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第六章
03-2
しおりを挟む遅めの正月休みが終わろうとする頃、順平は洋太と付き合い始めてから、初めてのケンカをした。
きっかけは思い出せないくらい、本当にささいなことだった。その夜は確か、次に会う予定を決めるためにメッセージではなく電話をしていて、順平が挙げる候補の日に対して、どれも洋太がはっきりした返事をしないのだ。
それで順平が「早く会いたいなら、少しはお前も協力してもらわないと困る」とか何とか言ったのだが。そうしたら、急に洋太が声をこわばらせて、珍しくキレた。
「……お前が勤務で忙しいのわかるけど。オレだって、寺の仕事でお正月ずっと忙しかったんだから。そんな嫌味な言い方しなくてもいいだろ?」
「え? 別に、嫌味というか……事実を言っているだけだが……。気に障ったのなら謝る。それより早く日にちを決めよう」
「オレがひねくれてるせいで予定が決まらないってか? あー、そりゃ悪かったよ。オレはお前みたいに、いつも冷静じゃいられないからな!」
「……洋太? 一体どうしたんだ? 今日のお前は、どこかおかしいぞ。会わない間に、そっちで何かあったのか……?」
「……っ、何でもないよ。ちょっと頭冷やしてくる。あとで連絡するから……」
そう言うと、洋太は一方的に電話を切ってしまった。取り残された順平は、わけが分からないという顔で、困惑しながらスマホの暗くなった画面を見つめていた。
心配でLIMEも送ってみたが、既読はついたものの、一晩待っても返事はなかった。
正月休みが終わり、通常の勤務に従事したり、陸上部の練習に参加している間も、順平はずっと洋太のことを考えていた。明らかに、あの時の電話の洋太は様子がおかしかった。あんな棘のある話し方をしたことなど、今まで一度もなかった。
(もしかして、言動が不自然だったのは……オレに、何かを隠していた……のか? だとしたら一体何を……?)
そこまで考えて、順平はぎくりとした。先日のカラオケルームで耳にした、同僚らのパートナーに対する愚痴を思い出したからだ。
回想の中で、カラオケで近くに座っていた隊員二人の会話が、妙にリアルによみがえってきた。
「うちの嫁さん。昔は女神みたいに優しかったのに、最近は目も合わせてくれなくてさあ……。オレが全然、家族と休みが合わないせいで子供連れてどこへも遊びに行けないなんて嫌味言われて……そのうち離婚されるかも知れねえ……」
「話できるなら、まだいいっすよ。オレの彼女なんか、アナタとするエッチが一番! 私たち、体の相性バッチリね! なんて前は喜んでたくせに。ついこの間、いきなり他に好きな男がいるから別れたい、て一方的にLIME来て……それっきりっすよ……」
「うわ、マジかー……。ほんと、意味わかんねえよな、あいつら。前の晩は機嫌よく笑ってるかと思ったら、次の日、急にキレてて、私が何で怒ってるかわかる?! とか言うんだもんな……知らねえっつうの。こっちは任務で疲れてんだから……」
「女って、男にムカついてることがあっても、こっちが察するまで待ってて、それで溜まりに溜まって爆発するらしいですよ。こっちはその都度、言ってくれなきゃ何もわかんねえってのに……超能力者じゃあるまいし……」
「オレなんか、とっくの昔にATMか財布としか思われなくなって……あ、涙が……」
「はー……どうせアレの時に、最高! とか、大好き! とか言ってたのも、みんな演技なんだろうなー……そう思うと、虚しくなるわぁ……。オレ、マジで人間不信になりそう……」
現実に戻って、隊舎の自分の部屋のベッドで背もたれに寄り掛かりながら、手の中のスマホを無意識にいじっていた順平は、急に青ざめた顔で窓の外を見やった。そこには、暗い窓ガラスに不安げにひきつった自分の顔が映っているだけだった。
(まさか……洋太も、オレ以外に他の男と……? いや、あいつに限ってそんなことは……そうだ、オレが洋太を信じなくてどうする? 馬鹿なことを考えるな!)
必死で打ち消そうとするが、一度浮かんでしまった疑念はなかなか消えなかった。
(落ち着け……洋太は”女”じゃない。連中が話していたような、嫁や彼女とは違う。洋太は絶対にそんな……いや待て。だったらオレと洋太の関係って何なんだ……?)
結婚しているわけではない。同棲もしていないし、まだパートナーと呼ぶのも違う気がする。……恋人、だと順平は思っているのだが、洋太のほうは? 自分のことをどう思っているのだろう? ”他の男”と比べて、どの程度、特別な……?
