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大地の章

戦いの布石

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 太陽が水平線に見える。日の出ではない、夕暮れだ。茜に染まる空に巻層雲が美しいラインを描く頃、私はネプトゥヌスを訪ねるべく港へ来ていた。普段着ではなく学校指定の制服なので、前回来た時より場違い感はない。ただし、あまりここに長居すると帰宅していく貿易港の職員に怪しまれてしまう。職員たちは私に目が止まると「誰かのお迎えか」と何人かはそんなことを聞いて来た。「はい、兄を待ってます」なんて私はごまかしてやり過ごす。嘘ではない。
 それにしても、いるかどうかもわからないが来てしまったし、人が居なくなったら、レコードから天使を引っ張り出して監視カメラをどうにかしよう。
「えっと、これだ。来たれ我が使い、天より召され使命を果たせ。NO.19」
「ごっごご」
「ご」
「御用の向きは、いかがでしょうか。我が主」
 ふわっと現れたのは、文学少女といっても過言ではない。本だ。リュックサックを背負い、左手に一冊本を持って、大きな丸眼鏡をかけている。しかしながら、耳掛けの部分からレンズの外フレームに延びる金鎖が豪華さを演出している。
「そうね。単刀直入に言うと、監視カメラを止めるか、邪魔するかしてほしいの」
「ああ、それでしたら、こっこんな風に、えいっや」
 持っていた左手の本に字を書き込み出すと、字が次から次へと浮き上がって監視カメラにへばりついていく。
「へぇー。不思議なものね、ありがと。それで何を書いたのかしら」
「こ、これで、すか。確か主人様の寝言一年分くらいを書きました、よ」
 なっなんじゃそりゃ。途端に火照り感じて来た。
「他のはないの」
「す、すいません。で、でも私とお話ししてくれるとた、たくさん書くことができます。私が知って、いるのはこれだけだから」
「わかったわ。今回はこれで良しとしましょう」
「主人様、コレはそう長く持ちません。1時間がいいところです」
「了解。ご苦労様」
「はい、では」
 天使は再びレコードに吸い取られていった。はあ、ため息を吐き気持ちを入れ替える。
 さて始めますか。悪いけど時間がないので空から探すことにしよう。といってもアパートの二階くらいの高さで飛行する。あくまで飛行するのは、歩くより速いからである。貨物が沢山あるので私の姿は隠れていることだろう。
「気配がない、やっぱり漁港の方かしら」
 私は漁港の方へ進路を切り替えようと振り向いた時、不意に何かがコンテナの上から襲って来た。
「くっ」
 飛んでいたおかげでヒラリと攻撃を躱す。それは、唸り声を上げてゾロゾロとコンテナの隙間や上から現れた。
「何こいつら、囲まれたっていうの。舐められたものね、数だけ言ったて」
 私は剣を取り黒い何かに立ち向かう。一振りするとそれはバラバラに砕け散った。
 その残骸をよく見ると、黒い甲冑だった。ならばこいつらはさしずめ黒騎士とでも名付けておくとして、さっきよりも数が増えている気がする。
「弱いくせに、ワラワラと。このっ」
 時間が惜しいのに、仕方ない少しだけ剣の力を開放するか。
「神聖なる剣よ。星の導きのままに我を照らせ」
 剣の刀身が光を帯び発光する。相手が怯んだ隙に、いっきに間合いを詰めて切り込む。飛びかかって来た黒騎士を払い切り、また別方向から飛んでくる敵は、胸ぐらを掴み遠心力に任せ、一番群れているところに叩きつけ、その群れをまとめて一閃した。
「はあ、はあ。だいぶ、片付いたけど、まだやるのかしら。えっ」
 黒騎士たちは構えを解き、影に紛れて消えた。もちろんバラバラにしたものは、砂になっていた。
「ガイアの仕業なの」
 かなり疲れた、それに時間もかかってしまった。あんな軍勢でくるなんて、いやもしかしたらもっといるのかもしれない。
 そんなことを考えていると「があああ」とどこからか悲鳴が聞こえてきた。
「しまった。まだ残ってたやつがいたの」
 駆けつけてみると、そこには男性が血の池を作って亡くなっていた。
「酷い」
 取りこぼしたと思われる黒騎士がこちらに気づき、逃げようとするが私はその隙を逃さず八裂きにした。
 自然と涙が頬を伝った。ごめんなさい。私のせいであなたのこと守れなかった。
「それは嬢ちゃんがやったのかい」
 声のする方を睨みつけると、そこにはトリアイナを肩に担いでコンテナの端に座っているネプトゥヌスがいた。
