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第一章
四
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翌日、「あさひ屋」に土方歳三の使いの者が来た。
「よう。野村くん」
「おはようございます、山野さん。土方さんから五稜郭の奉行所に来るようにとの伝言です」
使いの者は野村利三郎。年はたしか二十六。八十八より二つ下だ。髷はないが髪は短めのざんぎり。その顔にはどことなく少年のあどけなさと危うさの名残がある。
野村の新選組入隊は、八十八の四年後の慶応三年(一八六七)。鳥羽伏見の戦いの前年である。京の時代を知っているだけで今となっては古参の方に分類されてしまう。
野村の猪突猛進な性格は近藤勇や土方歳三に気に入られており、八十八よりも新選組に馴染んでいる。
その証拠に新選組敗走中に近藤が官軍に出頭する際にも付き従っていた。近藤とともに処刑されるところであったが、近藤の嘆願により急遽助命された。
「遊女屋に寝泊りしているなんて羨ましいですね。もっとも山野さんほどの色男なら遊女の方が入れ込んじまうのでしょうね」
野村は「あさひ屋」の店構えをしげしげと眺めている。
「そんなことはねえよ」
「ところで。昨夜は大変でしたね。土方さんが呼んでいるのもその件ですか」
「さあな」
野村は箱館新選組だ。市中見廻りの隊士たちからすでに話を聞いているのだろう。
「じゃあ、伝えましたよ」
「ありがとよ」
野村が歩き去ろうとすると腰のあたりから何かが落ちた。
「おい」
八十八が落ちたものを拾い上げて野村に声をかける。煙草入れだった。
「落としたぜ」
「あ、すいません」
「おまえさん煙草吸うのかい」
なんとなく野村には煙草は似合わないなと八十八は思った。
「まあ、たまに」
八十八から煙草入れを受け取って、野村ははにかむように笑って去って行った。
さっそく八十八は五稜郭に向かった。
五稜郭は元治元年(一八六四)に徳川幕府により建造された五芒星型の稜堡型城郭であった。この特異な構造は、進化する火砲に対応するために、敵の攻撃に対して死角をなくし、迫る寄手に対して十字砲火を浴びせることができるということらしい。
明治元年(一八六八)十月二十一日に蝦夷地の鷲ノ木に上陸した旧幕府軍は破竹の勢いで進軍し、四日後には五稜郭を無血開城し入城していた。
以来、五稜郭が蝦夷島政府の本拠地となっていた。
八十八は入口の橋を渡って城内に入った。奉行所の前まで行くと、木刀を振っている男がいた。
ズボンに半マンテルの洋装に身を包んだ土方歳三であった。総髪にした髪を後ろに流している姿も、元々が役者のような男前の土方だけあって様になっている
八十八は立ち止って土方の型稽古をしばらく眺めていた。
土方は木刀を右肩に担いだ八双の構えで前方をしばらく見据えていた。気が満ちた全身からはうっすらと湯気が立ち昇っている。
気迫を発して、袈裟懸けに右上から左下に斬り下ろす。すかさず手首を返して逆袈裟。一歩後ろにさがった存在しない相手をめがけて左下から右上に斬り上げた。
木刀を振り上げた姿勢で土方は動きを止めた。
――見事なものだ。
土方が刀を振るうところを、八十八が間近で見たのは初めてだったかもしれない。
京の頃は、土方が隊士たちに剣術の指導をしているところを見たことはある。だが、同じ天然理心流を修めた近藤勇や沖田総司といった今は亡き達人たちよりは腕が落ちるであろう、と八十八は認識していた。
さらには、土方は早くから新選組の洋式部隊化を強く志向していた。ただし反対派も多く、実現には至らなかった。
今や土方は蝦夷島政府の陸軍奉行並として閣僚に名を連ねていた。そして長く望んでいた洋式軍隊を率いて生来の戦術家としての天才性を今まさに開花していた。
なので、八十八は土方は剣へのこだわりが薄い人間だと考えていた。
土方は大きく息を吐いた。肩で大きく息をしながら両ひざに手をついて前かがみの姿勢をとる。
「久しぶりに本物の天然理心流を見ましたよ」
「山野か。見てたのかよ」
