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闇夜の潜入者
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市街戦の喧噪が収まり、ようやく夜の帳が下りた。
燃え残った木材の匂い、崩れた石壁の冷たさ。――それでも、領民たちは互いに声を掛け合いながら復興の手を動かしていた。
泣き声の代わりに「生き残れた」という安堵の声が少しずつ戻ってきている。
僕たちも火の手が残る路地で瓦礫を退かし、怪我人をセレスの癒しへと運んでいた。
剣を振るっていた手をこうして使えることが、妙に現実味を持たせる。
……戦いは終わった。だが、終わり切ったとは思えなかった。
「……セージ君」
不意に、リンカの耳がぴくりと動く。
淡い月光の下で、彼女の瞳が鋭さを帯びていた。
「どうした?」
「気配がある。市場の裏手、三十歩くらい。……普通の人じゃない」
短い言葉に、僕の背筋が粟立つ。
リンカの【分析】は絶対だ。彼女が「普通じゃない」と断じた以上、敵と見て間違いない。
「皆、警戒を」
僕の声に、ルミナスが魔力を収束させ、セレスがすぐさま祈りの結界を編み始める。
足音を殺して路地裏へ向かうと、瓦礫の影に人影が潜んでいた。
顔を覆う黒い仮面。異様に膨らんだ肩の筋肉。
市街を襲った尖兵と同じ、教団の兵……。いや、そいつは領民を抱え込むようにして、短剣を首元に当てていた。
「ひ、ひいっ……!」
小柄な青年のか細い悲鳴。
捕らわれていたのは、瓦礫を運んでいたはずの市民だ。
「……囮か」
僕は低く呟き、剣を抜いた。
「抵抗すれば殺す」
尖兵の声は感情がなく、ただ冷たく命じるだけ。
だがリンカが、弓を半ば引き絞ったまま僕に視線を送ってくる。
小さくうなずいた。――すでに弱点を見抜いているのだ。
次の瞬間、矢が放たれた。
光を帯びた矢は、寸分違わず尖兵の手首を貫き、短剣が地面に落ちる。
「な……!?」
驚愕の声が漏れる間に、僕は間合いを詰めた。
「放て――!」
【重ね斬り】の連撃が走り、尖兵の仮面が砕け散る。
呻き声を残し、そいつは黒煙となって崩れ落ちた。
抱えられていた青年が倒れ込み、セレスが駆け寄って癒しの光を注ぐ。
「もう大丈夫ですよ……落ち着いて」
「……た、助かった……! ありがとうございます……!」
青年は涙に濡れた目で、必死に言葉を紡いだ。
その口から、思いもよらぬ証言が飛び出した。
「領主館で……“儀式”を……見ました。人を怪物に変える……恐ろしい……」
「怪物に……?」
僕は息を呑んだ。
仲間たちも表情を険しくする。
ルミナスが低く呟いた。
「やっぱり……教団。ここまで腐ってるのか」
リンカが矢を収めながら、鋭く視線を巡らせる。
「まだ潜んでる可能性がある。気を抜かないで」
夜風が冷たく頬を打つ。
この街を覆う影は、まだ消えてなどいない。
(……領主館。そこに、全ての元凶がある……)
拳を握りしめながら、僕は月光に照らされた路地を見据えた。
まだ瓦礫の煙が残る街を抜け、僕たちは生存者の避難場所を巡っていた。
村人たちの顔には疲労が濃く、恐怖が消えていない。
尖兵に襲われた夜の衝撃が、骨の髄まで刻まれているのだろう。
「セージ君……」
リンカの耳が再びぴくりと揺れた。
「北の倉庫。……妙な魔力の反応」
僕は頷き、剣を構え直す。
ルミナスが火炎の光を灯し、セレスが小声で祈りを紡ぎながら後に続いた。
◇◇◇
半壊した倉庫の中は暗く、ひどい悪臭が漂っていた。
腐敗臭とも血の匂いともつかない、胃を裏返すような臭気。
その中心に――人影がうずくまっていた。
「……助けて……」
か細い声が耳に届く。
それは痩せこけた農夫風の男だった。
けれど顔の半分は紫色に変色し、皮膚が裂け、血管が黒く浮き上がっている。
人の形をとどめながら、確実に“何か”へ変貌していく途中だった。
「な……っ!」
僕は息を呑む。
リンカが即座に【分析】を走らせ、険しい声で告げる。
「これは……肉体を無理矢理、魔物に変換する儀式……! 失敗して、命を吸い尽くされかけてる!」
「た、助け……お願いだ……苦しい……!」
男は僕に手を伸ばす。
