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第六章
06-3
しおりを挟む順平からあの夜、ワンルームマンションの部屋で受けた行為を、洋太の中ではどこか無意識に”小さく”扱おうとしている意思が働いているようだった。――いつもより少し手荒だが、何度も二人でしたことのある、ただの性行為なのだと。
(あれが”初めて”のエッチじゃなくて、本当によかった。もしそうだったら、オレは立ち直れなかったかも……)
シャワー中もそう思っていた洋太だったが。翌日の深夜に、寝室のベッドで順平からスマホアプリにかなり長文のメッセージを受け取った時、それを開こうとして予想もしなかった胸の苦しさを感じ、自分でも驚いていた。
スマホを持つ手が細かく震えているのを呆然と見ながら、胸の中で呟く。
(あれ? オレ、もしかして……順平のことを、”怖い”って思ってる……のか?)
白っぽいライトの下、テーブルに押し倒されて覆いかぶさって来られた際の、順平の影になった顔の中のぎらついた眼つきを思い出してしまい、洋太は思わず頭を振って打ち消す。絆創膏で隠れている、拘束されて出来たすり傷がひりつくように痛む。
心臓がどきどきして、呼吸も速くなってきたのを落ち着かせようと、スマホの画面を一度消してから何度か深呼吸を繰り返した。
洋太が考えていた以上に、自分で「したい」と思っていないのに無理やり他人の手で快感を高められて絶頂させられる行為は、羞恥だけでなく恐怖をともなうもので、殴ったり蹴ったりされたわけではないのに、まぎれもなく”暴力的”だと感じた。
それを、自分が心から「好きだ」と思っている相手から受けたという事実を、洋太自身の心が受け入れたくないのかもしれなかった。――相手のことを、「怖い」からエスカレートして、「嫌い」になりたくなかったから。
思い切り長く深呼吸して気持ちを落ち着けてから、洋太は意を決してスマホのアプリを開くと、順平のメッセージを読んだ。そこには、いつものややスマホに不慣れな文面で、口数が多くない順平らしい、事実と経緯、謝罪の言葉が記されていた。
最近、不安になるような出来事が重なって疑り深くなっていたところに、たまたま洋太の実家で、洋太と、他の男(上官の鷹栖)が一緒に家の中に入って行くのを目撃してしまったこと。
一人でワンルームマンションに戻ってから、色々とよからぬ想像が浮かんでしまって混乱していたこと。
自分に「何か言うことはないのか?」と訊かれた洋太が気まずそうに黙り込んだのを見て、完全に疑惑が確信に変わってしまい、自分でも嫉妬や怒りを制御できなくなっていたこと。
洋太が自分との性行為を一番気持ちいいと感じてくれているなら、自分を捨てて他の男の元へ行ってしまうようなことはないだろうと考え、わざと強引にしてしまったこと……などを訥々とした、順平なりに考え抜いたであろう言葉で書き綴っていた。そこには一途な誠実さが感じられた。
そして当然のように行為の後、冷静になってから、意識を失った洋太を見て激しく後悔したし、二度とあんな無体な行為はしない。もしも洋太が応じてくれるのなら、出来れば直接会って謝罪したいと思っている……とも文末には控えめに書き添えられていた。
読み終わってから洋太はベッドに横になると、スマホを握りしめたまま、しばらく目をつむって考え込んでいた。垂れ気味の眉が苦悩するように、さらに下がっている。
(つまり順平はオレのことを信じられなかったんだな……。でも、そういうオレ自身は、どうだったんだろうか? どうしてオレは、これから本山に何か月も籠もって、修行しなければならなくなるかも……って順平にすぐ言えなかったんだろう? もしも先に伝えていたら、順平があんなに不安になってオレの浮気を疑ったり、おかしくなって乱暴するようなこともなかったかもしれないのに……)
そこまで考えて、洋太は枕元にスマホを置くと、深い溜息とともに両手の甲で閉じた目を覆った。
(いや……オレと何か月も会えなくなるって知った時の順平の反応が、どういうものになるのか予測がつかなかったんだ。本当におかしくならないで済んだのか? 今回みたいに冷静さを失って、どこかで不満が爆発していたんじゃないのか? そう思ったら……結局、順平を信じてやれなかったのは、オレのほうだったんだ……)