八十八が声をかけると土方は白い息を吐きながら苦笑いを浮かべた。
「だめだな。しばらく剣を握っていないとこの有り様さ。おれを斬るなら今のうちだぞ」
土方はいたずらっ子のような顔を向けた。
「残念ながら今のところ土方さんを斬る理由はありませんね」
八十八も調子を合わせておどけてみせた。
「まあ、危ない仕事はおれたちに任せてくださいよ」
「その方がよさそうだ」
土方が中腰の姿勢から上半身をあげた。
「例の件で総裁がお呼びだ」
土方が木刀を手に持ったまま奉行所に歩き出した。背が高くて歩き方も絵になる。京の女たちがこぞって土方に入れ込んだのも頷ける。
八十八も女から引く手あまただったが、女性的な外見の八十八に対して土方は男性的な魅力に溢れている。それは八十八からしたら憧れであった。
――土方さんには人を惹きつける才能がある。
八十八は土方の背を追って歩き出した。
五稜郭の奉行所の榎本武揚の部屋に四人の男が集っていた。
蝦夷島政府総裁の榎本。あと、山ノ上町の箱館病院頭取の高松凌雲。高松も旧幕府軍とともに蝦夷地に来た者だ。そして土方と八十八。
榎本と高松からは新選組の二人とは異なる知的な雰囲気が漂っていた。二人とも洋行の経験があり先進的な知識を有している。要は新選組の人斬りたちとは頭の出来がちがった。
榎本は阿蘭陀留学後に旧幕府では海軍副総裁に任ぜられていた。旧幕府艦隊を率いて蝦夷まで脱走して、今の蝦夷島政府がある。そのような大胆な行動に出る榎本であるが、普段は静かで怜悧な人であった。整えた口髭と鋭い目つきの美丈夫っぷりが総裁にふさわしい威厳を放っている。
高松は仏蘭西に留学していた。医者であるが武士のように精悍な男であった。戦争時は敵味方の兵を分け隔てなく治療にあたり、その姿に異を唱える者が誰であれ鬼の形相で説き伏せた。開明的な行動力と信念の持ち主である。
「さすが山野くん。下手人を見つけたそうですね」
榎本が座っている執務机ではさきほど小姓が持ってきた西洋茶碗からうっすらと湯気が上がっていた。
八十八の前の卓の上にも湯気を上げている西洋茶碗がある。中に入っている茶色の液体――紅茶の渋みより甘みの強い香りに顔をしかめる。
向かいに座る土方は西洋茶碗の方を見ようともしない。
高松はといえば美味そうに紅茶を一口啜って、満足したように頷いていた。
「土方さんの人選は誤っていませんでしたな」
榎本が土方に目を向ける。
「山野は京の頃からこういった裏の事件に縁があるんですよ。よく近藤さんに使われていました」
土方は薄く笑った。
「土方さん勘弁して下さいよ。あんな化物が出てくるとは思ってもいませんでしたよ」
「化物か」
土方が芝居がかった仕草で榎本に顔を向ける。
「山野くんが言うには死んでいると思われた下手人が動き出した。そして刀で斬っても平気で動いていた」
榎本の極めて冷静な声に山野は頷いた。
「高松先生はどう見ますか」
「運ばれてきた化物、と呼ぼうかね。その亡骸を調べてみた。普通の人間と変わらんな。それだけに動いていたということが信じられないね」
高松が額に垂れた前髪を頭に撫でつける。高松は羽織袴の和装で髷も結っているが、忙しい中を駆けつけたのか髪は少し乱れていた。
「先生。その亡骸はいつ殺されたのですか」
榎本の利発な声が静かに響いた。
「ふむ。それなんだよ。化物が亡骸になったのは恐らく一昨日の夜半だろう」
「え、じゃあ」
思わず八十八が声をあげる。
「そう。他にも『こまつ屋』で殺されていた男と女がいたね。その二人と一緒に化物になった男も殺されていたというのが、わたしの見立てだよ」
部屋にいる四人がしばらく黙り込んだ。
「するってえと。『こまつ屋』で三人の人間が殺された。その内の一人が化物になって動き出したってことかい」
土方が生来の合理的思考で状況を一言で整理した。
「考え難いが、それなら説明がつく」
八十八は小さく呟いた。
「どうした山野」
土方が声をかけてくる。
「いえ。その化物になった男は『こまつ屋』の馴染みの客でしてね。これまではとくに変わった風もなかったって話でした。それが一昨日の夜になぜ突然凶行に及んで見世の遊女と男を殺したのかが分からなかったんです」
