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4章

アイリーンの上司様 2

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 ウィルに執事長様の声を探してもらったのだけれど、それらしい人の会話は聞こえてこなかったらしい。

 ウィル曰く、同時に何人もの人が話していると聞き分けるのは難しいのだとか。
 遠吠えをする種族なのだから、声を聞き分けるのより遠くの声を聞く方が得意そう、と納得したけれど、ウィルはまたしても役に立てなかった自分に落ち込んでいた。
 その度に元気づけるのは私の役目で、エイミーはただ悶えているだけで役に立ってくれない。

 そうしているうちに、ウィルは私たちの寝室の床で突然倒れるように寝てしまった。丸二日間ずっと寝ていなかったから無理もないけれど、いきなり倒れた時は死んだのかと思って本気で心配し、エイミーは寝ているウィルを激しく揺さぶって意識を取り戻させようとしていた。
 ただ寝ているのだと気付いた時は起こさなくて良かったと二人で気が抜けて、ウィルに毛布を掛けてあげながら、暫く寝顔を眺めて癒された。振り回されている気がしなくもなかったけれど、それ以上にただかわいい。

 そして早朝に突然目を覚ましたウィルは、女性の部屋で夜を過ごしたのが見られたらまずい、とひとりしきりに焦ったあと、耳を澄ませてそっと出て行った。

「奥様、本日は必ず手紙を取り返してきてくださいね」
「ええ。どんなことが書いてあったのか気になってあまり眠れなかったもの」
「相手はクリスティーナ様ですから、なんとかなりそうですね」
「……だといいのだけれど」

 執事長様の態度を思い出して、楽観的になれない私。
 昨日封筒を奪い合ったあの偏屈なおじさんが上司なんだわとため息が出てしまう。

 エイミーに「行ってきます」と告げ、クリスティーナの部屋に向かった。
 大きな建物を歩いていれば何人もの人とすれ違うけれど、誰がどんな立場で私を見ているかなんて全く分からない。
 この中に公爵様と繋がっている方もいるのだから、なるべく目立つ行動は慎もうと思ってはいるけれど。

「おはようございます」

 後ろから声を掛けられて、恐る恐る振り返る。

「おはようございます、執事長様……」

 いきなり出会ってしまった。一番会いたくなかったのに。

「これから妃殿下のところに行くつもりですか?」
「はい。それが仕事ですので……」

 どうしよう、眼光が鋭い。

「妃殿下の雇った侍女とはいえ、皇室にこのような方を招かねばならないとは、何とも嘆かわしいものです」
「あの、それはどういう意味でしょうか?」
「本来、皇室に出入りをされる方というのは模範的な方が選ばれるものです。オルブライト家を復興させた実績があればまだしも、伯爵はあなたを迎え入れてから領地経営を疎かにしがちだとか」

 心当たりがあるような、ないような……。いや、やっぱりあるわ。

「いやですわ、執事長様。夫は領地経営を疎かにしたのではありません。早く世継ぎが欲しかっただけではないかしら。ふふ、それでは……」
「そんなことをクリスティーナ様にお教えするおつもりですか?」
「え」

 私の前に立ちふさがる執事長様は、さっきの眼光に怒気が混じってしまった。
 ちょっとした洒落のつもりで言ったのに真に受けすぎじゃないかしら??
 それに、そんなに汚いものを見る目で見られる筋合いはないと思うの。お世継ぎを産むのって奥様の仕事としては最重要事項なはずですけれど。

「皇室に売女ばいたを呼ぶつもりはございません。クリスティーナ様に悪い影響を及ぼすようでしたら、即刻お帰りいただきたい」

 はあ——?!
 何を言ってくださっているのかしら、この人。
 え、もしかして私、上司から解雇されかけてる??

 そもそも昨日の手紙も返してもらっていないのに、なんでこんなこと言われなくちゃいけないの?!

 私は今、クリスティーナのところに行く前に執事長様に「帰れ」と言われたらしい。
 というか、この状況がちょっとよく分かっていないのだけれど、もしかすると私って上司に全然歓迎されていない状態でクリスティーナの侍女をしているってことかしら。

 クリスティーナに直接雇われたから安心していたけれど、執事長様ってどこまで権限がおありなのかしらね……。

「帰れと言われましても、わたくしは妃殿下と約束をしております。執事長様にとって悪い侍女だと思われてしまったのはわたくしの至らなかった言動ゆえ、挽回すべく妃殿下にお仕えするつもりですので機会をいただけないでしょうか」
「……どんな機会を欲している?」
「妃殿下の悩める時、お傍にいて差し上げるお役目です」
「皇室で勤めるクリスティーナ様のお気持ちなど、分かるまい」

 執事長様が下賤の者を見る目でこちらを見ている。
 害虫を見つけたような顔を向けられると、さすがに傷つくのですが。

「ではなぜ、妃殿下はわたくしとずっと一緒に過ごされているのでしょう?」
「……」

 昨日、クリスティーナと一緒にいた時には他の侍女は誰もいなかった。
 私と同じ立場の侍女がほかに5名ほどいらっしゃるはずだけれど、その方たちの姿は一度も見ていない。

「あなたの刺激が劇薬となって、クリスティーナ様を魅了しているのでしょう」
「うふふ、人を毒のように扱わないでいただけます?」
「失礼いたしました。旦那様が毒に侵されていたのでしたね」

 なにこの人?! 失礼過ぎない?!
 こんなに話していてイライラする人、久しぶりに出会ったわ。
 前にも出くわしたことがあった気がするのだけれど。

「恐らく、初日はクリスティーナ様の計らいだったのでしょう。他の侍女の方とあなたが上手くやれるとは思えませんから」

 もしかして、クリスティーナに気を遣わせていた?
 確かに、他の侍女の方って位の高い貴族階級出身の、現在は位の高い夫人をされている方々なのでしょうけれど。

「本日は警告だけに留めておきますが、あなたの言動次第では現場判断で解雇をすることもできるのですよ」
「……かしこまりました」

 渋々頭を下げ、執事長様が遠くに行くのを待つ。
 見えないところで奥歯を噛みしめてしまうけれど、確かに私は上級貴族出身でもなければちゃんとした両親からちゃんとした教育を受けたこともない。

 恐らく、執事長様はそういうところが皇室に向いていないと言っているのだろう。
 ユリシーズに受け入れられたことも、色香や身体でも使ったのだろうと思われていそうだし、クリスティーナが私に好意的なのも異質な存在だからだと決めつけられている。

 ひよこ豆くらいの大きさにしか見えなくなった執事長様の黒い背中を見つめながら、一度首を振った。
 負けるもんか。
 あの人がなんと言おうと、私はユリシーズの伴侶で伯爵夫人だ。外では公爵家出身のクリスティーナを名乗らなくてはいけない。

 だから、下賤な扱いをされて納得している場合じゃないの。
 こうしてここに呼んでくれたクリスティーナのためにも、私は私にできることをする。

 執事長様も、今のうちはせいぜい偉そうにしていたらいいのだわ。
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