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第一話 変わり果てた世界①
世界中に【ダンジョン】と呼ばれる異次元空間へのゲートが出現してから、早五年。
人類の社会は良くも悪くも激変した。
未知の領域から現れたそのダンジョンは、新たな時代を切り開く鍵であり、混沌の種でもあった。
ダンジョンから産出される【魔石】――それは第四次産業革命の火付け役、神秘の結晶だった。
この「魔石」と名付けられた物質は、内部に高濃度の魔力粒子を宿し、触れたあらゆる物理現象を増幅させる驚異的な特性を持っていた。
例えば、燃料に同量の魔石を加えて燃焼炉に投じただけで、投入した燃料の倍以上の熱量が放出されるのだ。
これにより、エネルギー問題は劇的な解決を見せた。
魔石は人類に「神の火」をもたらしたも同然だった。
しかし、その仕組みは未だ解明されていない。
だが、その圧倒的な利用価値を前に、人類は一瞬の躊躇もなく突き進んだ。
そしてもう一つ。
ダンジョンから産出される遺物。
通称、アーティファクト。
特に指輪型のアーティファクトは世界中に混乱と歓喜をもたらした。
それは適性がある者に魔法を使えるようにする道具だったのだ。
魔石、アーティファクトの力は産業、技術、そして社会そのものを変革し、新たな繁栄の時代を約束した。
しかし、その恩恵は、決して平等ではなかった。
富と力は、ダンジョンという新たな利権を牛耳る巨大企業と、そして――【属性適性】という特別な才能を与えられた『選ばれし者』たちに独占された。
---
夜明け。
淡いピンクと金色の絵の具を溶かし込んだような空の下。
超高層ビル群の壁面に設置された巨大なビルボードが、絶え間なくホログラム広告を明滅させていた。
中でもひときわ巨大なビルボードには、世界有数の魔石エネルギー企業【明光《めいこう》エネルギー】のロゴが浮かび上がっている。
若く美しい女優が微笑みかけ、澄んだ声でキャッチコピーを告げる。
『クリーンエナジーが拓く、無限の可能性』
(……笑わせてくれる)
雑踏に紛れ、その広告を冷ややかに見上げる青年がいた。
及川《おいかわ》 翔《しょう》。
彼の目には、そのキャッチコピーがひどく空虚なものに映っていた。
(無限の可能性、ね。そりゃ、あんたたち『持てる者』にとっては、だろうさ)
華やかな光景の中心地。
その一角には、この世界の歪みを象徴する光景が広がっている。
空間が陽炎のようにぐにゃりと歪み、向こう側を紫色に透かす異次元の裂け目――【ダンジョンゲート】だ。
直径三十メートルほどのその楕円形の亀裂は、およそこの世のものとは思えぬ不気味な紫色に明滅を繰り返している。
周囲は特殊合金のフェンスで厳重に管理され、武装した警備員が目を光らせている。
だが、行き交う人々は、それを気にも留めない。
まるで、そこにあるのが当たり前だと言わんばかりに。
そう、これこそが、現代日本の日常なのだ。
駅前の巨大ビジョンでは、国民的人気チャンネル『ダンジョン・ライブ』が放映されている。
画面の中では、日本で唯一のSランク探索者、”炎帝”赤城《あかぎ》煉《れん》が、その圧倒的な力を見せつけていた。
ゴウッ、と。
彼が右手を掲げるだけで灼熱の炎が竜巻となり、巨大なモンスターを灰燼に帰していく。
「見て! ママ! 炎帝だ! がんばれー!」
無邪気な子供の歓声が響く。
英雄、天才、神に愛された男。
彼を称賛する言葉はいくらでもある。
そして、そのどれもが、翔にとっては無縁の言葉だった。
(火属性……。トップクラスの当たり適性。俺のような【無属性】とは、生まれた瞬間にスタートラインが違う)
ビジョンの中の英雄と、それを賞賛する人々。
その光景に背を向け、翔は重い足取りで大学へと向かう人波にその身を溶け込ませた。
自分には関係のない、おとぎ話の世界。
彼が生きるのは、もっと泥臭く、そして救いのない現実なのだから。
---
そこは時代を牽引する最先端の学問を扱うには、少しばかり古びた講堂だった。
プロジェクターが壁に映し出すのは『魔力生体学』の文字と、人体の内部で魔力がどのように循環し、外部からの魔力干渉にどう反応するかを示した複雑な図式。
しかし、その深遠なテーマに真剣に向き合っている学生は、百人を超える受講者の中でほんの一握りしかいなかった。
この変化した世界を生き抜く上で、本来は極めて重要な学問のはずなのだが……。
「……つまり、生体魔力と外部魔石エネルギーの共振現象が、魔力汚染の基本的なメカニズムで……」
ほとんどの学生にとって、教授の声は極上の子守歌でしかない。
スマホをいじる者、居眠りする者。
およそ学問の場とは思えない有様だ。
だが、そんな中で一人。
及川翔だけは、前のめりになって講義に聞き入っていた。
彼の目的はただ一つ。
2年前、ダンジョンの氾濫に巻き込まれ、原因不明の昏睡状態に陥っている妹を救うこと。
妹の病は、ダンジョンから発生する魔力による前例のない症例と診断されており、既存の医療ではなす術がなかった。
『魔力生体学』は未知の粒子である魔力がどのように人体に影響を与えるか、を研究する最近できた学問だ。
妹を救うため、彼は必死にその学問を学んでいた。
翔は、自ら魔力を用いた新たな医療技術を開発するため、この大学の研究室を志望したのだ。
(これだ……! 妹の美咲を蝕む原因不明の魔力暴走による昏睡状態。それは、この共振現象に近いもののはず……!)
