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第五章
05-2
しおりを挟む洋太に呼ばれて順平が振り返るとちょうどテーブルの支度が整ったところだった。
ようやく始まった荻谷家のクリスマスのディナーは、順平がテレビの中でしか見たことが無いような豪華なものだった。
この日のためにセッティングされたワインレッドのテーブルクロスの上には、中にコンソメ味で煮込んだ小玉ねぎ、人参、ライスを詰め込んだ鶏の丸焼きが真ん中に置かれ、ベビーリーフと炒めた根菜にバルサミコベースのドレッシングをかけ、上からマスカットを乗せたサラダ、ミートソースから手作りしたチーズたっぷりのラザニアに、アーモンドスライスを散らしたクリスピーなガーリックシュリンプなど……おまけにこの後にはオーブンでスポンジ台を焼いて、生クリームと大きな苺を飾り付けたケーキまで出てくるというのだから、ここは高級レストランか? と順平などは本気で思いそうになるほどだった。
洋太の母と姉はグラスで金色のスパークリングワインを飲んで、洋太と順平は芳醇なぶどうジュースを飲んでいる。アルコールも勧められたが、この時点では外泊許可は取ってあるが駐屯地に戻る可能性もあったので辞退した。
今まで見たこともなかったご馳走を順平が無心になって食べていると、その健啖家ぶりに洋太の母が頬を染めて感動したような声を上げた。
「ああ……何て男の子らしい、いい食べっぷりなのかしら! 今年は久しぶりに残り物が少なくてすみそう……!」
「お母さんが調子に乗っていつも作り過ぎるから、大晦日まで冷凍してた鶏の足とか食べる羽目になるんじゃない」
「だってー……せっかくだから、色んなお料理を作りたくなるんですもの……」
「美味しいからいいじゃん。オレ、お正月に鶏の足とか食べたいな」
「アホか洋太。お正月はお正月で、おせちとお雑煮があるんだから。これ以上、無駄に品数増やさないでよ」
順平からすると、すでに食べる手が止まっている目の前の家族三人の小食な胃袋には、明らかに不釣り合い過ぎる分量のご馳走を作っている気がするのだが。これではまるで、自分に腹いっぱいになるまで食わせるために用意されたイベントみたいで、何だか申し訳なく思いつつ、美味すぎてフォークを持つ手が止まらない順平だった。
デザートのケーキまで平らげた後、珍しく腹八分目以上の満腹感を覚えていた順平は、少しぼんやりした頭で窓際の席に座りながら、向かいのソファでハーブティーを飲みつつ談笑する洋太たち三人を眺めていた。
外はまだ雪が降っているが、部屋の中は暖房でぽかぽかと温かく、満ち足りていて、自分のほうへ楽しげに笑いかけてくれる人達がいる。……あまりに幸せ過ぎて、これは夢じゃないだろうか? と心のどこかで思った。
ふと窓のほうを見ると、薄汚れた体操着姿の痩せた子供が、床暖房の温かいフローリングにぺたりと座っている。隣にいる同じ年頃の男の子と何かをしているようだ。また、幼い頃の自分の幻を見ているのだとわかった。
「……何をしているんだ?」
順平がそう問いかけると、痩せた少年がこちらを見上げて答えた。
「プレゼント。ようたにもらったんだ」
そう言われて見ると、一緒に座っているのは幼い洋太らしい。丸いほっぺたを紅潮させて、嬉しそうにプレゼントの包みを開けようとしていた。隣にいる子供の順平が持っている箱を覗き込んで、二人で笑い声を立てている。
順平は目を細めてその光景を見ながら、今まで知らなかったような優しく穏やかな気持ちで、静かに幼い自分に語りかけた。
「そうか……よかったな……」
痩せて薄汚れた子供の順平が、こちらを振り返ってはにかむような笑顔を見せた。
ソファの手すりに頬杖をついたまま寝息を立てている順平に、そーっと起こさないように洋太が毛布を掛けてやった。愛おしそうに笑いかけながら呟く。
「メリークリスマス。順平……」
順平の寝顔には、まだ苦悩も悲しみも知らず、大人から守られている年頃の小さな子供のような、安心しきった微笑みがうっすらと浮かんでいた。
窓の外では少し温度が上がったのか、地面で積もらずにすぐに溶ける大粒の雪が、まばらに、ごく小さい囁くような音とともに降り続いていた。
「……今年も、無事に届けてきましたよ。ご指名の”クリスマスローズの花”」
同じ頃。K市に隣接する市内のT駐屯地にほど近い一軒の庶民的な居酒屋で、鷹栖がテーブルの向かいに座った男に声を掛けた。クリスマスイブの、しかも外は湿ったまばらな雪とあって、店内に客の姿は多くなかった。
「ああ。いつもすまんな……」
順平が所属する陸上部の監督が、手にしていたビールのグラスを置いて、申し訳なさそうに頭を下げた。スキー選手が着るような体にぴったりしたエメラルドグリーンのフリースと黒いストレッチジーンズ姿の鷹栖が困ったように手を上げて制する。