「悪い、今のはなしだ。すまねぇ。で、その人間どうすんだよ」
「ネプトゥヌス、ずっとあそこに」
「待て待て待て、俺もさっき駆けつけたとこだ。俺も間に合わなかったんだよ。駆けつけたらこの嬢ちゃんが泣いて謝ってたってこった」
 今は何を言っても変わらない。不毛な争いって言うのかな。後で公衆電話から警察に連絡するとして、ここで彼に会えたのはよかった。探す手間も省けたし、それに時間もそうあるわけではない。一刻も早くここを離脱しないと、監視カメラが息を吹き返してしまう。
「一度ここを離れるわ、話はその後で」
「あいよ」
 私は翼を広げ舞い上がるが、彼はやってこない。下を見てみるとネプトゥヌスが私を見上げてる。
「あなた飛ばないの」
「飛ばないんじゃない、飛べねぇんだよ」
「私、用を済ませてくるから、先にウェスタの店に行ってて」
「げっ姉貴の店かよ」
 ウェスタとの繋がりを辿れば彼もあの店に行けるはずだ。私は近くの公園にある公衆電話から警察に連絡し、ウェスタの店に行った。
 ポロンポロンっとドアがいや、ドアに付いたベルが鳴る。
「さっきぶりやな、こっちおいで」
 ウェスタはギュッと私を抱きしめて「大丈夫や、あんたのせいとちゃう。せやから心配せんでもええ」と優しく言ってくれた。私は結局、涙を抑えることができずに彼女の胸を借りて泣いてしまった。
「泣きたい時には泣きなさい。『死』いうもんに慣れてしもうたらあかん」
「私、私は、守れなかった」
「そこに誰かいるの知ってたんか」
 そう聞かれて、私は首を横に振る。
「それやったら。仕方ないんとちゃう。あんましこんなこと言いたないけど。その死んだ人の運がなかっただけやないの。間も悪かった。実質的にはその黒騎士ちゅうのが一番悪い。やからそないに責任をなんでも背負おうとするのはやめて、死んだ人の分まで次の時、誰かを守れるようになればええ」
「ウェスタ」
 その時、ポロンポロンっとまたベルが鳴り「邪魔するぜ」とネプトゥヌスが入ってきた。
「ほんまに邪魔なんが来たで」
「そう言うなよ。で姉貴なんでここに」
「そらこの子が心配やからや。この子繊細やねんで、あんたと違ごうてな」
「がさつで悪かったな」
「それで、あんたもやられたんかいな」
 ウェスタは深妙な口ぶりでネプトゥヌスに聞いた。「情けねえ話だがな」と彼は頭を書きながら答えた。目元を赤くしながら私は彼に聞いてみた。
「数で負けたの」
「ああ、そりゃもうわんさか湧いてきやがって、切っても刺してキリがなかったさ」
「あんたのお友達はどないしたん」
「あいつらは他の海に逃がした。何頭かは、やられちまったがな。たく、胸くそ悪りぃはなしだぜ」
 友達というのはレックスのようなシャチや海の仲間のことだろう。しかし彼らもということはつまり、
「ああ、おっ死んじまったのさ。地中海はもうダメだ。なんでおれはこっちに逃げてきたってわけだ」
 オケアノスが敗退し、ネプトゥヌスも敗走した今、海はもう彼らのものではないということか。
「人間はあの日起きたことを災害やと思てるみたいやけど、あれは侵略そのものやった」
「ああ、女も子供もこちら側の動物なんかも、手当たり次第に破壊と殺戮の限りを尽くしたって感じだなありゃ」
 ギリシャはそんなに酷い状況なのか、一人の死でも耐えらないのに私にはそんな場所で戦うなんて無理だと思った。
「そうだ、他のみんなは」
「プルトは知らねえ。ユーノは残って人間たちのアフターケアするっつてたな」
「ケレスはあいも変わらず、農場の復興作業しとったなあ」
「そう、プルト以外は無事なのね」
 プルトに関してはコイオスとクリオスに任せる他ないか。ギリシャが墜ち、ガイアの手は、こちらにもきているとみて間違いないが、それにしても速い進行だ。
「確証のねえ話だが、また大きな戦いが起こる。神ってのは土地柄なんで、少しは抵抗があるだろうが、抑えきれねえもんもある」
「ここの神さんはこの島釣り上げたってくらい幸運やし問題ないやろ。それにこの国は攻撃にも守りにも強い神さんがおるから大丈夫や」
 日本にいるが、そういえばここの神を見たことがない。
「日本の神ってのは格式高いらしからあんまし表に出ないらしいぜ。それに俺たちは全世界の人間が知ってるが、ここの神は世界では名前を聞くことは少ない。だから俺たちみたいにあっちこっちほっつき歩くわけにはいかねえんだろうよ」
 そういうものなのだろうか。神の力はその信仰力に起因する。ならばガイアは彼女だって私たちと同じ種族なのにどうしてここまで強大な力を持てたのか。
