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第一話

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桜は満開に咲き、旅立ちを祝う。
 始まりと終わりの季節。
 暖かいそよ風で木々は揺れ、瞬きの間に花びらは散る。それはまるで雪のようで。
 とても幻想的で今日この日にはもっともふさわしいのだと思う。
 しかし、

「長かった……」

 入学式という式典は誰だか分からない人の話しに首を振るだけで終わった。
 こういうのは大事だとは思うんだけど、もうちょっと、短くできないだろうか。具体的に言うと半分ぐらいに。
 私はずっと座りっぱなしで縮こまった身体をぐぐっと両手を広げて伸ばす。
 ふと周りを見渡すと、私と同じように着慣れない制服を着込んだ新入生が親と一緒に写真を撮っていた。
 よくある高校の名が刻まれた看板? みたいのと桜を背景にして。
 私はその様子を虚ろに眺める。
 別に羨ましがっているわけではない。決して。
 ただ事実としてあるのは私にはそれをする事ができないということだ。

「私達も写真を撮ろっか!」

 後ろの方から意気揚々と呼びかけて来たのは私の姉、瑞葉だった。
 私とは似つかない端正な顔立ちにセミロングで毛先にパーマがかかった光沢感があり綺麗な黒髪。大人びた雰囲気と、豊満な胸、スタイルも良く身長は165cmある私よりも高い。今は大学二年生で19歳。
 しかもそれでいて、いつも明るく優しいのだから非の打ち所がない。
 一つ不満があるとしたら姉さんの傍にいると視線が集まってしまうということだ。
 ちなみに現在進行形。

「ほら、行こ」

「うん」と言い、私は看板? みたいなのに向かって進む姉さんの横について行った。
 姉はそこに着くと、

「すみませんー、写真お願いしてもいいですか?」

 と近くにいた誰かの父親に声を掛けた。その父親は頬を赤くし、「喜んで」と言ったところで横にいた妻であろう人に肘でつつかれた。
 微笑ましいとはこのことだろう。

「では、お願いします」

 と姉さんは言い父親にスマホを渡す。
 そして、私は手招きされるがままに姉の横に立った。

「は、はい。では撮りますよ」

 父親がこちらへスマホを向ける。

「はい! チーズ」

 パシャ。

「もう1枚、はい! チーズ」

 パシャ。

「もう大丈夫です。ありがとうございました」

 と言い、頭を下げる姉さんの続き私も、「ありがとうございました」と頭を下げる。

「いえいえ」

 父親と妻は、優しく微笑んだ。
 私達は、スマホを返してもらい、もう一度礼をし、その場を去った。

「じゃ、帰ろうか」
「そうだね」
「お昼どうする? どこかで食べて帰る?」
「いや、家に帰って食べたいな」
「そう」

 私達は横並びに歩き出した。

「いやー、良い写真が撮れたねー」
「そうだね」

 姉さんとこうして写真を撮るのも最後かもしれない。
 そのことについて相談するのはいつになるかな。
 そんなことを考えていると、

「愛葉ももう高校生かー。早いなー」

 で姉さんは言った。
 私はその顔をじっと眺めていた。

「この姿を二人に見せたかなったなー」
「そうだ、ね……」
 その言葉は唐突に姉さんの口から漏れた。
 これは姉さんの本心なんだろう。
『二人』とは両親のことである。
 もう会うことの出来ない二人のことだ。
 沈黙の狭間、姉さんはその隙間を埋め込むように言葉を継ぎ足す。

「高校は面白いよ。友達だってたくさんできるし」
「それは姉さんだけだと思うよ」
「いやいや! 愛葉はとにかく可愛いから大丈夫だよ! 安心して!」

 これ昔から思ってたんだけど、姉さんってだいぶシスコンだと思うんだよね。うん。

「お姉ちゃんはシスコンをこじらせすぎだと思うよ」
「褒めてる?」

 きょとんとする姉さんに私は淡々とした声で、

「褒めてないよ」

 これだからこの歳になっても男の気配がしないんだよ。ってこんなこと言ったら流石に傷つきそう。いや案外ノーダメージかも。
 と、急に姉さんは安心したような笑みを浮かべた。
 私も笑みを零す。
 本当に姉さんはすごい人だ。
 こういう所が姉さんの大好きなところ。シスコンは拗らせて欲しくはないけどね。

