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117 裏町へ その5
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「フーン。そうなんだ。ザームのモテ様なんて全く興味がないからどうでもいいけどな」
隣でノアが涼しそうな顔をして左耳の中をポリポリかいていた。そして耳の中に入れていた人指し指をフッと軽く拭いて、耳垢をザームの方に吹いた。
この行動には建物の窓という窓から覗いていた女性達も悲鳴の様な声を上げた。だってノアにしてはかなり下品だ。
ノアその行動は大丈夫なの? 今までずっと領主の三男で王子様を気取りながら少々不良じみた行動を取る男性を演じてきていたはずなのに。
「む。相変わらずノアは領主の三男と言うのに態度がなっていないな。軍学校を卒業してからはそんな態度ではなかっただろう? 裏町の女達から嫌われるぞ」
ザームはノアを睨みつける。流石に吹きかけられた事には苛ついた様子だ。そうか軍学校を卒業してからなのだね。王子様を演じはじめたのは。
その時私は、ふと笑ったノアの顔が見えた。
もしかしてわざとザームさんを怒らせる、機嫌悪くなる様に仕向けている?
そう思った時だった。ノアがザックの肩をポンと叩き低い声で、それでも周りにはっきり聞こえる様に話し始めた。
「うるさい。ザック、くだらない時間をかける事ない。さっさと話をつけようぜ」
そう唸る様にノアが呟くとサッとザームの後ろに回る。
「そうだなノアの言う通りだ」
前面はザック、背面はノアに挟まれザームは前後を何度も振り返りながら慌てる。
「む。何なんのだ二人共。俺に会いに来て俺の近況を聞いてみるとか、二人の近況を報告するとかないのか」
ザックとノアに挟まれても何故か嬉しそうなザームだ。目の前のザックの顔を見て背筋を真っすぐ伸ばして口を閉じる。顎を少し上げて同じ程の身長なのに見下げる様にした。
ザックが口の右端を上げ犬歯を見せると意地悪く笑った。眉は元々つり上がっているが更に左眉だけこれでもかとつり上げ、垂れ気味の瞳を大きく開いた。とても悪い顔だった。
「それなら報告するぜ。数日後に『ジルの店』が移動式の店を出す。昼飯にありつけない軍人や仕事をしている男達を中心に持ち帰り可能な『オベントウ』を販売する」
しん……と静まった広場の中央でザックの声が辺りに反響した。その話は建物の窓から覗く子供や女性達、更に銭湯から出て来た人が足を止めザックの話に耳を傾ける。
「む。『オベントウ』というものを販売か」
オベントウが何なのか分かっていないと思うがザームは瞳を細めてザックの言葉に耳を傾けた。
ザックは話を続ける。しかも両手を大きく広げて、空を仰ぎ目の前のザーム以外にも聞かせる様にはっきりと話す。
「主に海辺や港の辺りを中心に移動しながら販売展開する。だが場合によっては裏町まで食い込んで販売するかもしれない。今日はその事を伝えに来た」
裏町まで食い込むと言った時、周りの人々が「おおー」と声を上げた。何だかんだでザックの存在は大きい。
「へぇ。そんな事するんだ」
エッバもザックの言葉を聞いて、私の隣でコソコソと耳打ちをした。
「うん。エッバも来てね」
「えっ、私も店に行っていいの? だって軍人相手って言ったじゃない」
「女性だって大歓迎だよ。ねっ、マリン?」
「うん。もちろんよ」
「そ、そこまで言うなら、行ってやっても良いわよ。何を売るのか気になるし」
私達女性三人はコソコソ顔を近づけて会話をする。
油断するとこの広場は声が響いてしまいそうだからだ。
エッバは素直じゃないのか笑いたい顔をしかめるので少々怖い顔になる。おかげで、周りの女性達から「あそこ何か揉めてるわよ」と言われる始末だ。全然違うのに。
