腐った縁ほど良縁に

鈴花 里

文字の大きさ
1 / 20
三毛猫と極限の人事部

しおりを挟む

「今日が、俺達の命日になるかもしれねぇな……」


 覇気のない声に乗った不吉な言葉。しかし、すでにお通夜状態と化した室内には、驚くほど自然と溶ける―――。
 季節は、冬と春の間である二月下旬。年が明けて少し経ち、年度の終わりが近付く今日この頃。
 どの部署もそれなりに忙しくする中で、たった一つ。群を抜いて、誰もが引くほどの激務化―――ブラック企業ならぬブラック部署が存在する。そこは―――。


「今年の【人事部】は、あと一歩で全員ゾンビになりそうだよな」


 そう。人事部。
 イエス。人事部。
 通りすがりの他部署社員の言葉に、


『ほぼゾンビですけど、何か?』


 と人事部一同、ツッコミたい気分である。
 しかし、そんなことすら体力の無駄だと、彼らは右から左へと聞き流した。
 この時期は、人事部にとって一年で一番忙しい時だ。
 各部署社員達の昇進手続き。
 定年退職者の退職手続き。
 新入社員の入社手続き。
 他にもやることは山のようにある。
 そしてなぜか、この会社の人事部は、他部署に比べて社員が少ない。
 そのせいで、個々に割り当てられる仕事量は、まさに限界値。昼食は、ながら食べである。
 そして上司曰く、人事部には仕事のできる要領のいい社員しかいないとのこと。そのおかげで、今まで一度も期限を超過したことはないらしい。
 しかし、社員達からしてみれば、そこがまた大きなプレッシャーになっており。それは、優秀が故の悩みでもある。
 そんな彼らの願いは、


『早く人員が増えますようにー!!』


 の一択のみだ。数年前からずっと……。
 とはいえ、仕事のできる人材が欲しいのは、もちろん人事部だけではない。
 更に、人気のない部署でもあるため、人員は思ったより増えないのである。不憫だ。
 そして更に、そんな人事部には、毎年の恒例化となってしまったことが一つある。
 それは、忙しい時期を乗り越えた瞬間に起こる。
 極度の過労により二、三人ほど病院送りになること。負の恒例化である。
 そんな事態に、受け入れ先の病院も、すでに心配を通り越し。更に、怒りや呆れも通り越し。
 今では、菩薩のような優しさで迎え入れてくれるらしい。
 笑顔を浮かべるその顔は、


『ベッド空けておきましたよ。来るのはわかっていたから』


 と語りかけてくるのだとか。
 ちなみに、その菩薩笑顔は退院するまで続き。入院経験者達は皆揃って、遠い目しながら声だけで笑っていた―――。


『それにしても……。これ、本当に終わるのか……?』


 と、誰かが………全員が心の中で呟く。
 今年の忙しさは、異常だと。
 簡単な言葉で片付けるのなら、【人事部の大厄】だ。
 そして、そうなった原因はもちろん存在する。
 まず、一つ。【他部署の社員数名の不倫騒ぎ】。
 周りの人達も巻き込む修羅場が勃発した。そのせいで、時期外れの人事異動が発生し、人事部の仕事が増加。
 そして、不倫をした当事者達には、人事部課長から爆撃レベルの雷が落とされる。あまりの恐怖に全員が大号泣し、額を床に擦り付けながら土下座したという。
 二つ目。【今年の定年退職者が例年の倍】。
 おめでたいことではあるが、人事部の仕事は増加。
 人事部課長からは、「もっと働けや、ジジイ共」という暴言が増えた。
 三つ目。【新年度から採用の新入社員が例年の倍】。
 定年退職者の穴を埋めるための増員である。
 またしても、人事部の仕事が増加。
 お馴染みの課長からは、「去年の新入社員だってまだ使えねぇのに、更に増やしてどうすんだ」という辛辣な評価が下る。
 そして、極めつけ。【インフルエンザの蔓延】。
 部署丸々一つ業務停止になるほどの広がりよう。
 人事部からも被害者が三人。そのせいで、個々の仕事が更に増加し、人事部全員がグロッキー状態に。
 人事部課長は、インフルエンザを最初に発症したと思われる部署へ、除菌剤をぶちまけた。
 そして、現在。【人事部は地獄の中にいる】。


「………おい。昼飯はちゃんと食えよ……。つっても、腹が減ってんのか眠いのか、まったくわからねぇがな……」


 そんな課長の言葉に、人事部一同深く頷く。
 今の人事部は、いつ誰が倒れてもまったくおかしくない。
 室内に響くのは、パソコンのキーボード音。判子を押す音。筆圧の高いガリガリと走るペンの音。溜め息。歯ぎしり。空腹の音。欠伸。栄養ドリンクをがぶ飲みする音。その他、省略。
 誰が見てもわかる、極限状態だ。
 これには他部署の社員達にも同情心がわくらしく。皆、人事部の前を通りすぎる時に、なぜか手を合わせていくのだが……。