独りで考え込んでいるうちに、どんどん思考が嫌な深みにはまって行く気がしたが、順平は自分でそれを止められなかった。
一刻も早く、洋太に会いたい。会って、力一杯抱きしめて、いつものように洋太が幸せそうに笑いかけてくれれば、全てが解決する、はずなのだ。何かにすがるような気持ちで、順平はそんなことを考えていた。
しかし、洋太に会いに行く連絡をしようとしたLIMEの文章を打ち込む手は、途中で止まってしまった。カラオケの時に鷹栖がニヤつきながら言っていた「”重たい男”は嫌われるぞ」という言葉を思い出してしまったからだ。
(……まだ洋太からの返事が来ていないのに、こちらからあまり連続してメッセージを送ると”重たい男”だって思われるのでは……? よくわからん……どのあたりから”重い”判定になるんだ? 何日あけたら大丈夫なのか……? そんなに待たないとダメなのか? こっちは一秒でも早く会いたいと思っているのに……)
結局、さんざん考えた末に翌日、順平は洋太に、自分が休暇でワンルームに行っている予定の日付を、わかっている範囲で全部メッセージにして送り、その日は部屋に行って洋太が来るか来ないかはともかく、一日待つことにした。
洋太に自分で来たい日を選ばせることにしたのだ。それ以上こちらから余計なことをするのは、”重い”判定に引っ掛かるかと思った。
メッセージにして送った休暇の最初の日付の直前。たまたま、同僚の一人が「妻の出産予定日が早まった」という理由で急遽休みを取ることになり、例によって独身でスケジュール調整の融通がききやすい順平が当直の日を交代することになった。そのため休日が前倒しになり、ぽっかりと一日予定が空いた。
順平は一瞬、そのことを洋太に連絡しようかと思ったが、やはり細かくメッセージし過ぎるのも”重い”のかと思ってやめた。その代わりに、洋太の好きなものを買って直接、実家に届けに行ってやろうと考えた。
(この間、洋太の機嫌が悪かったのは、どこか体調が良くなかったのかも知れない。家を出るのも億劫なのだとしたら、好物のプリンでも買って持って行ってやれば喜ぶだろうか……)
デートの時、いつも洋太が大好きな甘いデザートを食べる時の蕩けそうな顔を思い出して、順平は小さく笑みを浮かべた。
前倒しになった休暇の日の午前。順平は駅の近くのスイーツ店で普段よりちょっと値段の高いプリンを四つ買うと、紙袋を下げて洋太の実家の寺へと続く細い坂道を歩いて行った。季節は寒中とあって空気は冷たく、空には低く薄い雲が広がっていた。
(急に訪ねて行ったら、洋太はびっくりするかな……?)
洋太が以前一緒に選んでくれたダークグリーンのプルジップパーカーに黒のカーゴパンツという、おなじみの恰好の順平はそんなことを考えて、恋人の嬉しそうな顔を想像しては一人で頬を赤らめていた。
つい最近、実家の洋太の部屋で過ごした、クリスマスイブの濃密な一夜のあれこれを思い出していたのもある。
(あんなに熱く、激しく求めあったのだから……オレと洋太の関係は、何があろうと絶対に……大丈夫なはずだ……)
洋太の実家の寺のすぐ近くまで来た時、ふと順平は違和感を覚えて立ち止まった。寺の敷地にある駐車場に停められていた一台の車に、見覚えがある気がしたのだ。
そのスポーティーな外見の、メタリックなレッドクリスタル塗装のSUVの助手席に、順平は乗ったことが一度ならずあった。
(この車は……鷹栖さんの? 何故、こんなところに……?)
順平が怪訝な顔をして、胸の中で呟いた。その時、洋太の家の裏手のほうで男性の話し声がして、思わず順平は反射的に庭木の影に身を隠していた。
山茶花の密集した枝の間からのぞくと、そこにはオレンジのパーカーに黒のダウンベスト、ブルージーンズという普段着の洋太と。
もう一人の……順平以上の長身で、長い脚を黒のストレッチジーンズに包み、オフホワイトのタートルネックのセーターの上に濃紺色のジャケットを羽織った、明るい髪色の男性――鷹栖春壱が、いかにも親しげな様子で、にこやかに談笑していた。
(……っ……?!)
驚きのあまり、順平は眼を見張った。鷹栖が今日、休暇だったことは、直属の上官ではないとはいえ同じ部隊にいるので知ってはいたが。何故その彼がこの場所にいるのか? は、あまりに繋がらなさ過ぎて、理解が追い付かなかった。
(鷹栖さんが……どうして洋太と……?! しかも、あんなに親しげに……?)
木陰から順平が凝視する前で、鷹栖と洋太は楽しげに何か話しながら、玄関のドアを開けて二人で中に入って行く。ドアを閉める直前、鷹栖がふっと振り返って周囲を見回した。順平は一瞬、目が合ったような気がして思わず体をこわばらせたが、そのまま鷹栖は何事もなかったように家の中に入って、ドアを閉めた。
一人残された順平は、呆然とした表情で二人が入って行った玄関のドアを見つめていた。頭の中には疑問や不安、理解できない状況に対する怒りにも似た困惑など、様々な感情がぐるぐると駆け巡っていた。
(洋太……嘘だよな? 鷹栖さんとは、何でもないんだよな? 頼むから、そうだと言ってくれ……洋太……)
悲壮な顔をした順平は、そのまま鷹栖が家から出てくるまで庭木の陰で見張る勢いだったが。ちょうど坂道を歩いて来る近所の人らしき足音が聞こえたので、怪しまれないよう仕方なく駐車場を離れて、後ろ髪引かれる思いで駅のほうへと歩き出した。
自分の眼で見たものを信じたくない、といった表情で、順平は機械的に足を運んでいるうちに、いつしか無意識に駆け出していた。すれ違った人が振り返るほどの速さで走りながら、順平は視界が絶望で真っ黒く塗り潰されて行くような気がした。
(嘘だ……洋太と鷹栖さんが……そんなこと、絶対にありえない……これはきっと、悪い夢だ……頼む、夢なら早く覚めてくれ……)
何一つまとまったことが考えられない混乱した頭の中で、さっきの二人の楽しげな様子と、少し前のカラオケルームで聞いた鷹栖の「ぶっちゃけ、オレは可愛い子なら、どっちでも”あり”だけどね」という言葉がしつこいくらいに反響していた。
順平が去った後の駐車場の山茶花の陰には、洋太のために買ってきた高級なプリンの袋が忘れられたように、敷き詰められた砂利の上で放置されたままになっていた。
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