氷の蝶は死神の花の夢をみる

河津田 眞紀

文字の大きさ
59 / 76
第二章 近づく距離と彼女の秘密

6-9 ささやきに耳を傾けて

しおりを挟む
 

 蝶梨の背後──汰一の視線の先。

 そこに現れたのは、三体の……だった。


『ような』と汰一が思うのは、手放しに『犬』と呼んで良いのかわからない姿をしているためである。

 墨汁を零したように黒い身体は、中型犬に近い形をしているが……輪郭が曖昧で、確かにそこにいるのに、どこかぼやけて見える。
 ピンと立った耳に、鋭い牙が覗く口。しかし漆黒の体色のせいか、双眸そうぼうの位置は見て取れない。
 それだけ黒い毛並みをしているのに、後ろ足の付け根にはうっすらと白い模様が浮き上がっている。
 その奇妙な模様が……汰一には、無数の撫子なでしこの花のように見えた。



「きゃっ……い、犬? いつの間に……?」


 汰一の声に蝶梨も振り返り、怯えた表情を浮かべた……直後。
 三匹の"黒い獣"が、二人に向かって一斉に飛びかかってきた。


「危ねっ!」


 汰一は蝶梨の身体を抱いたまま横に飛び、"獣"の攻撃をかわす。
 彼女の制服を汚さぬよう背中から受け身を取り地面に倒れ込むと、ぬかるんだ土がビチャリと跳ねた。

 胸の中の蝶梨が無事であることを確認しながら起き上がると、三匹の"獣"が二人を取り囲むようにしてにじり寄って来る。


 大きく裂けた口からよだれを垂らし、牙を剥き出しにして低く唸る黒い異形……
 その姿に、汰一は先日ゲームセンターの帰りに遭遇した、謎の"黒いもや"を思い出していた。

 そこにいるはずなのに存在が希薄な、気体のような身体。
 獣をかたどった闇色のシルエット。
 "厄"に似ているが、此岸しがんにいる自分や蝶梨の目に映る奇妙さ。

 ゲームセンターの時のあれも、今目の前にいる"獣"も、柴崎の言っていた『実体を持って此岸に現れるヤバいヤツ』なのだろうか?

 だとするならば……こいつらの狙いは、"エンシ"である蝶梨のはずだ。


「……彩岐、俺の後ろに下がっていてくれ」


 蝶梨の前に立ちながら、汰一が低く言う。
 同時に、汰一の周囲をザワザワと風が取り巻き始める。
 カマイタチが、動き出したのだ。

 風は、汰一の周りを駆け巡ると一気に上昇し、頭上を覆う木々へと突っ込み……
 ヒュッ、と高い音を鳴らしたかと思うと、汰一の目の前に木の枝が落ちてきた。突然のことに、驚いた蝶梨が小さく声を上げる。
 木刀大の、丈夫そうな枝だ。どうやらこれを使って戦えと、カマイタチは言いたいらしい。

 汰一は枝を拾うと、両手で握り剣のように構える。


 せっかく人生最大の幸福に浸っていたというのに、帳尻を合わせるように不幸が襲って来やがった。
 まったく、どうしてこう嫌な予感ばかりが当たるのか……


 汰一は自身の運命を呪いながら、ポケットの中の御守りに意識を向ける。


「(おい、柴崎。いつまでもサボっていないで、たまにはすぐに助けに来たらどうだ?)」


 そう脳内で呼びかけるが、やはり返答はない。
 またこのパターンか……と、汰一は額から汗を流す。

 にもかくにも蝶梨を護らなければならない。
 逃げようにも、来た道は目の前の"獣"たちに塞がれている。カマイタチと協力し、柴崎が対処に動くまでの時間を稼がなくては。
 その前に、このやしろにいる神が助けてくれるならありがたいが……不確かな希望をじっと待つわけにもいかない。

