短編集【現代】

鈴花 里

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甘い香りの虜

後編

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「清花。ちょっと手伝って」


 朝食後。
 部屋でゆっくり寛いでいた清花の元に、兄が困ったような表情を浮かべてやって来た。その理由になんとなく察しがついている清花は、呆れたように溜め息をつく。
 手招きされるまま素直に従って、兄の部屋に入って更に大きな溜め息。案の定、予想していた通りのことだった。


「部屋の片付け、手伝えばいいの?」
「お願いします」


 どうやら部屋の片付けをしていたみたいだが、散らかすことが専門の兄とって片付けるという分野は難しすぎたらしい。
 これはある一定期間に開催される恒例行事であり、清花も今まで数えきれないほど手伝っていることだ。


「どこを片付けたらいい?」
「窓際の本棚をお願いします」
「了解」


 窓際に置かれている本棚はほとんどが空き。本棚にあったと思われる本は部屋の至るところで山積みになっているのが現状だ。

(この本棚に本を戻す作業を、一体何度やってきたことか……)

 心の中でぼやきながら、とりあえず近くにあった本から順に戻していく。きっとまたすぐに散らばるのだろうと思うと、片付ける意味はない気もするが、ゴキブリを発生させないためには必要なことだろうと言い聞かせる。
 近くにある本から手に取り、背表紙の巻数を確認しながら順番に並べていく。それを繰り返していくうちに、自分の回り一帯がようやく綺麗になった頃。
 窓の外に視線を向けると、そこに匠の姿を発見する。

(あんなところで何してるんだろ?)

 不思議に首を傾げながら様子を窺っていると。


「あ」


 匠に向かって駆け寄っていく女が一人。
 それも屋敷の使用人で、綺麗で色っぽいと有名な女だ。つい、ガン見してしまう。

(何してるの?)

 さすがに距離があるため、窓を開けたところで話し声は聞こえない。
 しかし、女が匠に色目を使っていることはよくわかる。

 女の勘だ。

 しかも、匠の腕に体を寄せて豊満な胸を押しつけているように見える。あれは、誘惑以外の何ものでもない。
 清花の頬が、徐々に膨れ上がっていく。


「どうした?」


 片付けの手を止め、かじりつくように外を凝視している清花に気づいた兄は、傍へ近寄り、視線を同じ方へ向ける。


「あー。また言い寄られてるんだ」
「また?」


 兄の発言に、清花は眉間にシワを寄せる。


「この間も言い寄られてたよ。人は違ったけど」
「……匠君、モテるの?」
「モテモテだよ。綺麗な顔で、穏やかで、優しくて、有能だし。独身の使用人はほとんど匠君のこと狙ってるよ」
「…………」
「あれ? 気づいてなかった?」
「まったく」
「あっはっはー。本当、この手のことは鈍いね」


 声を出して笑う兄に腹は立つが、鈍いことを自覚しているため反論はできない。ずっと傍にいたのに、まったく気がつかなかったのだ。
 見つめる先では未だ、豊満なボディを持つ女が匠に迫っているのがわかる。


「やっぱり……あれくらいセクシーな方が魅力的なの?」
「え?」
「私みたいな平均的な体型より」
「んー。どうかな? 人それぞれだと思うけど」
「ふーん……」
「まぁ、匠君なら――」
「…………」
「いや、やっぱりやめとこ」


 にこっと意味深な笑みを浮かべて、中途半端なところで話をやめる兄をジロリと睨む。
 しかし、そんなことに怯むわけもなく、適当に流されてしまう。


「そんなに気になるなら、窓でも開けて呼んでみれば?」
「できないよ……」
「じゃあ、俺がやってあげようか」
「え?」


 戸惑う清花を置き去りにして、躊躇う様子もなく窓を開けると――。


「蒼馬ー! 何不純なことしてんだー!!」
「お、お兄ちゃん!?」


 辺り一帯に響き渡るような大声。匠に言い寄っていた女は慌てたように体を離すと、こちらに一礼をして去っていく。当の匠は、穏やかな笑みを浮かべてこちらを見つめている。


「やば。怒らせた」
「えぇ!?」


 あの顔のどこが怒っているのか清花にはわからないが、兄は急いで窓を閉めると、「ちょっと避難してくる」と言い残して部屋を出ていってしまう。一人残された清花は、どうすればいいのかわからず、その場で狼狽える。

