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第七章 混沌浸食
調査団
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地面に散乱する魔獣や犠牲者の死体が、骨ごと泡立つように溶け崩れ、ジルバラント王国の中央方向へと流れだす。始めは緩やかだったその流れは、各地の流れと合流するうちに速度を増し、やがて時速30キロメートルを超えるどす黒い奔流となってゆく。
その流れの終着点、ジルバラント王国中央付近の人里離れた山間に、直径1キロメートルもの巨大な魔法陣が形成されていた。淡く光るその魔法陣は、死肉の流れを飲み込むたびに脈動するかのように発光し、次第にその輝きを増してゆく。
やがて魔法陣の発光が臨界点を超え、光の柱が上空へと伸びる。そして次の瞬間、すべての光が地面へと吸い込まれた。魔法陣は漆黒の線として地面に刻み込まれ、その中央から真っ黒な何者かが染み出すように地面へと現れる。
急速に体積を増してゆくそれは、あまりにも黒すぎるため、まるで空間に開いた穴のようでもある。それは魔素をはじめ熱や光、周囲にある全ての物を吸収しながら、直径1キロメートルの魔法陣をほとんど覆いつくすほど巨大な塊へと成長した。
そしてついにそれは虚空に向けて産声を上げる。それは全ての光を吸収するため、見えないという事でしか認識できない真っ黒な穴のような姿であった。うごめくその穴の形は、時おり巨大な胎児のようにも見えた。
これこそが混沌の一柱『貪り尽くす者』の使徒、奈落おとし。この世に存在するありとあらゆる物質やエネルギーを吸収し、深淵にて全てを貪るかの者へと送り届ける供給装置とも言える存在である。
奈落おとしは周囲の物質を取り込みながら徐々に巨大化を始めた。このまま放置すれば、いずれこの星を覆い尽くし、最後にはこの星そのものを飲み込んでしまうだろう。モニカが懸念した「絶対に対処不可能で致命的な何か」、それがこの奈落おとしであった。
奈落おとしの出現を最初に感じ取ったのは黄金に輝く麗しき太陽の化身であった。戦場を上空から支援していた黄金龍が、視界の端に一瞬、百キロメートル先の光の柱を捉えたのだ。
地平線のはるか先から立ち昇った一瞬の光に興味を引かれた黄金龍は、一気に高度を上げると遠見の魔法で発生源を探す。地面を流れる死肉の奔流をたどった先に、直径1キロメートルに及ぶ漆黒の魔法陣から染み出す闇黒の使徒を発見した黄金龍は、新たな危機を知らせるため王宮へと急いだ。
黄金龍の報告により、ただちに現地へ向かう調査団が選抜される事となった。すでに魔獣暴走は趨勢が決している。今はそれよりも新たな脅威を見極める方が重要であるとの国王による判断であった。
調査団を率いるのはジルバラント王国第1王子ジークハルト。選ばれたメンバーは、いまだ殲滅戦の続く戦場から呼び戻された王国騎士団長レオンハルト・フォン・シュタイナー、宮廷魔術団長カミラ・アインホルン、冒険者ギルド長ゴットフリート、知識の女神の神殿代表としてモニカ。多くの人員を割けぬ現在において、脅威の正体と対策を見極めるために必要な最低限度の人選であった。
調査団の5人を乗せた客車を黄金龍が抱えて飛び立つ。その頭頂にはちゃっかりとレジオナが鎮座していた。
漆黒の魔法陣へと向かう途中、奮闘するナナシを見つけた黄金龍は、周囲の魔獣や混沌の眷属を踏みつぶしながら華麗に着地する。そしてナナシの方へその長い首をスイと差し出すと、頭の上からレジオナが手を振った。
「ナナシた~ん! いまからちょ~っと新しい混沌の使徒っぽ~いの見にいくからさ~、こっちが片付いたら来てちょ~!」
ふにゃふにゃと深刻な話をするレジオナに、ナナシも苦笑しながら答える。
「オッケー、なるべく急いで片付けるよ!」
