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第三章 魔獣遭遇とゼシア聖国での恋騒動

38 出国直前ハプニング

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 まだ日の出前に目が覚めた。昨日は疲れ果ててかなり早い時間に寝ちゃったからね、まあこうなるか。

 俺がもそもそベッドの中で寝返りを打っていると、クロノスが起き出した。

「スバル? お目覚めでしょうか」
「クロノス。おはよう、起こしちゃった?」
「いえ、私もさっき起きたところです」

 まるで待ち合わせで先に待っていた方みたいな言い方で、クロノスは隣のベッドから身を起こした。
 流石に寝る時はカッチリしたジャケットじゃなくて、柔らかい綿のパジャマを着ている。

「少し早いですが、出発しましょうか。ゼシア聖国は、スバルにとって危険極まりない国ですからね。町の東側からイエルト行きの船が出ているはずですから、ひとまずそこに向かいましょう」

 そうだね、うっかり俺が一目惚れされて、道行く女の人に決闘を申し込まれたら困っちゃうもんね。
 なんか字面だけ見てると冗談みたいに見えるけれど……事実は小説より奇なりって本当なんだね。

 とにかくそんなわけで、早くこの国を出る案には賛成だ。

 メレとヘルに一言もなく去るのには良心が咎めるけれど……もしかしたらイエルトでまた会えるかもしれないし。

 その頃にはイエルトにいるはずの日本人、井口隆臣さんと会って、帰れるか帰れないかハッキリするだろうしね。

 自分を誤魔化しながらフードを深く被る。クロノスも昨日の暑さから教訓を得たのか、今日は薄手の長袖ワイシャツ一枚だ。

「防御力が心許ないですが、本日は機動力と快適性を優先しましょう」

 仕上げにクロノスも濃い赤色の髪が隠れるよう、パナマハットのような涼しげなツバつき帽子を被った。

 宿の外は静かで、時折知らない鳥のさえずりが聞こえるばかりだ。人通りのほぼない道を辿り、クロノスと二人港に向かう。

「朝一番の便が、確か日の出の直後だと聞いた覚えがあります。正しい出港場所がわかりませんし、早めに行って確認しましょう」

 港に近づくにつれて、活気のある声が聞こえてきた。何やら荒々しい関西弁が聞こえてくる。

「お前ら行くで! ちゃっちゃと錨上げろや! こんままやと、またあいつらにええ狩場をとられてまうやろうが!」

 船の上で大きな怒鳴り声が聞こえた。漁師が部下の男を叱り飛ばしているようだ。

 中型船には男の人がわらわらと乗っていて、次々と船を出港させていた。あ、女の人もいるよ! 小型の木の船を漕いでいる、海女さんかな?

 色々な船があったが、その中でも際立って優美な線を描く小型船には、印象的な薄桃色の髪の女性が乗り込んでいた。

 うわあ、綺麗な人だな……二重瞼のパッチリとした瞳にすっと通った鼻筋、宝塚の男役みたいに凛々しい表情をしていた。なんとなくメレと似てるかも。

 じっと見ていると、その女の人がパッとこちらを振り向いた。目があった。や、やばっ!

 慌てて顔を伏せて、少し先を歩いていたクロノスに小走りで追いつく。

「スバル? 何かありましたか?」
「しばし待ちたまえ、そこのフードを被った君」

 ……何かあっちゃったみたいだ、ね?
 遠くからでもよく通る声を、聞こえなかったと無視するわけにはいかなくて。

 恐る恐る振り向くと、さっき観察していた女の人が船から降りてきたところだった。
 長い薄桃色の髪を風になびかせて、キビキビとこちらに歩み寄ってくる。

「旅のお方とお見受けする。私はネリ、若輩者ながら侯爵位を戴いている。本日は市井の者と交じり漁に出ようと思っていたのだが、たった今運命的な出会いを果たしてしまってね。どうやら漁は次の機会に持ち越しのようだ」

 一目合っただけなのに、運命的な出会いに感じられてしまったみたいだ。
 よりにもよって貴族、それも侯爵様に見初められてしまうなんて、我ながらすごい人を引き当ててしまった。
 か、勘弁してよ、すごーく厄介なことになりそう……