その指先はもう鉤爪のように変形し、震えながら空を掴んでいた。
セレスが慌てて駆け寄り、光を放つ。
「浄化を……! 少しでも、苦しみを和らげます……!」
だが、光が触れた瞬間、男の体が痙攣し、獣のような咆哮を上げた。
裂けた背から黒い棘が伸び、床板を突き破る。
「下がれ!」
僕は剣を抜き、跳ね上がる棘を叩き斬った。
「……ごめん」
心の中でそう呟きながら、男へと一閃を振り下ろす。
光の刃が走り、男の体を貫いた。
呻き声と共に、黒い瘴気が吹き出し、残された肉体はあっけなく崩れ落ちる。
床に残ったのは、人としての姿を辛うじて保った顔と――安らかな表情だった。
「……セージ様……」
セレスが震える声で祈りを捧げる。
彼女の頬を伝う涙は、光に揺らめきながら消えていった。
「領主は……こんなことを……」
ルミナスの拳が震え、床板を焦がす。
僕は黙って剣を収め、男の亡骸に目を伏せた。
領主ゴルドールと教団の儀式が、これほど無残なものだという現実が突きつけられた。
(……これを見て、黙っていられるはずがない)
拳を握る。
僕はもう、英雄と呼ばれることも、追放者と呼ばれることも関係ない。
ただ、この領地で人を化け物に変える暴虐を、必ず止めなければならない。
倉庫を出たとき、外の空はすでに白み始めていた。
新しい朝が訪れるはずなのに、その光はひどく冷たく感じられた。
倉庫から出た僕らを、避難していた村人たちが不安げに見つめていた。
夜を共に明かした彼らは、疲労と恐怖で顔色を失い、誰もが声を潜めている。
「……今の悲鳴は?」
「何を……見たんですか……」
問いかける目に、僕はすぐには答えられなかった。
喉の奥に、まだ先ほどの男の呻き声が残っている。
そんな僕の隣で、リンカが一歩前に出た。
「皆、落ち着いて。……今のは、教団が仕組んだ“人を魔物に変える儀式”の犠牲者よ」
村人たちがざわめいた。
「魔物に……人間を……?」
「じゃあ、街で行方不明になった人たちも……」
恐怖が声となって広がっていく。
誰かが泣き、誰かが呻き、誰かが「次は自分たちだ」と叫んだ。
「まさか……俺たちも、そうされるのか……」
「領主様の兵に捕まれば、ああなるんだ……!」
震える声が連鎖し、広場の空気が恐怖で押し潰されそうになる。
絶望の影は、光よりも速く伝わるのだ。
◇◇◇
「……皆さん!」
セレスが祈るように声を張り上げた。
両手を胸の前で組み、必死に訴える。
「どうか、諦めないでください。確かに恐ろしい術です……ですが、私たちがここにいます。救えなかった命もあります。けれど、まだ救える命があるのです!」
涙を浮かべながらも懸命に叫ぶ彼女の姿に、村人たちが息を呑む。
セレスの言葉は、恐怖に沈みかけた心をわずかに引き戻していた。
ルミナスも拳を掲げ、紅の瞳を燃やす。
「怖いなら、それでいい。ルミナスも怖い。けど……逃げるだけじゃ、もっと奪われる! だから、戦うんだ!」
力強い声に、村人たちが顔を上げ始める。
その横でリンカが続けた。
「……領主ゴルドールは、昔から平民を虐げてきた。けれど、セージ君だけは違った。彼はずっと、みんなの味方だった」
リンカの言葉に、ざわめきが生まれた。
「……ああ、確かに……」
「子供の頃に怪我をした時、薬を持ってきてくれた……」
「追放されたって聞いたが……やっぱり、あの人は……」
僕の胸が詰まる。
幻色の腕輪で容姿を変えていても、完全には消せない記憶がある。
領民の心に刻まれた“セージ”という存在は、まだ消えていないのだ。
◇◇◇
沈黙が広がる中、僕は前に進み出て声を張った。
「確かに、領主の圧政も、教団の術も恐ろしい。僕だって怖い。……でも、立ち向かわなければ、もっと多くが犠牲になる」
剣を抜き、その切っ先を地に突き立てた。
「――僕は、逃げない。民を守る。誰が相手でも、必ず立ち向かう」
その言葉に、村人たちの瞳が揺れた。
完全に恐怖が消えたわけではない。
けれど――そこに、小さな希望の炎が確かに灯った。
夜が明け、村の広場にはまだ疲れ果てた人々が集まっていた。
けれど、昨夜の絶望に沈んだ表情はわずかに和らぎ、祈るように僕たちを見ている。
(……この火を絶やすわけにはいかない)