黄金龍をも恐れぬ混沌の眷属が殺到するのを、振り向きざま鬼斬玉宿で両断したナナシは、そのままトゲバットとの二刀流で当たるを幸いとばかりに殲滅を再開してゆく。黄金龍はそんなナナシに迫る混沌の眷属たちを、行きがけの駄賃に『万象を滅する全なる光』で広範囲に消滅させながら、風圧をほとんど感じさせぬほど優雅に飛び立った。
黄金龍に抱えられた客車の中では、5人の男女が向かい合わせに座っていた。
元々は6頭立て8人掛けの馬車で使用されている客車だが、その片方には身長188センチ、体重120キログラムの巨漢、冒険者ギルド長ゴットフリートと、さらなる巨躯を誇る騎士団長レオンハルトが窮屈そうに並んでいる。
ふたりとも全身鎧に身を固めているため、ただでさえ見る者を圧倒するような存在感が物理的にもさらに増し、4人掛けの座席がほとんどふたりだけで埋まっていた。兜を傍らに置くこともできず、膝の上にちょこんと乗せている様が多少なりと威圧感を和らげる役割を果たしている。
その向かいには、鎖帷子の上から豪華なサーコートをまとった、身長180センチを超えるがっしりとした体格の美丈夫と、それをはさむように女性がふたり座っていた。
美丈夫は第1王子ジークハルト。
その右に座るのは、黒いローブに金糸の刺繍が映える宮廷魔術団制服を着た華奢な女性、長い白髪を無造作に束ねたその顔には多くの皺が深く刻まれている。齢70を超え今なおジルバラント王国最強と言われる宮廷魔術団長カミラである。
そして左に座るのは、カミラとは全く対照的な黒髪爆乳のメガネ美女、残念ホルスタインことモニカ・べアール。彼女は白い修道服に包まれた豊満な胸を強調するかのように腕組みをしたまま、虚空を見つめ微動だにしない。一見すると放心状態にも見えるが、その脳内は黄金龍の報告から混沌の使徒を特定すべく、『虚空録』の検索でフル回転していた。
カミラの展開する『力場形成』に守られ、時速200キロメートルを超える黄金龍の飛翔速度にもかかわらず静寂に包まれる客車の中で、騎士団長レオンハルトがふと微笑んだ。巌のような顔に蓄えられた豊かな顎髭が、その笑みを彩る。
その様子を見て、ジークハルト王子が問いかけた。
「卿が思い出し笑いとは珍しいな。これから混沌の使徒を検分しようという時に、豪胆な事だ」
レオンハルトは武骨な籠手で、白いものが混じり始めた顎髭をさすりながら答える。
「いやなに、殿下は直接ご覧になっていないから実感がないかもしれませんが、先刻の使徒……確か万象砕きでしたか」
そう言ってちらりとモニカに目線をやるレオンハルト。モニカが虚空から自分に視線を移し、小さく首肯するのを確認すると話を続ける。
「クゲーラ陛下ですら苦戦した、あの万象くだ」
レオンハルトがそこまで口にした瞬間、客車が大きく揺れた。一度ならず小刻みに揺らされる客車の中で、一同は座席から振り落とされないよう必死でしがみつくしかない。黄金龍の頭頂ではレジオナが「んも~、クーちんったら大人げないにゃ~」と笑っている。
いっぽう客車では、ようやく収まった揺れに一同は戦々恐々としていた。うかつな発言がはばかられる中、速度制御によって微動だにしなかったカミラが静かに口を開く。
「黄金に輝く麗しき太陽の化身陛下ともあろうお方が、高々ヒューマンごときの鳴き声に斯様な反応をお示しになられるとは」
その言葉にモニカが答える。
「私たち人間も、小虫の羽音が煩わしければ手で払うでしょう? 龍種にとって取るに足らない存在とはいえ、快、不快はまた別の話」
それを聞いたレオンハルトは居住まいを正し、こほんと咳ばらいをして同意する。
「なるほど道理ですな。ならば不快な羽音ではなく、小虫なりにせいぜい耳に心地よい音色を奏でねばなりますまい」
かたや脅威の地獄耳でその会話を聞いていた黄金龍は、眉根を寄せながら頭上のレジオナに問いかける。
