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第二章 イエスマンの呪い
予報外れの雨
しおりを挟む「──ねぇ、温森くん。こんな格好の私たちが近付いたらきっと怪しまれるだろうから、本当に遠巻きに見るだけにしようね?」
商店街のアーケードを抜け、『つるや旅館』を目指しながら、未空が釘を刺すように言う。
海斗は相変わらずサングラスにマスク姿な二人を振り返り、頷く。
「あぁ、わかった。というか、旅館の近くには流石にナンパ野郎もいないだろうし、そろそろ変装を解除しても良いと思うんだが……」
「いや、何が起こるかわからないから、解散するまではこのままでいるよ」
「そうか。窮屈な格好をさせてすまない。あと少しで着くから、旅館を見たら解散しよう」
海斗の言葉通り、緩やかな上り坂の先に『つるや旅館・ここを右折』の看板が見えた。
三人は看板に従って、右に曲がる。
「『つるや旅館』は、俺のじいちゃんとばあちゃんが新婚旅行に泊まった思い出の宿なんだ」
自転車を押しながら、海斗が言う。
「初めての高級旅館に、二人ともえらく緊張したって言ってた。でも、旅館の人たちのもてなしがすごく丁寧で優しくて、最高の思い出になったんだと。それでこの街が気に入って、そのまま移り住んだらしい。じいちゃんは随分前に亡くなったが、この話は何度も聞かされたよ」
そう話す海斗の後ろで、未空が「そうなんだ」と短く答える。そして、そのまま俯くのを、雷華だけが見ていた。
「俺もいつか泊まってみたいんだ。美味い飯に、質の良い温泉。趣のある雰囲気に、温かいもてなし……まぁ、こんな近所に宿泊するっていうのもおかしな話だけどな」
……と、そこで。
「はぁ? 別におかしくないでしょ」
今まで口数少なく歩いていた雷華が、急に口を開く。
「近所だろうが、『つるや旅館』には泊まる価値しかないわよ。なんたって、あそこは……」
そう、何かを言いかけたところで。
──ぽつ。
……と、水滴が、雷華の頭のキャップに落ちた。
「ん……?」
三人が天を仰ぐと……
大粒の雨が、一斉に降り注いできた。
「ぎゃーっ! 降ってきたぁっ! 未空っ、傘ぁっ!」
「ないわよ、予報では降らないはずだったんだもの!」
「じゃあどうすんのよ! このままじゃ制服がびしょ濡れになっちゃう!」
狼狽える雷華と未空に、海斗はこう提案する。
「じゃあ、『つるや旅館』で雨宿りさせてもらうのは……」
「絶対だめっ!」
と、間髪入れずに却下する未空。
その勢いに驚きつつ、海斗は次なる案を提示する。
「じゃあ、商店街まで戻ろう。あそこなら屋根があるし……」
「それもダメッ!」
と、今度は雷華が却下する。
提案を悉く跳ね除けられた海斗は、うーんと頭を悩ませる。
そうこうしている間にも、雨はどんどん強さを増していき……
「……なら、俺が住んでいるところへ来るか?」
その雨音に紛れるように、海斗はそう切り出す。
思わず「へっ?」と声を上げる雷華と未空に、海斗は苦笑いして、
「俺、今ばあちゃん家に住んでいるんだ。ここから近いから、そこでよければ案内するが」
そう、遠慮がちに言った。
──海斗の家は、十分とかからない場所にあった。
木造平屋の一軒家。
よく言えば風通しの良さそうな、悪く言えばボロい、年季の入った家だ。
表札には海斗の名字である『温森』ではなく、『御林』という名が掲げられていた。
「上がってくれ。今、タオルを持ってくる」
二人を玄関へ招き入れると、海斗は慌ただしく家の奥へと消えて行った。
閉めた引き戸の向こうでは、大粒の雨が今もザアザアと降り続いている。
雷華と未空はサングラスとマスクを外し、家の中を見回した。
「ばあちゃん家」と言っていたが、確かにそんな香りがした。木材と、畳と、線香が混ざったような匂い。
しかし、玄関に置いてある靴は若い男物のみ──海斗のものと思しきスニーカーとサンダルだけで、高齢の女性が履くようなものは一つもなかった。
「はい、とりあえずこれで拭いて。ブレザーはハンガーで干すから貸してくれ」
フェイスタオルを渡し、代わりにブレザーを回収する海斗。
そのテキパキとした動作に驚きつつ、未空は雷華の分まで「ありがとう」と言った。
キャップを被っていたおかげで髪だけは濡れずに済んだ二人は、ブラウスの襟やスカートをタオルで拭き、そのまま家の中へ上がることにした。
ギシギシと軋む廊下を抜け、のれんをくぐり、居間へと辿り着く。
中央には丸いちゃぶ台。
壁には急須や湯呑みが並んだ食器棚と、真っ黒な仏壇。
奥には大きな窓があり、海斗がカーテンを開けると、縁側と小さな庭が見えた。
そのカーテンレールに、海斗は雷華と未空のブレザーをかけていく。
「狭いけど適当に座ってくれ。今飲み物持ってくるから。と言っても麦茶しかないが」
そう言って、また慌ただしくのれんの向こうへ消えて行く。
雷華と未空は顔を見合わせながら、とりあえずちゃぶ台を前に並んで座ることにした。
古めかしい家だが、散らかってはいなかった。
物が少ない、と言った方が正しいか。
そんなことを雷華と未空が考えていると、海斗がグラスを二つ手に持ち戻って来た。
「はい、麦茶。水出しだから、薄かったらすまん」
コト、とちゃぶ台に置かれる麦茶のグラス。
未空はやはり雷華に代わって「ありがとう」と礼を述べ、静かに口を付けた。
「温森くんの家がこんな近くにあるだなんて驚いた。お陰で助かったよ。ありがとう」
グラスから口を離し、未空はあらためて礼を言う。
海斗はちゃぶ台を挟んだ向かいに座り、首を横に振る。
「こんなボロ屋に連れ込んで、むしろ申し訳ない。雨、早く止むといいな」
言って、窓の外に目を向ける。
沈黙すると、雨粒がトタン屋根を叩くパタパタという音が一層響いて聞こえた。
ふと、未空は雷華の視線がある一点に注がれていることに気付く。
それは、背後に置かれた仏壇だ。
香炉とおりんと、位牌が一つ。
雷華の考えていることを察し、未空は代わって尋ねることにする。
「……この仏さまは、さっき話していたおじいさまの?」
その質問に、海斗は少し驚いたように頷く。
「あ、あぁ。そうだが」
「お線香、あげてもいい?」
遮るように尋ねたのは、未空ではなく雷華だった。
思えば、彼女から聞いた初めての疑問形だったかもしれない。
正座をしたままじっと見つめるその目は、海斗の返事を静かに待っていた。
海斗は面食らいながらも、その申し出に嬉しさを覚え、
「……あぁ、もちろん。じいちゃんも喜ぶよ」
そう、微笑みながら答えた。
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