「実は化物になった男も一緒に殺されていたのなら、あり得るってえことか」
江戸言葉が交じった土方の言葉に八十八は頷いた。
「一旦、化物の件は置いておきましょう。状況からして本当の下手人は別にいると考えて良いですね」
榎本が土方に話を促すように語りかける。
「ああ。これまでの山之上町での殺しは、山野が調べた『こまつ屋』を入れて三件。いずれも熊かなんかに殺されたようなむごい亡骸が残されていた。山野が殺した化物が先の二件の下手人と考えるのは無理がありそうだな」
「そのようですね。では下手人は別にいると考えて、化物の話に戻しましょう。高松先生、『こまつ屋』の三人の亡骸をしらべて化物になった者にだけあった特徴はありませんでしたか」
榎本の推理に八十八は舌を巻いていた。
「そうだな。化物の方は山野くんたちにやられて損傷が激しいからねえ」
八十八は朗らかに笑う高松に目を向けた。
「いや、すまんすまん。別に責めているわけじゃないよ。山野くんは生きるか死ぬかの瀬戸際だったろうからね。そうだな、気になったことがひとつある」
「それはなんですか」
八十八は苛立ちを抑えて聞いた。
「首に犬に噛まれたような痕があった」
「牙のようなものですか」
榎本の問いかけに高松は頷いた。
「その噛み傷はいつついたものだい」
土方も問いかける。
「『こまつ屋』で三人が殺された時についたのだろう」
高松が他の三人を見渡す。
「本当の下手人が男に嚙みついた」
八十八が思わず声に出していた。
「そう考えるのが自然だろうね」
高松は自分が話すべきことは終わったというように西洋茶碗を持ち上げて口をつけた。
「下手人が男に嚙みついた。噛みつかれた男は死しても動く化物になった」
榎本は抑揚のない声で言った。
「総裁、いくらなんでも」
八十八は思わず声をあげた。
「いや、山野くん。蝦夷地にはわたしたちが知らない生き物がいてもおかしくはないよ」
高松は西洋茶碗を卓に置いた。
「先生まで何を言ってるんですか」
八十八は呆れて無理やり笑みの表情を作った。
「ノスフェラトゥ――」
「えっ」
榎本の言葉が八十八は聞き取れなかった。
土方の目が静かに榎本の方へ動いた。
「よう。野村くん」
「おはようございます、山野さん。土方さんから五稜郭の奉行所に来るようにとの伝言です」
使いの者は野村利三郎。年はたしか二十六。八十八より二つ下だ。髷はないが髪は短めのざんぎり。その顔にはどことなく少年のあどけなさと危うさの名残がある。
野村の新選組入隊は、八十八の四年後の慶応三年(一八六七)。鳥羽伏見の戦いの前年である。京の時代を知っているだけで今となっては古参の方に分類されてしまう。
野村の猪突猛進な性格は近藤勇や土方歳三に気に入られており、八十八よりも新選組に馴染んでいる。
その証拠に新選組敗走中に近藤が官軍に出頭する際にも付き従っていた。近藤とともに処刑されるところであったが、近藤の嘆願により急遽助命された。
「遊女屋に寝泊りしているなんて羨ましいですね。もっとも山野さんほどの色男なら遊女の方が入れ込んじまうのでしょうね」
野村は「あさひ屋」の店構えをしげしげと眺めている。
「そんなことはねえよ」
「ところで。昨夜は大変でしたね。土方さんが呼んでいるのもその件ですか」
「さあな」
野村は箱館新選組だ。市中見廻りの隊士たちからすでに話を聞いているのだろう。
「じゃあ、伝えましたよ」
「ありがとよ」
野村が歩き去ろうとすると腰のあたりから何かが落ちた。
「おい」
八十八が落ちたものを拾い上げて野村に声をかける。煙草入れだった。
「落としたぜ」
「あ、すいません」
「おまえさん煙草吸うのかい」
なんとなく野村には煙草は似合わないなと八十八は思った。
「まあ、たまに」
八十八から煙草入れを受け取って、野村ははにかむように笑って去って行った。
さっそく八十八は五稜郭に向かった。
五稜郭は元治元年(一八六四)に徳川幕府により建造された五芒星型の稜堡型城郭であった。この特異な構造は、進化する火砲に対応するために、敵の攻撃に対して死角をなくし、迫る寄手に対して十字砲火を浴びせることができるということらしい。