「なんだか私ものすごく馬鹿にされてるような気がするんだけど、気のせいかしら?」
「うひゃひゃ! よ~するに、ケツのあなちっちぇな~あの女王様~、キレるとめんど~だからおだてとくか~っていってるよねぇ~」
ふにゃふにゃと悪意に満ちた要約を披露するレジオナ。それを聞いた黄金龍が怒りの声を上げた。
「やっぱりそうよね! なんて邪悪な種族なのヒューマン! こうなったらいちど徹底的に滅ぼすべきかしら!? 手始めにいっちょ王都を火の海にしてやるわ!」
なぜか客車の中にまで明瞭に響いてくるその会話に、男3人の顔から血の気が引く。かたやカミラは怪訝な表情で客車の天井をにらむ。ジークハルト王子が慌てて弁明しそうになるのを、モニカが右手を上げて制し、にっこりと一同に微笑みかけた。
「まったくもう、クゲーラ陛下お得意のドラゴンジョークは人間の心臓に悪いから、もう少し自重して欲しいものですわよねえ」
そう言って口元に手の甲を当て、おほほと笑い声をあげるモニカ。それを見て、カミラも軽快な笑い声をあげる。
「ははは、なるほど人類に手を貸すだけあって、黄金に輝く麗しき太陽の化身陛下は中々洒落っ気があるご様子。ただ人間の身には少々突っ込みが激しすぎますゆえ、もう少し手心をお願いしたい」
笑う女ふたりに、男たちも顔を見合わせると乾いた笑いで追従する。客車の中にようやく安堵の空気が広がった。
「レジオナもあんまり煽らないでよね。これから調査で意見交換しなきゃいけないのに、場の空気が固くなるでしょ」
モニカに注意され、レジオナがふにゃふにゃと抗議する。
「ええ~、クーちんのドラゴンジョ~クが滑ったせいじゃんよ~。み~んなビビっちゃってフルネームで呼んでるしさ~」
責任転嫁された黄金龍は慌てて反論の声を上げた。
「まってまって、それは龍種の高尚なジョークについてこれない人類の責任じゃなくて!?」
「はたしてそうかにゃ~? 龍種のジョークが世界につ~よ~するかどうか、いっぺんためしたほうがい~んじゃないの~?」
「いいですとも、受けて立つわよ! そこまで言うならレジオナちゃんも参加してもらいますからね! ジョーク合戦で白黒つけましょう!」
謎の盛り上がりを見せる会話に、モニカがストップをかける。
「ふたりとも、そういうのは後でロジーナ姫にでも相談してちょうだい。それよりクゲーラ様、意見交換の円滑化を図るためにも、この場の全員がお名前をクゲーラ陛下と呼ぶ事を許して欲しいんですけど」
「クーちん、名前がクソ長いって~」
「んまあ失礼な! っていうか、クソ長いは言いすぎじゃないかしらレジオナちゃん。ちょいちょい踏み込みが深すぎるわよねえ?」
「めんごめんご~。陰キャ特有のさ~、親しくなると距離感狂うアレだかんね~、死んでも治らなかったから、これば~っかりはしょ~がないね~」
「レジオナちゃんじゃなかったら滅してる所ですからね! そのうち私も腐れスライムって言ってやろうかしら」
「スライムっていうな~~~~~~ッ!!」
黄金龍の頭頂で、レジオナが髪の毛を逆立たせ、全身に怒りのオーラをまとわせる。客車では会話の片割れである少女がスライムと呼ばれたことでざわめきが起きた。
「ほらぁ~も~、私たちのいめ~じが、龍種の女王と対等に接する謎の美少女から、龍の威を借る陰キャスライムになっちゃったじゃん~。ど~してくれんの~!」
「いいじゃないのレジオナちゃん、龍種の女王たるこの私以外の有象無象にどう評されたって。私だけは本当のあなたを知っているもの!」
「愛が! 重い!」
どんどん本題から離れていく会話を、少しイラっとしながらモニカが遮る。
「イチャイチャするのは私たちに聞こえないようにやって頂けると有難いんですけどねえ、ふたりとも。それより名前の件はよろしいですか、クゲーラ女・王・陛・下?」
モニカの発する圧力に、黄金龍もさすがに場の空気を読む。
