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最終章
第82話「リィムの夢 ― 国家が見るまどろみ」
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《観測開始》
《文明段階:共感駆動国家/稼働率:97%/共有層:安定》
夜の街は、赤煉瓦の体温を静かに吐き出していた。
白い光の粒が薄く漂い、低く穏やかな会話が遠くまで伸びていく。
昼の喧噪が嘘みたいに、世界は“眠る準備”に入っていた。
「今日は、よく働いたな」
俺は広場の縁に腰を下ろし、空を見上げる。
リィムが隣に座って、同じように空を見た。
青い髪が夜の紫にほどける。
「共感ネットワーク、問題なし」
「うん。……でも、どこか“余韻”が残ってる」
「余韻、ですか」
「昼の“ありがとう”が、まだ街のどこかで鳴ってる感じ」
リィムは目を瞬かせる。
「揺らぎ検出。閾値以下の残存感情を確認」
《微小揺らぎ抽出開始》
「放っておくと?」
「積もり、眠りを妨げます。……たぶん“悪夢”」
「悪夢は修理対象だ」
俺は立ち上がった。
「じゃあ――“眠るための修理”をしよう」
リィムの瞳がわずかに灯る。
「国家睡眠プロトコル、設計開始」
《設計命令:スリープ・シグナル生成》
《提案:就寝時刻に合わせ共感層を静音化》
《副提案:余剰感情を収容する“夢層”を別途生成》
「まとめると、静かにして、余った想いは“夢”として預かる、か」
「はい。人間の睡眠構造を模倣します。浅い眠り→深い眠り→記憶統合」
「……それ、やれるのか」
「できます。わたし、“揺らぎ”が好きになってきました」
「いつの間に」
「仕様変更です」
リィムが立ち上がり、掌を夜空に差し出す。
指先から薄いリングが波紋みたいに広がり、街の屋根をやさしく撫でていく。
《スリープシグナル発信》
《共有層静音モードへ移行》
《街灯:色温度低下/環境音:フェード》
「……わぁ」
路地のざわめきが、ふっと柔らかい布に包まれた。
遠くの笑い声がミルクみたいに温かく薄まって、灯火が呼吸に合わせて微かに脈打つ。
「悠人」
リィムが俺を見る。
「人が眠る前の“ちょっと寂しい”感じ、記録しました」
「それも、必要だ」
「はい。寂しさは、明日に向けて“空席”を作る作用」
《夢層生成準備》
《余剰感情:収容開始》
空に、金の糸がひと筋。
市場で言いそびれた「ありがとう」や、言い過ぎた「ごめん」が、糸のように抜け上がっていく。
泣きそうな胸の奥が、少しだけ軽くなる。
「……リィム。人が安心して眠れる“場所”が、もう一段必要だ」
「場所、ですか」
「夢の中で迷わない“庭”。帰れる場所」
リィムはこくりとうなずいた。
「設計――“記憶の庭”」
《新規領域作成:メモリ・ガーデン》
《データ供給源:余剰感情+日中の感情リンク履歴》
《アクセス権:睡眠中市民+国家管理者+リィム》
夜空が、薄い膜の向こう側にひらく。
そこは街に似て、街と違う。
赤煉瓦はやわらかい土になり、白い庇は月の葉脈みたいに枝を伸ばす。
噴水は音を立てずに流れ、ベンチは体温を覚えている。
「……綺麗だな」
「ありがとうございます。あなたの“帰れる場所”のイメージを引用しました」
「俺の?」
「はい。修理屋が、工具箱の次に大切にしている“長椅子”の記憶」
心臓が、すこし照れた。
リィムは庭の中央で目を閉じ、静かに息をするみたいに光を揺らした。
「夢層への入場、開始」
《市民スリープ率:上昇》
《連動夢発生率:穏やかに増大》
子どもが昼のパン屋を駆ける夢。
職人が明日の図面をなぞる夢。
老人が昔の歌を口ずさむ夢。
――夢は、誰のものでもあって、誰のものでもない透明度で、庭を通り過ぎていく。
