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婚約破棄されました:2

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「少しよろしいですか」

  賓客の中から若い男が出て来たのは、アルテイシアが挙手する寸前のことであった。
  寸劇に加わったのは長身痩躯の、けれども雄々しい獣を思わせる男だった。
  身なりは招かれた賓客の中では質素だが、仕立ての良い服を身に纏っていた。
  美形というには今一歩だが、その声色と優雅な仕草に招かれた女性たちはほうと溜息を吐いた。
  アルテイシアの知らない男である。
  置かれた立場上、アルテイシアは諸侯を始めとした有力者は判別出来る。
  知らないというなら、国外の賓客だろう。

「エリオット王太子殿下、アルテイシア・シュタイナーとの婚約を本気で破棄するおつもりですか?」
「貴様は誰だ!」

  高慢な物言いに父王の眉がピクリと動く。
  枢機卿たちの顔色もにわかに青ざめていくが、賓客の男は構うことなく礼をした。

「これは失礼、私としたことが。
  私はエンシャント聖王国が主、クロフォードと申します。以後、お見知りおきを」
「歴史ばかり長い小国王が、大国オリタリア王太子の私に何用か」
「こら、エリオット! クロフォード様になんて口の聞き方を!」

  父王が激昂寸前の声音でエリオットを諌める。
  だが、その意味を理解していないエリオットは鼻でせせら笑うだけだった。
  取り巻きたちもクロフォードを嘲笑っているが、反して年配の賓客や諸侯、特に枢機卿たちは顔色を悪くしていた。
  
  エンシャント聖王国はかつて大陸随一の帝国にまで登り詰めた歴史のある国である。
  だが、今ではそれも昔の話で、領地を失い続けたエンシャントに残された土地はアルテスという霊山の峰々と10にも満たない街や村だけである。
  アリッサという茶葉が特産品で、水が清らかで四季が豊かな国だと聞いたことがある。
  オリタリアからは随分遠い国である為、アルテイシアも実態はよく知らない。
  ただ、伝え聞くには『世界の管理者』なる神聖な獣が住まう国だという。
  エリオットはそれを家庭教師から習った時から古臭い国だとエンシャントを馬鹿にしていた。
  今の態度も、その一端が顔を出したに過ぎなかった。
  クロフォードはエリオットの失礼な態度など気にすることなく周囲を見渡す。
  小物の喚き程度でこの身が崩れるわけがないという自信の現れに、アルテイシアは瞬きをした。
  この人、やり手だわ。

「枢機卿もいるのは都合がいい。殿下もそれを踏まえてでの行いなのでしょうね。
  枢機卿と国王陛下の御前でアルテイシア嬢の罪を詳(つまび)らかにし、告発とともに自身の不甲斐なさを嘆き、再起を願い、その支えの為に新たな婚約者を発表する。
  なるほど、その清廉潔白な姿勢、恐れ入ります」
「ふ、ふん! 小国王の割に分かっているじゃないか」
「これは有難きお言葉。
  では改めて確認するまでもないですね?
  アルテイシア・シュタイナーは諸所の罪により王太子エリオット・オリタリアとの婚約を破棄し、その有責を償うために極刑に処される、と」
「しつこいぞ。これは確定事項だ! 私はミレニアと共に生きる」
「だ、そうですよ。オリタリア国王陛下、枢機卿の皆様」

  にこりと笑うクロフォードに今度こそ枢機卿の何人かが倒れ、父王は天を仰ぎ、国母は嘆くように頭(かぶり)を振った。
  壮年以降の賓客たちも溜息を吐いたり頭を抱えていたりする。
  この意味が、アルテイシアにはよく分からない。
  それでも寸劇はまだ続いた。
  クロフォードは「しかし」と言葉を発したのである。

「諸々の罪をひとつにまとめての刑の執行は感服のひとことですが、ひとつひとつ紐解けばそう大きなものではない。
  極刑は少し重すぎではございませんか?」
「お待ちください、クロフォード様。貴方が出るほどの事柄ではございません。
  この場はどうか、このギルバートに免じて退いてはくださいませんか」
「なにを言うのです、父上! このような小国王にへりくだるだなんて、大国の王として恥ずかしくないのですか!」
「お前は黙っていろ、エリオット!」
「黙っているのはあなたの方です、父上!
  クロフォード、何が言いたい? はっきり言え!」

  他国の王を呼び捨てまでするエリオットに王妃もギルバート王も悪い夢を見ているような顔をしている。
  かたや、クロフォードは相変わらず穏やかな物腰でエリオットと対峙していた。

「ミレニア様が大事なのは外野から見ても良くわかります。
  あなた方は似合いの伴侶だ。おふたりが結婚すれば、オリタリアは更に光り輝く歴史が待っているのでしょう。
  その為に、アルテイシア嬢の存在は憂い以外の何物でもないのも理解出来る。
  ですが、過度な刑を与えるのは賢王の所業ではございません。
  アルテイシア嬢はシュタイナーの家名を名乗ることも許されなくなりました。諸侯も彼女には手を差し伸べますまい。
  ここは耐え忍び、国外追放に処すのが相当かと」
「叛意を向けてきたらどうする? 今のうちに殺すのが一番じゃないか」

  いくら不仲に近かったとはいえ、幼馴染や婚約者だった人間に対する物言いではなかった。
  最早子どもの癇癪に近い反応に、大人たちは嘆くような素振りを見せるばかりだった。

「叛意が抱けぬほど、遠い地へ追いやればいいのです。
  それこそ、我が国など如何ですか?」
「ーーー?!」

  息を飲んだのはオリタリア王だったか、枢機卿だったか。
  息を詰めた者たちは死刑宣告を受けたような衝撃を受けていた。
  一方、エリオットはなるほどと得心したように頷いた。

「ふむ。クロフォードはアルテイシアが欲しいのか?」
「ええ、欲しいです。喉から手が出る程に」

  うっそりと笑うクロフォードに、遂に王妃が倒れた。
  ギルバート王は妻の名を叫び王妃を抱き抱えながらも狼狽をあらわにしていた。

「アルテイシアは平民になり、オリタリアから国外追放のうえに永劫入国禁止。むろん、シュタイナー家とは一切の関係を断ち、連絡を取り合うことも禁じます。必要ならば、定期的に様子をしたためた文を出しましょう。
  それで、手打ちとなりませんか? 皆様」

  クロフォードが再び周囲を見渡すとエリオットやシュタイナー公爵たちは満足そうに頷き、枢機卿たちも仕方ないという風情で頷いた。
  一番ダメージが大きいのはオリタリア国王夫妻だ。
  息子の馬鹿さ加減も頭に痛いが、内政干渉を許したことに憤懣やるかたない様子であった。
  さて、置いてけぼりをくらったのはアルテイシアである。
  声を上げることなく処遇が決まってしまった。
  まことに遺憾の意である。ぷんすこ(意訳)
  しかし、それを理解しているのか、クロフォードはアルテイシアに手を差し伸べると「済まないね」と謝罪してきたので、アルテイシアは許すことにした。

「働き口は紹介してくださいますよね?」
  と、問い詰めはしたが。

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