(と、とりあえず、どこかに隠れなきゃ……)

 兄が避難したということは、この部屋に匠が来るということ。今会うのは少し気まずい気がして、清花は咄嗟にクローゼットの中へ隠れる。

(……いろんな物が詰め込まれてて、汚い)

 部屋同様、クローゼットの中も汚かった。
 扉を閉めてしまったため、中は暗くあまり見えないがもう使えそうもない物が入っている気がする。これではクローゼットではなく、物置だ。

(隠れるところ間違えたかも)

 苦手な虫がいるかもしれないと考えただけで、鳥肌が立つ。正直、この汚さならいてもおかしくはない。

(いませんように……!)

 心の中で祈りながら大人しくしていると――。


「ひっ!?」


 微かに聞こえた、ブゥンッという羽の音。虫がいるのかもしれないと動揺しながら耳を研ぎ澄ますも、音はしない。

(あれ……? 気のせい……?)

 確かに聞こえたはずなのに、と不思議に首を傾げた瞬間。


「ぎゃあっ!!?」


 耳のすぐそばで聞こえた羽の音に驚き、クローゼットを飛び出す。
 しかし、勢いがつきすぎていたせいでバランスを崩して転んでしまい、顔を床に打ちつけそうになって、ぎゅっと目を閉じれば――。


「……っ………あ、れ?」


 何かに抱き止められた感覚と同時に、鼻をくすぐる甘い香り。
 助けてくれたのが誰なのか、すぐにわかってしまった。


「……蒼馬?」
「ケガはありませんか? お嬢様」


 いつものように優しい微笑みを浮かべている、匠の姿。ほっと安堵の息をもらすが、至近距離からのいい香りに我を忘れそうになり、咄嗟に突き飛ばそうとする。
 しかし、それを見越してか強く抱き締められてしまい、どうすることもできない。


「もう大丈夫、だからっ……離し、て……」


 早く離れなければ。
 匠の体をなけなしの力で押し返そうとするが、ピクリとも動かない。鼻をくすぐる甘くいい香りは、清花の理性を徐々に奪おうとしてくる。

「い、やぁ…っ……離して! お願い、だからっ」


 グスッと鼻をすすりながら、匠の服を握りしめる。その瞬間、なぜか匠の体がビクリッと震えた。


「お願い……、離し…っ」
「…………私のこと、嫌いになりましたか?」
「……え?」
「いつの頃からか、私が近寄ると避けるようになりましたね」
「あ……」
「何か……してしまいましたか?」


 そっと顔を上げれば、傷ついたような悲しげな。
 清花も初めて見る、匠の表情だった。
 突き飛ばした後は、いつもと変わらない態度で何事もなかったかのように接してくれていた。傷ついているなんて、思ってもみなかった。


「私はもう……貴女の傍にはいられませんか?」


 無理に笑おうとする姿に、清花は唇を引き結ぶ。
 自分は今まで何をやっていたのか。匠を傷つけてまで自分の体裁を守ろうとしていたことに腹が立って仕方がない。


「違う、違うの。貴方は何も悪くない……。私が悪いのっ」
「お嬢様?」
「……香りがするの。甘くて、とってもいい香り。その香りがするたびに……なんか、こう……変な気持ちに、なって……そのっ」
「それが、私からすると?」
「う、うん……」


