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9 優しい匂い
連れて来られた酒場は、三階建ての建物の一階部分にあった。
レンガ造りの、こぢんまりとした佇まい。
色酒場なんて言うから、いかにもいかがわしい外観を想像していたが、派手とは程遠い、渋い雰囲気の店だ。
それはいい。それはいいのだが……
「…………」
酒場に掲げられた看板を見上げ、私は、表情を失う。
【禁断の果実】。
それが、この店の名のようだ。
「さっ、ここがあなたの職場よ!」
私を連れて来た女装の男性が、太い声で言う。
その厚化粧な顔を見つめ、私は…………
「……………………」
……え、あなたのこと?
この店名、あなたのことですか?
そう言ってしまいそうになるのを、ぐっと堪えた。
そんな内心を知らず、彼、あるいは彼女は、アイシャドウの塗られた目を細めて笑う。
「そういえば自己紹介がまだだったわね。アタシ、ヴァネッサ。ここのオーナーよ。よろしくね」
「ふぇ、フェレンティーナです……よろしくお願いします」
悪い人ではなさそうだが……本当にこの人がルイス隊長の知り合いなのだろうか?
強烈な女装家が登場したかと思えば、店名が【禁断の果実】……駄目だ。情報量が多すぎて、既に混乱気味である。
こめかみを押さえながら、私はあらためて酒場を見上げる。
ここが……今日から私が住み込みで働く店。
「どう? 素敵なお店でしょう?」
「そ、そうですね」
「とりあえず先に、あなたのお部屋へ案内するわ。荷物も置きたいだろうしね」
「あっ、はい」
戸惑いを残しつつ、私はヴァネッサさんに続き、建物の脇にある螺旋階段を上った。
ポケットから鍵を取り出しながら、ヴァネッサさんが振り返る。
「この二階のお部屋をあなたに使ってもらおうと思うの。アタシは三階に住んでるから、なにか困ったことがあればすぐに言ってちょうだいね」
なるほど。酒場のオーナーだけでなく、この建物自体の所有者でもあるらしい。
そんなことを考えていると、ヴァネッサさんは部屋の前で足を止め、私に鍵を差し出した。
「さ、入って。あまり広くはないけど」
躊躇いながらも受け取り、私はそっと、鍵を挿し回す。
がちゃっ、と小気味のいい音と共に、部屋が開く。そして……
「……おぉ」
扉の先に広がるのは、さっぱりとした綺麗な部屋だった。
丸いテーブルと、シングルベッドと、小さなタンスのある、まごう事無き『部屋』。
……この三ヶ月間、テント生活だった私にとっては、久しぶりに見る室内だ。
シャワールームと、ささやかなキッチンスペースもある。突き当たりにある窓からの眺めも良さそうだ。
これはなかなか……いや、かなり……
「……素敵な部屋ですね」
「ほんと? 気に入ってもらえてよかったわ。まだ何もないけど、必要なものはちょっとずつ揃えていきましょ。欲しいものがあったらなんでも言ってね」
そう言って、微笑むヴァネッサさん。
その笑顔を見て、私は……
少し、泣きそうになる。
突然、色酒場で働くことが決まり、その上濃すぎる人物がお迎えに登場したから、どうなるかと思ったけど……
人を見かけで判断するなんて、間違っていた。
この人は、良い人だ。隊長と同じ、優しい匂いがする。
私は、ヴァネッサさんに初めて笑顔を向け、
「ありがとうございます。今日からお世話になります」
深々と、頭を下げた。
ヴァネッサさんはマニキュアで彩られた手をパタパタと振る。
「やだぁ、そんなに畏まらないで? こんなご時世だもの、困ったときはお互い様よ。ほら、上がって上がって」
そう促され、私は部屋に足を踏み入れた。
荷物を置くとすぐに、ヴァネッサさんは一通り部屋の中を案内してくれた。
そして、その後、
「──そうだ。あなたの名前を決めなくちゃね」
唐突に言われ、私は聞き返す。
「名前、ですか?」
「そ。仮にもホステスなんだから、本名を名乗るわけにはいかないでしょ?」
