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114 裏町へ その2
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町で朝食を取ろうと決めたのに、店を決めるどころかザックとノアは私とマリンを連れたまま路地を幾つも曲がる。後でどうしてこんなに路地を幾つも曲がっているのか知る事になるのだが。
私は既に『ファルの宿屋通り』つまり『ジルの店』へ戻る道が分からなくなってしまった。
しかしそんな心配は何のその。相変わらず見るのが楽しい露店は続いていく。
「ああ、美味しそう。魚が焼けてる香りがする。え! パンに挟むの? 美味しそう~どんな味のソースかな。こっちはお肉! でも何のお肉かな豚かな、丸焼きっぽい」
道が分からなくなった不安はあるが、ザックが今日はいてくれる。だから、安心しきった私は、見た事のない食材などを目にして左右の露店を見ては感動の声を上げる。
そんな私をザックはガッチリと手を繋いだまま引きずる様にして歩いて行く。
「どの店も具材をパンとか小麦粉を水で練って焼いた物に巻いて食べるんだ。だけどボロボロと溢れやすくてなぁ」
ザックが人波を掻き分けながら、引きずる私に説明をしてくれる。
「そうなんだ。私だったら欲張って沢山の具を挟みたくなるよ」
挟んだり包んだりする具材をみんな好きな様に選び組み合わせて食べるそうだ。店ならではの味付けがあるとか。そういえば別荘でアルマさんお手製の昼食も挟むタイプだったなぁ。
「ナツミは沢山挟みすぎて道端に溢しそうだな」
その姿を想像したのかノアが口を押さえて笑った。どんな私の姿を想像したのか理解出来た。
「ノアの想像は私にも分かるよ。多分、一番食べたかったお肉かお魚を落としそうだよね。あっ、野菜も美味しそう」
私が素直に認めると、ノアが肩を上げて笑った。
「もうノアったらナツミに失礼よ。あっ、あのオレンジ色や黄色の色をした野菜は毎日食べると肌がすべすべになるのよ。ピーウイーツって言うの。毎日食べたいけれども高いのよね。『ジルの店』でもたまにしか出てこないわね。確かダンさんも金額が高いからなかなか調達出来ないって言っていたわ」
マリンが私の代わりに怒ってくれた。そして私がキョロキョロする内容を一つ一つ解説してくれる。
「ピーウイーツっていうのか。何か色々混ざっている様な名前。そうか高いんだね。確かに『ジルの店』では見た事ないかも」
ピーマンとキウイフルーツが一つになった見た目だけれど名前もそうだった。とにかく楽しくて仕方ない。
周りから黒髪でザックに手を引かれているだけでコソコソと話をされているのは分かるけれど、もう気にならなくなってきた。
だって、この町は見る物全てが珍しくてとても楽しいから。すっかり安心しきった私のお腹が再び鳴った。
「ねぇ、ザック。私のお腹は限界だよ。そのうちびっくりするぐらい大きな音を立ててお腹が鳴りそう。そうじゃなきゃ口の中がよだれで溢れそう」
私がザックの手をぶんぶんと上下に振り訴える。こんなに美味しそうなのに、これでは「待て」が続いていて辛い。
「よだれが溢れるって、凄い表現するなぁ。もう少しだけ我慢してくれよ。ノアどの店にする?」
ザックが振り返りながら困った様に笑った。繋いだ手、絡めた指に力を込める。その仕草ですら嬉しくてときめく。
「その角を曲がって少ししたところの店で。あ……ザックいいのか? あいつに会うために渡りはつけたいが。その店は確か──」
ノアも振り返って私がとても困っている顔をしていたのが哀れだったのか、ザックの肩を叩いた。だがすぐに何かを思い出しザックの耳の側でコソコソ話をはじめる。
ザックはノアの言葉に「ああ」と短く返事をして軽く笑った。
「問題ないさ。ナツミの話は祭りの時にしてあるし。大丈夫だろ」
「本当か? だって今日はナツミをお前が連れているんだぞ。しかもエッバは気性が荒いし店番でもしていたら絶対絡んでくるんじゃないか?」
ノアが出来るだけザックに近づいて耳元で話そうとする。しかし、この狭い路地と人混みの中なので、そこそこ大きな声で話さないと聞こえない。そのため、後ろから引っ張られる私とマリンに話が筒抜けだった。
思わず私とマリンは顔を見合わせてしまう。
エッバというのはザックと関係のあった女性の話なのだろう。祭りの時に話をしたと言っているが、打ち上げ花火があった日の事だろう。確かノアの水泳教室をした別荘から町に来た時、ザックは女性に囲まれていたし。
「そうだな。エッバは気性は荒いけど理解出来ない奴じゃない」
ザックは私の手を引っ張りながらあっけらかんとしている。その様子にノアが不満を漏らす。
「だけど、感情の話であって理解するしないの話なのか?」
チラチラと私を見ながらノアが呟いていた。ノアは何かと心配性だ。
「理解していても感情がついていかないかもしれない。だけど、隠れてどうなる。避けて通れないだろ。俺が選んだのはナツミだ」
ザックの言葉がはっきりと聞こえた。
ザックはとてもはっきりしている。揺るがない気持ち。堂々と言い切ってもらうとそれだけで胸がすく。
「そうだな……ザックがそう言うなら」
ノアが小さく溜め息をついた。そんなノアを見ながらザックが肩をバシバシ叩いた。
「心配しすぎだぜノアは。お前って頭の中で色々と考えすぎなんだよ。小心者だからなぁノアは。もっといい方へ考えようぜ」
「イテテ。叩くなっ馬鹿力が。小心者じゃない! 俺はなぁ、ザックとナツミが恋愛沙汰で刺されないか心配しているだけだ」
