩う青龍は、分かり難い表情のままで暗く冷えた空を昇った。雲はまだないが確かに湿った風が感じられた。
従うべきは創造主で、その生温さ故に側にありたくなるのは聖女で、中枢の白服には畏怖の念すら抱く。心はこれと決めきれなかった。

「正しく生きるとは難しいな」

話をするならアル先生が良いよ、と雪妃は言っていた。その先生とやらはどこに居るのか。迂闊に呼べなくなってしまった聖女の気配と、その近くの冷ややかさに嘆息も漏れた。
あまり近寄らず、しかし出来るだけ近くに。青龍は慎重に地上を高みから見下ろした。


***


「ううんと、困っちゃったなあ」

もちもちとした頬に触れながら、望月は双子と顔を見合わせた。
自分の屋敷で三人、のんびりと一息吐いて、こんな時だからこそゆったり湯に浸かり、すっきりと出てきたばかりだった。
守ノ内の屋敷から飛び出してきた可憐な姿は、歓迎したくもうっかり関わってはならないと何となく感じる。
不機嫌ながらも向かいに腰かけ、双子の弟が入れてくれたコーヒーを静かに飲んでいた。

「とってもね、危険なんだよ?分かるよね?」
「知ってるわ。でもカッちゃんが守ってくれるし平気よ」
「あああ、そりゃあね勝永なら平気だけどさああ。そうじゃなくってえ」
「カッちゃんも、あたしがどこにいるか心配だと思うの。近くの方が安心でしょ?」
「うううん、そうだったら置いていかないはずだけどお。その辺どうなの?」
「お務めだもの。邪魔はしたくないの、だからあたしから行くって言ってるのよ」
「ははあ、それなら行ったら良いと思うけどお。ボクたちが連れていかなきゃなのお?」
「ひとりじゃ行けないでしょ?当然よ」

ぶかぶかのパーカーを羽織ったシロツメはどうしようもなく可愛らしく、そして不躾だった。
いち事務員を下手に連れて行っては叱られるだろうし、このまま置いていくのも怖い。どうしたものかと望月は少し、葛藤する。

「何様なんだ、ただの事務員が」
「そういう言い方やめてくれない?そっちだってただの兵卒でしょ」
「俺たちはそうだけど、もっちは少佐だぞ。弁えろ」
「もおおケンカはダメダメ!あのねえ、ちょっと待ってよお」

啀み合うシロツメと双子の兄を宥めつつ、望月は頭を抱えた。思案するのはあまり得意ではなかった。

「連れてってあげたらどうです?頼まれ断れなかっただけです、と」
「でもさあレギュちん、絶対面倒にならない?」
「そうでしょうけど、この人、しがみついてでも来そうですよ」
「ああん、かわいこちゃん大歓迎なんだけどおお。これはちょっとなああ」
「俺は反対だよ、放置で良いのに」
「何よ、気が利かない兵卒ね」
「不要だから中佐も放置なんだろ。気が利かないのはどっちだよ」
「だから、あたしはカッちゃんのお嫁さんになる大事な存在なの。不要な訳がどこにあるのよ」
「中佐は録事さんとじゃないの?あんなに仲睦まじいのに」
「だからさ、それも任務でしょ?どうして皆して分からないのよ」

頬を膨らませてシロツメは乱暴にもカップを置いた。
あの男が手を焼く訳だ、と下手に刺激をするべきでないと望月も悟る。双子に目配せをして、白旗をあげる事にした。

「分かったよう、連れてってあげるから落ち着いてね。連れてくだけだよ?後は知らないよ?」
「分かれば良いの。後はカッちゃんに任せて、これで皆安心よ」

さらりと揺れる菫色の髪を耳にかけて、シロツメはにっこりと微笑んだ。有無を言わせない完璧な笑みだった。

「もっち、良いのか?どう見ても足手纏いなのに」
「シーッ!良いの良いの、勝永にパスだよパス!何とかしてくれるよ、ボクしーらないっ」

もう少し休憩していたかったが、それも叶わずぴょこんと立つ。渋々と続く双子に、シロツメも堂々として後についた。

「絶対これ、放置案件だよ。中佐だってそうだろうに」
「ああん、かき乱さないでええ。大人しくしてくれてるうちに、行こ行こ」

櫓の上を跳ねていく訳にもいかず、砂地をトコトコ歩いていく。随分と城郭内も静まり返っていた。
落ち着いたのかな、と携帯端末を確認しつつも、迂闊にこちらの状況を報告できなかった。
守ノ内は既読すら中々つかないのが常なので、押しつけ渡し逃げる他ない。陽気な童顔も流石に気が重かった。