監督の、ラフな普段着の黒っぽいスーツの中にポロシャツと茶色のセーターという昭和の男っぽい服装といい、どこかの部活の指導者と学生のようにも見えた。
「やめて下さいよ、気持ち悪いなあ。オレは、監督の照れ顔を見るのが面白いから、好きで毎年やってるだけなんで」
「気持ち悪いって……しかし、お前も変わった奴だな。普通は、こういう日は意中の彼女と過ごすものなんじゃないのか?」
「この後で、気が向いたら会うと思いますよ。その時に予定が空いてる誰かとね」
「……何人の候補がいるんだ……全く、色男の考えにはついて行けんな」
本当は甘いもののほうが好きで、酒にあまり強くはない監督が、やれやれといった表情でビールに口をつける。鷹栖はにやにやと相手の顔を伺いながら、片手でスマホを操作してアルバムを開いた。
「今年は、写真も撮ってきましたよ。……花屋じゃないってバレちゃったんで、敷地に入れてもらえないかと思いましたけど」
「何だ? お前、花屋のふりなんかしてたのか?」
「向こうが勝手にずっと誤解してたんですよ。で面白いからそのままにしてました」
呆れ顔の監督にスマホの写真を見せる。そこにはどこかの家の玄関で、くすんだピンク色の花の鉢植えを両手で持った上品な四十代くらいの女性が、花がほころぶように嬉しそうな笑みを浮かべている姿が映っていた。背後にはむすっとした顔の二十歳前後の若い女の子と、廊下の先に同じ年頃の若い男の子の笑顔もちらりと見える。
監督はしばらくの間、写真の中の三人を懐かしそうに、愛おしむように黙ってじっと見つめていた。鷹栖が得意げに笑って言う。
「この写真、監督のスマホにも送っておきますね」
「……別にいいよ、オレは……」
「まあ、そう言わずに。離れてても家族は家族って言うじゃないですか」
鷹栖の笑顔は、順平らに見せるよりも、どこかリラックスして、年齢よりも無邪気な若者っぽく見えた。冗談めかした口調で、監督をからかうように話を続ける。
「いい加減、二人とも意地はってないでヨリを戻したらどうです? 嫌いで別れたんでもなさそうだし。……中々いませんよ? 毎年、寒くなる前に冬物の肌着を駐屯地気付で別れた元旦那に送ってくれるような、慈愛に溢れた女性は……。少なくとも、あの奥さんは、今でもあなたのことを待ってると、オレは思いますけどねえ……」
監督が急に耳まで赤くなって視線を逸らす。どこか苦そうな表情で呟いた。
「……気軽に言ってくれるなよ。大人は、そんな簡単なものじゃないんだ……」
いたたまれないのか、無理をして強くもない酒をあおっている相手を、鷹栖が同情するように眼を細めて見つめた。無限の親しみを込めて、励ますように、明るい声で笑いながらビールを注ぐ。
「よし、今夜はつぶれるまで付き合ってあげますから。店員さーん! 追加注文いいですか?」
「お前……オレがいつ酒でつぶれたって言うんだ? 適当なことを言うなよ……」
ここで急に監督のスマホに着信音が鳴って、監督が「すまん、すぐ戻る」と言いながら席を立った。
店の外で冷たいみぞれ混りの風に吹かれながら、電話口の向こうの見えない相手に監督が何度も頭を下げている。
「……その節は、本当にお世話になりました。うちの部員が降格も除隊もされずに済んだのは、幕僚長のお口添えのお陰かと……」
『おいおい。やめてくれよ、その呼び方は……もう何年も前に退官したんだぞ。今回は役に立ってやれてよかった。そう何度も手を貸してはやれないが……。ところで、進よ。そろそろまた家に遊びに来んか? 死んだ女房は部下の中じゃ、お前が一番のお気に入りだったんだ。線香の一つも上げてやってくれ』
「……はい。必ず、近いうちに伺わせていただきます……」
みぞれ雪の中、監督がふさふさした口髭をたくわえた顔に、誠実そうな微笑を浮かべて、またスマホの電話画面に向かって頭を下げた。
店内では、鷹栖がテーブルに頬杖をつきながらどこか物憂げに、自分のスマホの、花の鉢植えを囲んだ三人の写真を眺めている。
以前、監督から練習の後でこっそり「大人の女性に謝礼の花を送りたいので、ふさわしいものを選んでほしい」と頼まれた時。贈る相手女性のイメージに合わせて通販サイトから鉢植えの花を選んでやったのは、他でもない鷹栖だった。
不機嫌そうにこちらを睨んでいる若い女の子の顔に、他の誰にも見せたことがないほど優しく、柔らかな笑みを湛えながら、囁き声で話しかける。
「メリークリスマス。……やっぱり、怒ってたなあ……。ごめんね、花屋のお兄さんじゃなくって……」
居酒屋の暖色の灯りに照らし出されて、秀麗に整ったその笑顔は、ほんの少しだけ寂しげなものに見えた。
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