 俺が……やるしかない。


 枝を握る手に、ぎゅっと力を込める。
 すると、それに応えるようにカマイタチの風が汰一を取り巻き──
 ヒュルヒュルと音を立てながら、握った枝の周りに轟風が纏わり付いた。


「か、刈磨くん……」


 風に髪を揺らしながら、蝶梨が不安そうな声を上げるが……
 汰一は答えないまま、"獣"に向かって駆け出した。


「はぁあっ!」


 気合を吐きながら、三匹の内、左側にいる二匹を目がけて枝を振り下ろす。
 が、二匹とも大きく後退しかわされた。想定内だ。黙って殴られるほど大人しくはないだろう。
 二匹が飛び退いた直後、


「ガゥウッ!」


 残された右の一匹が、汰一へ飛びかかって来る。
 これも狙い通り。汰一は手首を返し枝を持ち替え、その一匹に向けて横薙ぎに振るった。

 枝は、"獣"に当たる直前で空を切る。
 だが、それで十分だった。何故なら……

 汰一の目的は、式神カマイタチの力をぶつけることだから。

 振るった枝の軌道から鋭い風が放たれ、飛びかかって来る"獣"へと向かう。
 刹那、「ギャウンッ」という悲鳴と共に、漆黒の身体に裂け目が生まれた。風の刃が"獣"を斬り裂いたのだ。


 やはり……と、汰一は思う。
 カマイタチの風が効くということは、この"獣"たちは"厄"に近い存在なのだ。
 ならば、枝で叩く物理攻撃よりも、カマイタチの風を駆使する方が確実に対処できるだろう。

 そのためには、今のように一匹ずつ相手していくしかない。
 これまでに邂逅した"達磨だるま"や"ひる"と違い、この"獣"は小さい分動きが速い。しっかりと距離を取り、隙を見ながら攻撃を仕掛けることにする。


 風の刃を喰らった一匹の動きが鈍ると、他二匹が唸り声を上げながら同時に駆けて来た。
 汰一はすぐに横薙ぎに一閃、枝を振るう。
 そこから放たれた鋭い風が一匹に当たり、接近を止めた。

 しかしもう一匹が、汰一の予想を上回るスピードで迫り来る。
 枝を振るう暇もないままに飛びかかられ、汰一は咄嗟に枝を両手で持ち替え盾にし、その衝突を防いだ。

 鋭い牙で枝に食らい付いてくる"獣"──至近距離で見ても眼球らしきものの位置は確認できない。
 闇を凝縮したような朧げな身体は、見れば見るほどに不気味だった。


「くっ……」


 汰一は押し返すように枝を振るい、食らい付いていた"獣"を引き離す。
 その勢いに乗じてカマイタチが風の刃を放ち、"獣"は斬り裂かれながら石畳の上を転がるように吹き飛んでいった。

 その時、先ほど風で侵攻を止めたもう一匹が横から駆けて来た。
 汰一は枝を構え直し、正面から応戦しようと準備するが……


「グルル……」


 背後から、唸り声。
 最初に風の刃で斬り付けた一匹が、汰一を挟み討ちするように迫って来ていた。
 先ほど斬り裂いたはず箇所は、もう半分ほどが塞がっている。傷口から黒い気体が漏れ、裂け目を修復しているようだった。


(こいつら……再生するのか……?!)