「ふふっ、恥ずかしい所をお見せしてしまいましたわね。ここにいる皆様は任務を共にするひとつのチーム。であるならば、その一員である私の事も対等にクゲーラとお呼び下さいまし」
先ほどまでとは打って変わった澄み切って流麗な西方共通語でそう告げる黄金龍。その言葉にジークハルトが胸に右手を当て礼をする。
「女王陛下の寛大なるお申し出に感謝いたします。任務の円滑化のため、今ひと時は御身をクゲーラ陛下と呼ばせて頂きます」
「よしなに」
黄金龍の短くも穏やかな返答を受け、客車の空気が一気に弛緩した。
ゴットフリートが、禿頭の冷や汗をぬぐいながら言う。
「しかしクゲーラ陛下を始め龍種の方々や、ナナシ・オーカイザーに剣狼、加えてゴーレムの軍団まで動員するとは、ロジーナ殿下の手腕まさに恐るべしですな。特にクゲーラ陛下とナナシ・オーカイザーがいなければ、万象砕きに対処できたかどうか」
レオンハルトが我が意を得たりと膝を打つ。
「それよ、あの場で見ていた者にとって、あの戦いは神々の戦いもかくやと思わせるものがあった。今思い出しても体が震えるほど心が湧きたつ。特にあのナナシ・オーカイザーは何としても我が国の戦力として留め置かねば」
興奮する男たちを見て、ジークハルト王子が苦々し気に口を開く。
「あの愚妹、魔導放送などと遊びにうつつを抜かしているかと思えば、人脈と商才に関しては恐ろしいものがあるからな。此度の戦力に関しても、事前に発覚しておれば王座簒奪の準備と思われても仕方がない所であろうよ」
その言葉をカミラが静かに肯定する。
「まあ確かに、龍種十数体だけでも一国の姫が差配出来ていい戦力ではありませぬ。そのまま王都を占拠されれば、我らに抗う術は無いでしょうな」
いかにジークハルト王子がロジーナ姫に対し敵愾心を持っているとしても、姫を友と呼ぶ黄金龍に筒抜けの場でこの会話はいかにも危うい。しかしカミラはあえてそれに乗る事で、黄金龍の反応を見ようとしたのだ。
ロジーナ姫に龍種が協力する事となった経緯を知らぬ彼らには、実際に龍種の協力を取り付けたのはナナシであるなどと想像だに出来ない。ロジーナ姫も、ノワ先生こと黒龍の伝手を頼れば龍種の協力を仰げたかも知れないが、これほどまでに迅速な展開は不可能であっただろう。
カミラの思惑をよそに、人間の権力争いなど興味もない黄金龍は、客車に聞こえないようにレジオナと談笑していた。話題の中心は先の戦闘中に見かけたゴーレムファイター軍団と、その元となったゴーレムファイトについてである。
なにせゴーレムファイターのデザインや原型には、器用さ150を誇る世界屈指の名彫刻家でもあるマイスラ・ラ・リルルが参加しているのだ。美術品に目のない黄金龍にしてみれば、今まで知らなかった事が悔やまれて仕方がない。すでに最初期ロットのゴーレムファイター獣王丸などはどうやっても手に入らぬプレミア品となっていた。もしも所在が判明すれば黄金龍の襲撃待ったなしである。
いっぽうカミラは、黄金龍の反応が皆無である事を、肯定とも否定とも捉えかねていた。理屈ではたかが人間ごときの権力争いに龍種が介入するはずはないと理解していても、人類の危機に対しこれほどまで積極的に協力する龍種の行動など、ついぞ聞いた事も無い。あるいはロジーナ姫の後ろ盾として継承問題に関わってくるのではという疑念がどうしてもぬぐい切れないのだ。
王子やカミラの疑念に、騎士団長レオンハルトとギルド長ゴットフリートが、まさかあのロジーナ殿下に限ってそんな事はと擁護するも、では実際問題これほどの戦力を用意していたのはなぜなのかという話に明確な答えは見いだせない。そして龍種や美強の経緯に関しては事情が分かっているモニカは、混沌の使徒の件で上の空である。
そんな客車の会話は、突然の減速によって中断した。
「さあ皆様、混沌浸食の現場に到着しましたわ。お気を確かにもってご覧くださいまし」
