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処刑
第九話
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五日前から続いている雨は、今日も性懲りもなく降り続いている。
クロスは客足の衰えた神殿でひとり、つい先日のアデリアの家でのことを思い返していた。
ナターシャの看病生活から数週間。今度はアデリアが神殿に顔を出さなくなった。
魔女が野垂れ死のうがクロスには関係のない事だったが、作ると言われていた薬が来ないのは心配だ。こちらの行動も変わってくる。
「まったく…また看病生活なんてのは御免だからな」
そう独りごちはしたが、弱ったアデリアを軽くからかってやろう、などと考え、自然と緩む頬を引き締めながら森にある彼女の家へと向かった。
天気は鬱々としており、今にも泣きだしそうな空だった。森の中は夜中と見まごうほどに暗い。だが、外で仕事ができないほどではない。クロスは足早に彼女のもとへ向かった。
魔女の家が近付いてくると、楽しそうな女の嬌声が聞こえてきた。
(まさか、魔女のものか?)
恐る恐る近づくと、一組の男女が水辺で戯れている。
抱き合って、ダンスを踊っているようにも見えるが、それにしては激しく、なりふり構わぬといった感じだ。
声の主は、アデリアで間違いないようだった。背をのけぞらせ、淫らにドレスを着崩し、男にもたれている。
もう一人の男は、貴族のような服を着ていた。貴族か、使用人かは分からないが、アデリアの知り合いなのだろうか。
(いや、知り合いどころではない。もっと親密な)
そこまで考えていると、男が口を開いた。
「僕の可愛いアデリア。ねえ、今日は泊まらせてくれ。いいだろう?」
男は彼女の頬に口を近づける。彼女はくすぐったいというように笑う。
クロスは、自分がここにいる必要はないように思えてきた。だが、本能的に男の正体が気になり、動けずにいた。
(ここにいると知られたら、彼女はどんな顔をするだろうか)
羞恥で照れるか、弱みに握られたと青くなるだろうか。それとも、邪魔をするなと怒るのか。なんだか、今すぐ出て行って、雰囲気をぶち壊してやりたいような気持ちにもなってきた。
(人が心配してやったのに、男とお楽しみだったのか)
クロスは、自分で気付かないうちに怒りを覚えていた。この土地には一人で来て、自分が一番互角に渡り合える相手であるように解釈していたのだが、それは大きな間違いだった。それに気付くと、きゅうに顔が熱くなり、自分にいら立った。
「あなたの願いなら、何でも聞くわ、アフル」
「本当に? じゃあ、あの鏡をくれる?」
「もちろんよ。鏡も、私も、あなたのものだわ」
アデリアは、聞いたこともない声色で男に愛を囁いている。
(帰ろう。ここにいる理由はない。奴らに気を掛ける必要も)
クロスは、物音を立てぬように慎重に、けれども急いで重い腰を上げた。二人の笑い声をふり払うように、やるせない気持ちで神殿へと戻ってきた。
雨はすぐに降り始め、それから数日、雨はまだ降り続いている。
クロスは、冷め切ったうすい紅茶を口に含み、ため息を漏らした。
(アデリアに敵う人間は、俺くらいだと思っていた)
とんだ思い上がりをしていた自分を、殴りたい気持ちだった。
薬草の話も、戦いの話も、冒険者でも、ナターシャでも、物足りなく感じていた。彼女は、俺と似た者のような感じがし、勝手にライバル視していたように思う。
(別に、男がいたからと言って、彼女の実力が変わるわけではないが、それでも、なんだかつまらんな)
なにか、心に穴を開けられたように、数日は上の空だった。
――魔女ごときに。そう思っても、天気のせいか、憂鬱な気分が晴れなかった。
いっそ、神官をやめて、もっと面白い冒険でもしようかと考えるくらいには。
「奴」がやって来たのは、日も落ち切った、しんと冷える夜半だった。
ベルの音で聖堂に向かうと、そこに、例の男が立っている。
貴族のような上品な服。落ちくぼんだ目。うろんげな瞳。生気のない男だった。
(これが魔女の相手か。闇の者同士、お似合いだな)
「神殿に御用でしたら、昼にまた来ていただけますか?」
つとめて穏やかにクロスが言うと、わずかな静寂が漂った。
奴はふと笑った。
「何、神などに興味はない。私が用があるのは、あんただよ、神官殿」
「私ですか。こんな夜中でないと話せない内容なのですかね」
「きみにいい仕事がある。なに、簡単なことだ」
男の口が、ニイと不気味に笑った。クロスはそれを受け戸惑いながらも、不敵な笑みを返してやった。
――転職するなら、今だと思った。
クロスは客足の衰えた神殿でひとり、つい先日のアデリアの家でのことを思い返していた。
ナターシャの看病生活から数週間。今度はアデリアが神殿に顔を出さなくなった。
魔女が野垂れ死のうがクロスには関係のない事だったが、作ると言われていた薬が来ないのは心配だ。こちらの行動も変わってくる。
「まったく…また看病生活なんてのは御免だからな」
そう独りごちはしたが、弱ったアデリアを軽くからかってやろう、などと考え、自然と緩む頬を引き締めながら森にある彼女の家へと向かった。
天気は鬱々としており、今にも泣きだしそうな空だった。森の中は夜中と見まごうほどに暗い。だが、外で仕事ができないほどではない。クロスは足早に彼女のもとへ向かった。
魔女の家が近付いてくると、楽しそうな女の嬌声が聞こえてきた。
(まさか、魔女のものか?)
