売られて嫁いだ伯爵様には、犬と狼の時間がある

碧井夢夏

文字の大きさ
109 / 134
4章

覚悟の

しおりを挟む
 皇子殿下は、私の3メートルほど先にいる。
 5段分の段差を設けて玉座が設置されていて、立っているこちらよりも頭が高くなる作りだ。

 私たちは対等ではない。
 皇室……特に、皇帝陛下の血を引く皇子様の血統は、この帝国では特に尊いとされている。
 だから、クリスティーナの感情に配慮しなくても、誰も皇子殿下に文句は言えない。

 責められてしまうのはクリスティーナだけだ。皇子殿下に気に入られなかった妃として。

「恐れながら申し上げます。妃殿下に仕えるわたくしより、皇子殿下にお願いがあって参りました。どうか、妃殿下がこれ以上お心を痛めぬよう、ご厚情こうじょうたまわれませんでしょうか」
「……余が、妃に慈悲の心を持たぬとでも?」
「そういうわけではございません。ただ、このままですと妃殿下はどんどん衰弱してしまいます」

 これじゃあまるで、クリスティーナに対して皇子殿下が非情な態度を取っているみたいだわ。
 だからと言って、なんて言えば……。

「まるで脅しだな、オルブライト伯爵夫人。衰弱と言うが、数日前に会った妃は健康そのものに見えた。その時は、夫人も一緒だったと記憶しているが、間違いだろうか?」
「申し訳ございません。わたくしも妃殿下の不調に気づいたのは本日のことです。わたくしが夫の話をしたところ、『羨ましい』とおっしゃいまして」

 正確には、ユリシーズのことを羨ましいと言っていたけれど、この際その部分は置いておく。

「このような窮屈な場所で暮らすよりも、景勝豊かなオルブライト伯爵領で伸び伸びと過ごした方が幸せだという意味ではないのか?」
「いいえ。妃殿下は家族に憧れをお持ちのようです」

 その時、一瞬皇子殿下がピクリとしたのが分かった。
 ようやく、私が何を伝えに来たのかを理解したのだと思う。

「……それで? オルブライト伯爵夫人は余にどうしろと?」
「もう少し、家族として妃殿下との時間をお持ちいただけないでしょうか?」
「……」

 踏み込んだことまでは言っていない。ただ、クリスティーナとの時間を持つことで、彼女の気持ちが少しは分かるんじゃないかしらと思うから。

「オルブライト伯爵夫人は、誰を相手にそんなことを申している?」

 ――え?

 私のすぐ近くに甲冑を身に着けた兵士が迫って来ていた。
 その兵士と私の間にウィルが立ちふさがり、兵士を威嚇するように睨みつけている。

「反応速度がいい。オルブライト伯爵のところの若者だと聞いたが、料理人が身体を張るのか?」
「……料理人ですが、日頃からご主人様と一緒に走り回っております」

 そうだった。ウィルもバートレットやユリシーズと一緒にボールを取り合っていたわね。

「手荒な真似はしたくない。オルブライト伯爵夫人をこれ以上自由にするのは危険だと判断した。一時的に皇族牢に連れていけ」
「申し訳ございません! 奥様をお許しください!」

 ウィルは、膝をついて私の代わりに謝っている。

「ごめんなさい、ウィル。わたくしなら大丈夫だから、あなたはエイミーのところに戻ってくれる?」

 ウィルにそっと声を掛けてから、皇子殿下と甲冑の兵士を見渡す。

「皇族牢でもなんでも参ります。暴れる気はありませんので、連れて行ってください」
「奥様!」
「平気よ、ウィル。いつもありがとう」

 残念だけれど、私は閉じ込められた経験が豊富だ。
 その皇族牢とやらに入って生き残る道を考えるしかなさそう。

 ……果たして、生き残れるものなのかしら。


 私は甲冑の兵士二人に両脇を掴まれて、玉座の後ろの扉から外に出る。
 無言で歩く兵士に「処刑されるのですか?」と尋ねたけれど、反応はない。
 廊下を歩いて階段を上ると、陽の光が眩しい部屋に案内された。

「こちらです」

 牢というには豪華な……私が泊まっている部屋よりも全ての物に高級感がある。家具の装飾が細かかったり、布が高価なものだったり、宝石が埋められた金の花瓶があったり。
 ボーっとその様子を見て驚いていると、外から鍵をかけられた。

 ええと……ここが牢? 壁一面が書棚になっているし、ベッドは大きいし、窓は大きいし、花は飾られているし、開放的な雰囲気が漂っている。

 デスクを見つけてそちらまで歩いて行くと、正面になる壁に女性の肖像画が飾られていた。
 ……昔の王妃様とか、そんな雰囲気。頭にティアラが付いていて、青みがかった銀色の髪を持ち、豪奢なドレスを着ている。