彼の思考は、猛烈な速度で回転する。
原因がこれならば、対処法も見つかるかもしれない。
外部からの魔力干渉をコントロールし、暴走を抑えることができれば……!
一筋の光明。
しかし、その希望は、あまりにも残酷な現実にすぐに打ち砕かれる。
(……だが、そんな高度な研究ができるのは、学内でもトップの研究室だけ。そこに入るには、優秀な成績と……莫大な金がいる)
脳裏に、数日前に届いた郵便物がちらつく。
大学からの学費納入の督促状。
その赤い印字が、彼の思考を鈍らせる。
来月の学費すら、払えるあてはないのだ。
(夢物語、か……)
思考が途切れた瞬間、翔のペンは無意識にノートの隅へと走っていた。
『ジャイアントラット:弱点、眉間と心臓。動きは直線的だが素早い。魔石買取価格、十グラム八百円』
(結局、今の俺にできるのは、これだけか……)
教授が語る高尚な理論の横に書きつけられた、あまりにも泥臭いモンスター情報。
それが、翔の現在地を何よりも雄弁に物語っていた。
理想と現実。
そのあまりの隔たりに、翔は自嘲の息を漏らすしかなかった。
昼休み――
学生たちの喧騒と、様々な定食の匂いが混じり合って渦を巻く学生食堂は、翔にとって針の筵むしろだった。
彼のトレイの上には、一番安い280円のかけうどん。
立ち上る湯気が、ささやかな温かみを主張している。
「聞いたか? Eランクの間宮、新しい火属性のアーティファクトを手に入れて、Dランク昇格も近いらしいぜ!」
人類の社会は良くも悪くも激変した。
未知の領域から現れたそのダンジョンは、新たな時代を切り開く鍵であり、混沌の種でもあった。
ダンジョンから産出される【魔石】――それは第四次産業革命の火付け役、神秘の結晶だった。
この「魔石」と名付けられた物質は、内部に高濃度の魔力粒子を宿し、触れたあらゆる物理現象を増幅させる驚異的な特性を持っていた。
例えば、燃料に同量の魔石を加えて燃焼炉に投じただけで、投入した燃料の倍以上の熱量が放出されるのだ。
これにより、エネルギー問題は劇的な解決を見せた。
魔石は人類に「神の火」をもたらしたも同然だった。
しかし、その仕組みは未だ解明されていない。
だが、その圧倒的な利用価値を前に、人類は一瞬の躊躇もなく突き進んだ。
そしてもう一つ。
ダンジョンから産出される遺物。
通称、アーティファクト。
特に指輪型のアーティファクトは世界中に混乱と歓喜をもたらした。
それは適性がある者に魔法を使えるようにする道具だったのだ。
魔石、アーティファクトの力は産業、技術、そして社会そのものを変革し、新たな繁栄の時代を約束した。
しかし、その恩恵は、決して平等ではなかった。
富と力は、ダンジョンという新たな利権を牛耳る巨大企業と、そして――【属性適性】という特別な才能を与えられた『選ばれし者』たちに独占された。
---
夜明け。
淡いピンクと金色の絵の具を溶かし込んだような空の下。
超高層ビル群の壁面に設置された巨大なビルボードが、絶え間なくホログラム広告を明滅させていた。
中でもひときわ巨大なビルボードには、世界有数の魔石エネルギー企業【明光《めいこう》エネルギー】のロゴが浮かび上がっている。
若く美しい女優が微笑みかけ、澄んだ声でキャッチコピーを告げる。
『クリーンエナジーが拓く、無限の可能性』
(……笑わせてくれる)
雑踏に紛れ、その広告を冷ややかに見上げる青年がいた。
及川《おいかわ》 翔《しょう》。
彼の目には、そのキャッチコピーがひどく空虚なものに映っていた。
(無限の可能性、ね。そりゃ、あんたたち『持てる者』にとっては、だろうさ)
華やかな光景の中心地。
その一角には、この世界の歪みを象徴する光景が広がっている。
空間が陽炎のようにぐにゃりと歪み、向こう側を紫色に透かす異次元の裂け目――【ダンジョンゲート】だ。
直径三十メートルほどのその楕円形の亀裂は、およそこの世のものとは思えぬ不気味な紫色に明滅を繰り返している。
周囲は特殊合金のフェンスで厳重に管理され、武装した警備員が目を光らせている。
だが、行き交う人々は、それを気にも留めない。