 早朝と言うにも憚られるこんな時間に、こんな場所で侯爵様と出会うなんて、誰が予想ができただろうか。俺にはできなかったよ。

 頭が真っ白になっている俺をフォローしてくれたのか、クロノスが俺の斜め後ろから申し出る。

「すみませんが先を急ぐので、その運命の糸は結ばれないかと。では失礼します」
「待ちたまえ、待たねば港を封鎖するぞ」

 強行手段を口にするネリに、クロノスは唇を引き結ぶ。ネリの背後に控えていた少女が苦言を呈した。

「ネリ様、それは困ります。ご自身の私情で民を混乱させないで下さいませ」
「固いことを言うなヘレナ。普段真面目にやっているのだ。今世一度の大恋愛なのだぞ、恋愛に命をかけるゼシアの民であれば、一回くらいのオイタは大目に見てくれるであろう」
「やめて下さい、泣きますよ、私が」
「それは困ったな。しかしヘレナの涙と私の恋を天秤にかけるなら、最終的には私の恋を優先してしまうが」

 話しこむ二人と俺達を、周りの漁師達が注目している。ざわざわしていてみんな不安げだ。
 本当に港が封鎖されたら、この人達も仕事に出られなくて、今日一日の稼ぎがなくなってしまう。

「ふむ、耳目を集めてしまったようだ。ここでいきなり決闘を申し込むのも無粋というもの、場所を移さないか?」
「私達は旅人です、他国民です。この国の流儀にのっとる道理はありませんが」
「この国にいる間は、旅人であってもこの国の法を尊ぶべきであろう。口を挟むな、使用人。私はこのお方に聞いている」

 居丈高に告げる様子は、上に立つ者の気位の高さが感じられた。下手な言い訳じゃ開放してくれそうにない。

「スバルというのが君の名前だな? スバル、と呼び捨ててもいいだろうか、麗しの君。私のことは気さくにネリと呼んでおくれ。屋敷に案内しよう」
「……ええと、断った場合どうなるんですか?」
「その場合、ここで決闘することになるが……私も民を巻き込むのは本意ではないのでな、なるべく周りに被害の出ない場所で戦いたいものだ」

 ネリの薄紫の瞳には、瞳の色と同じ紫色の焔がゴウゴウと燃え盛っていた。

 う、うん。俺もこんな場所でいきなり炎で炙られるのは、遠慮したいかなー。
 できれば永久に遠慮し続けたいんだけど無理そうだし、とにかくここは時間稼ぎする他なさそうだ。

「わかりました、行きます……」
「スバル……」
「だって船に乗った後まで追いかけられたら困るしね、ちゃんとお話してわかってもらおう」
「……お話で済むのなら、それが一番ですけれどね」

 言葉を濁し暗い目をするクロノスに、俺の嫌な予感がどんどん大きくなる。や、やっぱりこの選択肢は悪手だったかな?

「さあ、スバル。馬車の用意ができたし邸へ向かおうか。そこの生意気な使用人も連れてきていいぞ、私は寛大だからな」

 珍しいことに、初対面の人からクロノスの見た目を言及されなかった。もしかしていい人?
 というより、きっと強さが至上のお国柄だから、美醜はそこまで拘らないのかもね。

 馬車に乗り込むと、すかさずネリが俺の隣に座った。
 ネリが身を寄せて俺の手を取るので、クロノスはじっとりとした視線で抗議するが、彼女が気にした様子はなかった。

 なぜかヘレナが申し訳なさそうに、身体を小さくして座っている。

 俺も横幅のある身体をなるべく縮こませて座っているのに、そんなことは構わずネリはグイグイ距離を詰めてきた。

「しかしスバルは美しいな、見れば見る程目が離せなくなる。一目惚れだなんて物語の中でしか起こらない現象だと思っていたが、まさか私が経験するとは。細く繊細な目蓋の奥にある瞳は、まるで黒真珠のようだな。君の瞳に似合う黒真珠をぜひ贈らせてほしい」

 前言撤回。美しいものには拘るみたい。どうせならそこも拘らないでほしかったなー……
 おかしいよね、今すっごい美人に息つく間もなく口説かれてるのに、ちっとも嬉しいと思えないよ?

 たとえ俺より背が高かろうが、肩幅があって強かろうが、とっても美人さんなんだよ? 俺、もしかして男の人相手の方がときめくのかなあ。

 そういえばクラスの女の子を好きになったことなんて今までに一度もなかったや。気にしたことなかったけど、これって変なのかな。

 俺=ゲイ疑惑説、がにわかに真実味を帯びる中、馬車はひた走る。
 馬車の中ではネリが延々と甘い言葉を垂れ流し続けていた。み、耳が溶けるー!!
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