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11 頼もしい先輩
「ありがとうございましたー」
その日、最後のお客さんをお見送りして。
色酒場【禁断の果実】は、看板の明かりを消した。
時刻は、午前一時だ。
「……ふぁ」
あくびを噛み殺す。
今まで軍隊の中で早寝早起きな生活を送っていた私にとって、かなり眠い時間帯だった。
「おつかれさま、レンちゃん。初日、どうだった?」
店の戸締りをしながらヴァネッサさんが尋ねてくる。
今日は一日、ヴァネッサさんと一緒にお客さんへの顔見せに回った。
なので、接客らしいことは何もしていないのだが……
「ちょっと……疲れました」
正直に言う私に、ヴァネッサさんは笑う。
「無理もないわ。今日いきなりだもんねぇ。でもレンちゃん、愛想もいいし気が利くから、すぐに慣れると思うわ」
「……ほんとですか?」
「ほんとよぉ。あなたの笑顔、素敵だもの」
ヴァネッサさんの言葉に、胸の奥がじーんと温かくなる。
ヴァネッサさんは、相手を真っ直ぐに褒めることが本当に上手い人だ。
だからだろうか。なんだか私まで、素直に笑顔を返したくなってしまう。
「ありがとうございます。私、頑張ります!」
「うふ。あまり無理はしすぎないでね。今日はもうお部屋に戻って休むといいわ。片付けはしておくから。明日もよろしくね」
その言葉に甘えて、私はお礼とおやすみなさいを伝えると、店を出て螺旋階段を上り、二階の自室へと向かった。
それにしても……ホステスの年齢層もちょっと高めだが、客層もまた変わっていた。
もちろん男性客ばかりなのだが、ほとんどがおじいちゃんと呼べるくらいの年代の人で、後は軍人さんらしき人がちらほら。
こんなご時世だから、その理由はなんとなくわかるけど……
そんなことを考えながら鍵を開け、自分の部屋に入る。
と言っても、まだ『自分の部屋』という実感はあまりない。
「ふぅ……」
ばふん、とベッドに飛び乗る。
嗚呼……ふかふかのベッドなんていつぶりだろう。
だって……
「…………」
……そう。
昨日までは……というか今朝までは、あの隊にいたんだもの。
それが、急にこんなことになるなんて……思ってもみなかった。
だから、未だに自分がここでこうしていることに対する実感がない。
「…………」
いろいろなことが頭の中を駆け巡り、ぼうっと天井を見つめている──と。
──コンコン。
ドアをノックする音が響いた。
ヴァネッサさんだろうか? 私はベッドから起き上がり、ドアの方へと向かう。
「はーい」
返事をしながら開ける……と、そこにいたのは、
「よっ。おつかれ」
「あ……」
あの金髪美女の、ローザさんであった。
「急に悪いね。ちょっと付き合ってほしくてさ」
「な、何にですか?」
「じゃーん」
彼女は背中に隠していたお酒の瓶を嬉しそうに見せつけて、
「こーれ。あんたの入店祝い、しようぜ」
ニッと、人懐っこい笑みを浮かべた。
「──どう? この仕事」
酒瓶の栓を抜きながら、ローザさんが尋ねる。
その慣れた手つきを見つめ、私は答える。
「なんか……想像とだいぶ違っていました。色酒場って、もっといやらしいかんじのお店なんだと思っていたので……」
「ははっ。ここは色酒場とは名ばかりの、年寄りの社交場みたいなとこだからな。おさわり禁止、お持ち帰り禁止。ただ飲んで、喋るだけ」
それを聞き、私は内心ほっとする。
今日働いた印象の通り、かなり健全なお店のようだ。
「んで? あんた、歳はいくつなんだ?」
お酒をグラスに注ぎながら、ローザさんが聞いてくる。
そこで、私は……ハッとなる。
今さらだけど、私って……年齢的に、こんなところで働いて大丈夫なのか?
ヴァネッサさんには何も聞かれなかったけど……いくつに見られてるいるのだろう?
実年齢を言ったら、まずいかな?
……でも、
「……十六、です」
後からバレる方が面倒だと思い、本当の年齢を伝えることにした。
それを聞くと、ローザさんは傾けていた酒瓶をドンっと置いて、
「じゅうろくぅ?! 若っ! しっかりしてるから同い年くらいだと思ってたよ。じゃあ、これはダメだな。撤収撤収」
ローザさんはお酒の注がれたグラスを引っ込めると、「お子様はこっち」とオレンジジュースを差し出してきた。
私が未成年、もしくは下戸だった時のために用意してくれていたのだろうか? だとしたら相当に気の利く人だが……
……いや、単純にお酒を割るために持って来たのか?
「えっと……ローザさんは、おいくつなんですか?」
と、同じ質問をこちらも聞き返してみる。
すると彼女は、にんまりと笑って、一言。
「ハタチ。……ということにしておいて」
「…………」
それは、上と下、どちらに見られるための詐称なのか……?
