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36 旅立ちと別れ

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「──はぁ……」


 窓の外の月を眺め、ため息をつく。
 ここ最近、休みの日ともなると、これがすっかり習慣になってしまった。

 何故なら……
 クロさんと、もう一ヶ月も会えていないから。


『全てを片付けたら、迎えに行くよ』


 そう言われたっきり、彼は一度も姿を見せていない。
 理由は、わかり切っている。

「……そりゃあ忙しいよね。国の今後に関わる、大事な時期だもの」

 ルイス隊長率いるラザフォード第二部隊は、その名の通りロガンス帝国の中でも二番目に権威のある部隊だったそうで……
 だからこそ、条約の締結や被害状況の確認、復興支援部隊の派遣など、あれこれ指示を出したりで大忙しなようだった。
   
 ……わかっている。
「仕事と私、どっちが大事なの?」、なんて言う女にはなるまい。

 だけど、寂しい。
 素直に、寂しい。

 だって、こんなに会えないことなどなかったのだ。
 いつもたった一時間の逢瀬だったけれど、それでも……
 今となっては、お客さんとホステスとして過ごしていたあの時間がどれほど贅沢なものだったのかと、思い知らされるようで。

「…………」

 ふと、西の方角を見る。
 クロさんのいる、ロガンス帝国のある方だ。

 それから、初デートの最後に見た、眩く輝くロガンス城を思い出す。
 私の部屋の窓からは見えないけれど……
 彼のいる場所からは、あのお城が見えているのだろうか?


「……いつになったら迎えに来てくれるのかな? 私の王子様は」


 白い月を見上げ、ぽつりと呟く。

 ……まぁ、見た目は王子様でも、中身は悪の大魔王みたいな人なんだけどね。

 なんて、言ったら怒られそうなことを考えている……と、



「──呼んだ? 僕のお姫さま」



 そんな声がする。
 今まさに、思い浮かべていた人の声がする。

 まさか、と思い、暗い部屋の中を振り返る……が、そこには誰もいない。

 はぁ……寂しすぎて、ついに幻聴まで聞こえ始めたか。
 と、再び窓の方を向くと、


「やぁ」
「…………っ?!」


 ……人間、本当にびっくりすると声が出なくなるらしい。
 私は、驚きのあまり声にならない叫び声を上げ、仰け反った。

 だって、窓の外に、逆さまの状態で……
 クロさんが、ぶら下がっていたから。

 ……って?!


「えっ、待っ……ここ、二階ですよ?!」
「うん。上のヴァネッサの部屋から降りて来たから」
「いや……いやいやいや! もっと普通に登場してくださいよ!!」
「え~。だって、この方が怪盗っぽいでしょ?」
「か、怪盗?」
「そう」

 クロさんは軽やかに体を捻ると、タッと部屋に降り立ち、


「君を、奪いに来たからね」


 にこっと笑い、静かに両手を広げた。


「さて、再会の挨拶はハグがいいかな? それとも、キス?」


 なんて、悪戯っぽく尋ねてくる。

 その口ぶりが、意地悪な微笑みが、泣きそうなくらいに愛おしくて。
 ずっと……ずっと、その笑顔に会いたくて。

 私は、今までの寂しさを全てぶつけるような気持ちで、


「……っ、どっちもです!」


 その胸に飛び込み、唇を重ねた。

 自分からキスをするのは、初めてだったかもしれない。
 けど、そんなことはどうでもいい。
 あなたに触れたくて、たまらなかったのだから。


「……寂しかったでしょ」


 唇を離し、彼が言う。
 ここで「寂しかった?」と聞かないのが、クロさんのクロさんたる所以である。
 疑問形ではなく、断定なのだ。

「く……クロさんだって」

 私も負けじと言い返すが、駄目だ。会えたことが嬉しすぎて、声が震えている。
 それを悟られたのか、クロさんは「あはは」と笑い、

「そうかも。だから、急いで迎えに来たよ」
「え……?」
「下を見て」

 彼に促され、窓の外を見下ろす。
 すると、一階にある【禁断の果実】の前に、ロガンス帝国の紋章が入った豪華な馬車が停まっていた。

「あれに乗って行くよ」
「へ? どこに?」
「ロガンス帝国」
「いつ?」
「今から」
「今から?!」

 そんな……いくらなんでも急すぎる!
 いつ声がかかってもいいようにと、荷物はまとめてあったが……
 ローザさんやヴァネッサさん、お店のみんなに、きちんとお別れも言えていないのに。

