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3章

人狼と人間

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「おはようございます」
「……あれ?」

 目の前にいたのは服を着たディエス。
 私の隣に横たわって、ずっと寝顔を見られていたいつもの目覚め。

「あとの二人は……?」
「壊れた窓の件について、宿の主人と修繕の話をしています」
「ああ……」
「朝起きて外から帰ってきたようにすると言われた時は何の話かと思いましたが、あの窓を見て合点が行きました。襲撃されたのですね?」
「そうよ。三人が狼の姿だったから、私がローレンスの護衛を脅してみたの。でも、あれで良かったのか分からないわ」

 昨日は新月だったから、ユリシーズは昼と夜で完全に人格が分離していた。
 シンシアとバートレットは人格が変わらないから夜の記憶を昼間も受け継いでいるけれど、ユリシーズだけはそうもいかない。

「大丈夫ですよ。アイリーンは聡明です。何があっても、全力で私がフォローします」
「……ユリシーズ」
「ところで、貴女は私が妻以外といかがわしいことをしているような話を護衛に匂わせたのだとか??」
「あ」

 その話、シンシアかバートレットから聞いたのかしら。
 我ながら、うまく切り抜けたと思ったのだけれど……。

「たとえそれが相手を欺くためであっても、不本意です。私がアイリーン以外の女性に心を奪われるなど、どう考えても起きるはずがないのですが」
「心を奪われなくても、男性は妻以外の女性と会うらしいわ」
「その辺の不誠実な人間と一緒にしないでください」

 護衛に理解させるには、自然な嘘だったと思うのだけれど。
 ユリシーズは一途だから抵抗があるのね。

「それで? 朝帰りを演出したの?」
「貴女の侍女が私と一緒にいる時点で話の信ぴょう性がない気がしたのですが、アイリーンの狙い通りにはなりました。宿の外と廊下でばったりと出くわした護衛が、なにやらニヤニヤとこちらを見てきましたよ」

 ユリシーズはむすっとしながら私から目を背けた。怒っているアピールらしい。

「人間からしたら、一人の女性にずっと心を奪われているというのは特殊なのよ」
「人狼からしたら、特殊でも何でもありません」
「ええ、私は理解しているから心配しないで。愛犬三匹しかいなかったのを見られてしまったから、ユリシーズなら私に行き先を告げないで出かけたと言っただけよ」
「それが不貞だと早々に判断するのは浅はかですね。妻へのサプライズプレゼントを用意していると考えた方が自然では?」
「夜中にサプライズプレゼントを用意する人間はいないでしょ」

 つんと横を向いているユリシーズ。ベッドで身体を起こして顔を覗き込むと、眼にじわりと涙を浮かべていた。

「泣くことなの?」
「アイリーン以外の女性とも関係を持っていると思われるのは癪です」
「ごめんなさい。あなたを傷つけてしまったのね」
「私は、こんなにアイリーンだけなのに」

 ユリシーズの目からポロリと涙がこぼれる。
 昨日の嫉妬深い狼を見ていたら、ユリシーズがどれだけ私を独り占めしたいのか、ちゃんと伝わっていたはずだったのに。

「あなたを守りたかったの。傷つけるつもりじゃなかった」

 人間の道理で、このくらいの嘘は許容範囲内だと思ってしまった。相手は人狼で、人とは違うというのが時々私の頭の中から抜け落ちてしまう。

 そっとユリシーズの瞼に口付けて、その胸に飛び込む。
 この位なら平気、なんて勝手に決めつけてはいけないわね。

「アイリーン。私は、貴女にとって面倒くさいですか?」
「そんなことを気にしなくて良いわ。種族が違うのだから、違っていて当然だもの」

 犬だって犬種で性格が随分違うものよね。
 もっとユリシーズのことを分かってあげなくちゃ。

「貴女に会ってから、私は泣き虫になりました」
「きっと、これまで戦場で感情を殺し過ぎたのよ」
「アイリーン……」

 そっとユリシーズに口づけられる。
 私は、この人を傷つけようとする公爵家と戦うつもり。
 人とは違う人狼の夫。妻に溺れる愚かな夫だと自称をしていたけれど、どうやら私に対する一途さをアピールできるのがうれしいということらしい。

  ***

 宿の食堂でローレンスと共に朝食をいただく時、後ろに控えている男が一人、片足を引きずっていた。あれがシンシアに噛まれた護衛なのね。

「昨晩、義兄上は外出されていたとか。持病は大丈夫なのですか?」
「ええ。森に熊が出ると聞きましたので偵察に行っていたのです」
「ああ、そういう外出だったのですね」

 ユリシーズは女性の元に行っていると思われたのだけは許せなかったらしく、夜中に外出していたのは森の偵察ということにする、と決めたらしい。

「どういった外出だと思われていたのでしょうか?」

 にこにこと尋ねるユリシーズに、ローレンスは困っていた。思春期の男の子相手には、なかなか意地悪な質問だと思う。

「いえ、持病がある割に姉上を置いて出かけるなど……と思ったので」
「私が妻を置いて出かけるのは、余程の事情がある時だけです。何しろ、本当は片時も離れたくないのですから」
「ちょっと、ユリシーズ」

 不名誉な誤解を解きたいのかもしれないけれど、あんまりその本心を出し過ぎるのも大丈夫かしらと思ってしまう。

「しかし、私が不在にしている時に侵入者を許したというのが何とも不快です」

 自然な流れでとんでもないことを言い出すから、食卓に緊張感が走った。
 護衛の男の人が私の顔をまじまじと見てくる。どこまでをユリシーズに話したのかを気にしているのだろう。犯人のくせに図々しいわね。

「私の愛犬が妻を守ってくれたようなのですが……私がその場にいたらただでは済まさなかったので、侵入者も命拾いをしましたね」

 にこやかに言いながら、ユリシーズは握っていたナイフとフォークを握力でぐにゃりと折り曲げた。
 あの握る部分、太いところなのに。そもそも人の力で折れるもの??

 手品かしら? と驚いていると、ローレンスとその後ろに控える護衛たちが真っ青になっている。

「あはは、いけませんね。最近は怒りを抑えられるようになったと思っていたのですが」

 ユリシーズが恥ずかしそうに笑っていると、給仕の人が新しいフォークとナイフを持ってきてユリシーズの席にそっと置いた。

「すいません、壊してしまったカトラリー代も宿代に入れておいてください」
「かしこまりました」
「昨日は窓ガラスを割られてしまい、ご迷惑ばかりかけてしまいました」
「いいえ。奥様にお怪我がなくてよかったです。さぞ怖い思いをされたでしょう」

 給仕に入っていた年配男性は、ここのオーナーなのかもしれない。
 ユリシーズと私を心底心配してくれているような表情で、こちらを見ている。

「ありがとうございます。わたくしは平気です。死神伯の妻ですから」
「実は、私よりも妻の方が強いのですよ」

 ユリシーズは隣の席からこちらを見てにこりと笑う。
 私はカトラリーを握りつぶせるほど力強くないけれど。

「夫の手綱を握るのは、妻の役目ですものね」

 にっこりとユリシーズに笑みを返すと、見つめた瞳がキラキラと輝いていた。
 多分これ、普通は喜ぶところじゃないと思うのよ。
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