明治元年(一八六八)十月二十一日に蝦夷地の鷲ノ木に上陸した旧幕府軍は破竹の勢いで進軍し、四日後には五稜郭を無血開城し入城していた。
以来、五稜郭が蝦夷島政府の本拠地となっていた。
八十八は入口の橋を渡って城内に入った。奉行所の前まで行くと、木刀を振っている男がいた。
ズボンに半マンテルの洋装に身を包んだ土方歳三であった。総髪にした髪を後ろに流している姿も、元々が役者のような男前の土方だけあって様になっている
八十八は立ち止って土方の型稽古をしばらく眺めていた。
土方は木刀を右肩に担いだ八双の構えで前方をしばらく見据えていた。気が満ちた全身からはうっすらと湯気が立ち昇っている。
気迫を発して、袈裟懸けに右上から左下に斬り下ろす。すかさず手首を返して逆袈裟。一歩後ろにさがった存在しない相手をめがけて左下から右上に斬り上げた。
木刀を振り上げた姿勢で土方は動きを止めた。
――見事なものだ。
土方が刀を振るうところを、八十八が間近で見たのは初めてだったかもしれない。
京の頃は、土方が隊士たちに剣術の指導をしているところを見たことはある。だが、同じ天然理心流を修めた近藤勇や沖田総司といった今は亡き達人たちよりは腕が落ちるであろう、と八十八は認識していた。
さらには、土方は早くから新選組の洋式部隊化を強く志向していた。ただし反対派も多く、実現には至らなかった。
今や土方は蝦夷島政府の陸軍奉行並として閣僚に名を連ねていた。そして長く望んでいた洋式軍隊を率いて生来の戦術家としての天才性を今まさに開花していた。
なので、八十八は土方は剣へのこだわりが薄い人間だと考えていた。
土方は大きく息を吐いた。肩で大きく息をしながら両ひざに手をついて前かがみの姿勢をとる。
「久しぶりに本物の天然理心流を見ましたよ」
「山野か。見てたのかよ」
八十八が声をかけると土方は白い息を吐きながら苦笑いを浮かべた。
「だめだな。しばらく剣を握っていないとこの有り様さ。おれを斬るなら今のうちだぞ」
土方はいたずらっ子のような顔を向けた。
「残念ながら今のところ土方さんを斬る理由はありませんね」
八十八も調子を合わせておどけてみせた。
「まあ、危ない仕事はおれたちに任せてくださいよ」
「その方がよさそうだ」
土方が中腰の姿勢から上半身をあげた。
「例の件で総裁がお呼びだ」
土方が木刀を手に持ったまま奉行所に歩き出した。背が高くて歩き方も絵になる。京の女たちがこぞって土方に入れ込んだのも頷ける。
八十八も女から引く手あまただったが、女性的な外見の八十八に対して土方は男性的な魅力に溢れている。それは八十八からしたら憧れであった。
――土方さんには人を惹きつける才能がある。
八十八は土方の背を追って歩き出した。
五稜郭の奉行所の榎本武揚の部屋に四人の男が集っていた。
蝦夷島政府総裁の榎本。あと、山ノ上町の箱館病院頭取の高松凌雲。高松も旧幕府軍とともに蝦夷地に来た者だ。そして土方と八十八。
榎本と高松からは新選組の二人とは異なる知的な雰囲気が漂っていた。二人とも洋行の経験があり先進的な知識を有している。要は新選組の人斬りたちとは頭の出来がちがった。
榎本は阿蘭陀留学後に旧幕府では海軍副総裁に任ぜられていた。旧幕府艦隊を率いて蝦夷まで脱走して、今の蝦夷島政府がある。そのような大胆な行動に出る榎本であるが、普段は静かで怜悧な人であった。整えた口髭と鋭い目つきの美丈夫っぷりが総裁にふさわしい威厳を放っている。
高松は仏蘭西に留学していた。医者であるが武士のように精悍な男であった。戦争時は敵味方の兵を分け隔てなく治療にあたり、その姿に異を唱える者が誰であれ鬼の形相で説き伏せた。開明的な行動力と信念の持ち主である。
「さすが山野くん。下手人を見つけたそうですね」
榎本が座っている執務机ではさきほど小姓が持ってきた西洋茶碗からうっすらと湯気が上がっていた。
八十八の前の卓の上にも湯気を上げている西洋茶碗がある。中に入っている茶色の液体――紅茶の渋みより甘みの強い香りに顔をしかめる。
向かいに座る土方は西洋茶碗の方を見ようともしない。
