3×歳(アラフォー)、奔放。

まる

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本編

新月10。

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前線のやや後方で仁王立ちする厳めしい顔を久しぶりに見た気がする。
じろりと見遣ってくる真田に、印者の兄弟は睨めつけ返し立ち止まった。

「よう、筋肉バカ。苦戦してんな」
「降りてこないからな。すぐに落とす」

腕組み空を見上げる真田は静かに返す。
何やら言い合いながらやって来る雪妃へと息を吐き、横目で無事な姿を認めた。

「やあやあ、捕まりに来ましたよ」
「喧しいな。何故勝永と一緒じゃない」
「え?もうすぐ来るよ、多分」

答えつつ、雪妃は訝しげにこちらを見るギリョウへと、括られた手を振ってみせる。相変わらずあからさまに嫌そうに顔を背けられて、それすらも懐かしく感じた。

「ところで何ですかね、急に捕まえるだなんて」
「大人しくしてろ。どうせ加勢に来たんだろ」
「加勢というか何と言いますか…」
「どれでも良い。目的を忘れるなよ」
「紫庵さまのやつね、分かってますとも」

真田が見下ろすと手の拘束が解かれた。
仄かに温かかった手首を摩って、雪妃は気持ち良さそうに空を巡る朱雀を見上げた。
休戦にしようと言って聞いてくれるだろうかと、怒号を上げるルーリーを見ているのだろう獣人に手を振ろうとして、やめた。筋肉質な腕が遮るように掴んでくる。

「簀巻きにでもしないと黙ってられないか」
「ううう…何もせんがな」
「獣に寄るな、呼ぶな。おまえの役目は何だ」
「あのね、休戦の提案よ。セイリューちゃんは離れてくれたから」
「そうか。あれは燃やしてくれたからな、消す」
「消すって、燃やすって」
「おまえは余計な事は考えなくて良い。ただ備えてろ」

掴む手は痛い程だった。
雪妃は頷くしかなく、黙って険しい横顔を見上げた。知らない所で双方多くが天に昇った事を、察してはいても中々認められなかった。

「おまえは大陸じゃない、雪妃。祈るなら中枢の、陛下の無事だけにしろ」

亜麻色の双眸が揺れる様を真田は真っ直ぐ見据えた。
雪妃の一声で敵が止むなら、それに越した事はない。しかし獣は全て滅する。君主の意思は曲げられないのだ。

「おまえが道を外れるのなら、俺は引きずり戻す。勝永もそうだ」
「外れてるの?間違ってはないと思うけど」
「知らん。俺が離したくないだけだ」

後方から合流の声が上がる。
行きます、とギリョウが低く身を沈めた。真田は頷き、更に後方の空を仰いだ。
空色の髪が流れると、それだけで場の空気が変わる。これで終わると、白服たちの気が緩むのを一喝する声が響いた。

「止まるなよ。おまえも行け」
「待たんかい、シロちゃんはどうしたのよ」

苦笑して守ノ内は近くの櫓に降り立った。
朱雀をちらと見て、更に上空に留まる青龍を認める。白虎の気配は、再び軍施設の方へ戻っているようだった。

「もっちさんが来てます。任せてきましたよ」
「もっちが?押し付けてきたんじゃないでしょうね」
「さて、では少し斬ってきます」
「さて、じゃないよ。もう」

真田に掴まれている腕に眉を寄せ、守ノ内はストンと地に降りた。結界に拘束された兄弟が敢えて捕まっている所も訝しむ。

「何のつもりですか、祐」
「何がだ、早く行け」
「雪妃を離して。私のですよ」
「余計な真似をさせないだけだ。落としてこい」

先に飛んだギリョウが朱雀の滑空を押さえていた。取るなよ、とルーリーが叫んでいる。

「おまえも目的を忘れるな。陛下に忠義を示せ」
「忘れてませんよ。でも、優先順位があるんです」
「馬鹿野郎、最優先だろ」
「ふふ。愛する人が一番に決まってます」

ジャリ、と砂が鳴った。
真田は辟易と眉間にシワを寄せ、掴んだ腕を離す。今下手に争っている場合ではないのだ。
押し付けられたパキラは戸惑いつつも雪妃を受け止める。とことんかき乱してくれる奴だと、胃痛を覚えてしまった。