「大丈夫だから。とりあえず、下に降りて。荷物はこれだけ?」

 と、確認もそこそこに私の鞄を持ち、強引に腕を引くクロさん。
 戸惑いながら、引かれるがままに階段を降りると……

「あ………」

 ローザさん、ヴァネッサさん、お店のみんな、それに顔なじみのお客さんまでもが、そこに並んでいた。

「みんな……どうして……」
「そのがきんちょに言われてな。今日、レンを連れて行くって」
「突然だからびっくりしたけど……クロちゃんらしいわね」

 私の問いに、ローザさんとヴァネッサさんが答える。

 時刻は午後十時。お店は営業中だ。
 それなのにみんな、わざわざ私のために、店の外へ出て来てくれたようだ。

「本当に……行くんだな」

 一歩近付いて、ローザさんが言う。
 その綺麗な顔が、見たこともないくらい、寂しそうに歪んでいる。

「……うん。私、ローザさんにはすごくお世話になったのに、なに一つ、恩返しできなかった……ごめんなさい」
「馬鹿。こういう時はな、『ありがとう』って言うんだよ」

 ばしっと背中を叩かれ、見上げた彼女の顔は……
 涙を浮かべながらも、眩しいくらいの笑顔だった。

 それから、私はローザさんの横で既に号泣しているヴァネッサさんを見つめ、

「ヴァネッサさん。本当に、お世話になりました。危険なのを承知の上で、私を保護してくれて……感謝してもし切れません。ありがとうございました」

 深々と頭を下げると、ヴァネッサさんは首を振りながら涙を拭う。

「……レンちゃん。あなたは強い娘だわ。だから、どこへ行っても大丈夫。自分の幸せを信じて、真っ直ぐに進みなさい」
「ヴァネッサさん……」
「ロガンスに行っても、あなたの実家はずうっとここよ。何かあったら……ううん。何もなくても、いつでも帰っていらっしゃい」

 優しい笑顔で告げられた、その言葉に……
 堪えていた涙が、ついに溢れた。

 そんな私を、ローザさんがぎゅうっと抱き締める。

「そういうことだから、たまには顔見せろよな。そんで、一生懸けてあたしに恩を返しな! じゃないと……寂しくて死んじゃうんだからな!」
「……うん。約束。絶対に、帰って来る」

 涙で濡れた顔を見合わせて、私たちは、笑った。

 それから、お世話になった先輩ホステスさんたちを見回し、頭を下げる。

「みなさんも……短い間でしたが、本当にありがとうございました。ここで働けて幸せでした。ずっと一人ぼっちだった私の"家族"になってもらえて、嬉しかった」
「何言ってんのよ。家族はずうっと家族。これからも、離れていても、ね」

 そう言ってもらえて、また涙が溢れる。
 と、その横で、ローザさんがクロさんの前にずいっと立ち、

「……レンを泣かせたら許さねーからな、がきんちょ」

 腕を組みながら、言い放った。
 すると、クロさんは自分より背の高いローザさんを見上げるようにして、


「……泣かせるよ。だって、レンちゃんの泣き顔、可愛いんだもん」
「なっ……てめぇ!」
「一緒にいれば、悲しませることも、傷付けることもあるだろう。けど、絶対に離れない。ずっと側にいる。彼女がもう……独りで泣くことがないように」


 口元に笑みを浮かべながら、真っ直ぐにそう言った。
 それに、ローザさんは「けっ」と顔を逸らし、


「あたし……やっぱお前のこと、嫌いだわ」


 きっぱりと、そう宣言した。


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