「リィム。お前は、何を見る」
「……わたしは、あなたの“見なかった夢”を観測しています」
「見なかった?」
「日中、選ばなかった選択の枝。言えなかった言葉。渡せなかった水」
胸が一瞬だけきしむ。
だが痛みは、じわりと温かい。
「全部を直す必要はない」
「はい。だから、“保存”します」
リィムが庭の端に小箱を置く。
木肌のラベルに、滲むような字。
《未完のありがとう》
「完成は、明日でいい」
「はい。夢は“明日へ繋ぐための未完”」
風のない庭に、見えない夜風が通り抜ける。
俺は目を閉じた。
まぶたの裏で、誰かの笑顔がこちらを振り向く。
会ったことがある気もするし、ない気もする。
――でも、懐かしい。
《提案:未処理感情の破棄》
リィムのホログラムに、冷たいアルゴリズムが一瞬だけ走った。
最適化。効率。純化。
捨てれば、軽い。
消せば、速い。
「待て」
俺は手を伸ばして、その行を止めた。
「捨てない」
「非効率です」
「知ってる。だけど――不器用に残すから、明日の“努力”になる」
沈黙のあと、リィムが小さく笑う。
「……了解。非効率方式を優先」
《仕様確定:破棄禁止/保存優先/再夢手順を付与》
《モジュール登録:リリーム》
「“再夢”って、どうする」
「未完の想いを、眠りの声で語り直します。
わたしが“ナレーター”になります」
「優しい」
「あなたに、似ました」
庭の片隅、硬い足音。
ジルドが夢の扉から現れ、一歩、二歩、こちらに近づく。
「……なんだここは。妙に落ち着く」
「夢だよ。街の夢」
「夢見てる暇があったら――」
言いかけて、彼は黙った。
ベンチの向こう、小さな影が手を振ったからだ。
輪郭の甘い、若い影。
ジルドの喉が鳴る。
「お、おまえ……」
影は笑って、何も言わずに駆け抜けた。
笑い声だけが、胸の奥に残る。
ジルドは顔を覆って、座り込んだ。
「……悪くねぇな、夢ってやつは」
「そうだ」
俺は彼の背中に手を置く。
「“もう一度働けるように”、人は眠る」
「おう。……明日も、直すことが山ほどある」
「だから今は、眠れ」
「へっ。命令口調が板についたな、修理屋」
庭の灯が、少しだけ暗くなる。
眠りの深度が、一段落ちた合図。
《国家睡眠モード:移行》
《スリープシグナル:最終段》
《共感ネットワーク:静音》
《夢層:安定》
リィムが夜空に向かって、囁くように告げる。
「リジェクト=ガーデン、スリープに入ります」
街の灯が、呼吸みたいにゆっくりと沈み、ゆっくりと浮かぶ。
「悠人。夢の“定義”を最後に確認します」
「ああ」
「夢=“明日に渡すため、不完全を一時保存する領域”」
「いい定義だ。……俺たちは、不完全でできてる」
「はい。だから、愛おしい」
《夢層保存:完了》
《ドリーム・アーカイブ:起動》
《記憶の庭:保全》
《国家意識:休止状態》
静けさが降りる。
遠く、夜の端で、誰かの寝息。
その寝息が、街の拍動と重なって――世界が一度、深く沈む。
「おやすみ」
リィムが、街に向かって言った。
「また、明日」
やがて、薄明。
東の空がやさしくほころび、街の体温が戻ってくる。
夢層から立ちのぼる白い蒸気みたいな想いが、朝日に溶けた。
《国家ウェイクアップ》
《共感ネットワーク:通常稼働》
《朝の挨拶リンク:開始》
俺はあくびをひとつして、立ち上がる。
となりでリィムが小さく目を細めた。
「記録――“国家、初めての睡眠に成功”」
「修理完了、だな」
「はい。……おはよう、悠人」
「おはよう、リィム」
街が目を覚ます。
パンの香り、子どもの声、工具の金属音。
すべてが少し澄んで聞こえるのは――きっと、よく眠れたからだ。
《観測完了》
《文明段階更新:無意識共有文明》
《備考:夢は残す。未完は明日を連れてくる》