そんな時ザックが私をチラリと見たのが分かった。ザックは軽くウインクをした。
辺りのざわめきの声を聞いて、俺はナツミを見つめると何やら怒った様なエッバと顔をつきあわせて困っている様に見えた。
そうだ、それでいい。俺は軽くウインクをナツミに送ったがナツミが首を傾げていた。
まぁ分からなくていいさ。
そう思った時、ザームは興奮して声を上げる。そして俺の肩のシャツを握り絞める。
「ほぅ。それは移動しながら販売するのか。そして、それは美味いのか?」
ザームは相変わらず黒く日焼けした顔を歪ませ不気味な笑みを浮かべている。顔が怖いのとツルリとした頭部が余計に誤解を与えていると思う。
ザームって興奮すると必ず食いついて体の何処かを触ろうとするよな。俺は内心苦笑いをしてしまった。
「当たり前だろ『ジルの店』のシェフ、ダンが作るんだぞ。当然さ」
「ほ、ほう……それは」
『是非俺も食してみたいものだ』
ザームはそう言葉を続けたが、俺はわざと声を張り上げて怒りを演じてみせた。
「何だと! やっぱりそうか。この辺り一帯を仕切るザーム。お前は俺達の移動式の店を許さないんだな!」
掴まれたシャツの腕を派手に振り払って弾く。
少し台詞が長すぎたか? まぁいい。
辺りのワクワクした雰囲気が俺の大声と共に変わる。俺がザームの手を振り払った事であっという間に争いが起こると肌で感じとったのだろう。
「え?」
ザームは手を払われたままポカンとする。
クソッ。
反応が鈍いヤツだなザームは。ここはすぐに俺の胸元辺りを絞り上げて『む。どうなっているのだ』と尋ねるべきだろうが。
すっかり昔の喧嘩に明けくれた若い時のやんちゃ振りは何処へやら。
ああ、しかしザームはこんなヤツだったかも。元々鈍くさくて俺達の後ろを付いてくるところはあったなぁ。
ザームは驚いて三白眼がこれでもかと大きく見開く。
おいおい、驚いた顔が怖いってどうなっているのだ。
ザームの顔は怖いから驚いていてもそれなりだ。しかし、何でオイルでマッサージをしているんだよ。暑くなってくる外でのオイルマッサージとか……意味が分からない。俺が食ってかかろうにも、滑ってザームの体を掴む事が出来ない。体の何処を掴んでひれ伏させるか悩んでいるとノアが良い動きをしてくれた。
「ザック。俺の言った通りだぁー。こういうヤツは力尽くで黙らせるしかないんだぁー」
かなり台詞が棒読みのノアだが、ザームの腕を後ろに捻り上げ後頭部を掴むと一度ツルリと滑りながらもザームをひれ伏させた。
「お、おい。な、何を。イタタタタ!」
ザームはゴチンと頭を石畳にぶつけ、顔をしかめて後ろのノアを睨みつける。
全身に塗られたオイルのせいでノアは力の加減が出来ないのか、ザームの捻り上げた腕はかなり決まっている。これは痛いだろう。
「ヌルヌルして気持ち悪いなぁー。いいかぁー、よーく聞け。俺達のやる事に口出しするなよぉー」
ノアよ。
後半に行けば行く程棒読み感が強くなるのは何故だ。周りに聞かせようとしている分、どうも語尾がおかしくなるのか。
ノアって演技が下手くそだな。役者向きの顔なのに役者に向いてねぇって笑える。
だが、周りの野次馬はそんな棒読み台詞も特に気にしていない。ノアが華麗にザームを捻り上げた姿を見て女達が黄色い声を上げていた。
昔から連んでいた裏町の三人が喧嘩をはじめた様に見えたのか皆が「おおお!」と湧いていた。俺達の喧嘩なんて裏町ではちょっとした催しだ。煽って観戦したがるもんだ。
「痛い痛い! な、何だよ。俺は──」
逃れようと体を捻った事で更に肩を捻ったザームが悲鳴を上げ言葉を続ける。
『口出しはしない』
ザームがそう言葉を続けているのは分かった。だが俺は意地悪く台詞を被せた。ザームの口元に耳を傾ける振りをして大声を上げる。
