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第六章
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しおりを挟む洋太の実家の寺から二人で借りているワンルームマンションまでは最寄りの駅から市電で二駅ほどで、徒歩なら結構な距離があったが、気がつくと順平はそこまで走り通しで来てしまった。
順平は荒い息をつきながら、せわしない動作で鍵を開けて中に入ると、脱いだ上着を床に乱暴に叩きつけながら部屋の壁にもたれて、そのまま長い脚を投げ出して座り込んだ。日焼けした精悍な顔に汗が幾筋も流れ落ちている。
真冬の曇り空の下、暖房をつけていない室内は外とあまり変わらない寒さだった。そろそろ正午近い時間になっていたが、順平は何をする気にもなれなかった。
ようやく呼吸が落ち着いて来たところで、脳裏にはさっき自分の眼で見た光景が、いまだに受け入れることを保留されたまま、壊れたレコーダーの映像のように何度も再生されていた。
(……どうして、洋太と鷹栖さんが……一体どんな関係なんだ? 二人で、何をしていた……? そして、今は……?)
考えたくもない可能性が浮かぶ度に、順平は頭を振ってそれを打ち消そうとしたが、どうしても消せないどころか、時間が経つごとに大きくなって行くようだった。――あの二人は、じつはデキていて、今頃は”そういうこと”になっているのではないか……? という恐ろしい疑念が。
(馬鹿な! あそこは洋太の実家だぞ? 中には、他の家族だっていたかも知れないのに、昼間からそんな……人に見られて困るようなことをするわけが……)
そこまで考えて、ごく最近、自分達が洋太の部屋でしたことを思い出してしまい、ぐっと詰まった。可能性はゼロではないということだ。……絶対に認めたくないが。
順平が俯いて大きな掌で苦しげな顔を覆った。その姿勢でじっと考え込んでいる。
まだ高等工科学校に在籍していた頃から、順平にとって、鷹栖は他の人間とは少し違う存在だった。何より、尊敬する監督の信任厚い陸上部のリーダー的な選手だったし、現在はコーチでもある。足が速く、頭が切れて弁も立つし、男前ときていた。
男性には多くの場合、少年から男になる過程で、父親の世代よりは少し若い、兄のような年代で憧れや目標となるような人物のイメージを心の中に持つものだが。順平にとっては、本人も意識しないうちに鷹栖がそういう存在になっていた。
心のどこかで憧れているということは、同時に内心で「こいつにだけは敵わない」と思っている、ということだ。
順平自身は、あの乱闘未遂騒ぎを起こした巨漢の元米兵に対してさえ「次にやったら負けない」という不敵な気持ちでいたが、鷹栖に対してはそうではなかった。
工科学校出の自分と違い、大学に行っていて自分が知らないことを沢山知っているし、例の事件でも減刑嘆願書を取りまとめるなど色々手を尽くしてくれたらしい。
とりわけ、鷹栖がさりげなく身に纏っている、どことなく上品な雰囲気が、順平のコンプレックスをちくちくと刺激した。
元ホストという噂があっても、悪ぶって煙草などを吸ってはいても、仕草の端々に隠しきれない育ちの良さのようなものが見えて、その度に順平は、本当はこの人は、自衛隊なんかにいるはずではないんじゃないのか……? という印象を抱いていた。
日頃から、食事をする時の手つきが男にしては綺麗なこととか、宴会で酒を飲んでも決して汚い酔い方はしないところとか、広報活動などで女性をエスコートする時の洗練された振る舞いとか――。思い出せばきりがなかった。
掌から顔を上げた順平が、不安げに揺れる眼でぼんやりと虚空を見つめた。一つの暗い問いかけが心をさいなんでいた。
(……もしかしたら、オレみたいな底辺で育った人間よりも、”あの人”のほうが……洋太が育ってきた環境と、あの上品な家族の空気には、ずっと釣り合いが取れてて、相応しいんじゃないのか……?)
さっき洋太の家で見た、楽しそうに話している二人の姿が浮かんだ。鷹栖を見上げる洋太の表情はリラックスしていて、まるで本当の”家族”のようにも見えた……。
そう思った瞬間、順平の胸がズキンと痛んで、思わず目をきつく瞑った。
苦しい息を吐き出しながら、順平が救いを求めるように棚の上に置かれた目覚まし時計を見ると、ずいぶん長い時間が経ったと思っていたのに実際は、ほとんど時計の短針は動いていなかった。拷問の時間はまだまだ続くらしい。
(洋太は……今どうしているんだ? せめてそれだけでも知りたい……あれから何も無かったんだと、ここへ来て言ってほしい……頼む、洋太……でないとオレは……)
気を張り詰めながら何時間も待ち続ける内に、ほんの少し居眠りしていたようだ。
何もない空間で全裸の順平の目の前には、同じく一糸纏わぬ、なまめかしい肢体をさらけ出して、甘い喘ぎ声を上げながら他の男に抱かれている洋太の姿があった。
”それ”は、もう長いこと見ていなかった”夢の洋太”の顔をしていて、抱いている男の顔立ちは影になってよく見えないが、明るい髪色と通った鼻筋が、どことなく鷹栖に似ているように思われた。
鷹栖に似た男は彫刻のような裸体で洋太と抱き合って、舌を絡めて濃厚な口づけを交わし、洋太を後ろから貫いて、胸の突起を白くて長い指で愛撫しながら、すぐ近くで順平に見せつけるようにねっとりとまぐわった。
順平はその淫靡な光景に脳がしびれたようになりながらも、いつか見た夢の時とは違い、今回は体の自由が効くことに気づいていた。
痛いほど疼いている下半身に響く声で、快楽に眼を潤ませた洋太が甘くねだる。
「順平ぇ……一緒にやろ……? ほら、来て……」
真っ白くなめらかな洋太の肌の感触を、奥を貫いた時の熱さと締め付けられる快感を想像して、順平がごくり、と喉を鳴らす。ふらつく足を一歩、絡み合う裸の二人のほうへと踏み出した……。
がばっ、と顔を上げて目を覚ました順平は、荒い呼吸を繰り返しながら部屋の中を見回し、窓の外が暗くなりかけていることに気づいて、ようやく息をついた。ズボンの下で自分の芯が熱く、硬くなっていることに羞恥と、やりきれなさを覚えた。
(くそっ……オレは何を……? あんな……卑猥な……)
夢の洋太の甘くねだる声に誘われて、裸の二人の行為に加わってしまった自分の姿を思い浮かべて、順平は苦悶の表情で頭を抱えた。
ふと気配を感じて、順平が座り込んだ自分の傍らを見ると。そこには、膝を抱えてうずくまった薄汚い体操着姿の少年が、痩せて落ち窪んだ目を怯えたように光らせながら、何事かをぶつぶつと呟いていた。順平が耳を澄ますと――。
『……どうしよう……ようたを、他のやつに取られちゃうかもしれない……そんなの絶対いやだ……どうしよう……ようたと、はなれたくないよ……どうしよう……』
順平が蒼白な顔で、部屋の片隅で震えている少年を見つめながら、地を這うような低い声で囁いた。コールタールのように真っ黒く濁った眼が、完全に据わっている。
「……大丈夫だ。オレは絶対に、洋太を誰にも渡さない……どんな奴だろうと……」
その時、部屋の前まで来て止まった足音の後、ガチャリと扉が開いた気配がした。
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