ノアがザックの手を振り払う。
「えっ。ナツミが刺されるのかっ?」
「えっ。ザックが刺されるの?」
ザックと私が反応するものだからノアとマリンが目を丸めて二人見合っていた。
「当事者がこんな調子じゃな。心配して損したぜ」
「本当よね~ふふふ」
そして優しく笑った。
角を曲がると同じ露店が続く中一際目を引く可愛いお店を見つけた。
「水色の看板! 可愛い~しかも洒落てる」
店は持ち帰り用の窓があり、そこでやり取りをして品物を受け取る事が出来る。窓の横には扉があった。店も併設なのだろう。開きっぱなしのドアから奥を覗く。
間口は狭く奥に長かった。木で作られたカウンターが奥まで伸びていて、立ち飲みスタイルの店になっている。五、六人ぐらいが並んで飲み食い出来そうだ。店の奥には男性客と女性が見えた。お昼からお酒を飲んでいる。
持ち帰りの窓口にはパンやクレープ風の生地に挟める具材が沢山並んでいた。
その窓ので男性客と女性店員が揉めている。どうもテイクアウトする商品の計算が合わないと言っている様だ。
「あの男性って確か……いつかニコが計算間違いをした時の軍人さんだ! こんなところで会うなんて」
まさかのデジャブに私は驚いて声を上げた。
「ナツミはよく客の事を覚えているなぁ。あいつは俺と同じ隊で働いている奴だ」
私が驚いてあげた声にザックが驚いていた。
「そうなんだ。名前までは知らないんだけどね。気が短いけれどもとてもいい人だよね」
計算間違いを酔っ払っているくせに根気強く訂正してくれる軍人さんだった。以前酔っ払って会計が違うとニコを怒鳴っていたあの軍人さんだ。私は心の中で『計算マン』とあだ名をつけて呼んでいた。
あれからニコも九九をマスターして計算がスラスラと出来る様になった。足し算引き算も覚えて今では早く計算出来る。そんなニコだけれども、この計算マンは間違えそうな部分の計算も上手くニコに説明してくれた。ニコがおどおどするとつい怒鳴り散らしてしまうだけのようで、騙して安くお金を払おうといった事はしないとても優しい軍人なのだ。
「へぇ……よく分かっているじゃないか。あいつ会計処理係なんだよ。細かい奴で気が短いんだけどな。文句を言わなければ良い奴なんだけどなぁ。すぐに小言を言うからモテないんだよな」
ザックが顎の下をさすりながら二人のやり取りを見つめていた。
「何を揉めているのかな?」
私はザックと繋いでいた手を離して計算マンと女性店員の側に近づいた。
「あっ、ナツミ! って、素早いなぁもう二人のところに」
ザックが離された手をナツミに伸ばすが特に追いかける様子もない。近くにいるから問題ないと思っているのだろう。その姿を横目で見ながらノアが小さく呟いた。
「あーあ。ザックが手を離すから。揉めてる女はエッバだろ?」
「そうだな」
「そうだな。じゃないだろ、本当にザックはもっとちゃんと手を繋いでおけよ。そうじゃなくてもナツミは気がついたらあっちへフラフラ、こっちへフラフラで消えそうなのに」
「いいじゃないか。目の前にいるだろうが。そういうノアもマリンの手を離しているじゃないか。マリンも今ナツミの隣に陣取っているぞ」
「え? はっ! あれ?!」
気がつくとマリンが手を離していて、三メートル程先の揉めている軍人とエッバの近くに。ちゃっかりナツミの側にちょこんと立っていた。
「ノアこそちゃんと手を繋いでおけよ。マリンの特技は迷子だろ?」
「~っっ! あの二人は次から次へと……」
ノアが首の後ろに手を当ててガックリとうな垂れた。
「だから何度も違うと言っているだろ。だから合計は3,450ボルじゃなくて3,350ボルだろ?」
軍人さんの計算マンが紙袋を握りしめてメモに書いてある注文内容を確認しながら大声で怒鳴る。
うっ。ニコが初めて計算をして間違えた時の金額と全く同じだ。ますますデジャブ。
「そんなはずは。おっかしいわねぇ。計算し直すから待ってもらえる?」
一段高い窓からひょっこり顔を出してカウンターに置かれているメモを覗き込みながら首を傾げるのは女性店員だった。
教育を受けられない『ファルの町』女性達でも裏町で働く場合は計算もしなくてはいけないらしい。しかし、なかなか習得出来ずにつらい思いをする……ってトニが教えてくれたっけ。
女性店員の年齢は私とマリンと近かった。艶々した赤髪を高い位置で一つ縛っている。白い布でリボンを作りカールした髪の毛を揺らしていた。
浅黒い肌に赤いリップ。睫毛は綺麗にカールしていて赤色のアイラインが二重を強調していた。切れ長気味の大人びた顔。色っぽいけれど可愛いと言った印象だった。黒のチューブトップの前に腕を組んで唸っていた。
「何度計算しても同じだろ、もう三回目だぞ」
「そ、そうだけど」
そんなやり取りをしていた二人に近づいて私は紙を覗き込む。計算マンが言っていた通り、合計金額は3,350だった。
「本当だ。3,350ですね」
いつかと同じ様に私が呟くと、急に隣に現れた私に計算マンと女性店員が驚いて小さく飛び上がった。
「誰だ、驚くだろうがっ。急に近づくなよ、って。何だ男だったり女だったりするナツミか」
計算マンが小さく飛び上がって横に仰け反るが、私の顔を見るなり鼻で笑った。
「ナツミって、もしかしてザックの?!」
計算マンの一言に女性店員もカウンターに身を乗り出して来た。
黒いチューブトップから溢れそうな胸をカウンターに押しつけ顔を窓から出して私を見つめる。まさかこんなところで出会えるとは! といった様子だった。