「な~にぃ~?! 売り上げの一部をよこせだと。これだからぎゃんぐはこうやって商売敵を潰す気だな。何て横暴なんだ」
俺の言葉に野次馬が再びどよめく。
ナツミの言っていた言葉を使ってみる。「ぎゃんぐ」なんて聞き慣れないから野次馬は何を言っているのか分からないだろう。
ザームが俺とノアに反発したと誤解を与える為に奴隷商人に見せるだけだ。
裏町の人間が俺とノアが関わる移動式の商売方法を怒る事はない。そう思っている裏町の住人達からすると、俺の横暴という言葉には意味なく賛同してくれるだろう。
俺は周りの様子を見つめながら、ザームの耳元で呟く。
「ザーム頼む。俺に合わせてくれ」
「!」
ザームがヒュッと息を飲んだのが聞こえた。それからのザームの反応は早い。流石、昔ずっと連んでいただけはある。
「痛ぇ! う、腕がもげるっ! わ、分かった。ザックとノアの言う通りにする!」
演技はノアよりザームが上だった。と言うか本当に痛いのかもしれないな。思わず吹き出しそうになるがこらえる。
「ふん。それならそうと最初から素直にしたがっていれば良いのにぃー。ザック、これで商売をはじめられるなぁー。この辺り一帯を治めているザームが良いと言ったぞぉー」
語尾伸びが相変わらず間抜けなノアだが少年の様に笑って、ザームの腕を放し石畳に転がる。下手くそだけれどこのノリを楽しんでいる。少年の様な笑い方だが、悪戯が成功したのを自慢している様に見えるのは演技ではないはずだ。
ザームが石畳を転がり艶々のオイルを塗った肌に砂埃をつけた。肩を押さえながら怨めしそうに俺を見上げる。少し鼻息が荒く頬が赤くなっている。
ヤベェ。こいつこういう痛めつけられる事に興奮するヤツだった。
「そ、そうだな。おい皆、聞いたかー? 俺達『ジルの店』は移動式の店をはじめるぞ!」
俺が広場の中央で拳を上げると「おおーっ」とそこかしこから声が上がる。
「ううっ。このノアの容赦ない感じ久しぶりだな。ふふ。ククク、イイ! 何とも言えないがイイ! だが……イテテ!!」
ザームが気持ち悪い笑みを浮かべている。しかし捻られて痛そうに肩を押さえて改めて唸った。
歯を食いしばる黒光りした頭に脂汗をかく強面の男。周りが俺に賛同し盛り上がるのを見ると、知識のない人間は遠目で見ると俺とノアに対して妬ましく怒りに燃えている様に見える事だろう。過去に俺もこいつの強面顔に騙されたのだし。
俺とノアが周辺の観衆に手を振って大きな歓声を起こす。その様子をコルトが確認して、スッと建物の細い通路に消えたのが見えた。
まぁこんな感じで演じたのは上出来だろう。奴隷商人のコルトには俺達『ジルの店』が新しい商売をはじめるに当たり、裏町の人間が十分揉めていると思うはず。奴隷商人はこの隙を利用してくるはずだ。ザーム側に取り入ってこようとするはずだ。彼奴らの狙いは俺なのだから。
俺達を相手にするのは、お前達では無理な事を教えてやる。ナツミやマリン、そして裏町──『ファルの町』に手を出す事は許さない。
俺とノアはお互いを見つめて頷いた。
「凄く皆が盛り上がった様だけど。ザームは大丈夫かしら?」
マリンは呆然としながら建物の窓から身を乗り出し歓声を上げる人々を見上げていた。
「ほんとだね……でも何か考えがあっての事みたい」
痛めつけたはずのザームを、ザックとノアが抱き起こし、元のデッキチェアーに座らせているし。
なのに、エッバがとんでもない事を言う。
「違うんじゃないの~? ザームのキモいクセが出ただけじゃないかしら。ナツミとマリンは当然知らないと思うけどあいつは痛めつけられると喜ぶのよね。はぁ……」
そして深い溜め息をついた。
「「え?!」」
私とマリンはハモってエッバに振り向く。その様子にエッバはカラカラと笑った。
