扇屋小町の茶飯譚

やまめ亥留鹿

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4月8日 彼女の言葉に

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4月8日

〇春休みが終わり、今日から新学年。私は始業式、ゆうは入学式だった。

穂村ほむらとまた同じクラスだった。気安く付き合える友人は穂村しかいないから、正直なところ、安心した。

〇ゆうのご両親の代わりに、入学式は私が見届けた。学校で一緒に撮った写真をメールで送ったらしい。

 ゆうが入試を受けた際こちらに挨拶に来られたようだが、生憎あいにく私はご両親に会うことができなかったので、いつか改めてゆうのご両親に挨拶をしたいものだ。
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「お姉ちゃん、制服どうですかー?」

 部屋の前に現れるなり、諸手を大きく横に広げて、真新しい制服に身を包んだ彼女が訊いてきた。
 ちょうど学校へ行く支度を終え、私は体ごと彼女の方を向いた。

「おー、可愛い可愛い、似合ってるじゃない」

 受け流す具合に軽く答えてあげると、彼女は心底嬉しそうな表情を浮かべた。
 にっこりと微笑んで、でも少し照れ臭そうに、「えへへ、ありがとうございます」と言って赤く染めた頬を両手で包んだ。

「でもゆう、今着たって入学式は午後からでしょう」

 彼女がトコトコと部屋に入ってきて、私のすぐそばまで寄ってきた。
 そしてなぜか、つま先立ちをした。

「だって早くお姉ちゃんと一緒に制服着たかったんです。見てください、私たち同じ制服着てますよ」

 両手を上下にパタパタと動かしてアピールをしてきた。
 なるほど、彼女にとってこういうことも嬉しいらしい。私はまだまだこの甘えたがりな再従妹《はとこ》心がわかっていないようだ。
 依然背伸びをしている彼女の頭に右手を乗せる。

「そうね、一緒の学校に通うんだもんね」
 
 彼女は「はい」と頷いて顔をほころばせた。
 それを見届けてから頭を軽くポンポンとすると、彼女は心地よさそうに目を瞑った。

「それじゃ私は学校に行ってくるね。昼には帰るから」
「はい、いってらっしゃい」


 
「と、いうことが家を出る前にもあったわけ。どう思う?」
「どうって、仲良いんだなー……って」

 新学期のにぎやかな教室で、二年になった今年度も同じクラスになった穂村ほむら 姫ひめが、あまり興味がなさそうな気だるい声を出した。
 前の席に座るこの穂村姫は、唯一私が本当に心を許している友人とでも言えばそれで説明がつくかもしれない。
 そんな穂村に、彼女とのことを話していたのだ。

「ちょっとべったり過ぎると思わない?私は一向に構わないんだけどさ」

 頬杖をついて小さくため息をつく。
 すると、穂村は片眉を下げて、どこか胡散臭そうに私を見てきた。
 
「そんな幸せそうな顔をしてため息をつく人、初めて見た」

 思いがけないことを言われ、私は咄嗟に口元を手で覆った。

「うそ、そんな顔してた?」

 穂村が確信ありげに大きく頷く。

「してた。むしろ他人のことでそんな顔をするあんたすら初めて見たわ」
「あら、愛想はものすごく良いって自負してるんだけどな」
「それはあんたの仮面だろ、さっきの顔は全然違った。それに、いつものあんたなら他人のことなんて話題にすらあげないでしょうに」

 悔しいが、穂村の言うことは、確かにその通りかもしれない。
 私がこんなにも彼女のことを気にしているのは、ただ親戚だからなのだろうか。
 ひとつ屋根の下で一緒に暮らすから、だから無難に付き合って波風が立たないようにしているとか、そんなわけがないことは分かっている。
 そうでなければ、穂村が言ったように、ここで話題にあげる必要もないのだから。
 そもそも、私は彼女に対して愛想よく振舞おうだなんて、これっぽちも意識したことがなかったのだ。常に自然にいられる事実が、その点こそが、私にとって重視すべきところなのかもしれない。

 彼女について思案していると、穂村が机の横にかけた私のかばんを指さした。
 笑い交じりに、
 
「それ、あんたがつけるようなものじゃないでしょ」

 とからかうように言われた。
 私はかばんの側面のポケットにつけた、彼女からもらった小さなリボンを手で隠した。

「ちょっと勝手に見ないでよ、いやらしい」
「もらったんでしょ?その子のこと、よっぽど気に入ってるんじゃん」

 なんだか、穂村にはいろいろと見透かされているようで、だんだんと腹が立ってきた。
 笑うたびに何故か眉根を寄せる変な癖も、ところどころ外に跳ねたショートヘアも、憎たらしいったらない。

