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プロローグ

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 ああ、またここか。砂の香りと腐った街の外観、アーバンデクライン。だが今ならわかるここは私の心の世界だということを、しかし以前とは異なることがある。人がさっぱり居なくなっていた。ここは地上だが浮上都市ではどうだろうかと少し見に行くが、やはり人はいない。
 そしてまた地上に降り立つと、砂嵐が吹きつけた。そこで私は目覚める。
「何だったんだ。今の」
 私はさっきの心象風景のせいか不安になって、焦るように居間へと急ぐ。だがそれも杞憂に終わりひとり安心して座布団に座った。
「今朝は鮭の塩焼き、ほうれん草のおひたし、春キャベツのおみおつけ、ご飯です姉様」
「ありがとう。コイオス」
 真理亜の手伝いをするコイオスが私の食事を盆に乗せて運んできた。
「おはようございます。姉様」
「おはよう。コイオス」
「あっヒルデさん。おはようございます。叔父さんとクリオスちゃんは」
 そういえば二人はまだ熟睡モードだったな。
「起きたていなかったけど」
「もう、あの二人は私が早起きして朝ごはん作ってるのに、冷めても知らないんだから」
 真理亜はエプロンを台所の戸棚にしまい「冷めちゃうし、食べよ」と言って、ご飯を茶碗によそう。そして私の茶碗にご飯をよそってくれているのはありがたいのだが、真理亜がブツブツ小言を言いつつ入れているため、ご飯が山のように茶碗に乗せられていく。
「真理亜、真理亜さーん」
「はっ、すみなせん何ですかヒルデさん」
「ご飯が・・・」
「ひゃっ、ごめんなさい私、ちょっと考えごとしていたもので、食べますか」
 せっかく入れてもらったし、それになぜか整って見える。まあ今日は新学期初日なわけだから、たくさん食べても問題はないだろう。
「ええ、そのままいただくわ」
「姉様、さすがです。では私も少しいつもより多めでお願いします真理亜様」
「コイオスちゃんも。わかった、たくさん食べてね」
「はい、真理亜様のお料理は細やかですので、とても食べやすいですね」
「そう、かな」
 真理亜の機嫌もコイオスの一言で少しは戻ったみたいだ。確かに鮭の下味もしっかりしている。ただの塩焼きではないようだ。加えて味噌汁も米麹が使われており少しまろやかさが表現されている。ご飯はさすがにご飯である。もちろんおひたしも出汁がよく効いている。
 朝食を終え、テレビのチャンネルをくるくるしていると一つのニュースに行き当たる。
「先日、騒動があったばかりのギリシャですが、本日未明大規模な地震に見舞われ死傷者が多数出ているという情報を、我が局は得ました。中継が繋がっています・・・・・」
 我が目を疑う状況だった。言葉にもできない光景であり、私には震災地というより何といったものか。そう、さながら、さながら『戦場』というにふさわしい光景だ。
 コイオスと真理亜は洗い物をしているのを後ろに私は目を丸くして固まっていた。すると玄関の方から大きな音が聞こえ、洗い物をしていた二人もこちらを伺う。私は少し駆け足で玄関へ向かうと、そこには血を流し倒れているオケアノスがいた。
「・・・ええっ、どうしたの」
「見ての、通りだ。すまないギリシャは守れなかった」
 腹部からの出血が酷い。話は後でするように促し、止血の準備をするようにコイオスに行ってタオルを取りに走らせる。
「ギリシャはエデンへの入り口、そこを奪われた」
「わかってるわ。私がエデンへの道を通せばいいのよね」
「そうしてくれると、助かる」
 私は急いで、扉を開く。無駄な詠唱はカットし速度優先で行うと、歪だがイオニア式の門が現れコイオスと二人でオケアノスを担いで行く。
 エデンの園、死はなく万物の何物をも傷つけることができない世界。ここでは神は正しい形を保つことができる。
「あらまあ大変。奥様ー、奥様」
 門を抜けた後すぐに、ふくよかな婦人が血相変えて走って行ってしまった。
「誰だったのでしょうか」
「さあ」
「私のお手伝いさんだよ。妖精族の方だ。それよりも右手に森が見えるだろう。そこの池に私を放り込んでくれ」
「ダメよ。早く手当てしないと」
「そうじゃない。とりあえず行けばわかる」
 半信半疑だが行くしかない。私とコイオスは再びオケアノスを抱えて森の中の池に向かった。
 森の中は木漏れ日が美しく時折、動物達がこちらの様子を伺っては去って行った。
「ここでいい」
「行くわよ」
「「せーの」」
 たどり着いた池に彼の体を投げ入れた。水飛沫が高く上がり彼の姿は見えなくなるがやがて浮き上がってきた。その時には、出血が治まっていた。
「すごい」
 私は感嘆の声を小さく漏らした。そんな私の隣でコイオスは服を脱ぎ去り池の中に服を突っ込みザブザブと軽く洗って取り出した。
「何してるの」
「コレですか。服を洗っています」
「見ればわかるわよ。何で今洗ってるのか聞きたいのよ」
「姉様、恐れながらここは『戻しの和泉』と呼ばれる場所です」