所謂、源氏名というやつか。いよいよ大人の店っぽさが出てきた。
「厄介なお客もいるのよ? ストーカー化するやつとか……」
「す、ストーカー?!」
「あぁ、大丈夫よ。もし現れても、アタシがとっ捕まえて懲らしめるから。でも念のため、本名は知られない方がいいじゃない?」
「確かに……」
にしても、懲らしめるって……ヴァネッサさんが言うと説得力しかないな。
なんて、ノースリーブドレスから覗く逞ましい腕をつい眺めてしまう。
「まぁ、ニックネームだと思えばいいわ。なにか希望はあるかしら?」
そう問われ、私は宙を仰ぐ。
うーん……ニックネームかぁ。
希望はあるかと聞かれても、そんなの自分で考えたこともないし……
「…………ない、ですね」
と、身も蓋もない答えを返してしまう。
しかしヴァネッサさんは、嫌な顔をすることなく考え込み……
……しばらくして、
「──決めたわ」
固く組んでいた手を解き、
「『レン』。フェレンティーナの『レン』よ。どう? なかなか可愛らしいと思わない?」
そう、言った。
"レン"。
それが、ここでの私の名前。
領主の使用人だった"フェレンティーナ"でも、ロガンス軍の治癒係だった"フェル"でもない、新しい名前。
……そうだ。ここから、私の新しい人生が始まるのだ。
戸惑いや不安はあるけれど、きっと大丈夫。
だって、生きているから。
生きている限り、何度だってやり直せる。
何度だって、新しい自分に生まれ変われる。
私は、与えられた新しい名前を噛み締めるように瞼を閉じ……
再び目を開け、にこっと微笑む。
「……素敵な名前です。ありがとうございます
「でしょー!? よかったぁ! それじゃあレンちゃん、あらためてよろしくね」
「はい。よろしくお願いします」
ヴァネッサさんは満足げに笑うと、部屋の隅にあるタンスに向かい、
「名前が決まったところで、次は服ね。どれが似合うかしら?」
と、煌びやかなドレスを取り出した。
その美しい布地に、思わず目が輝く。
思えばこの三ヶ月、女の子らしいオシャレなど全くできなかった。
なにせ軍隊と一緒に行動していたのだ。そんな浮かれたこと、できるはずがない。
……まぁ、隊のみんなは違う意味でだいぶ浮かれた連中だったけれど。
私の視線に気付いたのか、ヴァネッサさんはくすりと笑い、
「好きなだけ試着していいわよ。ドレスが決まったらメイクもしてあげるわね」
そう言って、ドレスを何着も広げて見せた。
そうして、しばらくの後──
「いい……とってもいいわ! アタシが思った通りね!」
私の顔をメイクし終えたヴァネッサさんが、興奮気味に言った。
「ほら、できたわよ。見てごらんなさい!」
ぽんと背中を押され、鏡の前に立たされる。
すると、そこには……
「わぁ……」
まるでパーティーに参加するかのような、華やかな装いに変わった自分が映っていた。
赤を基調にした、派手すぎないメイク。
少し背伸びしたデザインの、ピンクのワンピースドレス。
コンプレックスな赤髪も、可愛らしくハーフツインに結われ、ドレスとメイクの色味のお陰で映えて見える。
そんな私を見つめ、ヴァネッサさんがパチパチと手を叩く。
「すっごくキレイ。すっごくいいわよ、レン!」
レン……あぁ、私のことかと、鏡の中の自分を眺め、思う。
「これであなたも立派な夜の蝶ね! さ、お店で同僚たちが待ってるわ。あいさつしに行きましょ!」
「い、今からですか?」
「だぁいじょうぶよ! みんないいコだから!」
戸惑う私に構わず、ヴァネッサさんは手を引き、部屋を出る。
ちゃんと考えていなかったが……一緒に働く人たちって、どんな感じなのだろう?
いかにもなおねぇさまばかりだったら……ちょっと怖いな。
ごくっと喉を鳴らし、私はドレスの裾を踏まないよう螺旋階段を下り、酒場へと向かった。
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