黄金龍の澄んだ声が客車に告げる。教皇の祈念した『深淵をを覗く者』の効果はまだ持続しているが、念のためさらにモニカが祈りを捧げると、一同は固唾をのんで眼下に蠢く使徒を見下ろすのであった。
その流れの終着点、ジルバラント王国中央付近の人里離れた山間に、直径1キロメートルもの巨大な魔法陣が形成されていた。淡く光るその魔法陣は、死肉の流れを飲み込むたびに脈動するかのように発光し、次第にその輝きを増してゆく。
やがて魔法陣の発光が臨界点を超え、光の柱が上空へと伸びる。そして次の瞬間、すべての光が地面へと吸い込まれた。魔法陣は漆黒の線として地面に刻み込まれ、その中央から真っ黒な何者かが染み出すように地面へと現れる。
急速に体積を増してゆくそれは、あまりにも黒すぎるため、まるで空間に開いた穴のようでもある。それは魔素をはじめ熱や光、周囲にある全ての物を吸収しながら、直径1キロメートルの魔法陣をほとんど覆いつくすほど巨大な塊へと成長した。
そしてついにそれは虚空に向けて産声を上げる。それは全ての光を吸収するため、見えないという事でしか認識できない真っ黒な穴のような姿であった。うごめくその穴の形は、時おり巨大な胎児のようにも見えた。
これこそが混沌の一柱『貪り尽くす者』の使徒、奈落おとし。この世に存在するありとあらゆる物質やエネルギーを吸収し、深淵にて全てを貪るかの者へと送り届ける供給装置とも言える存在である。
奈落おとしは周囲の物質を取り込みながら徐々に巨大化を始めた。このまま放置すれば、いずれこの星を覆い尽くし、最後にはこの星そのものを飲み込んでしまうだろう。モニカが懸念した「絶対に対処不可能で致命的な何か」、それがこの奈落おとしであった。
奈落おとしの出現を最初に感じ取ったのは黄金に輝く麗しき太陽の化身であった。戦場を上空から支援していた黄金龍が、視界の端に一瞬、百キロメートル先の光の柱を捉えたのだ。
地平線のはるか先から立ち昇った一瞬の光に興味を引かれた黄金龍は、一気に高度を上げると遠見の魔法で発生源を探す。地面を流れる死肉の奔流をたどった先に、直径1キロメートルに及ぶ漆黒の魔法陣から染み出す闇黒の使徒を発見した黄金龍は、新たな危機を知らせるため王宮へと急いだ。
黄金龍の報告により、ただちに現地へ向かう調査団が選抜される事となった。すでに魔獣暴走は趨勢が決している。今はそれよりも新たな脅威を見極める方が重要であるとの国王による判断であった。
調査団を率いるのはジルバラント王国第1王子ジークハルト。選ばれたメンバーは、いまだ殲滅戦の続く戦場から呼び戻された王国騎士団長レオンハルト・フォン・シュタイナー、宮廷魔術団長カミラ・アインホルン、冒険者ギルド長ゴットフリート、知識の女神の神殿代表としてモニカ。多くの人員を割けぬ現在において、脅威の正体と対策を見極めるために必要な最低限度の人選であった。
調査団の5人を乗せた客車を黄金龍が抱えて飛び立つ。その頭頂にはちゃっかりとレジオナが鎮座していた。
漆黒の魔法陣へと向かう途中、奮闘するナナシを見つけた黄金龍は、周囲の魔獣や混沌の眷属を踏みつぶしながら華麗に着地する。そしてナナシの方へその長い首をスイと差し出すと、頭の上からレジオナが手を振った。
「ナナシた~ん! いまからちょ~っと新しい混沌の使徒っぽ~いの見にいくからさ~、こっちが片付いたら来てちょ~!」
ふにゃふにゃと深刻な話をするレジオナに、ナナシも苦笑しながら答える。
「オッケー、なるべく急いで片付けるよ!」
黄金龍をも恐れぬ混沌の眷属が殺到するのを、振り向きざま鬼斬玉宿で両断したナナシは、そのままトゲバットとの二刀流で当たるを幸いとばかりに殲滅を再開してゆく。黄金龍はそんなナナシに迫る混沌の眷属たちを、行きがけの駄賃に『万象を滅する全なる光』で広範囲に消滅させながら、風圧をほとんど感じさせぬほど優雅に飛び立った。