そうだよね『ジルの店』に行かない限り会えないものね。
「男だったり女だったりって酷い言い方をするわね。せめてウエイターがウエイトレスになったって言って欲しいわよね? ナツミ」
全く養護になっていない援護射撃をしてくれるのはマリンだった。
そう言いながらマリンは頬をふくらませて私の腕に自分の腕を絡める。言っている事があれだけれど可愛いから許したくなる。
マリンの言葉に計算マンが紙袋を抱え直しながら溜め息をついた。
「悪かったな。だけど、そう言うけどな最初店で会った時は男だっただろ? だからザックがナツミの虜だって聞いた時は混乱したぞ。ザックはそっちもイケるのかと思って。なのに蓋を開けてみると実は女ってさ……驚くだろう? 今でも思うんだ「実は少年なのかな」とか。だってよ、確認しようもないしさ」
最初店で会った時から女でしたけれど──とはもはや言いにくい。
純粋に私を男性だと思っていたそうだ。そういえば酔っ払いながらも「ちっこいボウズ」と読んでくれたのは彼だった。
「確かに……男なのか女なのか服を脱がない限りでしか判断出来ないしね。悩んじゃうよね」
腕を絡めたマリンの顔を改めて見つめる。
「そんなの脱がなくても分かるでしょ! ナツミも納得しないでよ」
マリンが苦笑いになる。
「あはは。まぁいいじゃない別に気にしてないし。それにさ、今日の姿はちゃんと女性に見えるでしょ?」
私が計算マンの前で軽くお辞儀をしてみる。
「ああ。見える見える。最初からその姿でいたら良かったのにさ。紛らわしい」
軽く笑ってポケットに片手をつっこんでいた。
「あのー何だかよく分からないけど、3,350ボル確かに貰ったわよ。悪かったわね計算を間違えてさ」
女性の店員が口を尖らせながらお釣りを計算マンに渡す。
そこで落ち着いたはずの計算マンに再び火がついた。
「そうさ気をつけろよ。今日は休日だってのについてねえ。遅めの食事だったてのに。もっときちんと計算出来る様になれよ」
再び喧嘩腰になりお釣りをポケットにねじ込んだ。その嫌味を聞いた途端、女性店員の顔色も変わった。あっという間に怒りモードだ。
「だから、もう一度計算するって言っているのに。あんたがそうやって急がせるから間違えるんでしょー腹が立つ! そこで待ってなさいよ!」
とうとう女性店員は窓から身を乗り出すのを止めた。怒り顔で顔が真っ赤になっていた。
身をひらりと翻して開けっぱなしのドアから高い位置で結ったポニーテールを揺らして飛び出して来た。黒のチューブトップと合わせたボトムスは、フレアたっぷりの膝上スカート。真っ青な色に黄色いひまわりが描かれた布地が印象的だった。足元は足先と踵だけが見える黒革のサンダルだ。
高いヒールを地面に穴を開けるが如く歩く。私とマリンの目の前を通り過ぎて計算マンの前で人指し指を立て彼の胸の辺りを押す。
「大体ねぇ! 毎回毎回あんたはうるさいのよ。計算する時間ぐらい静かにしなさいよね! こっちは慣れない事しているんだからさ、女だてらに計算とか」
「商売人のくせに何て言い草だ。こっちは腹が減ってるんだぞ。早く持って帰って喰いたいだろ! だから代わりに計算してやっているのに」
「だって、お客が計算したんじゃ多めに取られたりするかもしれないでしょ。損するのはうちなのよ!」
「何だとぉ!」
そう言って二人はおでこを付き合わせ睨み合う。
大声で怒鳴り合う割りには周りの店の人も行き交う地元の人も全く振り向く様子はない。どうやらこれは日常のやり取りの様だ。
視線の先、火花を散らす二人を見つめながらマリンが手を叩いて声を上げる。
「でも軍人さんの金額は少なめだからお店が損する事はないわよね?」
そうなのだ。計算マンはニコの時と同じで親切で言っているだけなのだ。だが、こうやって短気を起こして怒り気味に口が悪く来るので引いてしまうもしくは怒りで応戦してしまうのだ。
「え。そういえばそうよね。って、事は?」
マリンの言葉に女性店員は振り返った。そしてマリンと私を見比べる。
「うん。そうだよ。合っているから大丈夫だよ。計算マ──じゃなかった、軍人さんはいつも怒り気味に言うから驚いちゃうけどね。実は凄く親切なんだよね」
私はポカンとしている女性店員の顔を見て頷いた。私の言葉に驚いて目の前でブスくれている計算マンの顔を見つめて再び顔を赤くした。
フンと改めて腕を組むと頬をふくらませて横を向いた。
「そ、それならいいのよ! わ、悪かったわね。全く……紛らわしいのよ。親切ならもっと優しく言ってくれてもいいじゃないのよ。いつも怒鳴るんだからあんたは」
やはりいつも怒鳴り散らしている様だ。行き交う人が何の興味も示さないのはそういう事か。みんなよく分かっているなぁ。
計算マンは本当に優しい。理不尽な理由で怒り気味な軍人とは違う。誤解されやすいと思う。計算マンは素直に謝ってもらえた事と優しいと言われたので、照れた様に頬を染めた。紙袋を持ち直しながら頭を掻いた。
「チッ。別に親切って程でもないさ。ところでナツミもマリンも裏町まで来て遅めの朝飯か? 店を抜け出したりして大丈夫か?」
そうだ! 朝食だ。
それまで、計算マンと女性店員のやり取りを見つめていたので忘れていた。意識をはじめたら再び辺りの美味しそうな香りに気を取られる。私はよだれが溢れ慌てて飲み込みながらお腹を触る。
「そうだった。お腹ペコペコだった」
私が呟くと女性店員が改めて私とマリンをジロジロと見つめる。