「その反応面白いわねぇ『ジルの店』の踊り子でも、痛めつけられて喜ぶキモいヤツなんて知らないわよね? 本当にキモいでしょ~あれさえなければさぁ、ザームもモテると思うんだけどね」
バチンとエッバがウインクをしてくれた。
そこに、ザック達が呼ぶ声が聞こえる。
「おーい、エッバとナツミ、マリンも来てくれ! 説明したい事があるんだ」
私とマリンは開いた口が塞がらないまま、手を振るザックの側へ急いだ。
隣でノアが涼しそうな顔をして左耳の中をポリポリかいていた。そして耳の中に入れていた人指し指をフッと軽く拭いて、耳垢をザームの方に吹いた。
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「む。相変わらずノアは領主の三男と言うのに態度がなっていないな。軍学校を卒業してからはそんな態度ではなかっただろう? 裏町の女達から嫌われるぞ」
ザームはノアを睨みつける。流石に吹きかけられた事には苛ついた様子だ。そうか軍学校を卒業してからなのだね。王子様を演じはじめたのは。
その時私は、ふと笑ったノアの顔が見えた。
もしかしてわざとザームさんを怒らせる、機嫌悪くなる様に仕向けている?
そう思った時だった。ノアがザックの肩をポンと叩き低い声で、それでも周りにはっきり聞こえる様に話し始めた。
「うるさい。ザック、くだらない時間をかける事ない。さっさと話をつけようぜ」
そう唸る様にノアが呟くとサッとザームの後ろに回る。
「そうだなノアの言う通りだ」
前面はザック、背面はノアに挟まれザームは前後を何度も振り返りながら慌てる。
「む。何なんのだ二人共。俺に会いに来て俺の近況を聞いてみるとか、二人の近況を報告するとかないのか」
ザックとノアに挟まれても何故か嬉しそうなザームだ。目の前のザックの顔を見て背筋を真っすぐ伸ばして口を閉じる。顎を少し上げて同じ程の身長なのに見下げる様にした。
ザックが口の右端を上げ犬歯を見せると意地悪く笑った。眉は元々つり上がっているが更に左眉だけこれでもかとつり上げ、垂れ気味の瞳を大きく開いた。とても悪い顔だった。
「それなら報告するぜ。数日後に『ジルの店』が移動式の店を出す。昼飯にありつけない軍人や仕事をしている男達を中心に持ち帰り可能な『オベントウ』を販売する」
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「む。『オベントウ』というものを販売か」
オベントウが何なのか分かっていないと思うがザームは瞳を細めてザックの言葉に耳を傾けた。
ザックは話を続ける。しかも両手を大きく広げて、空を仰ぎ目の前のザーム以外にも聞かせる様にはっきりと話す。
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裏町まで食い込むと言った時、周りの人々が「おおー」と声を上げた。何だかんだでザックの存在は大きい。
「へぇ。そんな事するんだ」
エッバもザックの言葉を聞いて、私の隣でコソコソと耳打ちをした。
「うん。エッバも来てね」
「えっ、私も店に行っていいの? だって軍人相手って言ったじゃない」
「女性だって大歓迎だよ。ねっ、マリン?」
「うん。もちろんよ」
「そ、そこまで言うなら、行ってやっても良いわよ。何を売るのか気になるし」
私達女性三人はコソコソ顔を近づけて会話をする。
油断するとこの広場は声が響いてしまいそうだからだ。
エッバは素直じゃないのか笑いたい顔をしかめるので少々怖い顔になる。おかげで、周りの女性達から「あそこ何か揉めてるわよ」と言われる始末だ。全然違うのに。
そんな時ザックが私をチラリと見たのが分かった。ザックは軽くウインクをした。