「おい、止めろよ」
「あん?それよりゴハンはどこに」
「阿呆が。メシが欲しけりゃ働け」

一触即発の張り詰めた空気にとぼけた顔で居る雪妃を、うんざりとしてパキラは押し出す。
冷えた風が黒いマントを揺らした。
いまいち飲み込めないままで、雪妃は対峙するふたりを窺った。

「あのう、どしたのよ」
「下がってろ。腑抜けを正すんだよ」
「お嬢さん、こちらへ来て。斬ったら天守に行きますよ」
「へ?斬らんで良い、行くなら行こう。スザクちゃんたちも連れてくか」
「あの人に斬られる前に斬るんです。いちいちお嬢さんを呼ばないように」
「ええ…?どうなってんの」
「行かせんぞ。ここで頭を冷やせ」

腰元に手を落とす真田が静かに息を吐き出した。
どうしてこうなるのか、雪妃は頬を掠めるような空気の振動に漸く気付く。ふたりはぶつかろうとしているのだ。

「やめんかい、落ち着きたまえよ」

盛り上がる真田の筋肉の塊に触れる。
熱を持つような腕は動じず、守ノ内を見据えたままで下がれと再び低く告げる。

「ねえ、相手が違うでしょ。みんなで紫庵さまをだね」
「そうだよ。陛下をお守りし紫庵を討つ。今はそれ以外ないんだ」
「だったら、何で」
「不義だよ、罰は受ける。俺も譲れない」

すらりと抜かれる刀が陽に煌めいた。
肩を竦める守ノ内は、微笑み暗色のコートを脱ぎ捨てた。ほぼ見ることのない黒尽くめの大陸の服装は、真田に苛立ちを募らせた。

「この後着替えろよ。そんな格好で陛下の前に出るな」

すぐに詰めてくるだろう守ノ内の間合いは相変わらず測り難かった。慎重に砂を踏み、真田はしかし虚空を睨み上げる。
歪みが艶やかに、小柄な姿を生み落とした。

「中々来ないから来ちゃった。こっちに集まってたんだね」
「おわ、キャラちゃん?」
「ユキ、困ってる?サナダを刻めば良い?」

宙で一回転し、伽羅は嬉々として真田の顔面へと腕を振り下ろした。舌打ちし、刀がそれを弾く。

「この間の続きだよ。遊ぼうサナダ」
「遊んでる暇はない。また頭をかち割れば気が済むか」
「えー?割れるのはサナダだよ」

剥き出しの小さな膝が額に打ち込まれる。額当てで押し返しつつ、真田は足首を掴み容赦なく地に叩きつけた。

「や、やめんさい。大人げない」
「ガキじゃないんだろ、下がらせろ」

一瞥され、パキラは慌てて雪妃を抱える。唖然とし、抵抗なく下がるものの、その身に緊張が感じられた。

「パキちゃん、どうしたら良いのさ」
「どうもすんなよ、黙ってろ」
「でも、何で」
「敵対してる、今は戦中だ。見てらんねえなら引っ込んでろ」

ずるずると引っ張って、近くの櫓へと押し込む。意外と静かに押し黙るので逆に気にしてしまいつつ、閉まらない扉にぞくりと背を震わせた。

「どうも、拘束は要りませんからね」
「…勝永さん、あんたはどっちなんだよ」
「おや、どっちとは?」
「あんたが居なきゃ困る。オレたち、負けられねえんだ」
「ええ。その通りですよ」

戸を押し開ける細腕が雪妃を引っ張り出す。混乱する顔は、にこりとする守ノ内を怪訝と見上げ、そして宙に舞う伽羅の片脚を見た。サッと血の気も引いた。

「お嬢さん、用は済んだんですよね」
「え…?う、うん。近くに居るよう言われてただけみたいで」
「そうですか。長居は無用です。捕まる必要もありませんし」
「多分、紫庵さまへのあれで、それまで備えてろっていうあれでさ。心配してくれてたんだよ、多分」
「ええ。大丈夫です。落ち着いて」
「う、うむ…あの、どうしよう」
「行きましょう。ここに居ては、気も休まりませんから」