 真っ赤に染まった顔を隠すように、匠の胸にグリグリと顔を埋める。変わらず甘いいい香りはするが、今はほっと安心するような香りだ。匠の体にすがりついて、存分に堪能する。


「お嬢様」
「なに……」
「あまり無防備に抱きつかれると、ムラムラ致します」
「う…………ん?」


 匠の口から出た言葉に引っ掛かりを感じ、恐る恐る顔を上げる。するとそこには、輝かしいほどの笑みを浮かべた匠の顔。
 次の瞬間には、清花の背中に回っている匠の手がいやらしく動き出す。


「え……っ……な、なに!?」


 顔を真っ赤に染めながらジタバタと暴れようとするが、まったく体が動かない。匠にガッチリとホールドされている。


「その初々しい反応、たまりませんね」
「……っ…!?」


 低音の、とびきりいい声が聞こえた瞬間。
 見事、限界突破した清花は……眠るように意識を失うのだった。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 あれから――。
 眠るように意識を失った清花が目を覚ましたのは、完全に日が落ちた夜のことだった。


「……どうしたんだっけ?」


 ベッドから起き上がり、すでに暗くなっている自分の部屋を見回しながら首を傾げる。まだ少し寝ぼけている頭で、こうなった経緯を思い出すには時間がかかりそうだ。


「お嬢様。目が覚めたんですね」
「蒼馬……」


 いつも通りの穏やかな微笑みを浮かべた匠が、飲み物の乗ったおぼんを持って部屋に入ってくる。


「カモミールティーです。どうぞ」
「ありがと……」


 匠からカップを受け取って、とりあえず一口。いつもと変わらないブレのない美味しさに、ほっと息をつく。


「お嬢様」
「うん?」
「好きです」
「う…………ん?」


 さらっと言われた言葉に違和感。

(今、なんて言った……?)

 混乱し始めた頭で、恐る恐る匠へ顔を向ければ……。


「好きです」
「!?」
「貴女のことが好きです」
「なんで二回言ったの!?」
「なんとなく」


 輝かしいほどの微笑みを浮かべる匠に、告白されたことへの動揺もあってか清花の顔が赤く染まる。


「あ」
「お嬢様?」
「あ、あぁぁぁ!!」


 匠とのやりとりで頭が冴えてきたせいか、自分がなぜ眠っていたのかを思い出す。それは、いつもとまったく雰囲気の違うお色気フェロモン全開の匠に迫られたせいだと。


「突然奇声をあげて……。頭は大丈夫ですか?」
「大丈夫です!! ……って、そんなことより! な、なんだったの、アレはっ!?」
「アレ? ……あぁ。抱きしめただけで失神するなんて、本当に可愛らしい人ですね」
「違うでしょっ!? 手が、なんか手が! いやらしかった!!」
「普通ですよ?」
「絶対にウソ!!」


 目に涙を浮かべ顔を真っ赤に染めながら必死に叫べば、手に持っているカップがカタカタと震える。危ないと思った匠がそのカップを受け取ると、清花は枕を抱き締めて縮こまる。


「嫌でしたか?」
「え……? い、嫌って、わけじゃ……」
「抱き締めていいですか?」
「な、なんでそうなるのっ!?」


 頭から湯気が出そうなほど混乱している清花を見て、匠は声を出して笑う。


「可愛らしい人ですね」
「バカにしてる!?」
「してませんよ」
「もうっ!!」


 腹立たしげに抱き締めていた枕を匠に投げつけるが、余裕でキャッチされてしまう。


「お嬢様」
「なにっ!」
「抱き締めていいですか?」
「だからなんで――」
「好きだから抱き締めたいんです」
「へ」
「いいですか?」


 いつも通りの穏やかな微笑みで両手を広げる匠。さっきまではからかわれていると思って腹を立てていた清花も、『好きだから』と言われては突き放すこともできない。

(だって、匠君に抱き締められても嫌じゃなかったんだもん……)