辺りのざわめきの声を聞いて、俺はナツミを見つめると何やら怒った様なエッバと顔をつきあわせて困っている様に見えた。
そうだ、それでいい。俺は軽くウインクをナツミに送ったがナツミが首を傾げていた。
まぁ分からなくていいさ。
そう思った時、ザームは興奮して声を上げる。そして俺の肩のシャツを握り絞める。
「ほぅ。それは移動しながら販売するのか。そして、それは美味いのか?」
ザームは相変わらず黒く日焼けした顔を歪ませ不気味な笑みを浮かべている。顔が怖いのとツルリとした頭部が余計に誤解を与えていると思う。
ザームって興奮すると必ず食いついて体の何処かを触ろうとするよな。俺は内心苦笑いをしてしまった。
「当たり前だろ『ジルの店』のシェフ、ダンが作るんだぞ。当然さ」
「ほ、ほう……それは」
『是非俺も食してみたいものだ』
ザームはそう言葉を続けたが、俺はわざと声を張り上げて怒りを演じてみせた。
「何だと! やっぱりそうか。この辺り一帯を仕切るザーム。お前は俺達の移動式の店を許さないんだな!」
掴まれたシャツの腕を派手に振り払って弾く。
少し台詞が長すぎたか? まぁいい。
辺りのワクワクした雰囲気が俺の大声と共に変わる。俺がザームの手を振り払った事であっという間に争いが起こると肌で感じとったのだろう。
「え?」
ザームは手を払われたままポカンとする。
クソッ。
反応が鈍いヤツだなザームは。ここはすぐに俺の胸元辺りを絞り上げて『む。どうなっているのだ』と尋ねるべきだろうが。
すっかり昔の喧嘩に明けくれた若い時のやんちゃ振りは何処へやら。
ああ、しかしザームはこんなヤツだったかも。元々鈍くさくて俺達の後ろを付いてくるところはあったなぁ。
ザームは驚いて三白眼がこれでもかと大きく見開く。
おいおい、驚いた顔が怖いってどうなっているのだ。
ザームの顔は怖いから驚いていてもそれなりだ。しかし、何でオイルでマッサージをしているんだよ。暑くなってくる外でのオイルマッサージとか……意味が分からない。俺が食ってかかろうにも、滑ってザームの体を掴む事が出来ない。体の何処を掴んでひれ伏させるか悩んでいるとノアが良い動きをしてくれた。
「ザック。俺の言った通りだぁー。こういうヤツは力尽くで黙らせるしかないんだぁー」
かなり台詞が棒読みのノアだが、ザームの腕を後ろに捻り上げ後頭部を掴むと一度ツルリと滑りながらもザームをひれ伏させた。
「お、おい。な、何を。イタタタタ!」
ザームはゴチンと頭を石畳にぶつけ、顔をしかめて後ろのノアを睨みつける。
全身に塗られたオイルのせいでノアは力の加減が出来ないのか、ザームの捻り上げた腕はかなり決まっている。これは痛いだろう。
「ヌルヌルして気持ち悪いなぁー。いいかぁー、よーく聞け。俺達のやる事に口出しするなよぉー」
ノアよ。
後半に行けば行く程棒読み感が強くなるのは何故だ。周りに聞かせようとしている分、どうも語尾がおかしくなるのか。
ノアって演技が下手くそだな。役者向きの顔なのに役者に向いてねぇって笑える。
だが、周りの野次馬はそんな棒読み台詞も特に気にしていない。ノアが華麗にザームを捻り上げた姿を見て女達が黄色い声を上げていた。
昔から連んでいた裏町の三人が喧嘩をはじめた様に見えたのか皆が「おおお!」と湧いていた。俺達の喧嘩なんて裏町ではちょっとした催しだ。煽って観戦したがるもんだ。
「痛い痛い! な、何だよ。俺は──」
逃れようと体を捻った事で更に肩を捻ったザームが悲鳴を上げ言葉を続ける。
『口出しはしない』
ザームがそう言葉を続けているのは分かった。だが俺は意地悪く台詞を被せた。ザームの口元に耳を傾ける振りをして大声を上げる。