「あんた達『ジルの店』から勝手に出たりして怒られるんじゃないの? しかも有名どころが二人してどうなってるの? 黒髪のナツミって確か凄く怖いって聞いていたのに。可愛い子供って感じじゃん。それにマリンの髪が短いとか。何が起こってるの??」
今一状況が把握出来ないのか女性店員はブツブツと呟いている。
そうだよね。私の事はさておき髪の毛が短い女性がいない『ファルの町』の常識では、マリンのショートカットは衝撃的だよね。
すると考え込んでいる女性店員を指差しながら計算マンがニヤリと笑った。
「ナツミ。こいつはエッバって言うザックと関係のあった女だぜ」
「え」
私は驚いてエッバさんに振り向いた。
この女性店員が先ほどノアとザックが話していたエッバさんとは。
「なっ、何をあんたは言い出すのよっ!」
エッバさんは慌てて声を張る。ザックという言葉が出て来たので周りのずっと興味がなさそうにしていた人が振り返る。
「さっきの怒鳴り声を聞いただろ。エッバは好いた男の前では静かだが、気に入らない相手にはすぐ噛みついてくるからな。こんなところウロウロしていたら、まずはエッバにやられるぜ。なんせ気性が激しくてなぁ……ザックぐらいだろ、こんな面倒くさい女を相手にしていたの。じゃぁな」
計算マンは皆に注目されながら、言いたい事を言って手を振って去って行った。
「ちょっとぉ。ザックぐらいってどういう意味よ! ザックはあんたと違って口うるさくない……って、待ちなさいよ!」
計算マンの後を追おうとした時、私は声を上げた。
「思い出した! そういえばエッバさんは、あの花火がある祭りの日に町にたどり着くなりザックを囲んだ女性の中にいたよね?」
「うっ、いたけど! もう、エッバさんとか「さん」付けなんてしなくていいし、大きな声を出さないでよっ」
「ごめん。思い出せたから嬉しくて」
「何で嬉しいのよ。そもそもこの時間に店番をする羽目になったのは、あんたが原因だってのにっ。こっちはねぇ散々だったのよ。あんなに盛大に皆で一度に振られるなんて。最悪よっ」
エッバは大きな声で喚きながら、両手で頭を抱えてぶんぶんと左右に振った。
「振られた……」
ザックとはぐれた後、彼が女性達にどんな風に伝えたのかは不明だ。だけれども、盛大にみんなで振られたと言うので、ザックがしっかり断った事が伺える。
そういえばあの時ザックはこう言っていた。
『確かに女に囲まれていたけど、全て断ったさ、気がついたらナツミが消えているし……焦るだろ』
あの言葉は本当だったんだ。
「そうよ、振られたのよ。って、ニヤニヤして変な子ね。で、あんたはマリンよねぇ? その頭大丈夫なの?」
エッバの頭大丈夫?って聞き方も凄い。
どうやらマリンとも初見らしい。しかし、エッバはマリンをジロリと睨む。
「うん。頭を切った方が良かったわ。この方が手入れがしやすくて」
マリンも何処吹く風でニコニコする。
頭を切った……っていうのも正しくない様な……マリン。
そんな陽気に笑うマリンと私にエッバは続ける言葉を失った。
三人見つめ合いながら無言の時間が過ぎていく。
はずだったが、どうやら私のお腹はそれを許さなかった。
ぐぅ~
盛大に私のお腹が鳴り、町を行き交う人がますます動きを止めて私に注目した。
「あっ……」
私は自分のお腹を押さえて言い訳をしようと思ったが、突然後方で馬鹿笑いをはじめた男性の声が聞こえた。
「駄目だ! もう耐えられない。ハハハ。アーッハッハッ! こんな時にも腹が鳴るって本当に緊張感がねぇなナツミは」
ノアだった。ザックの肩にしがみつきながらお腹を押さえて笑い転げる。
「も、もう! ノアこそ馬鹿笑いしなくっても」
あまりにも笑うので、私は恥ずかしくなって手を振る。
「えっ。ノアも一緒に来ていたの?! 何であんなに馬鹿笑い……ノアはもっと上品に笑っていたはずなのに。とにかく、あんた、ナツミだっけ? ノアがいるなら早く言いなさいよ! って事はもしかして……あっ! ザック」
馬鹿笑いする声に振り向いたのはエッバも同じだった。そして矢継ぎ早に私に文句を言うと、ノアの隣にいたザックを見つけて目を丸める。
「プッ。ナツミのお腹がいつかは鳴ると思っていたけど、このタイミングかよ」
ザックが優しく笑う。その顔を見てエッバは呆然とする。
それからザックがノアと一緒に歩いてくる。それから私の隣に立って優しく私の肩を抱く。見上げるとザックは瞳を細めて私を見つめるとゆっくりとエッバと視線を合わせた。
グリーンの瞳が眩しそうにエッバを見つめている。
エッバは幽霊でも見た様な視線で目を丸めていた。肩を抱いたザックを見たら赤い瞳が揺れた。
「祭りが終わっても、あんなに会いたいって思っていたのに。その顔を見て理解したわ……私が必死に追いかけたザックは遠くに行ってしまったのね。ザックは誰にも心を許さないって思っていたのに。誰かに心を奪われたザックを見るのは──そう残酷だわね」
エッバは諦めに見た溜め息を一つ。しかしすぐに瞳は強く光った。
「で? まさか四人して遅い朝食だけって事じゃないんでしょ?」
エッバは声を張って背筋を伸ばしザックに向かい合った。エッバなりに心を切り替えたのだろう。
「そうなんだカンが良いな。だがエッバのところのメシが美味いのはナツミにも知っていて欲しいし。美味い奴を四人分頼んでいいかな? 歩きながら喰いたいんだ、もちろんあいつに会いに行くから居場所を教えてくれよ」
ザックが白い歯を見せて優しくエッバさんに向かって笑った。
「あいつ……ね。分かったわ。店に入って座って待っていて。準備するからさ」
エッバは顎をしゃくって店に入る様に私達に促した。
あいつって誰だろう?