 驚愕している間にも、二匹の"獣"はみるみる内に汰一へと駆けて来る。
 前からも後ろからも脅威が迫り、汰一の額に汗が滲む。


 こんな得体の知れない化け物を、一人で二匹同時に相手するなど不可能だ。
 ましてや相手はこの世ならざる者。勝算がなさすぎる。

 ……そう。
 あくまで、

 とは、もう何度か一緒に戦ってきたのだ。
 今ならきっと……上手く連携が取れるはず。


 汰一は目の前の一匹と対峙し、枝を構える。
 その背後からはもう一匹がスピードを上げ迫るが、汰一はそちらを見ない。


「刈磨くんあぶない……っ!」


 蝶梨の悲痛な叫びがこだました──直後。
 正面の一匹が、汰一に飛びかかった。

 汰一は枝を横に持ち、迷いなくその牙を受け止める。
 同時に、背後からのもう一匹が飛びかかってくるが……


「(頼む、カマイタチ……!)」


 枝を握りしめ、汰一は強く念じる。
 すると、それに応えるように枝の周囲を逆巻いていた風が離れ……
 瞬時に、背後の"獣"を斬り裂いた。

「ギャンッ!」と悲鳴を上げ、動きを止める"獣"。
 その隙に、汰一は枝に喰らい付いた正面の一匹を振り回すようにして回転し、


「うぉぉおお!」


 枝ごと手放し、背後の"獣"に思いっきりぶつけた。

 重なり合うようにして吹き飛ぶ二匹。
 地面に落下するまでの僅かな隙にも、カマイタチの風がさらに"獣"たちを斬り付ける。
 そして、ズザーッと音を立てながら、二匹の"獣"は地面を滑るように転がった。


 汰一は息を吐き、胸の内でカマイタチに礼を述べる。
 おかげで何とか窮地を脱することができたが……安心するにはまだ早い。

 "獣"たちを吹き飛ばした反動で、汰一の手からは枝が離れてしまっていた。
 今は倒れているが、いつまた"獣"たちが動き出すかわからない。まずは新たな得物を手にしなくては……

 と、カマイタチに再び手頃な枝を用意してもらおうとした……その時。



「グルルゥ……」



 石畳の上へと吹き飛ばしたはずの一匹が、ゆっくりと汰一ににじり寄って来た。
 先ほど斬り裂いたはずの身体の傷は、驚くほどに再生されている。
 さらに、今しがた倒した二匹もすぐに起き上がり、汰一の方へ唸りながら近付いて来る。

 恐るべきタフさ……これでは切りがない。

 さすがに汰一も後退りをし、三匹の"獣"を順番に見つめる。


 こいつらは、一体何者なんだ?
 "厄"に似ているが、此岸に実体を持って現れ、式神カマイタチの攻撃を受けても再生する。
 柴崎の言葉通り、『ヤバいヤツ』だ。

 柴崎は、このような敵が現れることを予見していたのだろうか?
 ならば、もういい加減助けに来たっていいはずだ。
 斬っても斬っても再生するヤツらを相手にしていては……彼女を護り抜けるかわかったものではない。