 恥ずかしそうに唇を尖らせて俯く。


「お嬢様」
「うん……」
「抱き締めてもいいですか?」
「…………ん」


 顔を赤く染めながらコクンッと頷けば、あっという間に縮まる距離。匠の腕の中に優しく抱き締められると、鼻をくすぐる甘いいい香りに体の緊張がほぐれていく。


「……ねぇ」
「はい」
「香水とかつけてるの?」
「いいえ」
「すごくいい香りがするの……。どうして?」
「さぁ。どうしてでしょう?」
「私が聞いてるのに……」


 ムッとした不機嫌そうな表情を浮かべれば、優しく撫でられる頭。子供扱いされているようで気に入らないが、なぜか安心してしまうため怒るに怒れない。


「なんで私なの?」
「理由が必要ですか?」
「だって、胸とか大きくないのに」
「私は胸の大きさで女性を選んでいるわけではありませんよ」
「でも、男の人って胸の大きい女の人好きでしょ」
「まぁ、そういう人の方が多いですね」
「ほら……」
「私は貴女の内面が好きですよ」


 顔を覗きこみながらにっこり微笑む匠に、ドキッと胸が高鳴る。その顔は、どこまでも優しい色をしている。


「た、たとえば……?」
「使用人にも優しく気遣いができるところ」
「他には……?」
「目を見て話を聞いてくれるところ」
「他は……?」
「笑って挨拶をしてくれるところ」
「まだある……?」
「一番に私を頼ってくれるところ」


 ぎゅうっと苦しいくらいに抱き締められる。胸の高鳴りが止まらず、苦しくて仕方ない。
 でも――。

(嬉しい……)

 さっきまで不安げだったその顔には、柔らかな微笑み。
 匠の背中に手を回し、自分からもぎゅっと抱きつく。鼻をくすぐる甘い香りは、今はもう安らぎしかくれない。


「お嬢様、名前を呼んでもらえますか?」
「名前?」
「はい。昔のように」
「…………匠君」
「はい」


 嬉しそうな明るい声に、清花まで嬉しくなる。名前を呼ぶだけで喜んでもらえるなら、これからは昔のように名前で呼ぶのも悪くない。
 匠の胸に頬ずりをしながら小さく笑う。


「お嬢様」
「うん」
「知っていましたか?」
「?」
「私がずっと貴女の傍にいたワケを」
「え? 執事で、護衛だからでしょ?」
「やはりそうでしたか」
「?」


 体を揺らしながらおかしそうに笑う匠に、よく意味のわからない清花はキョトンとした顔で首を傾げる。
 小さい頃からずっと傍にいる理由なんて、それ以外に考えようもない。


「他に理由があるの?」
「はい。本当は――」


 耳元で、ボソッと小さな声で囁やけば。
 清花の顔が見る見るうちに驚きに変わっていく。


「ウソ! そんなの聞いたことないっ!」
「言ってませんからね」
「あ! だから、私に遠慮がなかったんだ!」
「そういうことになりますね」
「何それっ!」


 ムスッとした表情を浮かべ顔をそむける清花の頭を優しく撫でながら、笑いを堪えられない匠。当然、清花はおもしろくない。


「お嬢様」
「なにっ!」
「これからはもっと親密によろしくお願いします」
「し、親密?」
「逃げ場はないからそのつもりでね。清花」
「……っ…!?」


 色気を含んだ低い声音で囁かれ、限界値ギリギリの清花は失神寸前。
 さっき教えてもらった匠の言葉が、頭の中をぐるぐると駆け回る。


『本当は――私が貴女の許婚者だからですよ』


 清花のことなら何から何まで知っている彼に、この先太刀打ちできるのか――。

(絶対にムリ!!)

 今後永遠に主導権を握られるであろう未来に身震いしながらも、清花の表情には幸せそうな可愛らしい笑みが浮かんでいたのだった。



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