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初めまして、モス先生:1
しおりを挟むカイルの侍女と教育係も兼任することになったアルテイシアの朝は早い。
それはどの使用人たちにも言えることである。
アルテイシアの自室は使用人宿舎にある。
しかし、実のところ宿舎の部屋を使ったのは最初の頃だけで、現在はカイルの部屋に隣接する小部屋を根城としていた。何かあった際、直ぐにカイルの元に駆けつけられるようにである。
それでいて、食事は使用人の食堂で取ることになっているのでもしかしたらアルテイシアは他の使用人より朝が早いかも知れなかった。
かといって早起きは別段辛くはなかった。
令嬢時代は徹夜続きで寝不足で倒れることもあったのだ。そして徹夜とは1度朝日を拝んだものではなく、少なくとも4回拝んで初めて徹夜と呼ぶのだとアルテイシアは持論を持っていた。
概念とはすげ替えられるものなのである。
ようは睡眠時間が取れていることこそ奇跡なわけだが、もっと言ってしまえばきちんと食事の時間が確保されてることも奇跡であった。
書類を汚すことなくサンドイッチを頬張る日々を送ってきた身にとって、15分以上も食事の時間と休憩が取れるのは感涙に匹敵する出来事だった。
「それでは、行ってまいります!」
「ちょ、アルテイシア食うの早すぎ!」
「アルちゃん、おかわりは?」
「名残惜しいですが諦めなければなりません………」
「くっ………今日もお前は戦場に旅立つのだな…………」
「大丈夫です。夕刻にはきちんと戻ってまいります」
「そうは言っても夜は見回りに行くのを知っているぞ……! これを、これを食っていくんだ! 力がみなぎるぞ!」
「好き嫌いはいけないと思います。自分で食べてください」
「ちくしょおおおおっ、誤魔化されてくれなかったあああ!」
使用人仲間とは上手くやっていけてると思う。
エンシャントの上下関係は良く言えば隔たりが少なく、悪く言えばなあなあであった。
これも適材適所で右往左往して仕事をこなしていっている為、勤務年数が互いに把握できないからこそ起きている事態だった。
しかし、不思議なことに責任の所在で揉めたことはないのだそうだ。
時々所属を表すリボンの色の意味を問いたくなるが、これは還る場所を示しているのだとラトーヤは言っていた。
恒例の使用人食堂での茶番を終えてアルテイシアは急いでカイルの部屋に行く。
カイルと過ごすこと数週間、将来王太子になるだろう王子はちょっとだけ朝が弱い。
早めに起こさないと朝食時間までに準備が終わらないのである。
それに、ひとつの懸念事項もあった。
「あっ」
カイルの部屋の前まで小走りで来ると、扉の前には既にシルヴィオが門番よろしく立っていた。
今日も先を越されてしまったと内心で唇を尖らせながら、アルテイシアは「おはようございます」と声をかけた。
「おはようございます、アルテイシア嬢」
「また先を越されてしまいました」
「朝の鍛錬のあと、直ぐに来ましたから」
「朝食はきちんと召上がりましたか?」
「……………………」
アルテイシアの問いかけにシルヴィオは黙り込んで視線を逸らす。
これはまた『手軽』に済ませたなと直感が働いて、アルテイシアは深々と溜息を吐き出した。
「平時に携帯栄養食はおやめくださいと再三申し上げておりますよね?」
「しかし、殿下の御身になにかあっては」
「腹が減っては戦はできぬと言いますでしょう。きちんと食事は取ってくださいませ。
守れる者も守れなくなりますよ」
「ですから、携帯栄養食で充分で」
「美味しいものを食べてくださいと申し上げているのです! 心の栄養、これ、大事!」
もう! ぷんすこしちゃうぞ!(意訳)
腰に手をあて、遥か上にあるシルヴィオの顔を睨みつけると、シルヴィオはますます気まずそうに一歩退く。
この強面騎士はどうやら女性に詰め寄られたことがないらしく、アルテイシアがちょっと強気に出ると萎縮してしまうところがあった。
夜会の時など大変だろうなと思ったのは内緒である。
「自分はそれほど食に興味がなく、腹が膨れればそれで良いのです。
味は二の次と言いますか………」
「だとしても手軽に済ませ過ぎです。携帯食、何袋お食べになられたのですか?」
「…………一袋、です」
携帯栄養食は任務などで自炊できない時に食す物である。
