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砂の城
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朝彦伯父に、以前から話があった結婚話がとうとう決まったことを告げると、一瞬右の眉が引きつったように上がったのが見えたくらいで、他はいつもと変わらずつまらなそうな顔をしただけだった。
わたしはそんな伯父の思惑など気にせず、話を続ける。
「お父さまもお母さまも、お兄さまも婆やもお友だちも、みんなみんな言うの。『これほどの良縁は他にない』って。地位や財力だけじゃない、西田伯爵には人徳も先見の明もあるって、出入りの喜助も太鼓判を押してたわ。その証拠に、許嫁の清雅さまは西洋で学んだために進取の気性に富んでらして、わたしに『結婚しても、決して家に籠もるような生活はさせたくない』って言うの。なんて進んだ考えのお方なんだろうって感激したわ。だからわたし、この方とならきっと幸せな生涯を送れそうって思って、求婚された時、二つ返事でお受けしたの」
わたしは夢中になって話し続けた。この結婚話がいかに幸福を約束されたものであるかを、伯父に滔々とまくし立た。
ひとしきり話し終えると、口の中が乾いているのを感じた。わたしはこの後訪れるだろう沈黙の予感に恐れながら、珈琲が入ったカップを手に取る。
口をつけた珈琲はすでに生ぬるくなっていて、苦みすら抜けた薄らぼやけた味しかしなかった。
わたしは珈琲を飲みながら、2月の冴え冴えした光に照らされている朝彦伯父の横顔を見ていた。
伯父は、ひと月前に会った時より痩せたようだった。シャツから覗く首筋が一層骨張って見える。
あの時の無理がたたったのかしら……?
そんな不安が胸の中をよぎり、後悔と心配で息が詰まる思いをしていると、伯父がようやく口を開いた。
「君は、彼をとても愛しているんだね」
わたしを見据えたその目には、迷いも悲しみも怒りもなかった。あるのはただひとつ、歓びだった。
わたしはその目を見つめながら、声を弾ませて嬉しそうにこう言う。
「ええ、そう。誰よりも愛してるわ。わたし、清雅さまと一生添い遂げる運命なのが嬉しいわ。伯父さま、この蕗子の未来を祝福なすって」
そう言い終えると、涙が一滴、頬を伝った。
瞳の中の伯父の姿が歪んで見える。
嫌だ、これが最後だなんて嫌だ。
そう思えば思うほど、涙が溢れてくる。
「ああ……もう……なんでわたし……伯父さま、お願い……嫁になんか行くなって仰って……蕗子は俺のものだって……ねえ、お願い……わたしには……伯父さまだけなの……」
まるで駄々をこねる子どものように泣くわたしを、朝彦伯父は、あの日のように抱きしめる。その細い腕からは想像できないくらい、力強い抱擁だった。
「そうだよ……そうだ……蕗子は俺のものだ! 誰にも渡してやるものか……今すぐ君をどこかに連れ去ってしまいたい……でも……でも……」
そう言って口をつぐんだ伯父の顔を見ると、彼の唇がわたしの唇を捉えた。
これまでにもないほどの熱い口づけに、全身が蕩けそうだった。
この瞬間が永遠に続けばいいのにと思った。
でも、伯父はやがてわたしから離れて、こう告げてすべてが終わった。
「さあ、行くんだ。もうここに来ることはない。俺とは生涯会わない。いいね?」
それから2ヶ月経った4月の半ば、わたしは西田夫人となった。会う人皆に祝福された婚姻だった。
結婚式に朝彦伯父は来なかった。皆が総出で探したけれど、どこにも姿はなかった。
そして、式から三週間後のこと、夫の赴任先である仏蘭西へ向かう船で、ある報せがわたしたちのもとに届いたのだった。
朝彦伯父が、森の中で見つかったということだった。
夫には、せしめた獲物の胸の内など興味がないようで、その報せを、何か退屈な報告書でも読むような冷淡さでわたしに言って聞かせただけで、すぐさま仲間の方へ引き返していった。