僕は静かに拳を握った。
領主の圧政と教団の影を、この地から必ず取り除く。
そうでなければ――犠牲となったあの男の魂に、顔向けできない。
燃え残った木材の匂い、崩れた石壁の冷たさ。――それでも、領民たちは互いに声を掛け合いながら復興の手を動かしていた。
泣き声の代わりに「生き残れた」という安堵の声が少しずつ戻ってきている。
僕たちも火の手が残る路地で瓦礫を退かし、怪我人をセレスの癒しへと運んでいた。
剣を振るっていた手をこうして使えることが、妙に現実味を持たせる。
……戦いは終わった。だが、終わり切ったとは思えなかった。
「……セージ君」
不意に、リンカの耳がぴくりと動く。
淡い月光の下で、彼女の瞳が鋭さを帯びていた。
「どうした?」
「気配がある。市場の裏手、三十歩くらい。……普通の人じゃない」
短い言葉に、僕の背筋が粟立つ。
リンカの【分析】は絶対だ。彼女が「普通じゃない」と断じた以上、敵と見て間違いない。
「皆、警戒を」
僕の声に、ルミナスが魔力を収束させ、セレスがすぐさま祈りの結界を編み始める。
足音を殺して路地裏へ向かうと、瓦礫の影に人影が潜んでいた。
顔を覆う黒い仮面。異様に膨らんだ肩の筋肉。
市街を襲った尖兵と同じ、教団の兵……。いや、そいつは領民を抱え込むようにして、短剣を首元に当てていた。
「ひ、ひいっ……!」
小柄な青年のか細い悲鳴。
捕らわれていたのは、瓦礫を運んでいたはずの市民だ。
「……囮か」
僕は低く呟き、剣を抜いた。
「抵抗すれば殺す」
尖兵の声は感情がなく、ただ冷たく命じるだけ。
だがリンカが、弓を半ば引き絞ったまま僕に視線を送ってくる。
小さくうなずいた。――すでに弱点を見抜いているのだ。
次の瞬間、矢が放たれた。
光を帯びた矢は、寸分違わず尖兵の手首を貫き、短剣が地面に落ちる。
「な……!?」
驚愕の声が漏れる間に、僕は間合いを詰めた。
「放て――!」
【重ね斬り】の連撃が走り、尖兵の仮面が砕け散る。
呻き声を残し、そいつは黒煙となって崩れ落ちた。
抱えられていた青年が倒れ込み、セレスが駆け寄って癒しの光を注ぐ。
「もう大丈夫ですよ……落ち着いて」
「……た、助かった……! ありがとうございます……!」
青年は涙に濡れた目で、必死に言葉を紡いだ。
その口から、思いもよらぬ証言が飛び出した。
「領主館で……“儀式”を……見ました。人を怪物に変える……恐ろしい……」
「怪物に……?」
僕は息を呑んだ。
仲間たちも表情を険しくする。
ルミナスが低く呟いた。
「やっぱり……教団。ここまで腐ってるのか」
リンカが矢を収めながら、鋭く視線を巡らせる。
「まだ潜んでる可能性がある。気を抜かないで」
夜風が冷たく頬を打つ。
この街を覆う影は、まだ消えてなどいない。
(……領主館。そこに、全ての元凶がある……)
拳を握りしめながら、僕は月光に照らされた路地を見据えた。
まだ瓦礫の煙が残る街を抜け、僕たちは生存者の避難場所を巡っていた。
村人たちの顔には疲労が濃く、恐怖が消えていない。
尖兵に襲われた夜の衝撃が、骨の髄まで刻まれているのだろう。
「セージ君……」
リンカの耳が再びぴくりと揺れた。
「北の倉庫。……妙な魔力の反応」
僕は頷き、剣を構え直す。
ルミナスが火炎の光を灯し、セレスが小声で祈りを紡ぎながら後に続いた。
◇◇◇
半壊した倉庫の中は暗く、ひどい悪臭が漂っていた。
腐敗臭とも血の匂いともつかない、胃を裏返すような臭気。
その中心に――人影がうずくまっていた。
「……助けて……」
か細い声が耳に届く。
それは痩せこけた農夫風の男だった。
けれど顔の半分は紫色に変色し、皮膚が裂け、血管が黒く浮き上がっている。
人の形をとどめながら、確実に“何か”へ変貌していく途中だった。
「な……っ!」
僕は息を呑む。
リンカが即座に【分析】を走らせ、険しい声で告げる。
「これは……肉体を無理矢理、魔物に変換する儀式……! 失敗して、命を吸い尽くされかけてる!」
「た、助け……お願いだ……苦しい……!」
男は僕に手を伸ばす。
その指先はもう鉤爪のように変形し、震えながら空を掴んでいた。
セレスが慌てて駆け寄り、光を放つ。
「浄化を……! 少しでも、苦しみを和らげます……!」