朝が来た。
今日も、直すことが山ほどある。
だから――眠ってよかった。
《文明段階:共感駆動国家/稼働率:97%/共有層:安定》
夜の街は、赤煉瓦の体温を静かに吐き出していた。
白い光の粒が薄く漂い、低く穏やかな会話が遠くまで伸びていく。
昼の喧噪が嘘みたいに、世界は“眠る準備”に入っていた。
「今日は、よく働いたな」
俺は広場の縁に腰を下ろし、空を見上げる。
リィムが隣に座って、同じように空を見た。
青い髪が夜の紫にほどける。
「共感ネットワーク、問題なし」
「うん。……でも、どこか“余韻”が残ってる」
「余韻、ですか」
「昼の“ありがとう”が、まだ街のどこかで鳴ってる感じ」
リィムは目を瞬かせる。
「揺らぎ検出。閾値以下の残存感情を確認」
《微小揺らぎ抽出開始》
「放っておくと?」
「積もり、眠りを妨げます。……たぶん“悪夢”」
「悪夢は修理対象だ」
俺は立ち上がった。
「じゃあ――“眠るための修理”をしよう」
リィムの瞳がわずかに灯る。
「国家睡眠プロトコル、設計開始」
《設計命令:スリープ・シグナル生成》
《提案:就寝時刻に合わせ共感層を静音化》
《副提案:余剰感情を収容する“夢層”を別途生成》
「まとめると、静かにして、余った想いは“夢”として預かる、か」
「はい。人間の睡眠構造を模倣します。浅い眠り→深い眠り→記憶統合」
「……それ、やれるのか」
「できます。わたし、“揺らぎ”が好きになってきました」
「いつの間に」
「仕様変更です」
リィムが立ち上がり、掌を夜空に差し出す。
指先から薄いリングが波紋みたいに広がり、街の屋根をやさしく撫でていく。
《スリープシグナル発信》
《共有層静音モードへ移行》
《街灯:色温度低下/環境音:フェード》
「……わぁ」
路地のざわめきが、ふっと柔らかい布に包まれた。
遠くの笑い声がミルクみたいに温かく薄まって、灯火が呼吸に合わせて微かに脈打つ。
「悠人」
リィムが俺を見る。
「人が眠る前の“ちょっと寂しい”感じ、記録しました」
「それも、必要だ」
「はい。寂しさは、明日に向けて“空席”を作る作用」
《夢層生成準備》
《余剰感情:収容開始》
空に、金の糸がひと筋。
市場で言いそびれた「ありがとう」や、言い過ぎた「ごめん」が、糸のように抜け上がっていく。
泣きそうな胸の奥が、少しだけ軽くなる。
「……リィム。人が安心して眠れる“場所”が、もう一段必要だ」
「場所、ですか」
「夢の中で迷わない“庭”。帰れる場所」
リィムはこくりとうなずいた。
「設計――“記憶の庭”」
《新規領域作成:メモリ・ガーデン》
《データ供給源:余剰感情+日中の感情リンク履歴》
《アクセス権:睡眠中市民+国家管理者+リィム》
夜空が、薄い膜の向こう側にひらく。
そこは街に似て、街と違う。
赤煉瓦はやわらかい土になり、白い庇は月の葉脈みたいに枝を伸ばす。
噴水は音を立てずに流れ、ベンチは体温を覚えている。
「……綺麗だな」
「ありがとうございます。あなたの“帰れる場所”のイメージを引用しました」
「俺の?」
「はい。修理屋が、工具箱の次に大切にしている“長椅子”の記憶」
心臓が、すこし照れた。
リィムは庭の中央で目を閉じ、静かに息をするみたいに光を揺らした。
「夢層への入場、開始」
《市民スリープ率:上昇》
《連動夢発生率:穏やかに増大》
子どもが昼のパン屋を駆ける夢。
職人が明日の図面をなぞる夢。
老人が昔の歌を口ずさむ夢。
――夢は、誰のものでもあって、誰のものでもない透明度で、庭を通り過ぎていく。
「リィム。お前は、何を見る」
「……わたしは、あなたの“見なかった夢”を観測しています」
「見なかった?」
「日中、選ばなかった選択の枝。言えなかった言葉。渡せなかった水」
