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奏太の秘密

アンドロイドは恋に落ちるか

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 気になることがあると、莉緒はいつも納得いくまで探求したくなる。
 奏太が外見だけ整っている女性ではなく、心から寄り添ってくれる人を探していると聞いた今は、余計に放っておけない。
 どんな人たちが集まっているのかを探ってみようと思った。

 まずは牧田アンディーに、ドーナッツの件を謝った後、新田博士に外出する旨を伝える。そして、奏太には内緒で後をつけるべく、目深にかぶったキャスケット帽とマスクで顔を隠し、庭の木陰で待機することにした。

 やがて出てきた奏太の恰好を見て莉緒は唖然とした。
 パーティーに行くと言っていたにも関わらず、恰好はジーンズとぶかぶかのTシャツのストリートファッションで、リュックまで背負っている。
 しかも、両腕を回したり、屈伸をしたりして、準備運動のようなことまで始め出したのにはわが目を疑ってしまった。
 体力を少しでも消耗しておかないと暴走するくらい、パーティーに参加するのが嬉しいのだろうかと勘繰ってしまう。変な想像をした罰が当たったのか、奏太が駅までジョギングを始めたのを、莉緒は慌てて追うはめになった。
 地下鉄を乗り継いでバスに乗り換え、下車した先から歩いて十五分すると、廃屋と化した工場が見えた。

「まさかあれが目的地じゃないよね?」

 よぎった嫌な予感は的中して、奏太が中に入っていく。

「うそ!こんな廃屋で何するの?まさか危ない薬とか吸うパーティー?」

 奏太が犯罪に関与していたらどうしようと怯えながら、錆びて倒れかけた鉄門を抜け、工場の敷地を回りこむ。
 割れた窓から中を覗くと、配管や鉄の柱が剝き出しになった灰色の空間が目についた。

 影になって黒く見える壁の中央部分に一列に並ぶ窓は、壁を四角く切り取ったように見え、そこから射しこむ光が、舞い踊る埃を浮き彫りにしている。
 塗料の剥がれた鉄階段が向かうのは、かなり高い位置にある二階部分で、壁から壁へと横に渡った骨組みの様子から、かつては床があったのだろうと思われた。

 その鉄骨部分に、男が一人立っているのに莉緒は気が付いた。
 思わずあっと声をあげそうになる。
 そんな枠に立ったら危ないと思う間もなく、男がかなり離れた鉄骨へとジャンプする。

 届くわけがない!
 踏み外せば五、六メートル下のコンクリートへ叩きつけられる。莉緒は身体中に力が入った。

 ところがその男は、届かないと思った鉄骨の上にふわりと着地して、上体を真横に倒し側転で枠の上を移動する。 
 続けざまにバク転をして、今度は天井の真ん中ににつり下がったフックへと飛び移った。

 鎖で吊り下げられたフックの揺れを利用して、ブランコのように身体を前後に大きくスィングさせた男は、反対側の一部だけ張られた床板へと大きく飛び移る。床に着地するのを見て、莉緒がホッとするのも束の間、男は着地と同時に、まだ揺れているフックの方角へ飛び出した。
 ほぼ垂直に上がった身体から伸びる手は、揺れるフックに届くはずもなく、男の身体が下降する。

 危ない!
 莉緒は今度こそ叫びそうになった。
 男が身体を捻ってスケートのスピンのように半回転する。
 今まで立っていた二階の床を掴み、大きく身体を揺らして、鉄筋を支える支柱へと飛び移った。
  スルスルと降りる途中で柱を蹴って空中に踊り出した男が、目にもとまらぬ横捻りとバク転を組み合わせた技を繰り出し、スタッと着地した。

 わぁっと歓声が上がり、真ん中にいる男をめがけて、隅の方から十人ほどの男たちが拍手をしながら駆け寄ってくる。

「奏太、さすがだな!」

「すごかった!ウルトラ技の連発だ」

 口々に賞賛を受けて照れる男の顔に焦点が合う。まさかと思ったが、重力を感じさせない技を繰り出していたのは、莉緒の知っている奏太だった。
 Tシャツを変えていたのと、高所での素早いパフォーマンスに気を取られたせいか、奏太だと気づかなかったのだ。
 何これ?サーカスみたいと思ったとき、ふと水野アンディーの言葉が頭をよぎった。

『パルクールって街中にあるものを忍者みたいによじ登ったり、途切れることなく走り回ったりするスポーツですよね?』

 確かあの時、莉緒は新見所長が普段何をしているのかを知りたくなって、ケンディーに質問をした。

『大学の仲間たちとパルクールを楽しんでいます』

 ケンディーは新見研二をコピーしているはずなのに、弟の奏太がパルクールをしているってどういうこと?
 兄弟で同じ趣味を持っているということだろうか?
 莉緒はこんがらがりそうになる頭を抑え、フラフラと後ろに下がった。

 工場の建物を回り込んで門の外へ出ると、一目散にバス停を目指す。何かおかしなことが起きているのではないかという不安に胸が苛まれた。
 こんなときは甘いものでも買って帰って、部屋でじっくり気持ちを整理する方がいいのかもしれない。確か駅前に洋菓子店があったはず。

 ふと、出がけに牧田アンディーに無茶振りをしたドーナツのことを思い出し、スマホで店の場所と時間を確認する。既に十時を回っていた。
 残念。三十分以上早く並ばないと、十時半から販売の限定販売ドーナッツは買えないと口コミに書いてある。普通のを買って帰るしかない。
 有名チョコレート店とコラボしたドーナッツは、色や形がきれいで美味しそうだ。女の子の好きが一杯詰まってる。まるで新見研二所長のように‥‥‥
 悔しいけれど手に入らないところまでが同じだ。

「フンだ。外見が飾ってあったって、中身はいつも食べてる庶民的な味のドーナッツなんだから、がっかりなんて‥‥‥」

 悔し紛れに呟いた言葉が、途中でつかえた。
 何かが引っかかる。外見は洗練されているドーナツの中身が庶民的な味であるのことのどこがいけないんだろう?
何だかミステリー系のパズルをやっている気になってきた。
 写真のどこかをクリックして謎を解くカギを集め、次々その先の部屋へと進んでいく脱出ゲームみたいなもの。隠し方が上手いものは何度見たって分からないし、ここは間違っていないと思い込むといつまで経っても解けはしない。
 ほんの少しの違和感に、もしかしてというインスピレーションを受けて、隠された場所や全体像が鮮明になるときがある。
 莉緒の中で、まさにその時に感じる緊張感が高まっていた。

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