吸い付くように伽羅の脚は元に戻る。
猛攻する真田の気迫に押され、小柄な身はひらひらと躱しつつも鋭く伸ばした爪で応戦する。楽しそうに、伽羅は無邪気にも笑っていた。

「あれは気にしなくて良いです。獣人もです。天守で待機してましょう」
「う、うん。そうだね、目的だもんね」

アンシェスが遠慮がちに脱ぎ捨てたコートを持ってきてくれる。守ノ内は微笑み受け取ると、雪妃の黒いマントを剥ぎ取りコートを重ねた。

「弟さんに返しておいてください。天守に行ってますよ」
「はいはい。お気を付けて」
「勝永さん、大丈夫なんだよな?」
「ええ。問題ありませんよ」

苦笑するアンシェスと、不安そうな顔色のパキラが見上げる中、守ノ内は微笑み雪妃を抱える。

「勝永、忘れるなよ」

真田の叫ぶ声を背に、地面を蹴った。
思い出したように徐に向きを変えられ、ぐえと雪妃は呻いた。
大きく羽ばたく朱雀が空でギリョウを翻弄している。パッと離れる手に、言葉もなく雪妃は落下した。

「もうお嬢さんを気安く呼ばないで。次は潰しますよ」

両翼が滑らかに斬り落とされ、朱雀は高らかに鳴いた。顔を強張らせたギリョウが墜落する身を追う。

「あなたもです。次はありませんよ」

雪妃を空中で捕まえて、高みの青龍へと告げる。渡櫓を足場に天守へと駆ける空色の髪を、震える思いで青龍は見た。

「すみません、先に言うの忘れちゃって」
「うう…もう慣れてますから。でも忘れなかったら先に言って」
「ふふ。心得ました」

やや青ざめたその額に口付けて、守ノ内はもう一段跳ねる。
二の丸の石垣を越え、軍服に着替えるべきかと屋敷の屋根に降り立った。しかし中の気配に眉を寄せ、真田の屋敷の窓へと滑り込んだ。

「祐のを借りていこうかな。少し待ってね」
「着替えるの?」
「ええ。取り敢えず上だけでも着とけば、不満も出ないでしょうし」
「そうか、それだと紛らわしいもんね」

几帳面にも整ったクローゼットから白い上着を出し、黒いシャツの上に羽織る。
暗色のコートを差し出す雪妃に微笑んで、守ノ内は腕を取り抱き竦めた。

「お、おい。どしたの」
「少し、補給です」

フッと漏れる吐息が聞こえた。
折れそうな抱擁も何だか久々な気がして、雪妃は呻きつつその背を叩いた。

「あちこち飛んでるもんね。紫庵さま夜まで来ないらしいし、みんなには悪いけどのんびり待機よ」
「夜ですか、成る程」
「あ、あのね。天守でね、早まるでないぞ」
「ふふ。急がずとも良いのなら、のんびりしましょう」
「馬鹿者、ここ、他所様のおうち」
「場所はね、どこでも構わないんです。愛してるんですから」
「いやいや、構って。時と場合を考えなされ」

重なる唇に、雪妃は慌てて守ノ内の肩を押した。にこりとして返ってくる整った顔は、どうしようもなく清々しかった。

「君ね、そんな良い顔してもダメですよ」
「私ね、やっぱりお嬢さんなんですよ」
「おう、そりゃどうも、ありがとう」
「こちらこそ。雪妃、愛してますよ」
「うむうむ。ほら、天守に行こうね」
「行きます。お嬢さんも示してくれたら」
「うぐ、感じて、察してくだされ」
「ふふ。言えるように少し、溶かしましょうか」
「や、やめい。あのね、勝永さんよ」

耳朶を食む口に雪妃は身を強張らせた。
どこでスイッチが入るのか、未だに把握できない男だった。

「やめんさい、殴るよ」
「頭突きはいけませんよ、お嬢さんが痛いんだから」
「そうだよ石頭、どこもかしこも硬いんだから」

胸板をどついて、雪妃はげんなりと項垂れた。整然と筋トレグッズが居並ぶ真田の部屋に、くすりと笑う守ノ内の声が響いた。
開かれたままの窓から入る風に無地のカーテンが揺れる。