「戦より修羅場の方が怖いよねえ。ボクも気を付けよお」
「修羅場はもっちの十八番だろ、こっちの方がタチが悪いけどさ」
「ふふっ。何かもうさ、レベルが違う感じ?勝永も苦労してるんだねえ」
「録事さんといい、振り回されるのが好きなのかな?難儀だよね」
「案外マゾいんだよねええ、勝永は。追われるより追うのが良いっていうのはまあ、分かるけどもお」

ケラケラと望月の笑い声が夜風に乗った。
近付くにつれて張りつめる空気を、この場の誰もが気ままにも掴めずにいる。夜の帳が下り、決戦はもう間もなくだった。


***


埃は舞えども整った軍施設の資料室に蒼念は忍び込んでいた。 
紫庵は不要だと言い記録を残したりしないので、ここには貴重な歴史が積まれているはずだった。好奇心を満たす為だけに、ここに居座りたいと思ってしまう。

「前は誰か味方につけてから忍び込むべきだったなあ。あっという間に怪しまれてしまったし」

事務員として潜伏したあの日。
慎重にいかなかったので早々に離脱するはめとなってしまった。目の前のお宝に目が眩み迂闊だったと反省する。雪妃あたりは嬉々として共犯となり、皆の目を逸らす良い囮になってくれただろう。
事務員でいるには惜しいと、声をかけてくれた後藤に正直に話せば、通してくれたかもしれない。身近だったパキラも案外気にかけてくれていたので、渋々と協力してくれただろうか。
いつも何かと悔やまれる人生である。

「中枢の歩んできた道か。いや、前の戦の資料が良いか」

全てを読み耽るには時間が足りない。窓の外は既に暗かった。
検索機器のタッチパネルに触れると、適当に打ち込んだパスワードで解除する。中佐隊録事のIDで十分検索可能なようだった。偶然か必然か、あの日良いタイミングで同僚になれたと感謝するばかりだった。

「困っているならご一緒にどうですか?」

蒼念は棚を特定しつつ暗がりに声をかけた。先客は息を潜め、一先ず様子を見ているようだった。やや物騒な気配もするが、敵ではなさそうだと警戒もなく分厚いファイルを取り出した。

「多分僕も目的は大体同じなので。お互い気にせずいきましょう」

データとして持ち帰れたら良いのに、と蒼念はパラパラとめくり見る。薄暗い部屋では目の悪さもあって不明瞭だった。

「中枢の、ではなさそうだけれど。あなた様は何者でいらっしゃいますの?」

紡がれる響きの意外な上品さに、思わず振り返ってしまった。影のように揺れた姿は小さく笑っていた。

「見逃してくださるなら遠慮なく。感謝致しますわ」
「驚いたな。お互い様だよ、見つかる前にどうぞ」
「ええ。そちらの機械、使えなくて困ってましたの。助かりますわ」

ふわりと流れる空気は足音もなく、ここまで忍び込むだけに一般人ではなさそうだった。
西の女王の資料か、と横目で見つつ蒼念は訝しむ。自分のように黒づくめの、淑やかな雰囲気の女だった。

「こちらの雪妃って、あのシスター雪妃なのかしら。お知り合いでいらっしゃるの?」
「え?ああ、彼女の名前を借りて入っているからね。お世話になっていますよ」
「まあ、相変わらずなのね。ご挨拶出来ると嬉しいのだけれど」
「雪妃さんか、天守だろうし難しそうだね。シスターって、西の教会のかな」
「うふふ。お互い逃げ出した身ですけれどもね。チィーメイが懐かしがっていたと、お伝え願えますかしら」

黒い手袋をした指が棚の番号を伝う。
高い所へと背伸びする様子に、蒼念は苦笑しながら手を伸ばした。

「その紋章は東のかな、忍の里の」
「あら、ご存知ですのね。あなた様もその色は、大陸の印者様ね。本当に見逃してくださいますの?」
「フフ。目が良くて羨ましいな。僕は平和主義だから、こちらからは手は出さないよ」

微笑んでいるようだが警戒の色が濃かった。蒼念は苦笑を返し、距離を取って椅子に腰かけた。
中を撮影するシャッター音だけが静かに響いていた。あまり詮索するのもな、とは思いつつ、新たな興味に蒼念は手元の資料にも集中できなかった。

「気になりますわよね」
「あ、いや。すいません、つい」
「私も気になりますもの。何を知りたいのかしらと」
「その通りでして。今更西の女王だなんて、里との関係性、何かあったかな」
「今更?とんでもございませんわ、今更だなんて」