洋太はあんな強要めいた行為をされたのに、そこまで自分が順平に腹を立てる気になれないのは何故か? と考えていたのだが。やっとその理由がわかった気がした。洋太自身にも、心のどこかで恋人を信じられなかった”後ろめたさ”があったのだ。
あの夜の順平の行動の理由は、大体わかった。自分にも落ち度があったとは思う。しかし、だからといって、全て許して元通りに戻れるか? と訊かれたら、洋太にはまだ自信がなかった。
一度、順平のことを「怖い」と感じてしまった自分の心と体が、無条件での再会を拒んでいる気がした。――凶暴な”狼”と同じ檻の中に入れられるのを全力で嫌がる、怯えた小さな”ウサギ”のように。
順平から送られてきたメッセージには内心の葛藤や、言い訳めいたことは極力排されていたが、洋太には不思議と、昨日見た夢の中で順平の心の内が全て語られていたような気がした。とすると、これまでの順平の態度のどこかしらで、読み取れていたものだったのだろう。
洋太のことが好きすぎて、他の男に奪られるくらいなら、いっそ自分の手で殺してしまいたくなる、というのも……おそらく本心なのだろう。あの夜の順平の、洋太を荒々しく抱きながら、狂おしいような眼をして口走っていた「オレ以外の男では感じなくさせれば、お前はこれからもずっとオレだけの……」という言葉が、それを証明しているようだった。
大好きな順平の中に、自分に対するそれほど重い感情が存在していたことを知り、今さらながら、洋太はある種の”覚悟”を迫られている気がして、思わず身震いした。
――いつか、何かの拍子に、自分を文字通り「喰い殺す」かもしれない、激しすぎるこの愛情を受け入れる覚悟は、本当にあるのか? と。
両手で覆った洋太の瞼の裏の暗闇に、一人ぼっちで悲しげにうなだれていた灰色の狼に重なって、胸の穴から大量の血を流しながら青ざめた顔で横たわって、自分の手に弱々しく縋っていた順平の姿が浮かんだ。
(順平が”危険な奴”で、怖くなったからって……もし、ここでオレが順平を見捨てたら……あいつはどうなってしまうんだろう?)
洋太がウサギだった時に、狼(の姿をした順平)が呟いた言葉がよみがえった。
『オレはお前を食べようと思った自分が許せない。だから、このまま死のうと思う』
(……あいつ、本当に死んじゃうのかもな……オレと今、別れたら……)
二人でいる間、順平が時折見せる、置き去りにされた小さい子供のような無防備な表情を思い出して、洋太はちくりと胸が痛んだ。
いつもの、熱く抱擁した後、ベッドの中で自分を等身大のぬいぐるみのように大事そうに胸に抱き抱えて眠っている時の安らかな顔や、デートの最中に洋太が繋いだ手を離そうとする時、いつも少し寂しそうに見える眼差しも、忘れられなかった。
ふと洋太が、何かを思い出そうとするように視線をさまよわせた。
(あいつが狼で、オレがウサギなら……「捨身飼虎」よりも、確かもっとストレートな話が……そうだ、あれだ。「捨身月兎」だ……)
「捨身月兎」は「捨身飼虎」と同じく、釈迦の前世譚の中の有名な一編である。
徳の高い僧に姿を変えた神様をもてなすために、他の動物たちは畑や山から手に入れた様々な食物を差し出したが、ウサギだけは何も手に入れることが出来なかったので、僧に焚火を起こすように頼み、自ら火の中に飛び込んで己の身ひとつを捧げた。その尊い姿を見て、神はウサギの命を助け月に上げた――という仏教の説話だった。
洋太はその話が、燃え盛る炎に飛び込む勇気と、冴え冴えとした満月の光の中を天へ昇って行くウサギというイメージの美しさから、子供の頃からとても好きだった。ウサギが死んじゃった! と思わせて、じつは神様が起こした不思議な炎が冷たくて、焼け死なずに済む(一度は焼けて復活するバージョンもあるらしい)のも、子供心にエキサイティングだと思った。
(順平はオレがいなきゃ生きられないみたいに言うけど……オレだって、あいつから色んなものを貰っているし。何より、あの海での事故の時には、あいつに命を助けてもらったじゃないか。だったらオレも一度くらいは、怖いけど”火に飛び込む勇気”を持ちたい。だから、順平にちゃんと会って、自分の言葉で話そう……本山での修行のことを。……あいつを、信じるんだ……)
目を覆っていた両手を下ろすと、洋太はベッドから起き上がってスマホを取り上げ、一心にメッセージアプリに返信の文章を入力し始めた。その明るい茶色の瞳には、先程までの怯えや迷いは、もう見えなかった。
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