「愛してます、どうしようもなく。これが済んだら今度こそ、永劫を誓いましょう」

手の甲に口付けて、守ノ内は薬指をなぞった。雪妃はそれを眺めつつ唇を結ぶ。

「まだ何か、煩うものがあります?」
「う…ない、ないけど」
「それは良かった。隠さず言ってくださいよ。全部消しますから」
「消すでないよ。その、シロちゃんは?無事に解決したの?」
「シロ?あれが何です?」
「あれって言うでないよ。漣の爺ちゃんの事もあるし、ずっと好きだったんでしょ」

目を瞬かせる守ノ内はとぼけているのか、本当に自覚がないのか。雪妃は苦く笑って、口付けてくる頬を押しやった。

「あのね、ケジメはつけんといかんぞよ」
「シロはね、放っておいてください。漣さんにも話してますから」
「放ってはおけないけど、そっか」
「他よりお嬢さんの気持ちですよ。気にしていては、お嬢さんが幸せになれません」
「ううむ…わたしは、勝永が幸せならそれで良いんだけども。何だろね」
「私だってお嬢さんの幸せ第一です。共にあれればより幸せですし、そうありたいんです」
「わたしのかあ…」
「ねえ雪妃。愛してますか、私の事。幸せなんですか」

微笑み鼻先をつつかれて、雪妃は言葉を詰まらせた。
守ノ内を疑う余地もなく、自分の押し込めた執着のようなものも嫌な程分かっている。ケジメをと言いつつ、己が一番曖昧に済ませようとしている事も。
出会った時からここまで、随分と長く誤魔化し続けてきてしまった。

「そりゃあもう、好いてるですよ。果報者ですとも」

コホンと咳払いし、雪妃は揺れるカーテンに視線を移した。
髪を撫でるこの温かい手が離れてしまう辛さを、もう味わいたくはないと思う。愛という感情はいまいちよく分からないが、これが自分なりの愛する気持ちなのかな、と抱き寄せる腕の中で目を伏せた。

「お嬢さんは分かりやすいのにな。面白いですね」
「分からん、自分の事が一番よく分からんよ」
「ふふ。自分の事になると酷く疎いんですから」

見つめてくる瞳はいつも優しい。
人生経験の差なのか何なのか。こちらに落とされてから、長く生きた自分が最も無知で幼い子供のように感じてしまう。

(子供よ、幼児の戯れ事)

もや、と内から湧くように声がした。
脳裏を過ぎる美しい姿。嘲笑う執念の塊は、未だに小さな蟠りを残していた。

(ナナちゃん…?今どこに居るの?)
(無常よのう。流され迷う、大人に言い含められた童か)

ぴくりと揺れる肩に、守ノ内も怪訝と見下ろした。あの時振り払った暗い気配が、再び首をもたげるようだった。

「またあなたですか、関わらないでと言いましたよ」

薄らと纏う雰囲気の色み、見慣れた透明に朱が一滴落とされるのを、眉を寄せ見る。

「今宵は朔。夜開く」

ぽつりと呟く声は、雪妃だったか奈々実だったか。肩を掴む守ノ内に、薄く笑みが向けられた。

「出てください。勝手をしないで」
「…大丈夫、ナナちゃんだったよね?」
「ええ。まだ何か企んでますか」
「参ったね、一件落着じゃないんかい」

額に手を当て雪妃は俯く。
奈々実の残す意識は濃く深い。そして酷く虚しかった。

「あれも見かけたら斬りましょう」
「大丈夫よ、アコちゃんと一緒なんでしょ?」
「そのはずですが、天守にはありませんね」
「むう…どういうこっちゃ」
「譲ってはいけませんよ。気を確かに」
「承知の助。気をつけまする」

気を引き締めて、手を取る守ノ内に頷いた。
喰らいたいという奈々実の思いが流れていた。手助けはいくらでもしたいが、こればかりは譲れない。雪妃は緊張しつつも天守へと跳ぶ守ノ内に掴まった。
相変わらず空は澄み渡るような快晴だった。


***


「翼がねえと、しおらしいじゃねえか」

漸く地上で対峙する。
朱雀の背でうねる繊維をひきちぎり、ルーリーはその羽毛に覆われた首に腕をかけた。ごきりと折っても涼しい顔に変わりはない。
まだ伸びる葦のような繊維を、飛んだギリョウが断った。この場に立つ獣は朱雀のみ。白服たちが取り囲んでいた。

