現代語訳邊土紀行抄

長串望

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二十三年 サンザールの月 二十一日 縞曜日

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二十三年 サンザールの月 二十一日 縞曜日

 ビャン・ミエンの滝を見上げながら年越しをした時も、ずいぶん遠くに来たもんだなあって思ったけど、旅立ってからもう一年も経ってしまった今日を迎えて、さすがに遠すぎるなって思う。
 最初は荷物を背負って転ばないようにするだけで精いっぱいだったのに、いまじゃバランスを取りながら岩山をよじ登ることだってできる。背は相変わらずちびっちゃいままだけど、腕の筋肉がみっちりしちゃってちょっと乙女的ピンチだ。
 馬も売ったり食べたり死なせてしまったりで三度にわたって乗り換えたし、あたしたち自身も命の危機に何度もさらされてきた。旅立ちの日に鞄の中にあったものは、旅の中で消費したり交換したりで、ほとんど元のものは残っていない。
 魔獣に襲われたり、盗賊に襲われたり、刺客(※1)に襲われたりしたことも一度や二度じゃない。
 旅の連れも、増えたり減ったりで、はぐれて一人旅になってしまったこともあったし、逆にキャラバンにお邪魔して大所帯になったこともあった。言葉も通じない蛮族と身振りなんかで意思疎通することもあった。王国語と、ことわざくらいの古ザンカ語しか使えなかったあたしも、今や立派なマルチリンガルだ。王国内でそれを使う機会はないけど。

 名もない砂丘を乗り越えて、あたしたちはメレベレク川(※2)、というよりはその源流にたどり着いていた。流れは穏やかだけどとにかく幅のある川の向こう側には、うっすらと民家や、炊事の煙が見える。
 騎士様はあれはセンマッツだと仰った。ここしばらくは騎士様でさえ全く知らないわからないということが多かったので、はっきり仰るというのは随分久しぶりだった。地理のことも外国のことも全然知らないあたしにははあそうですかとしか言えないんだけど、すごいことらしい。
 見渡しても橋はなく、渡し船の類もなかった。でもそこまで深くはなかったので、馬に泳がせるかとなった。旅立ったころのあたしたちなら遠回りでも橋を探しただろうけど、なんだか図太くいい加減になってきた気がする。
 幸い、ゴレンで譲り受けた馬(※3)たちは、むしろ久しぶりの川に喜んで泳いでくれた。ここしばらく乾燥地帯だったからなあ。丁度暑い時期だし、涼しくていい。
 でも楽しい水上の旅は長くは続かず、向こう岸に近づいたところで、近寄ってきた船に矢を射かけられてしまった。滅茶苦茶に荒っぽく何か叫んでるのはわかるけど、センマッツ語というやつなのか、全然聞き取れない。
 すっかり慣れちゃって悲しいけど、あたしはもそもそと盾を掲げてその陰に隠れた。あたしは護衛じゃなくて従者なので、荒事は無理なのだから。
 荒事担当こと騎士様は矢を切り払って、大声のセンマッツ語で短い単語を何度か叫んだ。多分やめろとかそういうの。あとで聞いてみたら、あたしたちを蛮族(※4)だと思って攻撃してきたみたいだった。騎士様が言葉の通じる相手だとわかって一旦は矢も止まったけど、弓は構えたままで、あたしたちが岸に着くまで船はつかず離れずだった。
 あたしたちが上陸すると、野次馬がどよめいた。まあ、あたしもこの鱗ある馬は邊土でしか見たことないしなあ。仕方ないと思う。ドラゴン(※4)を見たことない人からすれば、小さなドラゴンかと思うくらい顔が怖いし。慣れると可愛いんだけどなあ。リンゴ好きだし。
 大分久しぶりに、いわゆる「人」里についたけど、長居はできなかった。騎士様は身分を示して、なんだか偉そうな人と話に行ってしまって、あたしは留守番していた。そして騎士様が帰ってきたら、すぐにとんぼ返りする羽目になった。
 ここら辺はセンマッツで言うところの邊土、ド田舎の端で、蛮族がやってこないように見張ってるんだそうだ。このあたりの領主様は面倒ごとは嫌なんだそうで、中央に報告したくないからさっさと出て行ってくれって。いい加減だ。
 騎士様はその領主様にダイヤをいくつか渡して、王国宛ての手紙を出してもらったみたいだった。そのせいかあたしたちがお宝を持ってるって漏れたみたいで、よからぬ連中が非力なあたしを狙ってきたけど、もうちょっと頭使った方がいいと思う。
 今日は馬たちの餌は要らないな。
 その騒ぎもあって、一泊するどころかご飯も食べられないままあたしたちは川を逃げ帰った。
 センマッツ料理食べて見たかったんだけど、残念ながら今日のご飯は昨日と同じく砂蟲(※5)のシチューだ。

※1 刺客
 邊土公を狙う刺客が、『邊土紀行』内だけでも数度にわたって襲撃してきていた。
※2 メレベレク川
 現在はセンマッツ連邦(十五世紀当時はセンマッツ共和国)とムン王国の国境として扱われているが、当時は魔獣の跋扈する未開の地と人界を隔てる境界だった。
※3 ゴレンで譲り受けた馬
 ゴレン湖の鱗人種、ミンニ氏族たちから譲り受けた爬行種の馬。訳者は取材と称して乗ってみたことがあるが、品種改良された現代の種でも、左右の揺れが大きく、尻のすわりも悪い。水上を泳いでいる時の方が安定しているまである。
※4 ドラゴン
 知的人種であるドラゴンと爬虫類を比較することは、学術的にはともかく一般的には当然差別に当たるが、十五世紀当時の認識で言えばむしろドラゴンの強大さに対する恐れからの言及だろう。
※5 砂蟲
 レッドデスワームのこと。




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