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16 酒は至上の潤滑油
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しおりを挟むイリオンの海に、太陽が沈む。
隣家のないブルーノの家の周りは、静かな暗闇に包まれた。
聞こえてくるのは川のせせらぎと、虫の鳴き声だけ。
空に昇った月と、彼の家から漏れる灯りだけが、暗い川のほとりを暖かに照らしていた。
「──さぁ、できたぞ」
ブルーノは、出来上がった料理をテーブルに並べる。
魚の塩焼きに煮込み。魚のあらと海草を煮込んだスープに、貝のバター炒め、などなど……
目にも鮮やかな、魚介尽くしのメニューである。
それを眺め、エリスはうっとりと頬に手を当てる。
「きゃーっ、美味しそう! 港の漁師飯、食べてみたかったの!」
「ふん。大雑把な男料理じゃ、味の保証はせんぞ」
「大丈夫! ぜったい美味しい! においが既に美味しいもん!!」
エリスのキラキラした視線から逃げるように、ブルーノはそっぽを向いた。
そんな彼に、クレアは漁網を持って近付き、
「こちらもちょうど終わりました。小さな穴や、ほつれかかっていた箇所も直したのですが……いかがでしょう?」
と、直した箇所を広げて見せた。
ブルーノは顎に手を当て、網をじっくりと眺め……
「……ん、悪くない仕上がりだ。あんちゃんにはこの、魚のほほ肉をやる。美味いから食え」
と、クレアの分のスープに魚の頭の部分をよそった。どうやら報酬のつもりらしい。
隣でエリスが「えーずるーい!」と喚くが、クレアは「ありがとうございます」と遠慮なく受け取った。
報告書を書き終えたシルフィーもテーブルに着き、その料理の豪華さに驚く。
「うわぁ、こんなにたくさん! すみません、押しかけるような形になってしまって」
「何を今更。恩を売りつけてきたのはそっちだろう? 儂ゃ後腐れないように対価を支払っとるだけじゃ。明日以降のメシは知らんぞ。自分らでなんとかせい」
「はーいっ! ねね、早く食べよ! いっただっきまーす!!」
ブルーノの悪態をものともせず、エリスは手を合わせ、食べ始めた。
まずは、スープを一口。
静かに啜って、こくんと飲み込む……
直後、カッ! と目を見開いて、
「んんんんっ! このスープうんまっ!!」
大音量で叫んだ。
突然の大声に、ブルーノは目を丸くする。
さらにエリスが続けて、
「え、おじいさんさっき調味料そんなに入れてなかったよね? ってことは、コレぜんぶ魚自体の旨み?! はぁ……すご。なんでこんなに深い味になるんだろう? あたし、魚に生まれ変わったらこのスープになりたいな」
なんてことを、至極真面目な顔で言うので……
クレアはにこにことそれを見つめ、シルフィーは「また始まった」と息を吐き……
ブルーノは、暫し唖然とし……やっとのことで言葉を絞り出した。
「……な、何を大袈裟な。褒めてもなにも出んぞ?」
「大袈裟じゃないわよ。もしも魚に生まれて、運悪く人間に捕まっちゃったら、これくらい美味しくしてもらいって本気で思うもん。ほんと、料理が上手な人って心から尊敬するわ。美味しく調理するってことは、いただいた命に対する最大級の敬意の表れだもの。さすがは『一端の漁師』さんね」
と、にっこり笑うエリス。
その言葉に、ブルーノはやはり呆気にとられたように口を開け、
「……まったく。本当にヘンな小娘だな」
険しい顔を緩め、少しだけ微笑んだ。
──それから四人は、美味しい料理を囲みながら楽しく食事を進めた。
どんな人間でも、食事の時は身も心も無防備になるもの。
同じ皿の飯を食らうことで、心の距離まで縮まるように思える。
実際、ブルーノの気難しい表情や態度も、徐々に柔らかくなっているとクレアは感じていた。
もしかすると、こんな風に誰かと食卓を囲むこと自体、独り身のブルーノにとっては珍しいことなのかもしれない。
……この雰囲気なら、あるいは。
と、クレアは機を伺う。
『風別ツ劔』を飲み込んだイシャナの噂について、聞き出すその機を……
しかし、クレアより先に動いたのは、エリスだった。
彼女は幸せそうな顔で食べ進めながら、その合間に、こんなことを口にしたのだ。
「ねぇねぇ、そういえばさ。クレアってお酒、好き?」
本当に、何の気なしに聞いた、というような口調。
だからクレアは、あまり深く考えずに、
「はい。好きですよ」
そう、答えた。
するとエリスは小首を傾げながら、
「こういう魚料理って、よく『お酒に合う』って言うじゃない? あたし、まだお酒飲める歳じゃないから、それがよくわからないのよね。『お酒に合う』って、どんな感覚なの?」
興味深そうに、そんなことを尋ねてきた。
するとその横で、シルフィーが驚いた顔をして、
「そういえばエリスさんて、まだ十八歳なんですよね。未だに信じられないですけど」
「なにそれ。老けてるって言いたいの?」
「いえいえ、お若いのにしっかりしてるってことです」
エリスがジトッとした目を向けるので、シルフィーは慌てて手を振る。
(見た目じゃなくて、内面の図太さが十八歳少女のソレじゃないんですよ……)
なんて本音は、言えるはずもないので飲み込んでおいた。
「そう言うシルフィーも、クレアと同じ二十歳なのよね。信じられないことに」
「それこそどういう意味ですか」
「シルフィーはお酒好き? 『お酒に合う』って、どんなかんじ?」
こちらの疑問は完全無視で、クレアにしたのと同じ質問を投げかけるエリス。シルフィーは「うーん」と天を仰ぐ。
国によって法律が異なるが、ここアルアビスでは二十歳から飲酒が可能だ。
当然、シルフィーにも飲酒経験はあるが……
「……まぁ、嫌いじゃないですけど、そんなに頻繁には飲まないんですよね。パーティなどで乾杯用のシャンパンを飲むくらいかなぁ」
「おぉ。パーティだなんて、さすが貴族」
「そんなにお酒に強いわけでもないですし、ちゃんと食事と合わせて楽しむなんて、したことないかもです」
「ふーん。じゃあやっぱりクレアに聞こう。どうなの? クレア」
再びバトンを託され、クレアも「そうですね……」と少し考え込む。
そして、
「これはあくまで、私の持論ですが……エリス。この魚の煮込み、パンにとてもよく合いますよね」
「うん。めっちゃ合う。パン何個でもイケる」
「その感覚に非常に近いです。塩気や脂が濃いものは、美味しいですが、それだけを食べるのはなんだかもったいない気がする。何かで中和したい……いや、むしろもっと引き立てたる何かと一緒に口にしたい。そんな時にお酒を飲むと、おかずがより美味しく引き立つのです。それが恐らく、『酒に合う』という感覚なのだと思います」
理路整然としたクレアの解説に、エリスだけでなくシルフィーまでもが『おぉ』と感心する。
しかし、ブルーノだけは「ふんっ」と鼻を鳴らし、
「逆だな。"メシを美味くするための酒"じゃない。"酒を美味くするためのメシ"じゃ。真の酒飲みは、まず"酒ありき"で肴を考える」
「よーするにどっちも引き立つってことでしょ? なんとなくわかったわ。で、おじいさん」
そこで。
エリスはぐっと、ブルーノの顔を覗き込み、
「今の口ぶりからすると、相当なお酒好きなのよね。今は禁酒してるって言ってたけど……せっかくだから、今日は飲んじゃえば?」
なんて、禁酒している人間にとっては悪魔の囁きでしかないセリフを放った。
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