恐る恐る近づくと、一組の男女が水辺で戯れている。
抱き合って、ダンスを踊っているようにも見えるが、それにしては激しく、なりふり構わぬといった感じだ。
声の主は、アデリアで間違いないようだった。背をのけぞらせ、淫らにドレスを着崩し、男にもたれている。
もう一人の男は、貴族のような服を着ていた。貴族か、使用人かは分からないが、アデリアの知り合いなのだろうか。
(いや、知り合いどころではない。もっと親密な)
そこまで考えていると、男が口を開いた。
「僕の可愛いアデリア。ねえ、今日は泊まらせてくれ。いいだろう?」
男は彼女の頬に口を近づける。彼女はくすぐったいというように笑う。
クロスは、自分がここにいる必要はないように思えてきた。だが、本能的に男の正体が気になり、動けずにいた。
(ここにいると知られたら、彼女はどんな顔をするだろうか)
羞恥で照れるか、弱みに握られたと青くなるだろうか。それとも、邪魔をするなと怒るのか。なんだか、今すぐ出て行って、雰囲気をぶち壊してやりたいような気持ちにもなってきた。
(人が心配してやったのに、男とお楽しみだったのか)
クロスは、自分で気付かないうちに怒りを覚えていた。この土地には一人で来て、自分が一番互角に渡り合える相手であるように解釈していたのだが、それは大きな間違いだった。それに気付くと、きゅうに顔が熱くなり、自分にいら立った。
「あなたの願いなら、何でも聞くわ、アフル」
「本当に? じゃあ、あの鏡をくれる?」
「もちろんよ。鏡も、私も、あなたのものだわ」
アデリアは、聞いたこともない声色で男に愛を囁いている。
(帰ろう。ここにいる理由はない。奴らに気を掛ける必要も)
クロスは、物音を立てぬように慎重に、けれども急いで重い腰を上げた。二人の笑い声をふり払うように、やるせない気持ちで神殿へと戻ってきた。
雨はすぐに降り始め、それから数日、雨はまだ降り続いている。
クロスは、冷め切ったうすい紅茶を口に含み、ため息を漏らした。
(アデリアに敵う人間は、俺くらいだと思っていた)
とんだ思い上がりをしていた自分を、殴りたい気持ちだった。
薬草の話も、戦いの話も、冒険者でも、ナターシャでも、物足りなく感じていた。彼女は、俺と似た者のような感じがし、勝手にライバル視していたように思う。
(別に、男がいたからと言って、彼女の実力が変わるわけではないが、それでも、なんだかつまらんな)
なにか、心に穴を開けられたように、数日は上の空だった。
――魔女ごときに。そう思っても、天気のせいか、憂鬱な気分が晴れなかった。
いっそ、神官をやめて、もっと面白い冒険でもしようかと考えるくらいには。
「奴」がやって来たのは、日も落ち切った、しんと冷える夜半だった。
ベルの音で聖堂に向かうと、そこに、例の男が立っている。
貴族のような上品な服。落ちくぼんだ目。うろんげな瞳。生気のない男だった。
(これが魔女の相手か。闇の者同士、お似合いだな)
「神殿に御用でしたら、昼にまた来ていただけますか?」
つとめて穏やかにクロスが言うと、わずかな静寂が漂った。
奴はふと笑った。
「何、神などに興味はない。私が用があるのは、あんただよ、神官殿」
「私ですか。こんな夜中でないと話せない内容なのですかね」
「きみにいい仕事がある。なに、簡単なことだ」
男の口が、ニイと不気味に笑った。クロスはそれを受け戸惑いながらも、不敵な笑みを返してやった。
――転職するなら、今だと思った。
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