「ガイアは大地そのものって言ってたけど、それってどういうことなの」
「それは俺が海ってのと一緒で、やつはこの地面そのものなんだ。だから屁理屈みてえだが、地面や土を知らねえやつなんざいないって話だよ」
 ネプトゥヌスの説明で納得した。なるほど簡単なことだ。確かに私や人は皆、地を歩き、地上で生活している。でもちょっと待って海もそれなりに知っている人は多いんじゃ。
「ゼウス、海もそれなりに力がある思うたやろ」
「ええ、だって知らない人はいないんじゃ」
「残念だがそれは違う」
 ネプトゥヌスが再び説明してくれる。
「人だけじゃない。生物全てにおいて海を知っているかが問題だ。砂漠に住む生き物は海を知ってるか、んなわけねえよな。ならそういうことだ」
 そうか。そうなのか。面積ではなく、生息数が私たち神の力を左右する。なんとなくだけど、私にもだいぶ理解できてきた。
 では私は、知識の神なのかなら、そうであるなら・・・・・。
「ゼウス、あんたは一つ勘違いしとるで、あんたは智の神やない。ソラの神なんや」
「空」
「ちゃうちゃう。『宙』の方や。せやから、我らが父クロノスは、あんたに後託して出てったんとちゃうの。ウラノスの後継者。ガイアと唯一拮抗するその認知力と信仰力」
 ネプトゥヌスがほうほうと頷きながら聞いている。「だからか」
などと一人納得している。
 私にはなんのことだかさっぱりわからない。
ソラって具体的にどんな力なのよ」
「それは嬢ちゃんが自分で見つけるものだと思うぜ、俺はな」
「せやな。うちらが口出ししてもゼウスが本来の力を発揮できるわけもあらへん。時間はそうあらへんけど・・・・・」
「自分のことは自分が見つけろってこと・・・なのね。いいわ、今日同じこと言われたばかりだから」
 やはり自分のことは自分で理解しなければ、個々の気持ちや能力を推し量ることはできないということだ。
 今日のところは一度帰って考えよう。勢いだけではどうにもならないこともあるはずだから。
「自分探し、頑張りや」
「アドバイスってわけじゃないが、自分には負けるんじゃねえぞ」
「うん。ありがとう二人ともまた明日かどうかはわからないけど、また今度じゃあね」
 ポロンポロンとベルが鳴るのを聞いてドアを閉めた。
 何かが足りないと常々思っていたが、自分の中に答えがある。また心象に降りる必要があるかもしれない。しかし『アーバンデクライン』は私のものじゃない。それでも、あそこへ行かなくてはならないと直感がそう告げる。
 準備を整えて、休日にはテテュスに頼んでアーバンデクラインへとダイブしよう。それまであと三日程ある。華蓮と奏花、美麗のこともある。山積みの課題を少しでも解消して行かなくてはなるまい。
 うちに帰ると、コイオスとクリオスが居間でくたびれ果てて転がっていた。しかしもう帰ってくるとは、行きは確かにゼロの扉で送り出したが、帰りは自力だっただろうに一日いや日帰りなんて相当疲れたはずだ。
「ああ、姉様おかえりなさいなのです」
「ただいま。じゃなくてあんたたちクタクタならこんなところじゃなくて布団で寝たらいいのに」
 もそもそとコイオスが体を起こす。
「行けませんそれではせっかくの情報を伝えそびれてしまいます」
「それに真理亜のご飯食べられないですから。ふわああ」
 クリオスはゴロゴロと私の足元まで来ると、何かを手渡してきた。何これ手紙かしら。ちぎれた紙切れみたいだけど。
「そこに来てくださいとプルト様からの伝言です。あとケレス様は農場の皆様と元気にされてました」
 そうか。これで実際に安否が確認できていないのが、ユーノだけとなった。台所からは「ご飯できたよ」という真理亜の声が頭の中を通り過ぎていった。プルトからの指示には、『明日、あなたの始まりの場所で会いましょ(ハート)』といった内容が書かれている。始まりの場所。アーバンデクラインか、いや違う。あそこは私の記憶の最初の地ではあるが、一連の始まりではない。ならあそこかもしれない。
〈若田製作事務所〉
 次の日、学校の帰りに若の仕事場である、若田製作事務所に寄った。ドアを開けると、少し埃臭く古びたソファの皮の香りがする事務所を懐かしく思った。
「ほんとにお嬢さんが来た」
「ね、あたしの言った通りでしょ」
「若、それに」
「ハーイ、久しぶりね。悪いけどちょっと席を外してもらえるかしら」
 若は「わかりました」と席を立ち隣の仮眠室へと姿を消した。彼にはプルトが見えているということは、今は彼は見えるようにしているのか。
