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第六章
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しおりを挟むあのワンルームマンションでの夜以来、順平と話し合うために洋太が指定してきた場所は、以前二人で走り込みの練習をしたK市のローカルな海水浴場がある小さな駅の一つ先の、全国的に有名な大きな橋のある観光地エリアにあるファミレスだった。
そこは国内屈指のマリンリゾートらしいヨットやクルーザーが多数係留された港からもほど近く、観光地とあっていつも人通りが絶えない、どちらかというと混雑しているので普段は足を向けないタイプの店のはずだった。
この時、洋太が敢えてファミレスの同じチェーンの中でも、その場所にあるその店を指定してきたことに、順平は、あの夜に自分から受けた無体な行為が洋太の中で傷になっていて、二人きりで人の少ない場所に行くのを恐れているために、わざと混雑した店に入りたがっているのかもしれない……と感じ、ひっそりとまた胸を痛めていた。洋太に合わせる顔がなかった。
そんな内心を押し隠しつつ、ファミレスの入り口に続く階段の下に立って洋太を待っている順平は、しばらく前から通りかかる女性達の熱い視線を集めていることに、例によって全く気付いていなかった。
当日の順平の服装は、いつもと少し趣が違っていて、白地に紺とグレーで求心柄という幾何学模様を首から肩に描けてぐるりと編み込んだ、本場のものらしい、いかにも上質そうなノルディックセーターに、下はすっきりとしたシルエットのブラウンのテーパードスラックス、足元は珍しくドレッシーな黒の革靴を履いていた。ともすれば野暮ったくなりそうなスタイリングだが、背が高く筋肉質で、日焼けした精悍な顔立ちの順平が身に着けると、これで眼鏡でも掛けていれば、北欧の名門大学の知的な留学生か何かのように見えてくるのだった。
もちろん、この服装も上官の鷹栖の「全身黒っぽい服は威圧感を与えるので絶対にやめろ」というアドバイスに従って、ノルディックセーターとスラックスは彼の私物を借りたものだった。さすがに今回は後でクリーニングして返せと言われていた。
最初、女性経験の豊富な鷹栖から「女の子の家族に挨拶に行くのよりは、ちょっとラフな、でも清潔感と礼儀正しさが感じられるスタイルで」と言われて、全く想像がつかなくて苦悶していたところを助け船を出された結果なのだが。
それでも「足元はなるべくドレスシューズで」という課題だけはどうしてもクリアできず、仕方なく任務では半長靴ばかりで、あまり履き心地がよくないため好きではない、正装用の官品(支給品)の黒の短靴をこっそり履いていることは秘密だった。
やや緊張した面持ちの、そんな順平と向き合った時、洋太はほんの少し口を開けて、ほー……っと溜息をついた。
「……びっくりした。あんまりいつもと違って、外国のファッションモデルみたいにカッコいいから、別人かと思っちゃったよ」
そう言った後、少し笑いながら洋太が質問した。
「ところで、その服……もしかして、春壱くんから借りたやつ?」
順平がちょっと驚いた顔をした後、赤くなりながら罰が悪そうに後頭部を掻いた。
「あ、ああ……やっぱりわかるか?」
「何となくね。だって絶対に順平が持ってなさそうな服だから。それ、海外ブランドのけっこう高いやつじゃない?」
「えっ、そうなのか……?」
洋太のほうは、濃いめのストレートのデニムに黒の細いボーダーシャツ、黒のカーディガンの上に黒のダウンコートという地味めの服装で、ワンポイントにトラディショナルなチェック柄の、臙脂色のアンゴラ混カシミヤマフラーを身に着けていた。
店内に移動して、案内された海が見える窓際の座席につきながら、洋太が少し目を伏せがちに言った。
「もう知ってるだろうから疑ってないと思うけど……春壱くんとの関係。一応言っておくと。あの人、オレ達が高校生くらいの時から年に何度か家に来てたから……何ていうか、もうほとんど”遠くの親戚”みたいな感じ?」
「ああ、鷹栖さんから聞いている……」
順平も、どことなく目線が定まらない様子で洋太の話に頷いた。それから洋太は、あの時(順平が目撃した日)家に来た鷹栖から、花のプレゼントのことを父親に口止めされていたため、部下であることをずっと黙っていたのを謝罪されたことや、順平の誤解についても後日、電話をもらって、先輩として親身に事情を説明されたことを話した。
洋太がいったん話し終えたところで、順平はやおら椅子から立って中腰になると、頭をガンッ! と音が出るくらいの勢いで目の前のテーブルに打ちつけた。
「……本当にすまなかった、洋太! この通りだ……」
大きな音に周囲の客達が一瞬、静まり返ってこちらを注目した。同じく驚いた洋太だったが、順平が本心では床に土下座したいところを、洋太に恥ずかしい思いをさせないようテーブルの上で妥協したのだろうと思い至って、苦笑しながら答えた。
「もういいよ。事情はわかったし……それに、オレも悪かったんだ」
「え……?」
意外な洋太の言葉に、順平が怪訝そうに顔を上げる。洋太の前に置かれた大好物のパンケーキが手つかずのままなのを見て、順平はまた何度目かで胸が痛んだ。洋太が緊張しているのだと思ったから。
「正直に言うよ。……オレ、もうすぐ家を出て、宗派の本山へ修行に行かなきゃならないかも知れないんだ」
順平が息を呑むのがわかった。不意を突かれたように洋太を見つめた眼を見開いている。
「本山? 修行……? それは、どれくらい……」
「わからない。たぶん一度行ったら、当分帰って来られないと思う。何か月掛かるか……修行が順調なら、意外と早く帰れることもあるらしいんだけどね。その間は、外界と完全にシャットアウトされて、電話もメールも出来なくなる……」
ようやく事態が飲み込めてきたらしく、順平が呆然とした表情になった。
「何か月か、わからない……しかも、電話もメールもなしで……?」
「うん……お正月に、急に決まったんだ。それで、ずっと迷ってた。このことをお前に何て言えばいいか、わからなくて……」
「あ……」
順平は、ここしばらくの洋太が、電話で話してもどこか上の空で、次に会う予定を決めるのも煮え切らなかった理由を、やっと理解した。洋太は、会えなくなると聞いた順平が受けるショックを気遣ってくれていたのだろう。それなのに自分は……。
洋太がテーブルに視線を落としながら呟くように言った。
「ごめんな、順平……お前を、信じてやれなくて。オレ、お前がどうなっちゃうのかわからなくて……それが怖くて、この話を切り出す自信がなかったんだと思う」
「いや……お前が謝ることじゃない。何一つ、お前のせいじゃないんだから。オレのほうこそ悪かった。オレの未熟さのせいでお前を、そんな風に不安にさせてしまっていたなんて……自分が恥ずかしい。本当にすまなかった……」
絶望的な表情で深く俯いたまま、低い声で順平が絞り出すように言った。
「洋太……。こんなオレと『別れたい』とお前が思ったとしても……オレには、もう何も言えない……お前が決めてくれ……」
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