そう考えたがお腹が鳴るのを止めるのが先だ。私はザックに肩を抱かれながらお店に入った。
そんなナツミ達四人をずっと追いかけている男が一人がいた。少し離れた店で商品を見ているふりをしていた。ボロボロのコートを目深に被り誰だかわからないように顔を隠す。
エックハルトの屋敷を根城にしている例の奴隷集団の一人、コルトだった。
私は既に『ファルの宿屋通り』つまり『ジルの店』へ戻る道が分からなくなってしまった。
しかしそんな心配は何のその。相変わらず見るのが楽しい露店は続いていく。
「ああ、美味しそう。魚が焼けてる香りがする。え! パンに挟むの? 美味しそう~どんな味のソースかな。こっちはお肉! でも何のお肉かな豚かな、丸焼きっぽい」
道が分からなくなった不安はあるが、ザックが今日はいてくれる。だから、安心しきった私は、見た事のない食材などを目にして左右の露店を見ては感動の声を上げる。
そんな私をザックはガッチリと手を繋いだまま引きずる様にして歩いて行く。
「どの店も具材をパンとか小麦粉を水で練って焼いた物に巻いて食べるんだ。だけどボロボロと溢れやすくてなぁ」
ザックが人波を掻き分けながら、引きずる私に説明をしてくれる。
「そうなんだ。私だったら欲張って沢山の具を挟みたくなるよ」
挟んだり包んだりする具材をみんな好きな様に選び組み合わせて食べるそうだ。店ならではの味付けがあるとか。そういえば別荘でアルマさんお手製の昼食も挟むタイプだったなぁ。
「ナツミは沢山挟みすぎて道端に溢しそうだな」
その姿を想像したのかノアが口を押さえて笑った。どんな私の姿を想像したのか理解出来た。
「ノアの想像は私にも分かるよ。多分、一番食べたかったお肉かお魚を落としそうだよね。あっ、野菜も美味しそう」
私が素直に認めると、ノアが肩を上げて笑った。
「もうノアったらナツミに失礼よ。あっ、あのオレンジ色や黄色の色をした野菜は毎日食べると肌がすべすべになるのよ。ピーウイーツって言うの。毎日食べたいけれども高いのよね。『ジルの店』でもたまにしか出てこないわね。確かダンさんも金額が高いからなかなか調達出来ないって言っていたわ」
マリンが私の代わりに怒ってくれた。そして私がキョロキョロする内容を一つ一つ解説してくれる。
「ピーウイーツっていうのか。何か色々混ざっている様な名前。そうか高いんだね。確かに『ジルの店』では見た事ないかも」
ピーマンとキウイフルーツが一つになった見た目だけれど名前もそうだった。とにかく楽しくて仕方ない。
周りから黒髪でザックに手を引かれているだけでコソコソと話をされているのは分かるけれど、もう気にならなくなってきた。
だって、この町は見る物全てが珍しくてとても楽しいから。すっかり安心しきった私のお腹が再び鳴った。
「ねぇ、ザック。私のお腹は限界だよ。そのうちびっくりするぐらい大きな音を立ててお腹が鳴りそう。そうじゃなきゃ口の中がよだれで溢れそう」
私がザックの手をぶんぶんと上下に振り訴える。こんなに美味しそうなのに、これでは「待て」が続いていて辛い。
「よだれが溢れるって、凄い表現するなぁ。もう少しだけ我慢してくれよ。ノアどの店にする?」
ザックが振り返りながら困った様に笑った。繋いだ手、絡めた指に力を込める。その仕草ですら嬉しくてときめく。
「その角を曲がって少ししたところの店で。あ……ザックいいのか? あいつに会うために渡りはつけたいが。その店は確か──」
ノアも振り返って私がとても困っている顔をしていたのが哀れだったのか、ザックの肩を叩いた。だがすぐに何かを思い出しザックの耳の側でコソコソ話をはじめる。
ザックはノアの言葉に「ああ」と短く返事をして軽く笑った。
「問題ないさ。ナツミの話は祭りの時にしてあるし。大丈夫だろ」
「本当か? だって今日はナツミをお前が連れているんだぞ。しかもエッバは気性が荒いし店番でもしていたら絶対絡んでくるんじゃないか?」
ノアが出来るだけザックに近づいて耳元で話そうとする。しかし、この狭い路地と人混みの中なので、そこそこ大きな声で話さないと聞こえない。そのため、後ろから引っ張られる私とマリンに話が筒抜けだった。
思わず私とマリンは顔を見合わせてしまう。
エッバというのはザックと関係のあった女性の話なのだろう。祭りの時に話をしたと言っているが、打ち上げ花火があった日の事だろう。確かノアの水泳教室をした別荘から町に来た時、ザックは女性に囲まれていたし。
「そうだな。エッバは気性は荒いけど理解出来ない奴じゃない」
ザックは私の手を引っ張りながらあっけらかんとしている。その様子にノアが不満を漏らす。
「だけど、感情の話であって理解するしないの話なのか?」
チラチラと私を見ながらノアが呟いていた。ノアは何かと心配性だ。
「理解していても感情がついていかないかもしれない。だけど、隠れてどうなる。避けて通れないだろ。俺が選んだのはナツミだ」
ザックの言葉がはっきりと聞こえた。
ザックはとてもはっきりしている。揺るがない気持ち。堂々と言い切ってもらうとそれだけで胸がすく。
「そうだな……ザックがそう言うなら」
ノアが小さく溜め息をついた。そんなノアを見ながらザックが肩をバシバシ叩いた。
「心配しすぎだぜノアは。お前って頭の中で色々と考えすぎなんだよ。小心者だからなぁノアは。もっといい方へ考えようぜ」
「イテテ。叩くなっ馬鹿力が。小心者じゃない! 俺はなぁ、ザックとナツミが恋愛沙汰で刺されないか心配しているだけだ」
ノアがザックの手を振り払う。
「えっ。ナツミが刺されるのかっ?」
「えっ。ザックが刺されるの?」