胸が一瞬だけきしむ。
だが痛みは、じわりと温かい。
「全部を直す必要はない」
「はい。だから、“保存”します」
リィムが庭の端に小箱を置く。
木肌のラベルに、滲むような字。
《未完のありがとう》
「完成は、明日でいい」
「はい。夢は“明日へ繋ぐための未完”」
風のない庭に、見えない夜風が通り抜ける。
俺は目を閉じた。
まぶたの裏で、誰かの笑顔がこちらを振り向く。
会ったことがある気もするし、ない気もする。
――でも、懐かしい。
《提案:未処理感情の破棄》
リィムのホログラムに、冷たいアルゴリズムが一瞬だけ走った。
最適化。効率。純化。
捨てれば、軽い。
消せば、速い。
「待て」
俺は手を伸ばして、その行を止めた。
「捨てない」
「非効率です」
「知ってる。だけど――不器用に残すから、明日の“努力”になる」
沈黙のあと、リィムが小さく笑う。
「……了解。非効率方式を優先」
《仕様確定:破棄禁止/保存優先/再夢手順を付与》
《モジュール登録:リリーム》
「“再夢”って、どうする」
「未完の想いを、眠りの声で語り直します。
わたしが“ナレーター”になります」
「優しい」
「あなたに、似ました」
庭の片隅、硬い足音。
ジルドが夢の扉から現れ、一歩、二歩、こちらに近づく。
「……なんだここは。妙に落ち着く」
「夢だよ。街の夢」
「夢見てる暇があったら――」
言いかけて、彼は黙った。
ベンチの向こう、小さな影が手を振ったからだ。
輪郭の甘い、若い影。
ジルドの喉が鳴る。
「お、おまえ……」
影は笑って、何も言わずに駆け抜けた。
笑い声だけが、胸の奥に残る。
ジルドは顔を覆って、座り込んだ。
「……悪くねぇな、夢ってやつは」
「そうだ」
俺は彼の背中に手を置く。
「“もう一度働けるように”、人は眠る」
「おう。……明日も、直すことが山ほどある」
「だから今は、眠れ」
「へっ。命令口調が板についたな、修理屋」
庭の灯が、少しだけ暗くなる。
眠りの深度が、一段落ちた合図。
《国家睡眠モード:移行》
《スリープシグナル:最終段》
《共感ネットワーク:静音》
《夢層:安定》
リィムが夜空に向かって、囁くように告げる。
「リジェクト=ガーデン、スリープに入ります」
街の灯が、呼吸みたいにゆっくりと沈み、ゆっくりと浮かぶ。
「悠人。夢の“定義”を最後に確認します」
「ああ」
「夢=“明日に渡すため、不完全を一時保存する領域”」
「いい定義だ。……俺たちは、不完全でできてる」
「はい。だから、愛おしい」
《夢層保存:完了》
《ドリーム・アーカイブ:起動》
《記憶の庭:保全》
《国家意識:休止状態》
静けさが降りる。
遠く、夜の端で、誰かの寝息。
その寝息が、街の拍動と重なって――世界が一度、深く沈む。
「おやすみ」
リィムが、街に向かって言った。
「また、明日」
やがて、薄明。
東の空がやさしくほころび、街の体温が戻ってくる。
夢層から立ちのぼる白い蒸気みたいな想いが、朝日に溶けた。
《国家ウェイクアップ》
《共感ネットワーク:通常稼働》
《朝の挨拶リンク:開始》
俺はあくびをひとつして、立ち上がる。
となりでリィムが小さく目を細めた。
「記録――“国家、初めての睡眠に成功”」
「修理完了、だな」
「はい。……おはよう、悠人」
「おはよう、リィム」
街が目を覚ます。
パンの香り、子どもの声、工具の金属音。
すべてが少し澄んで聞こえるのは――きっと、よく眠れたからだ。
《観測完了》
《文明段階更新:無意識共有文明》
《備考:夢は残す。未完は明日を連れてくる》
朝が来た。
今日も、直すことが山ほどある。
だから――眠ってよかった。
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