「もしかすると、彼氏とか、出来ちゃったりするのかなー」
「決して出来ないだろうけど、もしも出来たら姉さんやばそうだね」
「いや全然そんなことないよ。私は嬉しくなると思う」
「あ、そうなの」

 意外だった。てっきり彼氏出来たら徹底的に問い詰めてきそうだったのに。
──パン! と急に横から手を叩く音が響くと、

「それはそうと! 今日の晩は入学祝いですき焼きをしようと思うの!」

 嬉しすぎて「おー」といいながらぱちぱちと拍手してしまった。まだまだ子供なのかもしれない。

「ということを今思い出したから買い物行くよ!」
「え、まあ別にいいけど」

 というわけで私達は近くのスーパーへ行くことにした。

 **

「まーほぼほぼ買ってるんだけどねー、豆腐だけ忘れちゃってさ」

 少しだけ申し訳なさそうに「あはは」と笑いながら姉さんはそう言った。
 しっかりしてよ、と言いたげな顔を私は浮かべる。

「あ!」

 何か思い出したか、突然私が持っている豆腐が入った袋を漁り出した。
 まさか、

「うどん忘れちゃった、てへ」
「もー」

 何が舌を出して、てへっだ、全然可愛いよ。

「すぐ買って戻るからちょっと待ってて!」

 と言い捨て、姉さんはスーパーの中へ走っていった。
 何ともいえない感情を抱えつつ、しょうがないから私は待つことにした。
 が。
 そのとき、

「え──」

 目を疑った。
 向かいの道路に7歳ほどの男の子が突っ立っていた。
 しかも、すぐ近くにトラックが迫ってきている。
 周りには私以外誰もいない。
 私は手から袋が落ちていることを気にも止めず、全力で走り出した。

「危ないッ!!」

 私の言葉が届いたようで、男の子はすぐにこちらへ振り向いたが、何が何だか分からなかったようで後ろへ向いてしまった。
 どうしよう、どうしようと考えている暇はない。
 焦燥感が全身を駆け巡る。
男の子との距離は10メートル。
 5メートル。
 1メートル。
 50センチ。

「──あ」

 男の子のことを抱えようと手を伸ばしたその瞬間、右足に強烈な痛みが走った。
 身体が地面に近づいていくのを感じる。
 このままでは二人ともトラックに轢かれてしまう。
 男の子だけでも。
 私は抱えようと伸ばした手で男の子を押した。
 私は勢いのまま仰向けに倒れる。
 目の前を見るとどうやらぎりぎり歩道側までいけたみたいだ。
 安堵もつかのま、横を見るとトラックが目の前まで迫ってきていた。
 止まる気配はない。
 終わった。
 右足が動かない。それもそうだ。
 ここ1年間走ったことなんてないからだ。
 あー、終わった。
 運動しておけば良かったな。
 もっと色んなことしておけばよかったな。
 でも、私は一人の命を救えたんだ。
 それだけでもうこの人生は、命は、人の為になった。
 私は死を覚悟した。そして、諦めてしまった。
 衝撃するわずか数秒もない瞬間。
 私は目を閉じた。

「うぉぉぉぉ!!!」

 声の方向を見ると、男がこちらへ飛び込んで来るのが見えた。
 私は驚いて目を閉じる。
 衝撃と共に身体を両手で抱えられた。
 その勢いのまま横に転がっていく。
 その刹那、横でトラックが通る重々しい音が辺りに響き渡った。
ギュっ、ともう一度抱える両腕に力が入る。
数秒後、慌てながら男は両膝をつき、私の背中を抱えると、こう言った。

「大丈夫か?」

 これが後に私が恋をする、前田純太との出会いだった。
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