ビビッドな愛をくれ

マスカレード 

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栄光への挑戦

ビビッドな愛をくれ

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 優吾はステージの下手の脇にあるドアから廊下に出て、客席とは反対の方向にある楽屋に向かう。名も無い挑戦者たちに用意さいれているのは、舞台から一番遠く建物の端にある大部屋だ。
 下手の裏出口から楽屋に伸びる廊下と並行するように、上手の裏口からも同様の廊下が楽屋へと伸びている。二つの廊下を渡すように、丁度中間あたりに通り抜け通路があり、両側には個室の楽屋が並んでいた。
 その通り抜け通路の角から、優吾が来るのを見計らったように突然人影が現れ、驚いた優吾は、あっと声をあげそうになった。

「……り……つ」
 招待状を送ったけれど、返事はなく、今日はもう来ないのかと諦めていた。
 まさか、関係者以外立ち入り禁止の通路で待ち伏せされるなどと思いもよらず、優吾は驚き過ぎて続きの言葉が出てこない。

 ライブ会場や楽器店が行うコンサートで演奏をしていた律が、建物が違っても内部構造が似たり寄ったりなのを知っているのは当然で、特に一般人が参加する今日のようなコンテストでは、関係者以外立ち入り禁止と書いてあっても、ほぼノーチェックでドアを通り抜けられることを知っていて優吾に会いにきたのだろう。
 生まれてくる子供を養うために、音楽を止めて就職口を探すと言っていた通り、律は髪も着ているものもミュージシャンからは程遠く落ち着いたものになっていた。

 こんなに細くて小さかったっけ? 

 律を見て最初に優吾が思ったのは、服装を抜きにしても、以前抱いていた律と大きくイメージが違うということだった。
 別に律が劣っているというわけではなく、涼し気な顔は日本人としてハンサムな部類に入るだろうし、身体だって外国人と比べると華奢なだけで、優吾の周囲にいる人々と比べてみても遜色があるわけではない。

 優吾の胸に棲みついてしまったあの男と比べては、誰もが霞んでしまうのは当たり前なのだが、リアムだってバンドを辞めて表舞台からは去っているし、優吾がアンチーブの海岸で初めてリアムに会ったときは、普段着のままだった。それにも関わらず、身体中から発散されるパワーに押し負けそうになって、優吾は危機感を思えたのだ。

 それに比べ、髪型と服装を一般人と同じように改めた律からは、まるでオーラを感じない。いかに自分がフィルターをかけて律を見ていたのかが分かり、唖然とした。
 優吾が黙って律を観察し続けたせいか、律は優吾が怒っていると勘違いしたようだ。遠慮がちに声をかけてきた。

「優吾、久しぶり。その……僕のせいでバンドが解散したのを聞いた。本当に迷惑をかけて申し訳なかった。今日ここに来ていいものかどうか迷ったけれど、優吾がまだ歌い続けいていると知って、どうしても優吾の歌を聞きたくなった」

「ああ、来てくれて嬉しいよ。そのために出した招待状だ。俺の歌はどうだった?」

「すごかった! 本当に素晴らしかった! 力で押し出す歌い方は止めたんだな。本当にめちゃくちゃ良かったよ。ぐんぐん伸びる声に魂を鷲掴みにされた」

「ほんとに? ありがとう。律が俺に無理をさせなかった訳が、よく分かったよ。俺、実は夏休みに南フランスに行ったんだ。そのとき、ものすごく有名だったバンドのギタリストに会って、歌い方を教えてもらったんだよ」

「南フランスへ? ……いいな。僕はハワイだった。いや、そんなことより、ギタリストが歌を教えるって、しかも、優吾の声をそこまで伸ばすなんて何者なんだ?」

「フフ……聞いて驚くなよ。今日歌った歌も彼らのものだけれど、俺たちがよくプレイしたunknown territoryのLiエルアイこと リアム・キングに教えてもらったんだよ」

「えっ、ほんとか? それはすごいと言いたいが、その人は本物なのか? 僕はLiのファンだったから、彼が音楽のステージから姿を消した後、かなり調べたんだよ。Liは今アメリカで音楽プロデューサーをやっているはずだ」