黄金龍に抱えられた客車の中では、5人の男女が向かい合わせに座っていた。
元々は6頭立て8人掛けの馬車で使用されている客車だが、その片方には身長188センチ、体重120キログラムの巨漢、冒険者ギルド長ゴットフリートと、さらなる巨躯を誇る騎士団長レオンハルトが窮屈そうに並んでいる。
ふたりとも全身鎧に身を固めているため、ただでさえ見る者を圧倒するような存在感が物理的にもさらに増し、4人掛けの座席がほとんどふたりだけで埋まっていた。兜を傍らに置くこともできず、膝の上にちょこんと乗せている様が多少なりと威圧感を和らげる役割を果たしている。
その向かいには、鎖帷子の上から豪華なサーコートをまとった、身長180センチを超えるがっしりとした体格の美丈夫と、それをはさむように女性がふたり座っていた。
美丈夫は第1王子ジークハルト。
その右に座るのは、黒いローブに金糸の刺繍が映える宮廷魔術団制服を着た華奢な女性、長い白髪を無造作に束ねたその顔には多くの皺が深く刻まれている。齢70を超え今なおジルバラント王国最強と言われる宮廷魔術団長カミラである。
そして左に座るのは、カミラとは全く対照的な黒髪爆乳のメガネ美女、残念ホルスタインことモニカ・べアール。彼女は白い修道服に包まれた豊満な胸を強調するかのように腕組みをしたまま、虚空を見つめ微動だにしない。一見すると放心状態にも見えるが、その脳内は黄金龍の報告から混沌の使徒を特定すべく、『虚空録』の検索でフル回転していた。
カミラの展開する『力場形成』に守られ、時速200キロメートルを超える黄金龍の飛翔速度にもかかわらず静寂に包まれる客車の中で、騎士団長レオンハルトがふと微笑んだ。巌のような顔に蓄えられた豊かな顎髭が、その笑みを彩る。
その様子を見て、ジークハルト王子が問いかけた。
「卿が思い出し笑いとは珍しいな。これから混沌の使徒を検分しようという時に、豪胆な事だ」
レオンハルトは武骨な籠手で、白いものが混じり始めた顎髭をさすりながら答える。
「いやなに、殿下は直接ご覧になっていないから実感がないかもしれませんが、先刻の使徒……確か万象砕きでしたか」
そう言ってちらりとモニカに目線をやるレオンハルト。モニカが虚空から自分に視線を移し、小さく首肯するのを確認すると話を続ける。
「クゲーラ陛下ですら苦戦した、あの万象くだ」
レオンハルトがそこまで口にした瞬間、客車が大きく揺れた。一度ならず小刻みに揺らされる客車の中で、一同は座席から振り落とされないよう必死でしがみつくしかない。黄金龍の頭頂ではレジオナが「んも~、クーちんったら大人げないにゃ~」と笑っている。
いっぽう客車では、ようやく収まった揺れに一同は戦々恐々としていた。うかつな発言がはばかられる中、速度制御によって微動だにしなかったカミラが静かに口を開く。
「黄金に輝く麗しき太陽の化身陛下ともあろうお方が、高々ヒューマンごときの鳴き声に斯様な反応をお示しになられるとは」
その言葉にモニカが答える。
「私たち人間も、小虫の羽音が煩わしければ手で払うでしょう? 龍種にとって取るに足らない存在とはいえ、快、不快はまた別の話」
それを聞いたレオンハルトは居住まいを正し、こほんと咳ばらいをして同意する。
「なるほど道理ですな。ならば不快な羽音ではなく、小虫なりにせいぜい耳に心地よい音色を奏でねばなりますまい」
かたや脅威の地獄耳でその会話を聞いていた黄金龍は、眉根を寄せながら頭上のレジオナに問いかける。
「なんだか私ものすごく馬鹿にされてるような気がするんだけど、気のせいかしら?」
「うひゃひゃ! よ~するに、ケツのあなちっちぇな~あの女王様~、キレるとめんど~だからおだてとくか~っていってるよねぇ~」
ふにゃふにゃと悪意に満ちた要約を披露するレジオナ。それを聞いた黄金龍が怒りの声を上げた。
