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8 訪れた別れ

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 ──あの襲撃の後。
 心配したような事態は、何も起きずにいた。

 例の二人組を追跡した兵の合流を待つため、ロガンス帝国への帰還を目の前にして、未だイストラーダ国内に踏み留まっている状況の中……

 それは、突然訪れた。
 襲撃から三日後の、朝の出来事だった。



「い……い……」

 私は、驚きのあまり思いっきり息を吸い込み……


「色酒場ですってぇぇぇええ!?」


 思いっきり、大声を上げた。
 目の前の隊長が迷惑そうに、長い耳に指を突っ込む。

「るっせーな、声がでけぇよ」
「でかくもなりますよ! そんな……」

 私は、すがるように彼を見つめて、


「今日から、で働け、なんて……」


『おまえの引き取り先が見つかった』。
 起き抜けに、彼はそう言ってきた。

 最初、何のことだか理解できなかった。
 だって、すっかり忘れていたから。
 この隊での生活が、引き取り先が見つかるまでの一時的なものだってことを……

 隊長は「はぁ」とため息をつくと、

「……思ったんだよ。おまえはこの三ヶ月、ずーっと野郎の中で暮らしてきただろう? 男の話に対して聞き上手・返し上手になったと思うんだ。だからそれを生かすには、色酒場がいいかなぁと」
「そ、そんな理由で……?」

 いつものように軽く言う隊長が、果たして本気で言っているのか冗談で言っているのか、わからない。

 だって……よりにもよって、『色酒場』である。
 若い女の子が、男性客をもてなしながら、お酒を提供する店。
 お酒を注ぐだけでなく、お金と引き換えにあんなことやこんなことをまでするという噂も聞く、あの……
 要するに、世間一般のイメージとしては『いかがわしい』の一言に尽きる店なのだ。

「どうして急に、そんなこと……」

 そうだ。あまりにも急すぎる。
 せっかくここまで来たのだ。
 私も一緒に……ロガンス帝国へ連れて行ってくれると思っていた。

 ずっと、行ってみたかったのだ。
 隊長やみんなのような、優しい人たちの住まう国。
 なのに……

 詰め寄る私から視線を逸らし、隊長は言う。

「……急じゃねぇよ。おまえが知らなかっただけで、俺はずっとおまえを引き取ってくれる場所を探していたんだ」

 ズキンと、胸のあたりが痛む。

 ショックだった。
 だって、隊長も私といたいって思ってくれてると思っていたから。
 妹のように、娘のように……家族のように思ってくれていると、信じていたから。
 それが、私の知らないところで、ずっと離れる準備をしていたなんて。

 しかも……

「なんで……色酒場なんか……」

 震える私の声に、彼は眉をひそめる。

「……こんなご時世だ。女が一人で食っていけるような職業と言ったら、他に無いだろう。大丈夫。店のオーナーは俺の知り合いだから、変な真似はさせねぇよ」

 本気なの……?
 隊長は、自分の家族を……夜の店で働かせて、平気なの?

「……正直な」

 そこで初めて、彼は私の目を見る。

 しかしその色は……
 あまりにも、冷たくて……

「こないだの襲撃で、思い知ったんだよ。おまえを庇いながら進むのは難しいってな。追跡させた仲間も帰ってこねぇし……あの時、やつらを確実に捕えていれば、今ごろはロガンスに帰還できていたんだ」
「それって、つまり……」

 聞きたくない。
 聞くまでもないはずだもん。
 そんなはずない。だって……

「私が……足手纏いって、ことですか……?」
「…………」
「……隊長、なんとか言ってくださいよ!」
「…………」

 そんなわけねぇだろ、って。
 すぐに否定してくれると思っていた。

 なのに彼は、また目を逸らす。
 そして、逸らしただけで……
 何も、言ってくれなかった。


「……そっか」

 私は、息を吐く。

「もう、ロガンスも近いし……傷の手当てをする必要も、ないですもんね。使い道のない人間なんて、ただのお荷物だもの」
「…………」

 今度こそ何か言ってくれるかと、少し期待した。
 けど、彼は本気らしい。
 無言を貫いたまま、まったく目を合わせようとしない。

 ……そうか。
 そういうことなら。


「……わかりました、隊長。私も、馬鹿じゃありません」
「……?」

 驚いたようにこちらを向く彼に、私は、にこっと笑って、

「今まで本当にありがとうございました。隊長やみなさんに助けられた御恩は、一生忘れません」
「……おう」
「どこですか?」
「え?」
「私の引き取り先。どこですか?」