オリタリアには兵役があり、その環境改善の一環で携帯栄養食を食べたことがあるが、あまり美味しいとは思えなかった。アルテイシアの口が肥えているせいもあるだろうが、それにしたってモッサリ感が凄いのである。歯の間には挟まるし、顎の上にもひっつくし、味もショートブレッドの生焼けみたいな味で宜しくない。密閉された袋に梱包されているが、ひと袋の量も多くはない。当然、それだけで腹が満杯になるわけでもない。
エンシャントの料理は素朴だがどれも美味しいものばかりだ。ならば携帯栄養食も美味しいのかもと一抹の期待を持って他の騎士にそれとなく聞いてみたらとても悲しげな顔をされて首を横に振られた。オリタリアと大差ない形と味であるという。おお、神よ!(意訳)
なので、余計なお世話と分かっていても、人の嗜好を頭ごなしに否定していると分かっていても、アルテイシアはシルヴィオの食事に物申したいのだった。
何故ならこの強面騎士野郎、食堂に行くのを面倒くさがって全て携帯栄養食で食事を済ませているというのだ。
カイルに何かしらのおこぼれを貰っているのかとも邪推したが、その線もないらしい。
勧められても固辞するのだそうだ。
それはそれで偉いのだが、老騎士ゲオルグに言わせれば「柔軟性が足りない」という評価である。
それはアルテイシアも同意するところだった。
なので、アルテイシアはエプロンのポケットから少し膨らみのある包みを取り出してシルヴィオに押し付けた。
「ハーブが練り込んであるクッキーです。五十歩百歩かも知れませんが、携帯食よりましです。殿下の準備が終わるまでそれをお食べください」
「いや、それは行儀が……」
「道中携帯食を食べながら来たのでしょう? 今更ではありませんか」
「……………はい」
悪戯を怒られる子犬のごとくシルヴィオは悄気(しよ)げた表情で肩を落とす。
まずい、流石に言い過ぎたと思ったが後の祭りである。
アルテイシアは逃げるように「食べてくださいね」と言い捨ててカイルの部屋に入っていく。
カイルは奥の寝室ですやすやと寝息を立ててぐっすりと眠っていた。
ふっくらとした桃色の頬はすべすべしてて思わず触りたくなるが、実際に行えば不敬である。
今日も我が殿下は尊い(意訳)と心の展示室にしっかりと飾り、アルテイシアは「殿下」と声をかけた。
「殿下、朝でございます。起きてください」
「んうう…………ん!」
大きなベッドにはカイルと生まれたときから一緒の黒い獣のぬいぐるみがだけしかいない。
この黒い獣のぬいぐるみは世界の管理者である聖獣(神獣と呼称される場合もある)を模した物なのだという。
王家に生まれた子どもたちは男女問わず健やかに育つことを願い贈られる品物だ。
聖獣は幻想の動物である虎と獅子をかけ合わせた猛獣だった。名は『モストゥルム』といい、古い言葉で『並ならぬもの』という意味になる。
カイルはアルテイシアの声に反応しつつもぬいぐるみをしっかりと抱きかかえ上掛けの中に潜り込んでいく。
まだまだ眠いのことがはっきりと伝わってきたが、ずっと寝かせておくわけにはいかない。
今日は久々に魔法の先生がやってくるのだ。
きちんと定時まで準備をしておかねば後で辛いのはカイルである。
ここは心を鬼にするしかあるまい。
決断したアルテイシアは一呼吸すると上掛けを勢いよく引っ剥がした。
「殿下、朝ですよ!」
「ぴゃあっ!」
バサリという音と共に上掛けが舞い上がり、カイルの叫びが室内に響く。
その拍子にぬいぐるみも宙に浮き、アルテイシアは上掛けを丸めながらぬいぐるみを受け止めた。
「びっくりしたあ。酷いよ、アルテ。とっても素敵な夢を見ていたのに」
「どのような夢をご覧になられたのですか?」
「父上と、母上と、ゲオルグと、ラトーヤと、シルヴィオと、アルテでお出かけする夢だよ!
アルテスのお山でピクニックしていたんだ」
「アルテスのお山で、ですか?」
「そうだよ! モス先生を迎えに行って、お勉強もしたんだよ」
「左様でございますか。
して、殿下。今日はなんの日か覚えておいでですか?」
「んう?」
こてんと首を傾げるカイルに、アルテイシアは「モス先生とのお勉強の日ですよ」と告げると、カイルは「まあ!」と声を上げて両手で桃色の頬を隠してしまった。
「それは大変! 早くご飯を食べなくちゃ! 予習復習しっかりと、だよ!
アルテ、お着替えするの、手伝って!」
「はい。畏まりました」
急いでベッドから降りるカイルにアルテイシアもまたドヤ顔で頷いたのだった。
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