 とりあえずデスクの椅子に腰かけて、引き出しの中を漁ってみた。
 なんか書類がいっぱいあるから触らない方がよさそう……と引き出しは素直に閉める。
 いや、ここに閉じ込められたということは書類を読んでも構わないってことかしら。

 もう一度引き出しを引いて書類を一枚手に取ってみた。
 ええと、『補修工事に関する稟議』か。これは、稟議書ってやつ?
 牢屋に置くのには向いていない書類ね。通った稟議を罪人に見せても意味がないのでは。

 書類はあまり面白くなさそうだから、本でも読んで過ごしていればいいのかしら。
 書棚のほうに行こう。

 ああ、天気が良いわね。窓から広大な土地や広い青空が見えて綺麗。
 実家で閉じられた屋根裏部屋はただ暗いだけだったから、やっぱりここはそんなに悪いところではない。

 私、このまま殺されてしまうのかしら。
 せめてユリシーズに手紙の返事を出してからだったらよかった……でも、私が死んだらユリシーズも後を追ってきてしまう。
 結局私たち、公爵様の犠牲者にしかなれなかったの?

 ――ウィルは、あのあとエイミーに報告しながら泣いたのかしら。
 悪いことしちゃった。
 私が呼ばなければ、勝手にひとりで捕まって終わりだったのに。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

『身長185cmの私が異世界転移したら、「ちっちゃくて可愛い」って言われました!? 〜女神ルミエール様の気まぐれ〜』

透子(とおるこ)
恋愛
身長185cmの女子大生・三浦ヨウコ。 「ちっちゃくて可愛い女の子に、私もなってみたい……」 そんな密かな願望を抱えながら、今日もバイト帰りにクタクタになっていた――はずが! 突然現れたテンションMAXの女神ルミエールに「今度はこの子に決〜めた☆」と宣言され、理由もなく異世界に強制転移!? 気づけば、森の中で虫に囲まれ、何もわからずパニック状態! けれど、そこは“3メートル超えの巨人たち”が暮らす世界で―― 「なんて可憐な子なんだ……!」 ……え、私が“ちっちゃくて可愛い”枠!? これは、背が高すぎて自信が持てなかった女子大生が、異世界でまさかのモテ無双(?)!? ちょっと変わった視点で描く、逆転系・異世界ラブコメ、ここに開幕☆

最愛の番に殺された獣王妃

望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。 彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。 手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。 聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。 哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて―― 突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……? 「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」 謎の人物の言葉に、私が選択したのは――

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)

かのん
恋愛
 気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。  わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・  これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。 あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ! 本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。 完結しておりますので、安心してお読みください。

黒騎士団の娼婦

イシュタル
恋愛
夫を亡くし、義弟に家から追い出された元男爵夫人・ヨシノ。 異邦から迷い込んだ彼女に残されたのは、幼い息子への想いと、泥にまみれた誇りだけだった。 頼るあてもなく辿り着いたのは──「気味が悪い」と忌まれる黒騎士団の屯所。 煤けた鎧、無骨な団長、そして人との距離を忘れた男たち。 誰も寄りつかぬ彼らに、ヨシノは微笑み、こう言った。 「部屋が汚すぎて眠れませんでした。私を雇ってください」 ※本作はAIとの共同制作作品です。 ※史実・実在団体・宗教などとは一切関係ありません。戦闘シーンがあります。

皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜

百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。 「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」 ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!? ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……? サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います! ※他サイト様にも掲載

脅迫して意中の相手と一夜を共にしたところ、逆にとっ捕まった挙げ句に逃げられなくなりました。

石河 翠
恋愛
失恋した女騎士のミリセントは、不眠症に陥っていた。 ある日彼女は、お気に入りの毛布によく似た大型犬を見かけ、偶然隠れ家的酒場を発見する。お目当てのわんこには出会えないものの、話の合う店長との時間は、彼女の心を少しずつ癒していく。 そんなある日、ミリセントは酒場からの帰り道、元カレから復縁を求められる。きっぱりと断るものの、引き下がらない元カレ。大好きな店長さんを巻き込むわけにはいかないと、ミリセントは覚悟を決める。実は店長さんにはとある秘密があって……。 真っ直ぐでちょっと思い込みの激しいヒロインと、わんこ系と見せかけて実は用意周到で腹黒なヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、他サイトにも投稿しております。 表紙絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真のID:4274932)をお借りしております。

処理中です...