「な~にぃ~?! 売り上げの一部をよこせだと。これだからぎゃんぐはこうやって商売敵を潰す気だな。何て横暴なんだ」
俺の言葉に野次馬が再びどよめく。
ナツミの言っていた言葉を使ってみる。「ぎゃんぐ」なんて聞き慣れないから野次馬は何を言っているのか分からないだろう。
ザームが俺とノアに反発したと誤解を与える為に奴隷商人に見せるだけだ。
裏町の人間が俺とノアが関わる移動式の商売方法を怒る事はない。そう思っている裏町の住人達からすると、俺の横暴という言葉には意味なく賛同してくれるだろう。
俺は周りの様子を見つめながら、ザームの耳元で呟く。
「ザーム頼む。俺に合わせてくれ」
「!」
ザームがヒュッと息を飲んだのが聞こえた。それからのザームの反応は早い。流石、昔ずっと連んでいただけはある。
「痛ぇ! う、腕がもげるっ! わ、分かった。ザックとノアの言う通りにする!」
演技はノアよりザームが上だった。と言うか本当に痛いのかもしれないな。思わず吹き出しそうになるがこらえる。
「ふん。それならそうと最初から素直にしたがっていれば良いのにぃー。ザック、これで商売をはじめられるなぁー。この辺り一帯を治めているザームが良いと言ったぞぉー」
語尾伸びが相変わらず間抜けなノアだが少年の様に笑って、ザームの腕を放し石畳に転がる。下手くそだけれどこのノリを楽しんでいる。少年の様な笑い方だが、悪戯が成功したのを自慢している様に見えるのは演技ではないはずだ。
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ザームが気持ち悪い笑みを浮かべている。しかし捻られて痛そうに肩を押さえて改めて唸った。
歯を食いしばる黒光りした頭に脂汗をかく強面の男。周りが俺に賛同し盛り上がるのを見ると、知識のない人間は遠目で見ると俺とノアに対して妬ましく怒りに燃えている様に見える事だろう。過去に俺もこいつの強面顔に騙されたのだし。
俺とノアが周辺の観衆に手を振って大きな歓声を起こす。その様子をコルトが確認して、スッと建物の細い通路に消えたのが見えた。
まぁこんな感じで演じたのは上出来だろう。奴隷商人のコルトには俺達『ジルの店』が新しい商売をはじめるに当たり、裏町の人間が十分揉めていると思うはず。奴隷商人はこの隙を利用してくるはずだ。ザーム側に取り入ってこようとするはずだ。彼奴らの狙いは俺なのだから。
俺達を相手にするのは、お前達では無理な事を教えてやる。ナツミやマリン、そして裏町──『ファルの町』に手を出す事は許さない。
俺とノアはお互いを見つめて頷いた。
「凄く皆が盛り上がった様だけど。ザームは大丈夫かしら?」
マリンは呆然としながら建物の窓から身を乗り出し歓声を上げる人々を見上げていた。
「ほんとだね……でも何か考えがあっての事みたい」
痛めつけたはずのザームを、ザックとノアが抱き起こし、元のデッキチェアーに座らせているし。
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「違うんじゃないの~? ザームのキモいクセが出ただけじゃないかしら。ナツミとマリンは当然知らないと思うけどあいつは痛めつけられると喜ぶのよね。はぁ……」
そして深い溜め息をついた。
「「え?!」」
私とマリンはハモってエッバに振り向く。その様子にエッバはカラカラと笑った。
「その反応面白いわねぇ『ジルの店』の踊り子でも、痛めつけられて喜ぶキモいヤツなんて知らないわよね? 本当にキモいでしょ~あれさえなければさぁ、ザームもモテると思うんだけどね」
バチンとエッバがウインクをしてくれた。
そこに、ザック達が呼ぶ声が聞こえる。
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