「まあ、立ち話もなんだし、座りなさい。あなたが来るまでの間相手して貰ってたのよ。ああ、あたしが見えるわけ。別に見えるように配慮してたわけじゃないの。あたしは実体を持つと人間にも見えてしまうだけよ。気にしないで。あなたも今はそんな感じね」
「今は」
 変な言い回しをする。と思ったが、気にしないことにして私は彼の目の前に座った。
「大丈夫、じゃなったわよね。ここにいるんだし」
「そうね。・・・・・そうよ」
 プルトは少し考えてから答えた。やはり冥界でも何かあったようだ。
「冥界はしっちゃかめっちゃかな状況よ。穏やかだったはずの魂たちは暴走状態になって、あたしを攻撃しだしたわ。初めは相手にしてたんだけどね。そのあとガイアから降伏勧告がなされた。だ・け・ど、負けてもないのに投稿するのは癪だったから、あたしも地上に隠してた。本体に魂を入れ替えて冥界を脱出して来たの。
 やつら、もう間も無くヨーロッパ諸地域と西アジアの各地を占拠するでしょうね」
「もう間も無くって、そんないくらなんでも早すぎるわ。ギリシャ自体、攻められたのは一昨日でしょ。なんでまた」
「そう、そこが問題なのよ。やつらはね戦法を変えたの、冥界を墜とした時点でこうするつもりだったのよ」
 こうするとは一体何のことを言っているのか。
「姿を人に晒してるのよ」
「えっ」
「化け物が人でもわざと見れるように攻めてるってことなのよ」
 な、なんてこと。
 私は言葉を失った。それではもう、人が災害として被害を受け取るのではなく。戦火として被害を受け止めることになる。
「まずいわ、大いにまずいわよ」
「もしこのままなら」
「ガイアが何か変なことして全世界に神が実体を持って暴れてるなんて知れ渡ったら、あたしたちもただではすまないのよぉ」
 プルトの一言は私だけじゃない、神々全てを追い詰めるものだと突きつけられている気がした。
 私たちオリンピアの神だけではない、世界中の神がガイアの手によって危機にさらされようとしている。
「なんとかして止めるのよ、彼女が変な気を起こす前に」
「なんとかって言われても」
「いい、これだけは言わせて神は人なしでは生きていけないの、人も神なしでは生きられないのと同じようにだから・・・・・」
 向かいに座るプルトが、前のめりに力なく倒れるのを、すんでのところで支える。
「プルト、しっかりしてプルト」
「お嬢さん、何かあったのかい」
 隣の部屋にいた若も慌てて顔を見せた。
「若、手を貸して。まずは寝かせてあげないと」
「わかった」
 プルトを二人で仮眠室の布団に寝かして、今はそっとしておこうと事務室に戻って来た。
「それにして彼どうしたんだいいきなり。朝からやって来たと思ったら、お嬢さんに会いたいって言うから待っててもらったけど、今度倒れちゃったりして」
「色々あったのよ。ギリシャからの人だし、その今は向こうも大変みたいだから、きっと疲れたままこっちに来て、ぐっすり眠れる状況でもなかっただろうし」
 若は表手にカップを持ってきて、一つを私に手渡すと作業机に座ってくるりと窓の外を眺めた。私もつられて窓の外を見る。ここはこんなにも穏やかなのに、と思わずにはいられなかった。
 ギリシャの空は同じものでもそこにいる人たちには違うように見えているのだろう。
 ズズッ、カップに入ったコーヒーを啜り、私は再びソファに座った。
「お嬢さんたちの話、聞こえていたけど僕はお嬢さんのやりたいことというか、望むことをすればいいと思うよ」
 唐突に若はそう告げた。私が若の方を向くと若は口元を一文字に結んでいた。
「若・・・」
「確かに大変かもしれない。彼があれほどになるまでの何かがこの地球で起ころうとしているなら、僕は。こんなこと言うもんじゃないけど、死ぬ前にやりたいことをやるべきだと思うから」
 私は目を逸らして、黒く濁ったコーヒーを見つめた。それも解る、解るけど・・・・・まだ終わると決まったわけでもない、それにここが、日本が危機に見舞われるかもまだわからないのなら、いつものようにこうして・・・。
 その時「全世界に神が実体を持って暴れてるなんて知れ渡ったら、あたしたちもただではすまないのよぉ」とプルトの言葉がよぎる。
「だからねお嬢さん、僕は」
 若が何かを話しているが、耳がそれを聞こうとしない。それを聞いてしまったら私は、私は。
 コーヒーの中に唇を噛み締める私の顔が映り込む、それと同時に私は立ち上がって事務所を飛び出した。
「お嬢さん、お嬢さん。待って」
 止めようとする若の声を振り払うように駆け出した。
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