声色の変化に蒼念は怪訝とチィーメイを見遣る。黒い布に包まれた顔は暗がりで尚窺えなかったが、滲むのは怒りか憎しみか。余計な事を言ったかな、と硬い銀糸の髪をかいた。

「すいません、配慮が足らず」
「喰われてますのよ。捨てられた妹の無念、今更も何もありませんわ」
「え…ああ、そういう」
「あなた様も大陸ならご存知ありませんの?あの女の、弱みか何かを」
「ううん…弱みか、あれを相手にするのは勧められないけれど」
「些細な事でも構いませんの。死のない化け物相手に真っ向からだなんて、重々承知の上ですのよ」
「成る程。精神的なダメージなら、何だろうな。彼女も案外、繊細だけれども」
「あれのどこが繊細ですって?」
「あ、うん、すいません。ええと」
「幼気な娘を喰らうような化け物が?聞き捨てなりませんわよ」
「あはは…すいません、困ったな」

関わる女性たちは大概皆気丈だ。
蒼念は苦笑して場を濁した。あの奈々実に弱みなどあるはずもなく。画策しても徒労に終わると、しかし言えるはずもなく。
憤慨した様子のチィーメイが、殴るように机に手をついた。巻いた布から長い髪の毛がさらり溢れる。

「何者かが、一度封じたとも聞いてますのよ。あなた様方も、あれに恨みがあったとも」
「…そうだね、復讐をと生きた日もあったよ」
「でしたら、包み隠さず仰ってくださいません?私たち、何でもやりますわ」

綺麗な人だな、と蒼念は意志の強そうな瞳を見上げた。
断れば失望するのか更に怒るのか。短い思案の末に、蒼念は困ったように笑みを浮かべた。

「君のような人が何でもだなんて、気軽に言ってはいけないよ」
「構いませんわ。私はもう、無知なうら若きシスターではありませんのよ」
「フフ。ここで会ったのも何かの縁だし、協力はするよ」

胸元に刻まれた勾玉のような紋章を眺めつつ、蒼念の人の良さそうな笑みが深まった。

「何でもとはね、有難い申し出だな」
「…私に、出来る事でしたら」
「うん。じゃあ協定成立だね。僕は蒼念だよ、よろしくチィーメイさん」

差し出される手を、チィーメイは躊躇いなく握った。
この戦の混乱に乗じる。機会を逃す訳にはいかなかった。

「もうすぐ紫庵先生も来るし、手短に」
「大陸の君主様が直々に?」
「大人しくしていられない人なんだ。先生は兎も角、先に雪妃さんに話をしておかないとね」
「まあ、シスター雪妃はどのような立場に」
「複雑だよね、説得できるかな」
「以前も何も聞かずに、ご尽力くださいましたわ。そういうお方ですのよ」
「成る程ね。頼もしい人だよね」

雪妃が了承すれば、必ず守ノ内も協力するだろう。しかし、どう天守から呼び出すか。蒼念は首を捻った。

「智恩たちも今は別だろうしなあ。危険も冒したくないし」
「天守ですと、私たち捕まってしまいますわよね?」
「うん。パッと行って攫ってくるか、もしくはもう捕まって話すか」
「ええ。すぐに首を刎ねられはしないでしょうし、出向きますわ」
「本当に女の子って逞しいよね。中には入っていたいし、そうしようか」

巻いていた布を解くと、長い髪が広がった。首に巻きつけつつ、チィーメイは蒼念へと微笑んだ。

「蒼念様まで捕まる事はありませんわ。シスター雪妃が逃してくださるとは思いますけれど」
「フフ。どうせもう、始まって終わるからね。特等席で見たいんだ」
「まあ、悪いお顔をされますのね」

運が良かった、とチィーメイは金髪をひとつに括る。
信用できない男だが、雪妃の名が出て心強くも思った。何とかなるという気持ちにさせてくれる、不思議な力があった。

「下からだと騒ぎになるし、上に入ろうか」

先に行ってます、と紫庵に告げて蒼念は資料を棚に戻した。こちらも気になるが、今は東の里へと興味が移る。謎に満ちた隠れ里だった。
紫庵から返事はないので、まだ時間もあるのかなと資料室を出る。
廊下の蛍光灯の下、歪ませた空間に物怖じせず入ってくるチィーメイの眩しさを改めて眺め、蒼念は目を瞬かせた。儚げながらも溌剌とした美貌がそこにあった。

歪みは光の残滓となる。
天守の上空へ。直ちに打ち落とされる事がないよう願いつつ、蒼念は空間を移動した。














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