高松はといえば美味そうに紅茶を一口啜って、満足したように頷いていた。
「土方さんの人選は誤っていませんでしたな」
榎本が土方に目を向ける。
「山野は京の頃からこういった裏の事件に縁があるんですよ。よく近藤さんに使われていました」
土方は薄く笑った。
「土方さん勘弁して下さいよ。あんな化物が出てくるとは思ってもいませんでしたよ」
「化物か」
土方が芝居がかった仕草で榎本に顔を向ける。
「山野くんが言うには死んでいると思われた下手人が動き出した。そして刀で斬っても平気で動いていた」
榎本の極めて冷静な声に山野は頷いた。
「高松先生はどう見ますか」
「運ばれてきた化物、と呼ぼうかね。その亡骸を調べてみた。普通の人間と変わらんな。それだけに動いていたということが信じられないね」
高松が額に垂れた前髪を頭に撫でつける。高松は羽織袴の和装で髷も結っているが、忙しい中を駆けつけたのか髪は少し乱れていた。
「先生。その亡骸はいつ殺されたのですか」
榎本の利発な声が静かに響いた。
「ふむ。それなんだよ。化物が亡骸になったのは恐らく一昨日の夜半だろう」
「え、じゃあ」
思わず八十八が声をあげる。
「そう。他にも『こまつ屋』で殺されていた男と女がいたね。その二人と一緒に化物になった男も殺されていたというのが、わたしの見立てだよ」
部屋にいる四人がしばらく黙り込んだ。
「するってえと。『こまつ屋』で三人の人間が殺された。その内の一人が化物になって動き出したってことかい」
土方が生来の合理的思考で状況を一言で整理した。
「考え難いが、それなら説明がつく」
八十八は小さく呟いた。
「どうした山野」
土方が声をかけてくる。
「いえ。その化物になった男は『こまつ屋』の馴染みの客でしてね。これまではとくに変わった風もなかったって話でした。それが一昨日の夜になぜ突然凶行に及んで見世の遊女と男を殺したのかが分からなかったんです」
「実は化物になった男も一緒に殺されていたのなら、あり得るってえことか」
江戸言葉が交じった土方の言葉に八十八は頷いた。
「一旦、化物の件は置いておきましょう。状況からして本当の下手人は別にいると考えて良いですね」
榎本が土方に話を促すように語りかける。
「ああ。これまでの山之上町での殺しは、山野が調べた『こまつ屋』を入れて三件。いずれも熊かなんかに殺されたようなむごい亡骸が残されていた。山野が殺した化物が先の二件の下手人と考えるのは無理がありそうだな」
「そのようですね。では下手人は別にいると考えて、化物の話に戻しましょう。高松先生、『こまつ屋』の三人の亡骸をしらべて化物になった者にだけあった特徴はありませんでしたか」
榎本の推理に八十八は舌を巻いていた。
「そうだな。化物の方は山野くんたちにやられて損傷が激しいからねえ」
八十八は朗らかに笑う高松に目を向けた。
「いや、すまんすまん。別に責めているわけじゃないよ。山野くんは生きるか死ぬかの瀬戸際だったろうからね。そうだな、気になったことがひとつある」
「それはなんですか」
八十八は苛立ちを抑えて聞いた。
「首に犬に噛まれたような痕があった」
「牙のようなものですか」
榎本の問いかけに高松は頷いた。
「その噛み傷はいつついたものだい」
土方も問いかける。
「『こまつ屋』で三人が殺された時についたのだろう」
高松が他の三人を見渡す。
「本当の下手人が男に嚙みついた」
八十八が思わず声に出していた。
「そう考えるのが自然だろうね」
高松は自分が話すべきことは終わったというように西洋茶碗を持ち上げて口をつけた。
「下手人が男に嚙みついた。噛みつかれた男は死しても動く化物になった」
榎本は抑揚のない声で言った。
「総裁、いくらなんでも」
八十八は思わず声をあげた。
「いや、山野くん。蝦夷地にはわたしたちが知らない生き物がいてもおかしくはないよ」
高松は西洋茶碗を卓に置いた。
「先生まで何を言ってるんですか」
八十八は呆れて無理やり笑みの表情を作った。
「ノスフェラトゥ――」
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