ザックと私が反応するものだからノアとマリンが目を丸めて二人見合っていた。
「当事者がこんな調子じゃな。心配して損したぜ」
「本当よね~ふふふ」
そして優しく笑った。
角を曲がると同じ露店が続く中一際目を引く可愛いお店を見つけた。
「水色の看板! 可愛い~しかも洒落てる」
店は持ち帰り用の窓があり、そこでやり取りをして品物を受け取る事が出来る。窓の横には扉があった。店も併設なのだろう。開きっぱなしのドアから奥を覗く。
間口は狭く奥に長かった。木で作られたカウンターが奥まで伸びていて、立ち飲みスタイルの店になっている。五、六人ぐらいが並んで飲み食い出来そうだ。店の奥には男性客と女性が見えた。お昼からお酒を飲んでいる。
持ち帰りの窓口にはパンやクレープ風の生地に挟める具材が沢山並んでいた。
その窓ので男性客と女性店員が揉めている。どうもテイクアウトする商品の計算が合わないと言っている様だ。
「あの男性って確か……いつかニコが計算間違いをした時の軍人さんだ! こんなところで会うなんて」
まさかのデジャブに私は驚いて声を上げた。
「ナツミはよく客の事を覚えているなぁ。あいつは俺と同じ隊で働いている奴だ」
私が驚いてあげた声にザックが驚いていた。
「そうなんだ。名前までは知らないんだけどね。気が短いけれどもとてもいい人だよね」
計算間違いを酔っ払っているくせに根気強く訂正してくれる軍人さんだった。以前酔っ払って会計が違うとニコを怒鳴っていたあの軍人さんだ。私は心の中で『計算マン』とあだ名をつけて呼んでいた。
あれからニコも九九をマスターして計算がスラスラと出来る様になった。足し算引き算も覚えて今では早く計算出来る。そんなニコだけれども、この計算マンは間違えそうな部分の計算も上手くニコに説明してくれた。ニコがおどおどするとつい怒鳴り散らしてしまうだけのようで、騙して安くお金を払おうといった事はしないとても優しい軍人なのだ。
「へぇ……よく分かっているじゃないか。あいつ会計処理係なんだよ。細かい奴で気が短いんだけどな。文句を言わなければ良い奴なんだけどなぁ。すぐに小言を言うからモテないんだよな」
ザックが顎の下をさすりながら二人のやり取りを見つめていた。
「何を揉めているのかな?」
私はザックと繋いでいた手を離して計算マンと女性店員の側に近づいた。
「あっ、ナツミ! って、素早いなぁもう二人のところに」
ザックが離された手をナツミに伸ばすが特に追いかける様子もない。近くにいるから問題ないと思っているのだろう。その姿を横目で見ながらノアが小さく呟いた。
「あーあ。ザックが手を離すから。揉めてる女はエッバだろ?」
「そうだな」
「そうだな。じゃないだろ、本当にザックはもっとちゃんと手を繋いでおけよ。そうじゃなくてもナツミは気がついたらあっちへフラフラ、こっちへフラフラで消えそうなのに」
「いいじゃないか。目の前にいるだろうが。そういうノアもマリンの手を離しているじゃないか。マリンも今ナツミの隣に陣取っているぞ」
「え? はっ! あれ?!」
気がつくとマリンが手を離していて、三メートル程先の揉めている軍人とエッバの近くに。ちゃっかりナツミの側にちょこんと立っていた。
「ノアこそちゃんと手を繋いでおけよ。マリンの特技は迷子だろ?」
「~っっ! あの二人は次から次へと……」
ノアが首の後ろに手を当ててガックリとうな垂れた。
「だから何度も違うと言っているだろ。だから合計は3,450ボルじゃなくて3,350ボルだろ?」
軍人さんの計算マンが紙袋を握りしめてメモに書いてある注文内容を確認しながら大声で怒鳴る。
うっ。ニコが初めて計算をして間違えた時の金額と全く同じだ。ますますデジャブ。
「そんなはずは。おっかしいわねぇ。計算し直すから待ってもらえる?」
一段高い窓からひょっこり顔を出してカウンターに置かれているメモを覗き込みながら首を傾げるのは女性店員だった。
教育を受けられない『ファルの町』女性達でも裏町で働く場合は計算もしなくてはいけないらしい。しかし、なかなか習得出来ずにつらい思いをする……ってトニが教えてくれたっけ。
女性店員の年齢は私とマリンと近かった。艶々した赤髪を高い位置で一つ縛っている。白い布でリボンを作りカールした髪の毛を揺らしていた。
浅黒い肌に赤いリップ。睫毛は綺麗にカールしていて赤色のアイラインが二重を強調していた。切れ長気味の大人びた顔。色っぽいけれど可愛いと言った印象だった。黒のチューブトップの前に腕を組んで唸っていた。
「何度計算しても同じだろ、もう三回目だぞ」
「そ、そうだけど」
そんなやり取りをしていた二人に近づいて私は紙を覗き込む。計算マンが言っていた通り、合計金額は3,350だった。
「本当だ。3,350ですね」
いつかと同じ様に私が呟くと、急に隣に現れた私に計算マンと女性店員が驚いて小さく飛び上がった。
「誰だ、驚くだろうがっ。急に近づくなよ、って。何だ男だったり女だったりするナツミか」
計算マンが小さく飛び上がって横に仰け反るが、私の顔を見るなり鼻で笑った。
「ナツミって、もしかしてザックの?!」
計算マンの一言に女性店員もカウンターに身を乗り出して来た。
黒いチューブトップから溢れそうな胸をカウンターに押しつけ顔を窓から出して私を見つめる。まさかこんなところで出会えるとは! といった様子だった。
そうだよね『ジルの店』に行かない限り会えないものね。
「男だったり女だったりって酷い言い方をするわね。せめてウエイターがウエイトレスになったって言って欲しいわよね? ナツミ」
全く養護になっていない援護射撃をしてくれるのはマリンだった。
