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不審な車

アンドロイドは恋に落ちるか

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「莉緒ちゃん、伏せて。顔を見られないようにして」

 奏太に強く腕を引っ張られ、バランスを崩して肩先に倒れ込む。ゴツンと頭をぶつけて莉緒が呻いた。

「痛っ…」

「ごめん。加減を誤った」

「あっ、うん。大丈夫。パルクールで鍛えているせいか、奏太君は肩も腕も筋肉質で硬いんだね」

 緊張から逃れようとして、目の前のことに意識を集中させようとした莉緒は、起き上がりながら指で奏太の腕を突っつこうとした。白いTシャツの長めの半袖から伸びた腕がすっと避ける。照れてるのかなと顔を見上げたが、奏太の視線は後方に注がれ、莉緒には目もくれていなかった。
 何だか面白くない。別に構って欲しいわけでもないし、状況が状況だから愛想よくしてなんて思わないけれど、少しずつ縮まりかけた距離が開いてしまったようで、寂しく感じた。

 お風呂のお湯に沈み込むように、腰を前にずらして窓から姿を消したとき、黒い車が莉緒たちの車を追い越し、そのままスピードも落とさず走り去っていく。どうやら狙いは拓己の乗った社用車らしい。莉緒がGPS の画像を食い入るように見つめていると、木呂場が声をかけた。

「これだけ離れていてもついてきたのを考えると、社用車に何か仕掛けられていた可能性が大きいですね」

「兄に知らせてもいいでしょうか?」

「いえ、まだ本当につけられているのか確定したわけではないので、待ってください。社用車を運転している方はガードマンと言っても、カーチェイスに慣れているとは限りませんからね。知らせを聞いて変に焦って事故を起こすといけないので、暫くこのまま様子をみましょう」

 木呂場が相沢に電話をかけ、不審車のことをマイクを通して話している間、莉緒は頭の中で報告リストにあげたものを文章にして、SNSで木呂場のスマホに送った。
 運転している木呂場はメモを取ることはできない。捜査する際に抜けることがないようにという心配りだ。
水野のブランド品への執着心からみる買い物依存症の疑惑。
 牧田の妹の真衣が数年前の事故で脳内出血を起こし、今も後遺症で精神科にかかっていること。牧田は妹を手術した脳神経外科医と懇意になり、治療法のことで相談していた。そして、その脳神経外科医も一時行方不明であったことを。

 待機中の相沢刑事と話が終わった木呂場に、同じ話をしてスマホにも送信したことを告げた。
 木呂場は情報提供に感謝すると、スマホのAIを呼び出し、莉緒のメールを相沢に転送するように命令した。数分後、再び相沢から連絡が入る。木呂場は至急牧田の妹の居所を調べることと、水野の銀行残高や金の入出金、カード明細なども調べるように命令した。
 了解した相沢が、不審車のナンバーが暴力団の所有であることを告げる。援護車に関しては、依頼したものの事故や事件で出払っていて、近隣からは応援が無理であること、二つ先のインターから応援が向かっていることを告げた。

「了解。社用車は、援護車に追跡を任せる。暴力団の第一団体が絡んでいるとなると、莉緒さんたちが危険だ。こちらは次のインターでUターンして新見宅に戻る」

 連絡を切った木呂場に、莉緒がこのまま追ってくれるよう頼み込んでいる間、スマホの画面を見ていた奏太が、高速道路を降りるレーンに社用車が入ったことを読み取り、莉緒に加勢した。
 社用車は法定速度を守って安全運転をしているため、この車との距離も縮まり、もう肉眼で見えてもおかしくないところまで来ている。迷っていた木呂場が再び相沢に連絡を入れた。

「予定を変更する。社用車がインターを降りるため、我々ももう少し追跡する。もし、応援車が駆けつける間に社用車と距離があけば、電波の受信いかんでは見失う恐れがあるからな」

 状況を説明している木呂場の話に耳を傾けていた莉緒は、バイクの刑事が追っているのに見失うという表現はおかしいと感じたが、相手が相手だけに、対応するためには人数的な問題があるのかもしれないと疑問を打ち消した。

 インターを降り、うねる山道を走る社用車は、安全を極めてますます速度を落とし、張り出したカーブを曲がるときには、莉緒たちにもそのシルバーのボディーを見せるようになっていた。
 ピタリと後ろに張り付く黒塗りの車があまりにも不気味に見えて、映画のカーチェイスシーンであるように、ぶつかったりしないだろうかと、不安になる。運転席の刑事に、もっとスピードを出してと叫ばずに済んだのは、バイクの刑事がついていてくれるおかげだ。バイクは位置を変え、不審車の後ろからつかず離れずの距離を保って走っていた。