まるで、そこにあるのが当たり前だと言わんばかりに。
そう、これこそが、現代日本の日常なのだ。
駅前の巨大ビジョンでは、国民的人気チャンネル『ダンジョン・ライブ』が放映されている。
画面の中では、日本で唯一のSランク探索者、”炎帝”赤城《あかぎ》煉《れん》が、その圧倒的な力を見せつけていた。
ゴウッ、と。
彼が右手を掲げるだけで灼熱の炎が竜巻となり、巨大なモンスターを灰燼に帰していく。
「見て! ママ! 炎帝だ! がんばれー!」
無邪気な子供の歓声が響く。
英雄、天才、神に愛された男。
彼を称賛する言葉はいくらでもある。
そして、そのどれもが、翔にとっては無縁の言葉だった。
(火属性……。トップクラスの当たり適性。俺のような【無属性】とは、生まれた瞬間にスタートラインが違う)
ビジョンの中の英雄と、それを賞賛する人々。
その光景に背を向け、翔は重い足取りで大学へと向かう人波にその身を溶け込ませた。
自分には関係のない、おとぎ話の世界。
彼が生きるのは、もっと泥臭く、そして救いのない現実なのだから。
---
そこは時代を牽引する最先端の学問を扱うには、少しばかり古びた講堂だった。
プロジェクターが壁に映し出すのは『魔力生体学』の文字と、人体の内部で魔力がどのように循環し、外部からの魔力干渉にどう反応するかを示した複雑な図式。
しかし、その深遠なテーマに真剣に向き合っている学生は、百人を超える受講者の中でほんの一握りしかいなかった。
この変化した世界を生き抜く上で、本来は極めて重要な学問のはずなのだが……。
「……つまり、生体魔力と外部魔石エネルギーの共振現象が、魔力汚染の基本的なメカニズムで……」
ほとんどの学生にとって、教授の声は極上の子守歌でしかない。
スマホをいじる者、居眠りする者。
およそ学問の場とは思えない有様だ。
だが、そんな中で一人。
及川翔だけは、前のめりになって講義に聞き入っていた。
彼の目的はただ一つ。
2年前、ダンジョンの氾濫に巻き込まれ、原因不明の昏睡状態に陥っている妹を救うこと。
妹の病は、ダンジョンから発生する魔力による前例のない症例と診断されており、既存の医療ではなす術がなかった。
『魔力生体学』は未知の粒子である魔力がどのように人体に影響を与えるか、を研究する最近できた学問だ。
妹を救うため、彼は必死にその学問を学んでいた。
翔は、自ら魔力を用いた新たな医療技術を開発するため、この大学の研究室を志望したのだ。
(これだ……! 妹の美咲を蝕む原因不明の魔力暴走による昏睡状態。それは、この共振現象に近いもののはず……!)
彼の思考は、猛烈な速度で回転する。
原因がこれならば、対処法も見つかるかもしれない。
外部からの魔力干渉をコントロールし、暴走を抑えることができれば……!
一筋の光明。
しかし、その希望は、あまりにも残酷な現実にすぐに打ち砕かれる。
(……だが、そんな高度な研究ができるのは、学内でもトップの研究室だけ。そこに入るには、優秀な成績と……莫大な金がいる)
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来月の学費すら、払えるあてはないのだ。
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思考が途切れた瞬間、翔のペンは無意識にノートの隅へと走っていた。
『ジャイアントラット:弱点、眉間と心臓。動きは直線的だが素早い。魔石買取価格、十グラム八百円』
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それが、翔の現在地を何よりも雄弁に物語っていた。
理想と現実。
そのあまりの隔たりに、翔は自嘲の息を漏らすしかなかった。
昼休み――
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彼のトレイの上には、一番安い280円のかけうどん。
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