そう言いながらマリンは頬をふくらませて私の腕に自分の腕を絡める。言っている事があれだけれど可愛いから許したくなる。
マリンの言葉に計算マンが紙袋を抱え直しながら溜め息をついた。
「悪かったな。だけど、そう言うけどな最初店で会った時は男だっただろ? だからザックがナツミの虜だって聞いた時は混乱したぞ。ザックはそっちもイケるのかと思って。なのに蓋を開けてみると実は女ってさ……驚くだろう? 今でも思うんだ「実は少年なのかな」とか。だってよ、確認しようもないしさ」
最初店で会った時から女でしたけれど──とはもはや言いにくい。
純粋に私を男性だと思っていたそうだ。そういえば酔っ払いながらも「ちっこいボウズ」と読んでくれたのは彼だった。
「確かに……男なのか女なのか服を脱がない限りでしか判断出来ないしね。悩んじゃうよね」
腕を絡めたマリンの顔を改めて見つめる。
「そんなの脱がなくても分かるでしょ! ナツミも納得しないでよ」
マリンが苦笑いになる。
「あはは。まぁいいじゃない別に気にしてないし。それにさ、今日の姿はちゃんと女性に見えるでしょ?」
私が計算マンの前で軽くお辞儀をしてみる。
「ああ。見える見える。最初からその姿でいたら良かったのにさ。紛らわしい」
軽く笑ってポケットに片手をつっこんでいた。
「あのー何だかよく分からないけど、3,350ボル確かに貰ったわよ。悪かったわね計算を間違えてさ」
女性の店員が口を尖らせながらお釣りを計算マンに渡す。
そこで落ち着いたはずの計算マンに再び火がついた。
「そうさ気をつけろよ。今日は休日だってのについてねえ。遅めの食事だったてのに。もっときちんと計算出来る様になれよ」
再び喧嘩腰になりお釣りをポケットにねじ込んだ。その嫌味を聞いた途端、女性店員の顔色も変わった。あっという間に怒りモードだ。
「だから、もう一度計算するって言っているのに。あんたがそうやって急がせるから間違えるんでしょー腹が立つ! そこで待ってなさいよ!」
とうとう女性店員は窓から身を乗り出すのを止めた。怒り顔で顔が真っ赤になっていた。
身をひらりと翻して開けっぱなしのドアから高い位置で結ったポニーテールを揺らして飛び出して来た。黒のチューブトップと合わせたボトムスは、フレアたっぷりの膝上スカート。真っ青な色に黄色いひまわりが描かれた布地が印象的だった。足元は足先と踵だけが見える黒革のサンダルだ。
高いヒールを地面に穴を開けるが如く歩く。私とマリンの目の前を通り過ぎて計算マンの前で人指し指を立て彼の胸の辺りを押す。
「大体ねぇ! 毎回毎回あんたはうるさいのよ。計算する時間ぐらい静かにしなさいよね! こっちは慣れない事しているんだからさ、女だてらに計算とか」
「商売人のくせに何て言い草だ。こっちは腹が減ってるんだぞ。早く持って帰って喰いたいだろ! だから代わりに計算してやっているのに」
「だって、お客が計算したんじゃ多めに取られたりするかもしれないでしょ。損するのはうちなのよ!」
「何だとぉ!」
そう言って二人はおでこを付き合わせ睨み合う。
大声で怒鳴り合う割りには周りの店の人も行き交う地元の人も全く振り向く様子はない。どうやらこれは日常のやり取りの様だ。
視線の先、火花を散らす二人を見つめながらマリンが手を叩いて声を上げる。
「でも軍人さんの金額は少なめだからお店が損する事はないわよね?」
そうなのだ。計算マンはニコの時と同じで親切で言っているだけなのだ。だが、こうやって短気を起こして怒り気味に口が悪く来るので引いてしまうもしくは怒りで応戦してしまうのだ。
「え。そういえばそうよね。って、事は?」
マリンの言葉に女性店員は振り返った。そしてマリンと私を見比べる。
「うん。そうだよ。合っているから大丈夫だよ。計算マ──じゃなかった、軍人さんはいつも怒り気味に言うから驚いちゃうけどね。実は凄く親切なんだよね」
私はポカンとしている女性店員の顔を見て頷いた。私の言葉に驚いて目の前でブスくれている計算マンの顔を見つめて再び顔を赤くした。
フンと改めて腕を組むと頬をふくらませて横を向いた。
「そ、それならいいのよ! わ、悪かったわね。全く……紛らわしいのよ。親切ならもっと優しく言ってくれてもいいじゃないのよ。いつも怒鳴るんだからあんたは」
やはりいつも怒鳴り散らしている様だ。行き交う人が何の興味も示さないのはそういう事か。みんなよく分かっているなぁ。
計算マンは本当に優しい。理不尽な理由で怒り気味な軍人とは違う。誤解されやすいと思う。計算マンは素直に謝ってもらえた事と優しいと言われたので、照れた様に頬を染めた。紙袋を持ち直しながら頭を掻いた。
「チッ。別に親切って程でもないさ。ところでナツミもマリンも裏町まで来て遅めの朝飯か? 店を抜け出したりして大丈夫か?」
そうだ! 朝食だ。
それまで、計算マンと女性店員のやり取りを見つめていたので忘れていた。意識をはじめたら再び辺りの美味しそうな香りに気を取られる。私はよだれが溢れ慌てて飲み込みながらお腹を触る。
「そうだった。お腹ペコペコだった」
私が呟くと女性店員が改めて私とマリンをジロジロと見つめる。
「あんた達『ジルの店』から勝手に出たりして怒られるんじゃないの? しかも有名どころが二人してどうなってるの? 黒髪のナツミって確か凄く怖いって聞いていたのに。可愛い子供って感じじゃん。それにマリンの髪が短いとか。何が起こってるの??」
今一状況が把握出来ないのか女性店員はブツブツと呟いている。
そうだよね。私の事はさておき髪の毛が短い女性がいない『ファルの町』の常識では、マリンのショートカットは衝撃的だよね。
