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第三章 魔獣遭遇とゼシア聖国での恋騒動
37 恋心からの逃走
しおりを挟む宿の扉を周りの迷惑も顧みず、大音量で部屋の扉を開け放った俺は、テーブル脇の椅子に座ってお茶を飲んでいたクロノスに飛びついた。
「クロノスー!!」
「ス、スバル? どうしました? まさかメイヴィルに何かあったのでしょうか」
クロノスは持ち前の身体能力でお茶が溢れないよう素早くテーブルにカップを置いた。
俺はクロノスの腕に額を押しつけながら、首を横に降る。
「では、何かされたとか?」
途端にピタリと黙り込み、茹でダコのごとく耳まで赤くなった俺。クロノスは俺の両肩に手を置いて、顔を険しくする。
「……そうですか。何をされたのでしょう、事と次第によっては容赦しませんよ」
「ちが、そんな、大したことじゃ……」
そう、ちょっと口説かれて、髪にキスされて、告白されたくらいで……告白……コクハク……ど、どうしよう。
ヘルの告白を断ったのと同じ理由で、メレの告白も断ることになるよね?
まだそこまでの気持ちがないし、そもそも日本にだって帰りたい気持ちはあるし。
それで、また諦めないとか言われちゃったらどうするの、また口説かれるの?
あの、甘い口調で? アタシのハニーとかスイーティーパイとか言っちゃいそうな、あの甘ぁい瞳と溢れんばかりのお色気で??
そ、そんなの俺の心臓が持たないよ……!!
ただでさえみんなの綺麗な顔が近づくだけで心臓がバクバクいってる俺なんだよ!? 確実に寿命が縮んじゃう!!
「た、助けてクロノス……!」
「ええ、スバル。私が貴方を脅かすものから遠ざけましょう。ひとまず、ここにいるとメイヴィルがいずれ戻ってくるでしょうから、場所を移します」
クロノスは何も聞かずに荷物をまとめて、元の庶民的な宿から二人分チェックアウトし、高級宿へと俺をつれて移動した。
そしてその間、かなり騒いだにもかかわらずヘルは気づくことはなかった。というより、部屋に姿が見当たらなかったからどこかに出かけていってたみたい。
平常時なら、何もそこまでしなくても……と止めていただろう俺も、羞恥と混乱で正常な判断が行えず、言われるがままに着いてきてしまった。
「ここなら宿の人間も客の情報を漏らしたりはしないでしょう。スバル、ここには貴方を脅かすものは何もありません」
黙ったままうつむく俺を急かすことなく、クロノスは俺を落ち着かせるように背をゆっくりと撫でた。
紳士的なクロノスの対応に、少しずつ俺の気持ちは落ち着いてきた。
赤い太陽の光が差しこむ、二人で使うには広すぎる部屋の中で、ポツリ、ポツリと話はじめる。
「実は、メレに告白されて……」
「……………………そうですか。それで?」
やけに長い間を置いて、クロノスは相槌を打つ。
「俺を好きになってくれるなんて、嬉しいことなんだけど、その、混乱して……恥ずかしくなって、逃げ出しちゃったんだ」
「そう、でしたか。……スバルは、どうするのですか? メイヴィルの申し出を、受けるのでしょうか」
クロノスが心なしか固い声音で尋ねてくるのに、俺は力なくうつむいた。
「ううん、受けないよ。今はそういうことを考えられる状況じゃないから」
クロノスが詰めていた息を吐く気配がする。うう、クロノスも俺のこと好きなんだから、俺が告白された話なんて聞かせられるの嫌だろうに。
俺、甘えちゃってるなあ、情けない。だけどもう、クロノス以外に頼れる相手がいないんだ。
「それで、俺のこと好きだって言ってくれてるのに断ることになるから、そんな状態で一緒にいるのって、気まずいなあって思ってさ」
ヘルのことも、普段は気にしないようにしてるんだけど、ふとした時に感じる俺にだけちょっと柔らかめな態度とか、俺だけと一緒にいたいだとかの思いを聞いてしまうと、俺のことを好きって思ってくれてるのが痛いほど伝わってくるんだ。
でもどうにもできなくて、申し訳ない気持ちになっちゃうんだよね。
それはもちろん、クロノス相手にも感じてる。けれどクロノスは俺に好きになってほしいなんて言わないし、メレのように俺のものになれだなんて告げてこない。
「俺、俺……想いを返せないのに、二人と一緒にいるのが、辛いんだ。だからもう、一緒にいない方がいいんじゃないかと思って」
クロノスは俺を急かさない。ただ、はにかむように笑って、俺に愛情を伝えてくるだけだ。
今も、俺の想いを黙って口を挟むことなく聞いてくれている。
「……クロノスも、俺と一緒にいるのは辛い? ごめんね、俺は今、誰も選べないんだよ」
だってもしかしたら日本に帰れるかもしれないのに。帰れるとなったらきっと帰ってしまうのに、恋人同士になるなんて。
近い将来別れるかもしれないって思いながらつき合うなんて、俺にはできないよ。
クロノスは俺の弱音に、静かで柔らかい声音で答えた。
「いいえ、貴方と一緒にいられることは私にとっての喜びです。比喩ではなく、世界が色鮮やかに見えるのです。たとえスバルが気持ちを返してくれなくとも、私は貴方を想っているだけで幸せな気持ちになります」
「本当に? 無理してない?」
「ええ。スバルこそ、私が気持ちを表に出すことで、辛く感じたりはしませんか?」
「好きだって思ってもらえるのは、恥ずかしいけど……でも嬉しいよ。その、俺は気持ちを返せないけど、それでもいいんだよね? 一緒にいてくれる?」
「はい。ぜひ側で、貴方に仕えさせて下さい」
気負いなく言い切るクロノスに、やっと張り詰めていた気持ちが解ける。もう今日は感情に振り回されすぎて、ご飯も食べずに眠ってしまいたい気分だった。
「俺……ずるいよね」
「貴方がずるいと仰るのなら、この状況を喜んでいる私は外道ですね」
「え?」
「いえ、なんでもありませんよ」
うつむく俺の頬にそっと手を当てて、クロノスは労わるように告げる。
「スバル、遠慮なく私を頼って下さい。貴方の力になれることが、私の喜びでもあるのですから」
「……うん、ありがと」
どっと疲れた俺はシャワーを浴びて、クロノスが用意してくれた軽食を言われるがままに摘んで、そしてすぐに眠ってしまった。
眠る間際のうつつの中、クロノスがそっと俺の髪を撫でてくれたように感じた。
「スバル、どうぞ今日のように私を頼って下さいね。私がいなければ生きられないほどに、依存して下さってよろしいのですよ……?」
何か微かな声が聞こえたけれど、その意味を理解する前に、意識は眠りの縁に追いやられた。
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