「多勢に無勢だなあ、あのお空の仲間は助けちゃくれねえのか?」
「…助太刀は不要」
「ヘ、その余裕はどこから来るんだ」

力任せにもぎ取ろうとするルーリーを横目に、朱雀のつぶらな双眸は天守を見据えた。近くに居ると心強いが厄介だという、その意味を反芻し嘴から笑みすら溢れた。

「強大すぎては、誰もが持て余すか」
「あん?観念するのか?」
「控えよとの事だが、こうも集まった。出迎えの準備をせねばならぬ」

ポポと静かに音がして、ルーリーはハッと顔を上げる。長い脚を身に絡ませると、横に曲げた朱雀の首を捻りあげた。

「させねえぞ、くたばりやがれ」
「炎を扱うなら多少は耐性もあるか、ルーリー・キューネル。焦げるなよ」
「テメエ…」

遠巻きに囲んでいた辺りから、火の手があがった。悲痛な叫び声も出せず悶える白服に、一気に場が騒然とした。
ルーリーは朱雀から飛びすさり火をつける。鮮やかな羽毛は燃え広がるも、更に白服たちは炎に包まれていく。

「そんなに保ちませんからね、あまり期待しないでくださいよ」
「喧しい。気合いだ」

ふうと深呼吸し、アンシェスは結界を広げた。淡い膜の中に居ても、チリと熱が髪を焼くようだった。
岩のように鎮座する隣へと真田は頭を下げる。

「拘ってはいられません。一気にたたみましょう」
「うむ。こやつと上は見ておく」
「は。真田祐、出ます」

人形のように動かなくなった伽羅を一瞥し、真田は駆けた。焦りの色を滲ませるルーリーが苦く顔を歪ませた。

「おい、全部持っていくなよ」
「アンシェスは五分と保ちません。早急に」
「チ、分かったよ」

燃え盛る朱雀は再び翼を広げた。
移る火種を煩わしくも払い、真田は抜刀する。空を舞う前に、斬り落とす。筋肉が躍動した。

「恐らく目線だ。燃えるなよ」
「承知。火なんて気合いで消える」

ふわりと浮く朱雀の翼を狙う。焦げるような熱気が渦巻いていた。

「真っ向から来るとは、果敢だな」
「喧しい。遊びは終いだ」
「朔を彩る篝火となれ」

振るわれる翼を回転し背後へと避ける。
炎を纏う朱雀は、首への一太刀を物ともせず羽ばたいた。

「逃さんぞ」

追撃する足元が焼きつく。
真田は歯を食いしばり、気合いの名の下に浮いた背を踏みしめた。鋭いひと鳴きに、結界の周りは火の海と化した。
炎に阻まれ刃が通らない。顔を顰めつつ、真田は熱風の中焦げつく額当てを脱ぎ捨てた。

「火を寄越せ、ルーリー」
「はあ?おまえ、一体何を」
「譲りたくないんだろ、殴れ」

鉤爪の足先を斬り落とし、真田は更に飛ぶ。軍服も頬も焦げるようだった。
ルーリーはプラチナブロンドをひとつに括ると、グローブを嵌めた拳を掌に打ちつけた。

「良い根性だよ祐、火傷すんなよ」

ニイと笑って砂を蹴る。
朱雀の炎には悔しいが敵わない。強靭な体も、こちらが先に疲弊する。それでも屈する気はなかった。

「雌の為に朽ちるか、屈強な戦士よ」
「喧しい。この程度が何だ」
「愛する者の為に命を懸ける。人間は美しいな」

顔面を覆う熱気に奥歯を噛み、真田は尚刀を振るった。目元を裂くと、羽ばたきが炎の勢いを上げる。刀身が耐えられるのか、気合いを見せろと唸り、斬りあげる。
笑うような朱雀の鳴き声が届いた。
真綿を斬るような手応えのなさが心地悪い。険しい顔は眉間にシワを刻み、更に踏み込んだ。

以前、守ノ内にどんな風に斬っているのか尋ねた事がある。当たり前のように万物を斬る男だった。
何となくです、と微笑むばかりで的を射なかったが、極限の今、その適当であり適宜な感覚が俄かに見えた気がした。
無心ではない。
炎は朱雀の中心から巻いている。それを一点、貫いた。
刀がほろほろと崩れ落ちる。
向きなおる朱雀の顔から伸びる繊維も動きが止まった。真田は唇の端を持ち上げてみせた。