 その言葉に、彼はほんの少しだけ、悲しげな表情を浮かべると……
 部下に、馬の準備を促した。



  * * * *



「──それじゃあこれ、君の荷物」
「うん。いろいろありがとう」


 その日の午後。
 私は、隊から離脱した。

 引き取り先への案内役として一人来てくれたのは、あの涙もろい兵士Aだ。

「それにしても……イストラーダにまだこんな街が残っていたなんてね」

 そう言って、私はこのベラムーンという商業都市を見回す。
 ここはまだ街の入り口だが、見たところ戦争の直接的な被害は受けていないようだった。

 私の言葉に、兵士Aが頷く。

「ここはロガンスと隣接しているから、フォルタニカもあまり手が出せなかったんだよ。もっとも、暮らしてみないとその被害はわからないけどね」
「そうね……でも、きっと大丈夫。今までありがとうね」

 そう言って笑顔を見せると、兵士Aはぶわっと目から涙を噴き出した。

「フェルちゃん……強く生きるんだよ。僕、君のこと応援してるから」
「ありがとう。あなたも元気でね、兵士Aさん」
「あれ? 僕らけっこう長いこと一緒にいたよね? 名前……」

 という呟きを無視して、私は背を向ける。

「ここで待っていれば、迎えに来てくれるんでしょ? その引き取り先のお店の人。私はもう平気だから、あなたはもう隊に戻って。ロガンスの兵がいるのが見つかったら、この街の人たちがパニックになっちゃうかもしれないし」
「そ、それはそうだけど……でも……」
「大丈夫」

 私は、やはりにっこり笑って、

「私はもう大丈夫。だから……なにも心配しないで」

 そう言ってみせた。
 しかしそれは、決して虚勢などではない。

 わかっている。
 というより、そう信じたいだけなのかもしれないが……

 隊長にはきっと、何か考えがあるのだ。
 ああして冷たく突き放してまで私を離脱させたのには、理由があるに違いない。

 きっとそう。
 じゃないと、説明がつかない。
 どう考えても不自然だったもの。
 仲間を急に切り捨てるようなこと、できる人じゃないから。

 お荷物なのはわかっていたことだし、もとはと言えばこうなることを望んでいた。
 今まで散々お世話になったんだ。駄々こねて迷惑かけるくらいなら、最後くらいは……
 迷惑掛けずに、潔く出て行くのが、一番いい。


「…………」

 兵士Aは、涙をごしごしっと拭くと、

「わかったよ、フェルちゃん。僕、戻るよ」
「うん、そうして」

 すると、街のほうからかすかに「フェルちゃーん」という声がして、私は振り返る。

「あっ、ほら。もう迎えの人が来たみた、い……」
「あぁほんとうだ。よかったねフェルちゃん……それじゃあ!」
「ちょ、待って兵士A! あれ……」

 私の名を呼びながら駆けてくる、迎えの人らしきその姿を見て……言葉を失う。

 だってあれは、どう見ても……


「フェルちゃーん! おまたせぇ~ん!!」


 野太い声。
 異様に濃い髭。
 ゴツイ身体。なのに……

 なぜか…………フリッフリでキラッキラな、女装。


「ちょ……あれって、あれよね? 俗に言う……オネエよね? どっからどう見ても、混じりっ気なしの……いや、ある意味混じっているけれど……」
「そうだね! じゃあフェルちゃんさようなら! 僕、君のこと忘れないよ!」
「そうだね、じゃなーい! 待って兵士A! お願い待っ……」

 うろたえる私を無視し、馬を走らせ去っていく兵士A。その後には、きらきらと涙がなびいている。

「ね、ねぇ! あれが隊長の知り合いなの!? 私が働く店って、一体……」

 しかし、時すでに遅し。
 脅威はもう、すぐそこに迫っていた。


「フェルちゃん……! ぜぇ……待たせちゃって、ぜぇ……ごめんなさぁい! はぁ、はぁ……」


 女装した謎の男が、後ろから私の肩を掴む。
 ビクッと震えてから、そぉ……っと振り返ってみる。

 ……が、すぐに後悔した。
 近くで見ると、想像を絶する迫力がある。
 まず、でかい。そして、怖い。
 特に顔。ただでさえ濃ゆいのに、その上に化粧まで濃ゆいのだ。

 そんな彼(彼女?)が、金歯を光らせながらにっこり笑って、

「さぁ、もう心配いらないわ。アタシたちのお店に行きましょ!」

 半ば強引に、ぐいぐい手を引っ張ってきて……


 い……

「いやぁぁぁああああ!!」


 叫びも空しく、私はずるずると謎の人物に引きずられて行くのだった……


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