しかし、もし同じ十代なのだとしたら、この色気と貫録は恐ろしい……
と、ローザさんをまじまじ見つめていると、ぽんと肩を叩かれる。
「ま、とりあえず若者同士ってことで。仲良くしよーぜ」
「は、はい」
「だから、んな堅っ苦しいカンジはよせって。タメ口でいいよ、タメ口で」
「はい……じゃなかった。うん」
あはは、と綺麗な顔で笑ってから……
彼女は急に、神妙な面持ちになる。
「……おばさんばっかりだろ?」
「え?」
「この店のスタッフ。どうしてだか、わかるか?」
……なんとなくわかってはいたが、あえて首を横に振る。
ローザさんはグラスの中のお酒に目を落とし、静かな声で言う。
「……みんな死んじまったんだ、あの人たちの旦那。この戦争で」
やっぱり……と、私は痛む胸の内で呟いた。
ローザさんが続ける。
「もう、この街には女子供と年寄りしかいない。働き盛りの男たちは皆、戦争に駆り出されて、帰ってこなかった。客もそうだったろ? じーさんばっかり。たまに脱走兵らしき若い男も来るけどな」
「……私のいた街も、そうだった」
「あんたのとこも?」
「うん。権力のある者以外はみんな兵として駆り出されたから、突然の襲撃に対応できず……あの街で生き残ったのは、私だけだった」
「……そっか」
そう呟いて、彼女は沈黙した。
これで確信した。この街の現状を。
目には見えないけれど、あんなおばちゃんたちが酒場で働いているくらいだ。経済的にもかなり厳しいのだろう。
……あれ? それじゃあ……
「……なんでヴァネッサさんは、ここに残っているんだろう……?」
ぱっと浮かんだ疑問を、私はそのまま口にする。
心はさておき、ヴァネッサさんも身体は男性である。しかも健康そうな、かなりいい体格をお持ちだ。兵として駆り出されたっておかしくない。
なのに何故、ここで酒場を経営できているのだろう?
私の疑問に、ローザさんが軽い口調で答える。
「あぁ、オーナー? あれは、ああ見えてここいらじゃ有名な良家のおぼっちゃんだったんだよ。だから徴兵を免れた」
「へっ?」
「その一家も、この戦争で滅んじまったけどな。それで莫大な財産があの人に残された。それを街の人たちのために使おうと、この店を作ったってわけ。ここ以外にもいくつか店をやっているんだよ、あの人」
「そうだったんだ……遺産を街の人のために使うなんてすごい。お金持ちはみんな利己的で自己中だと思ってた」
と、私は自分が仕えていた領主の姿を思い出す。
それに、ローザさんは苦笑いを浮かべて、
「あんなカンジだから、一族から腫れもの扱いされていたらしいよ。それで本人も貴族の暮らしが嫌いになったみたい。平民みたいな生活のほうが、好き勝手やれるからね」
なるほど。
それにしたって【禁断の果実】というネーミングセンスはどうかと思うが……
「あんなナリだけど、面倒見のいい人だよ。あたしも戦争で親兄弟亡くしてさ、身寄りがなくて隣町からここに来たばかりの時、この部屋を借りていたんだ」
「この部屋を……?」
「そ。あたしだけじゃない。いろんな人を匿っては、自立するまで面倒見ているんだ」
お酒を一口飲み、ローザさんは息を吐く。
「あんたもいろいろ苦労してきたみたいだけど、ここにいるとけっこう毎日楽しいぞ? 少なくとも、あたしはな」
それから、よいしょと立ち上がって、
「ま、若いもん同士がんばっていこーや。なにか困ったことがあったら、すぐに言うんだぞ?」
「う、うん。ありがとう……ローザさん」
彼女は微笑むと、軽く手を上げて
「それじゃ、おやすみー」
と、部屋を出て行った──
それからの一週間は、本当にあっという間だった。
お酒の種類に、常連客の顔と名前など、覚えることは山のようにあるし……
……なにより、
「違う! 首の角度はこう!!」
「こ、こう?」
お得意さんを作るためのキラースマイルなるものの習得に、私は苦戦していた。
「そう! そのまま目を細めて! 口角上げて!!」
「うぅ……」
鬼コーチのような形相で指導するのは、ローザさんだ。
あの二人きりの入店祝い以来、ローザさんはなにかと私を気にかけてくれていた。
……ちょっと厳しめだけど。
「ちょっとローザぁ。レンの良さは初々しくて愛嬌のあるところなんだから、そんな無理に教えなくたっていいんじゃないのぉ?」
腕を組みながら、ヴァネッサさんが言う。
閉店後に行なわれるローザさんの特訓が行き過ぎないよう、いつも横で見ていてくれるのだ。
そんなヴァネッサさんの言葉に、ローザさんは目尻を吊り上げ反論する。
「なに言ってんだ! 女は必殺技の一つや二つ持ってなきゃ生きていけねんだよ! さぁレン、そのままの姿勢で、例のセリフを!!」
「お……」
私は、小首を傾げ、目を柔らかく細め、口角を上げたまま……
言う。
「お客様みたいな素敵な人に出会えるなんて……今日はいい夢が見られそうです」
「「おおぉっ!」」
私が言うなり、声を上げるお二人。
「レン、おまえ……いいよ。これで落とせない客はいないぞ!」
「思わずキュンとしてしまったわ……どんどん綺麗になっていくのね、レン」
鼻息を荒げるローザさんと、なぜか涙を拭うヴァネッサさん。
嬉しいような……いや、やっぱりものすごく恥ずかしい。
──でも。
この賑やかで温かな雰囲気が、楽しくて仕方がなかった。
この二人だけじゃない。他のホステスさんたちもみんな優しい。
居心地の良さに、私は……ルイス隊長率いる、あの部隊を思い出してしまう。
隊長……私、お荷物だったから切り離されたわけじゃないよね。
きっと私のこと、考えてくれていたよね。
隊長の知り合いだというヴァネッサさんに聞けば、私がここに預けられた経緯がわかるのかも知れないが……怖くて、聞けずにいる。
だから、信じることしかできないけれど。
こんな素敵な場所を用意してくれた隊長には、心の底から感謝していた。
そうして、楽しくも騒がしい日々は過ぎてゆき……
それが起こったのは、【禁断の果実】で働き始めて二週間が経った──
ある、満月の夜のことだった。
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