遠ざかる夫の足音を遠くに聞きながら、わたしはそっとお腹をさすった。
あと少しよ。あと少しで、あの人と本当に結ばれるの……。
わたしはそんな伯父の思惑など気にせず、話を続ける。
「お父さまもお母さまも、お兄さまも婆やもお友だちも、みんなみんな言うの。『これほどの良縁は他にない』って。地位や財力だけじゃない、西田伯爵には人徳も先見の明もあるって、出入りの喜助も太鼓判を押してたわ。その証拠に、許嫁の清雅さまは西洋で学んだために進取の気性に富んでらして、わたしに『結婚しても、決して家に籠もるような生活はさせたくない』って言うの。なんて進んだ考えのお方なんだろうって感激したわ。だからわたし、この方とならきっと幸せな生涯を送れそうって思って、求婚された時、二つ返事でお受けしたの」
わたしは夢中になって話し続けた。この結婚話がいかに幸福を約束されたものであるかを、伯父に滔々とまくし立た。
ひとしきり話し終えると、口の中が乾いているのを感じた。わたしはこの後訪れるだろう沈黙の予感に恐れながら、珈琲が入ったカップを手に取る。
口をつけた珈琲はすでに生ぬるくなっていて、苦みすら抜けた薄らぼやけた味しかしなかった。
わたしは珈琲を飲みながら、2月の冴え冴えした光に照らされている朝彦伯父の横顔を見ていた。
伯父は、ひと月前に会った時より痩せたようだった。シャツから覗く首筋が一層骨張って見える。
あの時の無理がたたったのかしら……?
そんな不安が胸の中をよぎり、後悔と心配で息が詰まる思いをしていると、伯父がようやく口を開いた。
「君は、彼をとても愛しているんだね」
わたしを見据えたその目には、迷いも悲しみも怒りもなかった。あるのはただひとつ、歓びだった。
わたしはその目を見つめながら、声を弾ませて嬉しそうにこう言う。
「ええ、そう。誰よりも愛してるわ。わたし、清雅さまと一生添い遂げる運命なのが嬉しいわ。伯父さま、この蕗子の未来を祝福なすって」
そう言い終えると、涙が一滴、頬を伝った。
瞳の中の伯父の姿が歪んで見える。
嫌だ、これが最後だなんて嫌だ。
そう思えば思うほど、涙が溢れてくる。
「ああ……もう……なんでわたし……伯父さま、お願い……嫁になんか行くなって仰って……蕗子は俺のものだって……ねえ、お願い……わたしには……伯父さまだけなの……」
まるで駄々をこねる子どものように泣くわたしを、朝彦伯父は、あの日のように抱きしめる。その細い腕からは想像できないくらい、力強い抱擁だった。
「そうだよ……そうだ……蕗子は俺のものだ! 誰にも渡してやるものか……今すぐ君をどこかに連れ去ってしまいたい……でも……でも……」
そう言って口をつぐんだ伯父の顔を見ると、彼の唇がわたしの唇を捉えた。
これまでにもないほどの熱い口づけに、全身が蕩けそうだった。
この瞬間が永遠に続けばいいのにと思った。
でも、伯父はやがてわたしから離れて、こう告げてすべてが終わった。
「さあ、行くんだ。もうここに来ることはない。俺とは生涯会わない。いいね?」
それから2ヶ月経った4月の半ば、わたしは西田夫人となった。会う人皆に祝福された婚姻だった。
結婚式に朝彦伯父は来なかった。皆が総出で探したけれど、どこにも姿はなかった。
そして、式から三週間後のこと、夫の赴任先である仏蘭西へ向かう船で、ある報せがわたしたちのもとに届いたのだった。
朝彦伯父が、森の中で見つかったということだった。
夫には、せしめた獲物の胸の内など興味がないようで、その報せを、何か退屈な報告書でも読むような冷淡さでわたしに言って聞かせただけで、すぐさま仲間の方へ引き返していった。
遠ざかる夫の足音を遠くに聞きながら、わたしはそっとお腹をさすった。
あと少しよ。あと少しで、あの人と本当に結ばれるの……。
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