『お前らにはそんなことをする余裕があるのか。溝に落ちろ』


 怨み辛みが濃くなるのでやめてほしいのが本音だった。


「……………あ」


 そして、更なる事件は起こる。


「課長……」
「ん……。なんだ」
「糞ペテン師ども………営業部に、書類を取りに行ってきます……」
「……………」


 般若の如く鬼のような形相で、低く唸るように言葉を紡ぐ女性社員。
 ちょうど栄養ドリンクを飲んでいた課長は、空になったビンを机に叩きつける。
 そしてその破壊音に、人事部前の通路からは、


『ひぃっ!? な、なんか壊れたっ!?』


 と、数人の悲鳴が聞こえた。


「まーたやってくれたなぁ……? あのチワワ野郎……」


 課長の口から怒気を含んだ声が漏れ、更にその瞳には微かな殺意の色が。
 しかし、それは課長だけでなく、社員達も同じこと。


『そろそろチワワ狩りでも決行するか……?』


 と、全員の目が据わる。


「あのチワワ野郎より犬のチワワの方がよっぽど仕事できるんじゃねぇの?」
「「「 同感です 」」」


 そう声を揃えた人事部一同が殺気立つのには訳がある。
 それは、営業部課長の未提出書類の発見が、これで三度目だから。
 今の人事部は、誰が病院送りになってもおかしくない状況だ。それなのに、余計な仕事を増やし、妨害してくるのだ。
 呪いたくなるのも無理はない。


「手間かけさせて悪いな。実池みいけ
「気にしないでください。全面的に悪いのは、ペテン師のチワワ野郎です」


 実池と呼ばれた女性社員が首を横に振り、自分の席から立ち上がる。しかし、その腰は重い。


「実池。チワワ野郎に好きなだけ暴言吐いてこい。俺が許可する」


 そんな課長の言葉に、女性社員の心のモヤモヤが晴れかけるが……。それも一瞬のこと。
 たとえ、相手がチワワ以下であろと、課長は課長だ。平社員の彼女が暴言を吐くのはいかがなものか。


「………と言っても、アイツも一応課長だから無理か」
「はい……」
「じゃあ、アイツの発言に少しでも腹が立ったら、ここの内線鳴らせ」
「………わかりました」
「スピーカーにするのも忘れるなよ」
「?」


 なぜ、スピーカー? という疑問が喉から出かかるが、課長の表情を見てグッと飲み込む。


(こんな輝かしい笑顔の課長、初めて見た……。これはもしかして、営業部課長―――)


 と、ここで考えを止める。
 この不吉な予感が、現実になると困るからだ。
 【課長の退場=人事部の破滅】という方程式は、ずっと前から出来上がっている。


(………暴言は無理だけど、嫌味の一つくらいは言ってやろう)


 うん、と決意したように頷く女性社員。
 重い体に鞭を打ち、諸悪の根元とされる営業部へと向かう。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

離婚した妻の旅先

tartan321
恋愛
タイトル通りです。

雪の日に

藤谷 郁
恋愛
私には許嫁がいる。 親同士の約束で、生まれる前から決まっていた結婚相手。 大学卒業を控えた冬。 私は彼に会うため、雪の金沢へと旅立つ―― ※作品の初出は2014年(平成26年)。鉄道・駅などの描写は当時のものです。

離した手の温もり

橘 凛子
恋愛
3年前、未来を誓った君を置いて、私は夢を追いかけた。キャリアを優先した私に、君と会う資格なんてないのかもしれない。それでも、あの日の選択をずっと後悔している。そして今、私はあの場所へ帰ってきた。もう一度、君に会いたい。ただ、ごめんなさいと伝えたい。それだけでいい。それ以上の願いは、もう抱けないから。

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

離婚すると夫に告げる

tartan321
恋愛
タイトル通りです

貴男の隣にいたい

詩織
恋愛
事故で両親をなくし隣に引き取られた紗綾。一緒に住んでる圭吾に想いをよせるが迷惑かけまいと想いを封じ込める

清掃員と僕の密やかな情状

MisakiNonagase
恋愛
都心のオフィスビルで働く会社員の26歳・高城蓮(たかぎれん)。彼の無機質な日常に唯一の彩りを与えていたのは、夕方から現れる70歳の清掃員・山科和子だった。 青い作業服に身を包み、黙々と床を磨く彼女を、蓮は「気さくなおばあちゃん」だと思っていた。あの日、立ち飲み屋で私服姿の彼女と再会するまでは――。 肉じゃがの甘い湯気、溶けゆく氷の音、そして重ねた肌の温もり。 44歳の年齢差を超え、孤独を分かち合った二人が辿り着いた「愛の形」とは。これは、一人の青年が境界線の向こう側で教わった、残酷なまでに美しい人生の記録。

処理中です...