すると考え込んでいる女性店員を指差しながら計算マンがニヤリと笑った。
「ナツミ。こいつはエッバって言うザックと関係のあった女だぜ」
「え」
私は驚いてエッバさんに振り向いた。
この女性店員が先ほどノアとザックが話していたエッバさんとは。
「なっ、何をあんたは言い出すのよっ!」
エッバさんは慌てて声を張る。ザックという言葉が出て来たので周りのずっと興味がなさそうにしていた人が振り返る。
「さっきの怒鳴り声を聞いただろ。エッバは好いた男の前では静かだが、気に入らない相手にはすぐ噛みついてくるからな。こんなところウロウロしていたら、まずはエッバにやられるぜ。なんせ気性が激しくてなぁ……ザックぐらいだろ、こんな面倒くさい女を相手にしていたの。じゃぁな」
計算マンは皆に注目されながら、言いたい事を言って手を振って去って行った。
「ちょっとぉ。ザックぐらいってどういう意味よ! ザックはあんたと違って口うるさくない……って、待ちなさいよ!」
計算マンの後を追おうとした時、私は声を上げた。
「思い出した! そういえばエッバさんは、あの花火がある祭りの日に町にたどり着くなりザックを囲んだ女性の中にいたよね?」
「うっ、いたけど! もう、エッバさんとか「さん」付けなんてしなくていいし、大きな声を出さないでよっ」
「ごめん。思い出せたから嬉しくて」
「何で嬉しいのよ。そもそもこの時間に店番をする羽目になったのは、あんたが原因だってのにっ。こっちはねぇ散々だったのよ。あんなに盛大に皆で一度に振られるなんて。最悪よっ」
エッバは大きな声で喚きながら、両手で頭を抱えてぶんぶんと左右に振った。
「振られた……」
ザックとはぐれた後、彼が女性達にどんな風に伝えたのかは不明だ。だけれども、盛大にみんなで振られたと言うので、ザックがしっかり断った事が伺える。
そういえばあの時ザックはこう言っていた。
『確かに女に囲まれていたけど、全て断ったさ、気がついたらナツミが消えているし……焦るだろ』
あの言葉は本当だったんだ。
「そうよ、振られたのよ。って、ニヤニヤして変な子ね。で、あんたはマリンよねぇ? その頭大丈夫なの?」
エッバの頭大丈夫?って聞き方も凄い。
どうやらマリンとも初見らしい。しかし、エッバはマリンをジロリと睨む。
「うん。頭を切った方が良かったわ。この方が手入れがしやすくて」
マリンも何処吹く風でニコニコする。
頭を切った……っていうのも正しくない様な……マリン。
そんな陽気に笑うマリンと私にエッバは続ける言葉を失った。
三人見つめ合いながら無言の時間が過ぎていく。
はずだったが、どうやら私のお腹はそれを許さなかった。
ぐぅ~
盛大に私のお腹が鳴り、町を行き交う人がますます動きを止めて私に注目した。
「あっ……」
私は自分のお腹を押さえて言い訳をしようと思ったが、突然後方で馬鹿笑いをはじめた男性の声が聞こえた。
「駄目だ! もう耐えられない。ハハハ。アーッハッハッ! こんな時にも腹が鳴るって本当に緊張感がねぇなナツミは」
ノアだった。ザックの肩にしがみつきながらお腹を押さえて笑い転げる。
「も、もう! ノアこそ馬鹿笑いしなくっても」
あまりにも笑うので、私は恥ずかしくなって手を振る。
「えっ。ノアも一緒に来ていたの?! 何であんなに馬鹿笑い……ノアはもっと上品に笑っていたはずなのに。とにかく、あんた、ナツミだっけ? ノアがいるなら早く言いなさいよ! って事はもしかして……あっ! ザック」
馬鹿笑いする声に振り向いたのはエッバも同じだった。そして矢継ぎ早に私に文句を言うと、ノアの隣にいたザックを見つけて目を丸める。
「プッ。ナツミのお腹がいつかは鳴ると思っていたけど、このタイミングかよ」
ザックが優しく笑う。その顔を見てエッバは呆然とする。
それからザックがノアと一緒に歩いてくる。それから私の隣に立って優しく私の肩を抱く。見上げるとザックは瞳を細めて私を見つめるとゆっくりとエッバと視線を合わせた。
グリーンの瞳が眩しそうにエッバを見つめている。
エッバは幽霊でも見た様な視線で目を丸めていた。肩を抱いたザックを見たら赤い瞳が揺れた。
「祭りが終わっても、あんなに会いたいって思っていたのに。その顔を見て理解したわ……私が必死に追いかけたザックは遠くに行ってしまったのね。ザックは誰にも心を許さないって思っていたのに。誰かに心を奪われたザックを見るのは──そう残酷だわね」
エッバは諦めに見た溜め息を一つ。しかしすぐに瞳は強く光った。
「で? まさか四人して遅い朝食だけって事じゃないんでしょ?」
エッバは声を張って背筋を伸ばしザックに向かい合った。エッバなりに心を切り替えたのだろう。
「そうなんだカンが良いな。だがエッバのところのメシが美味いのはナツミにも知っていて欲しいし。美味い奴を四人分頼んでいいかな? 歩きながら喰いたいんだ、もちろんあいつに会いに行くから居場所を教えてくれよ」
ザックが白い歯を見せて優しくエッバさんに向かって笑った。
「あいつ……ね。分かったわ。店に入って座って待っていて。準備するからさ」
エッバは顎をしゃくって店に入る様に私達に促した。
あいつって誰だろう?
そう考えたがお腹が鳴るのを止めるのが先だ。私はザックに肩を抱かれながらお店に入った。
そんなナツミ達四人をずっと追いかけている男が一人がいた。少し離れた店で商品を見ているふりをしていた。ボロボロのコートを目深に被り誰だかわからないように顔を隠す。
エックハルトの屋敷を根城にしている例の奴隷集団の一人、コルトだった。
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