「やっぱりそうよね! なんて邪悪な種族なのヒューマン! こうなったらいちど徹底的に滅ぼすべきかしら!? 手始めにいっちょ王都を火の海にしてやるわ!」
なぜか客車の中にまで明瞭に響いてくるその会話に、男3人の顔から血の気が引く。かたやカミラは怪訝な表情で客車の天井をにらむ。ジークハルト王子が慌てて弁明しそうになるのを、モニカが右手を上げて制し、にっこりと一同に微笑みかけた。
「まったくもう、クゲーラ陛下お得意のドラゴンジョークは人間の心臓に悪いから、もう少し自重して欲しいものですわよねえ」
そう言って口元に手の甲を当て、おほほと笑い声をあげるモニカ。それを見て、カミラも軽快な笑い声をあげる。
「ははは、なるほど人類に手を貸すだけあって、黄金に輝く麗しき太陽の化身陛下は中々洒落っ気があるご様子。ただ人間の身には少々突っ込みが激しすぎますゆえ、もう少し手心をお願いしたい」
笑う女ふたりに、男たちも顔を見合わせると乾いた笑いで追従する。客車の中にようやく安堵の空気が広がった。
「レジオナもあんまり煽らないでよね。これから調査で意見交換しなきゃいけないのに、場の空気が固くなるでしょ」
モニカに注意され、レジオナがふにゃふにゃと抗議する。
「ええ~、クーちんのドラゴンジョ~クが滑ったせいじゃんよ~。み~んなビビっちゃってフルネームで呼んでるしさ~」
責任転嫁された黄金龍は慌てて反論の声を上げた。
「まってまって、それは龍種の高尚なジョークについてこれない人類の責任じゃなくて!?」
「はたしてそうかにゃ~? 龍種のジョークが世界につ~よ~するかどうか、いっぺんためしたほうがい~んじゃないの~?」
「いいですとも、受けて立つわよ! そこまで言うならレジオナちゃんも参加してもらいますからね! ジョーク合戦で白黒つけましょう!」
謎の盛り上がりを見せる会話に、モニカがストップをかける。
「ふたりとも、そういうのは後でロジーナ姫にでも相談してちょうだい。それよりクゲーラ様、意見交換の円滑化を図るためにも、この場の全員がお名前をクゲーラ陛下と呼ぶ事を許して欲しいんですけど」
「クーちん、名前がクソ長いって~」
「んまあ失礼な! っていうか、クソ長いは言いすぎじゃないかしらレジオナちゃん。ちょいちょい踏み込みが深すぎるわよねえ?」
「めんごめんご~。陰キャ特有のさ~、親しくなると距離感狂うアレだかんね~、死んでも治らなかったから、これば~っかりはしょ~がないね~」
「レジオナちゃんじゃなかったら滅してる所ですからね! そのうち私も腐れスライムって言ってやろうかしら」
「スライムっていうな~~~~~~ッ!!」
黄金龍の頭頂で、レジオナが髪の毛を逆立たせ、全身に怒りのオーラをまとわせる。客車では会話の片割れである少女がスライムと呼ばれたことでざわめきが起きた。
「ほらぁ~も~、私たちのいめ~じが、龍種の女王と対等に接する謎の美少女から、龍の威を借る陰キャスライムになっちゃったじゃん~。ど~してくれんの~!」
「いいじゃないのレジオナちゃん、龍種の女王たるこの私以外の有象無象にどう評されたって。私だけは本当のあなたを知っているもの!」
「愛が! 重い!」
どんどん本題から離れていく会話を、少しイラっとしながらモニカが遮る。
「イチャイチャするのは私たちに聞こえないようにやって頂けると有難いんですけどねえ、ふたりとも。それより名前の件はよろしいですか、クゲーラ女・王・陛・下?」
モニカの発する圧力に、黄金龍もさすがに場の空気を読む。
「ふふっ、恥ずかしい所をお見せしてしまいましたわね。ここにいる皆様は任務を共にするひとつのチーム。であるならば、その一員である私の事も対等にクゲーラとお呼び下さいまし」
先ほどまでとは打って変わった澄み切って流麗な西方共通語でそう告げる黄金龍。その言葉にジークハルトが胸に右手を当て礼をする。