「(柴崎……いい加減にしないと、本当に彩岐が危ないぞ?)」


 三匹の"獣"から蝶梨を護るように、汰一は警戒しながら後退りする。



「(こんなわけわかんねぇヤツらに彩岐の命を奪われるくらいなら…………。彼女も、それを望んでいる。どっちにしろ大事な"エンシ"が死ぬことになるぞ? いいのか?)」



 どこにいるかもわからない神に向かって、汰一は訴えかける。

 やがて、三匹の"獣"にジリジリと距離を詰められ……
 蝶梨を背に隠すようにしながら、汰一はやしろの前まで追い込まれた。

 このまま一斉に飛びかかられたらお終いだ。
 仮にカマイタチが防いでくれたとしても、こいつらはすぐに再生する。やられるのは時間の問題だ。


「刈磨くん……」


 怯えた声と共に、蝶梨が汰一の背中にしがみ付く。
 奥歯を噛み締め、汰一がもう一度柴崎に念を送った──その時。


 三匹の"獣"が、ぴたりとその動きを止めた。


 目のない顔を、汰一たちの頭上──神社のやしろの上に向けている。
 そして、びくりと身体を震わせ、耳を弱々しく垂らすと……

 何かから逃げるように、石畳の向こうへと走り去って行った。



「…………」


 "獣"たちが去って行く様子を、汰一は唖然と見つめる。
 そして、その姿が完全に見えなくなったことを確認してから、自らも社を見上げた。

 雨が止み、曇天から差す薄日に照らされながら、屋根の上に佇んでいたのは……


 一匹の、蛇だ。


 とぐろを巻き、赤い両目で汰一たちを見下ろしている。
 日光のせいで白く光って見えるが……その身体は、水でかたどられたように透明だ。

 どうやら"獣"たちは、この蛇を恐れて逃げ出したらしい。
 水のような身体を持つその姿に、汰一は既視感を覚え、


「(……遅ぇよ)」


 と、胸の内で悪態をつく。

 それを感じ取ったのかはわからないが、蛇は赤い舌をちろりと出すと……
 屋根の向こうへと這い、静かに消えて行った。

 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

光のもとで2

葉野りるは
青春
一年の療養を経て高校へ入学した翠葉は「高校一年」という濃厚な時間を過ごし、 新たな気持ちで新学期を迎える。 好きな人と両思いにはなれたけれど、だからといって順風満帆にいくわけではないみたい。 少し環境が変わっただけで会う機会は減ってしまったし、気持ちがすれ違うことも多々。 それでも、同じ時間を過ごし共に歩めることに感謝を……。 この世界には当たり前のことなどひとつもなく、あるのは光のような奇跡だけだから。 何か問題が起きたとしても、一つひとつ乗り越えて行きたい―― (10万文字を一冊として、文庫本10冊ほどの長さです)

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

学園のアイドルに、俺の部屋のギャル地縛霊がちょっかいを出すから話がややこしくなる。

たかなしポン太
青春
【第1回ノベルピアWEB小説コンテスト中間選考通過作品】 『み、見えるの?』 「見えるかと言われると……ギリ見えない……」 『ふぇっ? ちょっ、ちょっと! どこ見てんのよ!』  ◆◆◆  仏教系学園の高校に通う霊能者、尚也。  劣悪な環境での寮生活を1年間終えたあと、2年生から念願のアパート暮らしを始めることになった。  ところが入居予定のアパートの部屋に行ってみると……そこにはセーラー服を着たギャル地縛霊、りんが住み着いていた。  後悔の念が強すぎて、この世に魂が残ってしまったりん。  尚也はそんなりんを無事に成仏させるため、りんと共同生活をすることを決意する。    また新学期の学校では、尚也は学園のアイドルこと花宮琴葉と同じクラスで席も近くなった。  尚也は1年生の時、たまたま琴葉が困っていた時に助けてあげたことがあるのだが……    霊能者の尚也、ギャル地縛霊のりん、学園のアイドル琴葉。  3人とその仲間たちが繰り広げる、ちょっと不思議な日常。  愉快で甘くて、ちょっと切ない、ライトファンタジーなラブコメディー! ※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。

日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー

黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた! あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。 さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。 この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。 さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。

おじさん、女子高生になる

一宮 沙耶
大衆娯楽
だれからも振り向いてもらえないおじさん。 それが女子高生に向けて若返っていく。 そして政治闘争に巻き込まれていく。 その結末は?

【完結】知られてはいけない

ひなこ
ホラー
中学一年の女子・遠野莉々亜(とおの・りりあ)は、黒い封筒を開けたせいで仮想空間の学校へ閉じ込められる。 他にも中一から中三の男女十五人が同じように誘拐されて、現実世界に帰る一人になるために戦わなければならない。 登録させられた「あなたの大切なものは?」を、互いにバトルで当てあって相手の票を集めるデスゲーム。 勝ち残りと友情を天秤にかけて、ゲームは進んでいく。 一つ年上の男子・加川準(かがわ・じゅん)は敵か味方か?莉々亜は果たして、元の世界へ帰ることができるのか? 心理戦が飛び交う、四日間の戦いの物語。 (第二回きずな児童書大賞で奨励賞を受賞しました)

処理中です...