「心臓か、おまえたちにもあるんだな」

焦げる上着を脱ぎ捨て、逞しい腕に巻きつけた。阻む炎ごと抉ると、鈍い音と共に朱雀の身がひしゃげた。肉があり骨がある。構造は大体同じなのだろう。
続け様にルーリーの拳が頬骨を砕く。
よろめく朱雀を蹴り飛ばし、女傑は真田の巻かれた上着を燃え盛らせた。

「おい、手柄はこっちのモンだぞ」
「好きにしろ。もっと燃やせ」
「チ、脳筋が」

べしと焦げた頭を叩き、ルーリーは真田を飛び越える。朱雀の雄叫びは悲痛な響きを持っていた。

「あの馬鹿、色白が好みらしいんだわ。これ以上焦がさねえでくれよ」

嘴を掴み、力任せに持ち上げる。
燃える己の手に顔を顰めつつ、ルーリーは再生の追いつかない朱雀の翼を毟り取った。
離脱しようとする脳天から真田の拳が砕く。
ぐしゃりと音を立てて、黒い重油のような体液が散った。すかさず燃やすルーリーの手の横で、真田は心臓を踏み潰した。
ごうと渦巻く炎の音だけが残った。
薄れた結界から飛び出す白服たちが鎮火に駆け回る様を、深く息を吐きルーリーは眺めた。

「心臓かよ。止まると困るのは同じか」
「そうらしい。念の為、全部燃やせよ」
「分かってるよ、二度目はねえさ」

朱雀自身の炎なのか、放った火なのか。 
パチパチと焦げていく様を見下ろし、ルーリーは苦くも顔を歪める。蹴飛ばし、繊維が伸びていない事を暫くは眺める他なかった。
周りの火の手は中々消え失せない。
本当にこれで終わりなのか、黙って見据える真田の背をルーリーは蹴り上げた。

「まだ上に居る。あれも落とすぞ」
「そうだな、どう落とす」
「気合いだろ気合い。勝永はどこ行きやがった」
「天守だ…天守かと」
「今更言い直すな。畏るおまえ程、気持ち悪いモンはねえんだからよ」 
「は…後藤中将にも、確認を」

べしべしと背を殴る腕に、真田は不意によろめく。根性で立て直し踵を返す筋肉の塊を、ルーリーはニヤリとして支えた。

「五回は消し炭になってたろ。しぶてえ野郎だなあ」
「なってない。少し焼けただけだ」
「ハッハ、良いなあおまえはよ。それでこそ、自慢の一番弟子だよ」

上機嫌なルーリーがくしゃりと笑う。
真田は憮然として、肩を担がれるがままに歩いた。細まる目は、忽然と消えている捕虜の兄弟をの存在を認めて更に閉じられた。

「責めないでくださいよ、限界があるんです」
「祐さん、ルーリーさんも。着替えと刀を」
「ああ。空の奴に備えないとな」

獣人と離れるならば問題はないと見て、真田は小さく頷いた。先に消火と、気力の回復をしなければならない。

「どうなっているんですかねえ、大佐は。燃やされても燃えないなんて」
「鍛えろ。気合いで何とでもなる」  
「あはは、無茶ぶりは勘弁して欲しいですよ」

その場に座り込んでいたアンシェスは、その気怠さにもう横になって過ごしたいと切に願う。意地でも仁王立ちをやめない真田の屈強さには、呆れてしまうほどだった。

「少し休め。あれも動かなそうだ」

豪快に笑いつつも、後藤の目は上空に向けられていた。白虎といい、意志ある獣の考える事は読めない。手を出さなければ大人しいのならそのままで良い。

「随分と落とされたな。警戒は怠らず、暫し休憩よ」
「は。消火を終え次第、順次」
「は。承知致しました」

後藤の言葉に答える真田を見て、疲弊したギリョウにパキラは続く。
圧巻の流れだった。
まだ燻る朱雀を一瞥し、堀から水を吸う作業へと加わった。あんなのがまだ二体残り、未知の存在である紫庵も居る。熱気に満ちているのに、冷ややかな風が強く感じられた。

「頼みますよ。終わらせるけど、終わりじゃないんだ」

束の間の静寂にパキラは呟く。
天守の方へと向けられたそれは、吹き去る風にただ消え入るのみだった。


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