「『戻しの和泉』、『池』じゃないの」
「はい、かつては池ほどの面積と体積を有していたのですが、今は泉程の大きさになっております。この泉の水浸した物は何でも元の形に戻す効果があるとか。ですのであまりお身体のまま入られるのは良くないのですが、仕方ありません。不測の事態ですから。姉様もどうです制服の上着、スカート、シャツの血のシミも落ちますよ」
「いや、でも脱ぐんでしょ」
「何を言っているのでしょうか。服は脱がねば洗えません」
 泉の効果はどれくらいのものかはわからないが身体がずぶ濡れになるよりかは脱ぐ方がマシなのだろう。
「私は紳士だ。それに君は子供同然の発達段階だ。何も恥ずかしがることもない」
「わっわかってるわよそんなこと。でも外で脱ぐなんて・・・」
 そうだ。外で脱ぐくらいならうちに戻って着替えれば、ダメだ制服の替えがない。シャツとスカートくらいなら何とかなるけど。そうよブレザーだけ洗えば万事解決ね。スカートは夏用でもわからないし。シャツは通年同じで長袖も半袖も二着ずつあるじゃない。
「うっ上着だけお願いするわ」
「かしこまりました」
 コイオスは先程と違い手にすくった水を少しずつブレザーに垂らしている。
「さっきと違うのね」
「そうですね。これは神器ではありませんので年数的に短いですから」
「年数」
「そうです。私なんかの衣は前回の私の前の前そのもっと前から着続けているものなので、多少長くつけるくらいが調度いいのですよ。しかしこれは人が作ったもの出来上がって一年と経っていないので水をかけ過ぎると、元の形に戻ってしまうのです。素の糸に」
 なるほど、戻しの和泉はかなりの効き目のようだ。しかしオケアノスの傷口は開いたままだ。
「兄様の場合は少し違います。服や物は素材に戻ります。しかし怪我や破損物は無くなったものをこの泉で生成するので時間がかかるるのです」
「ない物は作って補うってことね」
「はい、そうなります」
「ふふっ。年甲斐もなくはしゃぎすぎですよオケアノス」
 私たちが戻しの和泉について話していると森からテテュスがやってきた。彼女は穏やかな顔つきでこちらにやってきて「ご迷惑をおかけしましたね」と一礼するとオケアノスの方へ向かう。
「オケアノス。起きているのでしょう。オケアノス」
 テテュスが泉の岸で寝ているオケアノスの顔を覗き込んでいるのだが、当のオケアノスはというと何やら汗のようなものをかいてじっとしている。
「寝たフリですね。姉様少しお耳を」
 そう言われてコイオスの口元に耳を傾ける。
「テテュス様が最も微笑んでいらっしゃる時ほど怒ってらっしゃるのですよ。それはもう恐ろしい我らがティタン兄弟いち屈強な男であったヒュペリオんも泣き出すほど」
「うはー。それは何とも、触らぬ神になんとやらね」
「そこのお二人」
「「ひゃう」」
 私とコイオスはいきなりのことでつい変な声が出てしまった。
「ここはわたくしにお任せを、本当にこの困った人を連れ帰ってきてもらって感謝いたします」
「気にしないで、あははは」
 よし早く帰ろう。テテュスの気が変わらないうちに。
 しかしギリシャの震災とオケアノスの怪我。まさか、オケアノスが地震で怪我したとも考えづらいし。これはもう少し情報がいるかもしれない。
 私はこちらと若田家へのパスを通し、出現した扉を開く。今度は効率重視のためガッチリとした重厚な扉を抜け私の部屋に戻ってきた。
 さて、まずは着替えないと。私の部屋には寝相の悪いクリオスが大の字になって寝ていたが、業を煮やしたコイオスが布団を持ち上げ、その布団を押入れに片付けた。
「起きるのですよ、クリオス」
「ふぇ。こいおすぅ」
 ダメだ。まだ寝てる。
「いいわ。先にコイオスにお願いするからクリオスが起きたら伝えて」
「お願いとはなんでしょか」
「ギリシャに行ってきてほしいの。二人でね」
「構いませんが、なぜ」
「ギリシャの突如起こった原因不明の震災、多数の死者、オケアノスの怪我。何か引っかかるのよ。それにガイアの存在がある」
「了解しました。ギリシャへ赴きオリュンポスの方々から情報を取得すれば良いのですね」
「その通りよ。お金は少ないけどそこの棚に入ってるの使っていいから。ヤバッ遅刻する。じゃあよろしくね」
 時刻は午前八時十二分。少しズルするか。
 私は翼を広げて人目につかないように高度を上げる。でもなんかいつもより背中に違和感がある。そう思い背中を触ってみると。アレ、増えてる。
「羽根が増えてる」
 翼が増え四つになっていた。しかしこれはこれで動きやすい。
「ここね」
 学校の直上に来たところで翼をしまい、自由落下で学校へ行こうという算段だ。着陸の寸前に再び翼を広げ、衝撃を和らげ緩やかに降り立った。その後、非常用の梯子を降りて食堂の屋根から玄関側に飛び降りる。食堂は一階で校舎とくっついているので問題はない。
 あとは何もないかのように登校して来た他の学生たちの列に紛れて終了だ。完璧ね。
「あっヒルデじゃん何してんの」
 あー、何事も完璧にはいかないみたいだ。
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