 三百メートルほど先の公道の左手に渡風サナトリウムという名前と山荘風の外観を描いた大きな看板が見えた。
 [この先私有地につき一般車立ち入り禁止]と書いてある看板の脇道に社用車が入り、林道を上っていく。不審車はそのまま通り過ぎた。多分Uターンして戻ってくるに違いない。バイクは社用車の後に続いて林道に消えた。
 木呂場は迷わず左折して車を林道に乗り入れたが、カーブがきつく、舗装が悪い道のせいで、車体はガタゴトガタゴト揺れながら進んだ。

「莉緒ちゃん、大丈夫か?」

 窓の上のアシストグリップを握りしめて倒れないようにしている莉緒に、奏太がそっと手を伸ばし莉緒の腕に触れて支えてくれようとする。
 さっき力加減を間違えて強く引っ張ったことを気にしているのか、触れ方がぎこちなくて、まるで初めて女の子に触れる男の子みたいだ。
 かわいい。心の中の緊張感がほんの少し解れて、唇の端が自然に上がった。
木呂場がマイクに向かって、現在地とサナトリウムの名前を告げると、相沢は莉緒の情報を元にして、牧田の妹の真衣が療養していることを調べ上げていた。

「お兄ちゃんは牧田さんが妹さんを置いて行方不明になっていたことを気にかけていたから、様子を見に来たのかもしれないわ」

「いや、もしかしたら寄生ウィルスの設計書のことで真衣さんを訪ねてきた
のかもしれなのかもしれない」

「何で?どうして妹さんのところに?まさか真衣さんが持っているっていうの?牧田アンディーが設計書の話をしたときには、真衣さんについて一言も触れなかったわ。確か猫の絵を描きながら、猫に寄生するトキソプラズマのことを説明してくれたの。言っちゃ悪いけれど、絵が微妙で、耳がリボンのようにくっついていたから、女の子みたいって思ったわ」

「もし、盗聴されるのを懸念していたとしたらどうだろう?視覚で違うと感じても、相手の絵が下手な場合、聞いた話に合うものを推測して当てはめる場合があるらしい。最初のインプレッションが正しくて、在処ありかを教えていたとしたら?」

「じゃあ、あれは猫じゃなくて、真衣さんだっていうの?」

「あくまでも可能性」

「そんな!それじゃあ、さっき私が手元に設計書があるように水野さんに思わせたから、あの人の仲間が私を追いかけてきたの?もし本当に真衣さんが持っていたとしたら、私は知らずに道案内するという大失敗をしちゃったわけ?」

「いや、莉緒ちゃんが設計書を持っていると信じたなら、莉緒ちゃんの車を尾行しただろう。それにまだ、真衣さんが持っているとは限らない。羽柴社長は既にマークされていたんだと思う」

 そうだろうか?どちらにしても、あの設計書を狙うのは、新見博士や他の人達を誘拐した暴力団関係者に違いない。濃いスモークフィルムを貼った黒い車が戻ってくる前に、何とか兄を連れ戻さなければ。
 舗装された道路が途切れ、砂利が敷かれた広い駐車場とその奥に山荘風のサナトリウムが見える。建物の入り口に近い駐車スペースに社用車が停まっていた。そのすぐ横に木呂場が車をつけると同時に、莉緒はドアを開けて外に飛び出した。

 すぐに出てくるかと思ったのに、木呂場と奏太はナビを操作して周辺の地図を調べながら話しをしている。何かあった時のために、地形を頭に入れているんだと分かり、莉緒は焦るだけの自分を諫め、深呼吸して気持ちを落ち着かせようとした。
 山を切り開いて建てられたサナトリウムの周囲は、マイナスイオンに満ちているせいか、空気もひんやりして身体に染みいるようだ。恐怖で占められていた莉緒の頭もリセットされて奏太たちの判断を待つ余裕ができた。

「あっ、ここ。サナトリウムの北側斜面を降り切ったところに細い道がある。徒歩でここまでいけたら、いざというときに逃げられそうだけど、問題は……」

 奏太の視線につられて、木呂場も莉緒を見る。二人の顔には、莉緒を連れて山の中を徒歩で逃げるのは無理と書いてあった。

「東は川で、南は山林続きで所々崖だね。奏太さんならいけると思うけれど、莉緒さんと一緒だと、やはり今来た道を引き返すしかないでしょうね」

 莉緒は無事に帰ることができたら、パルクールでも何でもいいから逃げ足を速くするスポーツをやろうと真剣に考えた。

「西は今入ってきた山道ですよね。公道付近で待ち伏せされたら、逃げきれないな」

「私は応援車をここで待ちますので、奏太さんは莉緒さんを連れて建物の中に入ってください。スタッフに避難経路を聞いて、もし逃げられるようなら羽柴社長と一緒に、安全なところで待機していてください」