「女王陛下の寛大なるお申し出に感謝いたします。任務の円滑化のため、今ひと時は御身をクゲーラ陛下と呼ばせて頂きます」
「よしなに」
黄金龍の短くも穏やかな返答を受け、客車の空気が一気に弛緩した。
ゴットフリートが、禿頭の冷や汗をぬぐいながら言う。
「しかしクゲーラ陛下を始め龍種の方々や、ナナシ・オーカイザーに剣狼、加えてゴーレムの軍団まで動員するとは、ロジーナ殿下の手腕まさに恐るべしですな。特にクゲーラ陛下とナナシ・オーカイザーがいなければ、万象砕きに対処できたかどうか」
レオンハルトが我が意を得たりと膝を打つ。
「それよ、あの場で見ていた者にとって、あの戦いは神々の戦いもかくやと思わせるものがあった。今思い出しても体が震えるほど心が湧きたつ。特にあのナナシ・オーカイザーは何としても我が国の戦力として留め置かねば」
興奮する男たちを見て、ジークハルト王子が苦々し気に口を開く。
「あの愚妹、魔導放送などと遊びにうつつを抜かしているかと思えば、人脈と商才に関しては恐ろしいものがあるからな。此度の戦力に関しても、事前に発覚しておれば王座簒奪の準備と思われても仕方がない所であろうよ」
その言葉をカミラが静かに肯定する。
「まあ確かに、龍種十数体だけでも一国の姫が差配出来ていい戦力ではありませぬ。そのまま王都を占拠されれば、我らに抗う術は無いでしょうな」
いかにジークハルト王子がロジーナ姫に対し敵愾心を持っているとしても、姫を友と呼ぶ黄金龍に筒抜けの場でこの会話はいかにも危うい。しかしカミラはあえてそれに乗る事で、黄金龍の反応を見ようとしたのだ。
ロジーナ姫に龍種が協力する事となった経緯を知らぬ彼らには、実際に龍種の協力を取り付けたのはナナシであるなどと想像だに出来ない。ロジーナ姫も、ノワ先生こと黒龍の伝手を頼れば龍種の協力を仰げたかも知れないが、これほどまでに迅速な展開は不可能であっただろう。
カミラの思惑をよそに、人間の権力争いなど興味もない黄金龍は、客車に聞こえないようにレジオナと談笑していた。話題の中心は先の戦闘中に見かけたゴーレムファイター軍団と、その元となったゴーレムファイトについてである。
なにせゴーレムファイターのデザインや原型には、器用さ150を誇る世界屈指の名彫刻家でもあるマイスラ・ラ・リルルが参加しているのだ。美術品に目のない黄金龍にしてみれば、今まで知らなかった事が悔やまれて仕方がない。すでに最初期ロットのゴーレムファイター獣王丸などはどうやっても手に入らぬプレミア品となっていた。もしも所在が判明すれば黄金龍の襲撃待ったなしである。
いっぽうカミラは、黄金龍の反応が皆無である事を、肯定とも否定とも捉えかねていた。理屈ではたかが人間ごときの権力争いに龍種が介入するはずはないと理解していても、人類の危機に対しこれほどまで積極的に協力する龍種の行動など、ついぞ聞いた事も無い。あるいはロジーナ姫の後ろ盾として継承問題に関わってくるのではという疑念がどうしてもぬぐい切れないのだ。
王子やカミラの疑念に、騎士団長レオンハルトとギルド長ゴットフリートが、まさかあのロジーナ殿下に限ってそんな事はと擁護するも、では実際問題これほどの戦力を用意していたのはなぜなのかという話に明確な答えは見いだせない。そして龍種や美強の経緯に関しては事情が分かっているモニカは、混沌の使徒の件で上の空である。
そんな客車の会話は、突然の減速によって中断した。
「さあ皆様、混沌浸食の現場に到着しましたわ。お気を確かにもってご覧くださいまし」
黄金龍の澄んだ声が客車に告げる。教皇の祈念した『深淵をを覗く者』の効果はまだ持続しているが、念のためさらにモニカが祈りを捧げると、一同は固唾をのんで眼下に蠢く使徒を見下ろすのであった。
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