「音楽プロデューサー? でも、リアム・キングなんて名前は検索しても出てこなかったぞ」

HenryヘンリーLエルKingキングならわかるだろう?」

「分かるも何も、洋楽歌っていて知らなかったらもぐりだろ。大物歌手の殆どが彼に作曲してもらいたがっていて、ヘンリーが手掛けた音楽は大ヒットを飛ばし続けているんだよな。超大物プロデューサーじゃないか」

 でも、名前が‥‥‥といいかけた優吾は、舞台下手の裏出口から廊下に出てきた複数の靴音に気づいて口を閉じた。出演者以外立ち入り禁止の区域に、律がいるのを案じたからだ。
 大部屋まで一直線の廊下に立っ優吾の姿は、相手から見えているだろうが、廊下と直角に交わる渡り通路にいる律は壁に遮られて見えないはずだ。優吾は律を促し、通り抜け通路を上手側の廊下に向かって歩こうとした。

「あっ、谷崎君だ。ちょっと待って」
 歩き出したところで、裏出口から歩いてくる楽器店の店長に名前を呼ばれた。
 ヤバい! 店長だ! 優吾と律は顔を見合わせた。
 優吾たちのバンドに目をかけていてくれた店長は、律の醜聞を聞いたとき、カンカンになって律を怒鳴りつけたことがある。今ここで律と店長が鉢合わせたら、どんな騒ぎに発展するか分からない。

 優吾は律を肘で押しやり、逃げろと伝えた。頷いた律が、小さな声で元気でと呟いて、渡り通路を足早に去って行く。その背中を見送りながら、優吾はもう会うことはないかもしれないという予感を抱いた。
 感傷に浸る間もなく、もう一度名前を呼ばれた優吾は、去っていく律を隠すために、慌てて店長側へと足を進める。外国人を伴った店長が、機嫌よく優吾に話しかけてきた。

「探しましたよ。谷崎君。君の歌を聞いた映画会社の方が、お話ししたいとおっしゃられてね。こちら、ライナーピクチャーズジャパンのジョン・ストーンさんです」

『初めましてと言いたいところですが、ユーゴさんには、南仏のライブハウス、エトワールでお会いしましたね』

 覚えのある顔に驚いて、優吾は口をパクパクさせた。
 確か、リアムから紹介された時に、握手ではなくお辞儀をした男性だ。日本人に慣れていると感じたのは間違いではなく、大手映画会社の日本支社に勤務していたからだと理解する。ならば、本当にリアムが、Henry・L・Kingなのだろうか?

「ショックで頭がぶっ飛びそうだ」

 優吾が思わず漏らした日本語が分かるのか、ジョンが笑いながら言った。

『驚かれるのも当然ですね。実は本社が、ある日本のアニメのリメイクをすることになりまして、挿入歌を歌う歌手を探していたのです。音楽プロデューサーのヘンリーから、有望なボーカルが見つかったと知らせがあり、南仏に遊びがてら聞きに行ったのですが、あの時はお二人で歌われましたね。知名度からOを推す声もあったのですが、ご本人がユーゴさんの方が適任だとご辞退されて、ユーゴさんなら間違いなく映画の成功に貢献するだろうと強く推されたのです。今日は二度目となりますが、実力を確かめさせて頂きました。素晴らしい歌声で、本当に感動しました』

『あ、ありがとうございます。てっきりオーウェンに決まってしまったものだと思っていたから、俺こそ、びっくりというか、感激しました。あの……ヘンリーというのは、やっぱり、リアムのことですか? 俺、リアムがどんな仕事をしているのか知らなかったので、まさかの連続に混乱してて……』

 まだ頭の中では、本当にリアムがあの有名な音楽プロデューサーなのだろうかと、信じられない気持ちで一杯だ。
 誤解に違いない。無名で日本人の自分が、音楽界で名前を知らないものがいないほどの大物プロデューサーに見いだされるわけがない。
 現実を受け止めきれない心が、嘘だ、信じられないと騒わぎ続ける。
 信じたくないのは、出会ったころの一連の出来事も関係しているのだが……
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