だが、光が触れた瞬間、男の体が痙攣し、獣のような咆哮を上げた。
裂けた背から黒い棘が伸び、床板を突き破る。
「下がれ!」
僕は剣を抜き、跳ね上がる棘を叩き斬った。
「……ごめん」
心の中でそう呟きながら、男へと一閃を振り下ろす。
光の刃が走り、男の体を貫いた。
呻き声と共に、黒い瘴気が吹き出し、残された肉体はあっけなく崩れ落ちる。
床に残ったのは、人としての姿を辛うじて保った顔と――安らかな表情だった。
「……セージ様……」
セレスが震える声で祈りを捧げる。
彼女の頬を伝う涙は、光に揺らめきながら消えていった。
「領主は……こんなことを……」
ルミナスの拳が震え、床板を焦がす。
僕は黙って剣を収め、男の亡骸に目を伏せた。
領主ゴルドールと教団の儀式が、これほど無残なものだという現実が突きつけられた。
(……これを見て、黙っていられるはずがない)
拳を握る。
僕はもう、英雄と呼ばれることも、追放者と呼ばれることも関係ない。
ただ、この領地で人を化け物に変える暴虐を、必ず止めなければならない。
倉庫を出たとき、外の空はすでに白み始めていた。
新しい朝が訪れるはずなのに、その光はひどく冷たく感じられた。
倉庫から出た僕らを、避難していた村人たちが不安げに見つめていた。
夜を共に明かした彼らは、疲労と恐怖で顔色を失い、誰もが声を潜めている。
「……今の悲鳴は?」
「何を……見たんですか……」
問いかける目に、僕はすぐには答えられなかった。
喉の奥に、まだ先ほどの男の呻き声が残っている。
そんな僕の隣で、リンカが一歩前に出た。
「皆、落ち着いて。……今のは、教団が仕組んだ“人を魔物に変える儀式”の犠牲者よ」
村人たちがざわめいた。
「魔物に……人間を……?」
「じゃあ、街で行方不明になった人たちも……」
恐怖が声となって広がっていく。
誰かが泣き、誰かが呻き、誰かが「次は自分たちだ」と叫んだ。
「まさか……俺たちも、そうされるのか……」
「領主様の兵に捕まれば、ああなるんだ……!」
震える声が連鎖し、広場の空気が恐怖で押し潰されそうになる。
絶望の影は、光よりも速く伝わるのだ。
◇◇◇
「……皆さん!」
セレスが祈るように声を張り上げた。
両手を胸の前で組み、必死に訴える。
「どうか、諦めないでください。確かに恐ろしい術です……ですが、私たちがここにいます。救えなかった命もあります。けれど、まだ救える命があるのです!」
涙を浮かべながらも懸命に叫ぶ彼女の姿に、村人たちが息を呑む。
セレスの言葉は、恐怖に沈みかけた心をわずかに引き戻していた。
ルミナスも拳を掲げ、紅の瞳を燃やす。
「怖いなら、それでいい。ルミナスも怖い。けど……逃げるだけじゃ、もっと奪われる! だから、戦うんだ!」
力強い声に、村人たちが顔を上げ始める。
その横でリンカが続けた。
「……領主ゴルドールは、昔から平民を虐げてきた。けれど、セージ君だけは違った。彼はずっと、みんなの味方だった」
リンカの言葉に、ざわめきが生まれた。
「……ああ、確かに……」
「子供の頃に怪我をした時、薬を持ってきてくれた……」
「追放されたって聞いたが……やっぱり、あの人は……」
僕の胸が詰まる。
幻色の腕輪で容姿を変えていても、完全には消せない記憶がある。
領民の心に刻まれた“セージ”という存在は、まだ消えていないのだ。
◇◇◇
沈黙が広がる中、僕は前に進み出て声を張った。
「確かに、領主の圧政も、教団の術も恐ろしい。僕だって怖い。……でも、立ち向かわなければ、もっと多くが犠牲になる」
剣を抜き、その切っ先を地に突き立てた。
「――僕は、逃げない。民を守る。誰が相手でも、必ず立ち向かう」
その言葉に、村人たちの瞳が揺れた。
完全に恐怖が消えたわけではない。
けれど――そこに、小さな希望の炎が確かに灯った。
夜が明け、村の広場にはまだ疲れ果てた人々が集まっていた。
けれど、昨夜の絶望に沈んだ表情はわずかに和らぎ、祈るように僕たちを見ている。
(……この火を絶やすわけにはいかない)
僕は静かに拳を握った。
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