「分かりました。莉緒ちゃん行こう」

 奏太が歩き出したのを慌てて追いかけた莉緒は、駐車スペースにバイクがないことに気が付いた。

「奏太君、バイクで来た刑事さんはどこに行ったのかしら?」

「彼なら大丈夫だ。まずは羽柴社長を探さないといけない。急ぐよ」

「あっ、待って」

 彼なら大丈夫だと言われても、奏太がそんなに信頼を寄せる刑事がいただろうかと不思議に思い、家を警備している刑事を思い浮かべてみる。莉緒たちに直接接しているのは木呂場と相沢だけだ。砂利に足を取られないように速足で歩きながら導きだした答えに、莉緒はまさかねと首を振った。
 
 サナトリウムの入り口を入り、フロントで面会を申し込むとスタッフが困惑したように顔を見合わせて、ボソボソ相談し始めた。

「三〇一の患者さんよね? さっき男性の方が面会に見えたけれど…」

「急な面会や、身元の証明ができない見舞い客は避けるように言われてる患者さんよね。どうする? さっきの人は電話で予約したんでしょ」

「患者さんに聞いたら、知っている人だと言われたの」

 スタッフのやり取りを聞いた奏太が、ちょっとトイレと言って、窓口を離れた。心細く思いながら、莉緒が思い切ってスタッフに声をかける。

「あの、先に来た男性は私の兄なんです。羽柴拓己という名前ですよね? この生徒手帳に私の名前と住所が載っているので確認して頂くか、兄に電話をして身元を証明してもらうこともできます」

 スタッフは、莉緒の生徒手帳に書かれた名前と住所を拓己の書いたものと照らし合わせると、電話は必要ないけれど規則だからと言って、訪問カードの記入を促した。

 記入を終え、訪問カードと引き換えに生徒手帳を受け取った莉緒は、周囲を見渡して奏太を探しが、見当たらなかった。
 行先がトイレと分かっていて待つのも憚られ、莉緒は先に三階へ行くことに決めて、エレベーターに乗る。
 三階に着いた時に、奏太が拓己と一緒に廊下を歩いて来るのが目に入り、莉緒は兄の無事な姿にホッと息をついた。

「お兄ちゃん。真衣さんは大丈夫?あの、設計書は受け取れたの?」

「ああ。その話はあとしよう。誰かにつけられていたみたいだな。早く車に‥‥‥」

「動くな!その設計書とやらをこちらに渡してもらおうか」

 黒いサングラスをかけた男たちがエレベーターとは反対の廊下の端にある非常階段から現れた。手にナイフを握っている。

「奏太君、設計書を頼む」

 拓己がUSBメモリーを奏太に渡すと、奏太は莉緒が乗ってきたエレベーターに飛び乗り、扉を閉めた。
 男の一人は慌ててこちらに走ってこようとしたが、もう一人は非常階段を駆け下りていく。エレベーターが下降するのを確認した男が踵を返し、先に降りた仲間を追っていった。
 拓己が止めるのも聞かず、莉緒も階段を降りていく。階下から放せと奏太が叫ぶのが聞こえた。

「設計書を渡せ」

「渡すもんか。放せ!お前たちが後をつけていたのは分かっていたんだ。警察がすぐそこまできているぞ」

「残念ながらこの田舎のあちこちで事故や喧嘩が沢山起きていて、警察官は対処に追われているだろうな。県越えだと普通待ち伏せされるもんなんだよ。なのにパトカーを見かけなかったろ?今頃、上からの命令で捜査の打ち切りが言い渡されているさ。さぁ、痛い目にあいたくなかったら設計書を出しな」

 奏太のシャツを掴んですごむ男の後ろから、仲間の男が声をかけた。

「そういえば、新見博士の弟が奏太という名前だったな。博士に言うことを聞かせるために捕まえろという指示が出ていたろ」

 そう言いながらスマホの画像をチェックして、やっぱりこいつだと顎をしゃくった。

「土産物が二つもできたぜ。俺たち出世できるかもな。さっさと連れて行け」

 ナイフを突きつけらえた奏太は暴れるのを止めて、男たちに出口へと引っ張られていく。手すりを掴む莉緒の手に力が入り真っ白になった。

「奏太君!」

 返事はなく、莉緒の声だけが階段に虚しく響いた。


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