「なになに、どういうところがお気に召してるわけ?」
「さあ、分からない」
「そんなわけないでしょうに、思慮深いあんたがさ」
「本当のこと」

 頬杖をついたまま窓外を見遣る。
 穂村が私の視線を追って、あっ、と声を漏らした。

「モンシロチョウ、春だねえ」
「私とあの子は似てるのに、私の目にはあの子がすごくまぶしく見えて、ほんの少し羨ましいなあって思うだけ」
 
 穂村が私の顔をちらと見て、「なるほどね」と納得したように首を縦に振った。

「そりゃ小町様もその子を大切に思っちゃうわけだ」
「羨望っていうか……ある種の憧れなのかな。こんなこと、あの子には絶対言えないけどね」

 穂村が考え深げに顎に指を置いて、まっすぐに私の目を見てきた。
 「なに」と簡素にきくと、妙に真剣な顔でゆっくりと口を開いた。

「その子さ……ゆうちゃん、だっけ、あんたの容姿をほめたりしないの?」
「しょっちゅう言われるけど」

 さらっと答えてから、質問の本意がわかった。同時に、穂村がくすりと笑った。

「ゆうちゃん惜しいなあ、もしかしたらと思ったんだけど、さすがにそこまではなかったか。まあでも、時間の問題かもな」

 穂村の愉快そうな表情を見て、私は「そんなわけ……」と小声をこぼしていた。

「変わることは悪いことじゃないし、まして変化への期待ってのは良いことさ。特にあんたみたいな人間にはね。ゆうちゃんのこと、大事にしなよ」
「言われなくたって」
 
 例えば、彼女に「お姉ちゃん綺麗だよ」と言われて、私がそれを嬉しいと、もっと言ってほしいと思う日が来るのだろうか。
 そんなわけない。
 そう心の中で考えても、彼女の純朴な声と姿を頭に思い浮かべると、なぜだかその自信は薄れていく一方なのだった。



 校門から少し右手に入ったところ、木陰のベンチに座って本を読んでいた。
 遠くから彼女の声が聞こえ、本を閉じて顔をあげた。

「お待たせしました」

 胸にコサージュを飾った彼女が、日に照らされて煌めく黒髪とそこにつけたリボンを揺らしながら、子犬のように駆け寄ってきた。

「お疲れさま。帰ろっか」

 そう言って立ち上がると、彼女は素早く私の腕をとって、きつく抱きしめてきた。
 腕を力いっぱいに抱きしめ、彼女が上目遣いに見上げて微笑んだ。

「入学式、来てくれてありがとうございました」
「まあ、ゆうの保護者だからね」
「えへへ、お姉ちゃんに保護されます」

 何を言っているのだか。半分呆れて、ゆったりとした足取りで歩き出した。
 ちょうど校門まで来たとき、急に彼女がハッとして抱えていた私の腕を引っ張った。

「忘れてました、記念写真撮ってません!」

 そうだった、危うく忘れてしまうところだった。
 周囲には多くの新入生とその家族がいて、写真撮影をしている人も少なくない。
 というか、周囲にいる他人を意識した途端に、彼女と腕を組んでいるのがかなり恥ずかしく思えてきた。
 いや、正確には一方的に腕をつかまれているのだが……そんなことはどうでもいい。
 現に、私たちのことを物珍しそうに見てくる視線が少なからず刺さってきている。

「撮ってあげるから、校門の前に立ちなさい」

 彼女の両腕から私の左腕を引き抜こうとした。しかし、彼女はがっしりと掴んで離さなかった。

「どうしてですか、一緒じゃなきゃ嫌です。どなたかに頼みましょう」

 彼女が澄んだ瞳で私を見つめてきた。

「お姉ちゃん、もしかして照れてますか?」

 彼女に指摘され、一瞬ドキリとしてしまった。
 私は平静を装って、気づかれないように慎重に深呼吸をした。
 彼女が小首を傾げて、純粋な好奇心に満ちたまなざしを向けてくる。

「照れてません」

 たったひとこと、悟られまいと、努めて抑揚なく言った。
 しかし、彼女は背伸びをして私に顔を近づけて、

「嘘つきです、だってお姉ちゃんの脈、いつもより速くなってますよ。お耳も心なしか赤いですし」

 と言った。
 思わず私が口をつぐむと、彼女はクスクスと笑い声を漏らした。

「照れてるお姉ちゃんはレアですね、すごく可愛いです」

 彼女は目を細めて静かに言った。
 その言葉に、喉の奥に巨大な鉛がつっかえたような、そんな何とも言い難い不思議な感情を私は覚えていた。

 その後に撮った写真のどれも、私はあまりに仏頂面だった。
 彼女はそのことを笑いながら軽口で責め、反面、愛おしそうに写真を眺めていた。

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