ふたつの嘘

noriko

文字の大きさ
10 / 65
ふたつのしあわせ

ふたつのしあわせ 2


しかし、現実はそんなに甘くなかった。
僅かに残った、映画の1シーンのような断片的な記憶は、あまりにも細かすぎて繋がらない。
だから、ほとんど意味がなかった。
わけのわからないいくつかの映像はおそらく、必要がなければ徐々に薄れていくだろう。
それはつまり、時間が経つほど、記憶は0に近づくということ。
もう、諦めるしかないのか。


僕は、ため息をついた。
外に出れば何か刺激があって、思い出せたりするだろうか。
でも、僕はいつになったら出歩けるのかわからない。
体はまだ軋む。
腕を見ると、包帯が巻かれて、固定されていた。
折れてる?
そうでないにしろ、完治に時間はかかりそうだ。
足もおそらく、そんな感じだろうか。
「思い出せたところで、どうにかなるのかな」
僕が大助の悪い想像とおり、誰かに狙われているのなら、今までの記憶があったって意味はない。
もしかしたら、邪魔なものにさえなるかもしれない。
そもそも、こんなボロボロの身体にされているんだ、思い出さない方が自分のためですらあるかもしれない。


窓の外は、もう暗かった。
随分寝ていたつもりだったが、そんなこともなかったようだ。
少し、肌寒い。
窓が閉まっているから、風が吹いてくる訳じゃないのに。
今は冬なのか、それとも寒い地方なのか。
窓からは、月が丁度見えて綺麗だった。
ぼんやりと、光が見える。
ベランダには、控えめな葉をつける植物が見えた。

ぼんやりと周囲を見回しているとき、控えめなノックが聞こえた。
「はい」
「起こしてしまいましたか?」
ドアを開けたのは、恵さんだった。
「いいえ、さっき起きました」
「それはよかったです。先ほど重湯を準備してもらったので」
手には、お椀を乗せたトレーを持っていた。

「すみません、こんなに遅くまで……」
「かまいませんよ。乗りかかった船といいますか」
特に苦でもない、というように微笑む。
きっとものすごく親切で、心の優しい人なのだろう。
「食べられますか?」
「はい、少し、いただきます」
「わかりました。では、すこし起こしますので。痛かったらおっしゃってください」

そう言って、僕の背中を支える。
ベッドの頭を上げて、背もたれを作った。
「ありがとう、ございます」
「気にしないでください。あなたは治すのが仕事ですから」
彼は手際よく、僕の髪を束ねた。
「あの、すごく、なれていらっしゃいますね」
そう言うと、彼は天井を見上げてから。
「たしかにそうですね」
とだけ返した。
「でも、早めに切りたいです、この髪の毛。」
「あら。折角綺麗に伸びてるのに勿体ない」
「鬱陶しいのもあるので」
「そうですねえ。特に前髪なんか」
少なくとも僕は好きでのばしてるわけじゃないけれど、やっぱり実際鬱陶しいと言われると、ちょっと傷ついた。

隣にある丸いすに座った彼は、丁度良さそうな温度の重湯を少量、レンゲにとった。
「無理はしなくていいけど、食べてみてください」
口にしてみると、今の僕には丁度良かった。
やさしい薄味も、その温かさも。
でも、食べさせてもらうのはとても恥ずかしかった。
「ありがとうございます、恵さん」
「無理しないでくださいね」
「はい……おいしいです」
「よかったです」
眼鏡の奥で、目を細める。

「あの、恵さん」
「何でしょう?」
「ここって、どこでしょうか」
「どうしていきなり?」
「寒かったので……」
「寒いですか。毛布を増やしてもらいますね。ここは北部……とはいえ暖かい方ですが。3月なのでまだ少し肌寒いかもしれません」
「北部……どうりで寒いわけですね」
「そのあたりは覚えているんですね」
「一般的な情報は、覚えているみたいです」
「そうですか。……それでは、例えば河関グループのことは何か?」
「いえ……河関って、大助の名字ですよね。彼、やっぱりすごいお金持ちなんですか?」
その言葉に、彼は目を丸くする。
「北部は覚えてて、河関グループのことはさっぱりですか」
その言葉に、僕は首をかしげる。
「そんなに有名なんですか?」
「はい。北部に拠点を置く国内屈指のグループ企業です。製造業から金融、サービス、などなど手広く展開していて、資本金は…」
「ああ、えっと、細かいことはいいです。お詳しいですね」
「サラリーマンですからね」
そういうものだろうか。
しかし、それで納得した。
「つまり、大助はそこの御曹司……」
「そういうことです」
どうりで、こんなに広い部屋に、怪我人を簡単にかくまえるわけだ。
しかし、大助はそんな御曹司でも、僕はいまいちこの生活にピンと来ていない。
万が一ここの生活に慣れたら、これから先どうすればいいんだ。
なにより、僕には場違いじゃないだろうか?
「僕、こんなところにいてもいいんですかね」
僕をかくまって、何のメリットがあるだろう。
「大助君がいいというなら、いいのではないでしょうか。北部は寒いけど、治安はいいですし」
出て行くにしても、この身体じゃむりでしょうけど――彼はそう言って、僕の口にレンゲを運ぶ。
「僕の体、どうなんですか」
「とりあえず、けっこうな重傷ということです。3ヶ月は安静にしなさいとお医者様が」
「3ヶ月……」
3ヶ月後、僕にはどれだけの新しい記憶が刻まれているだろう。
……どれだけの、古い記憶が残されているだろう。
「なにか、思い詰めてるんですか?」
茶碗には、もうお粥がのこっていない。
最後のひとくち。
「記憶は、ずっと戻らないんでしょうか」
「さあ、どうでしょう」
きっと、あなた次第ですね。
彼はそういって、茶碗を机に置いた。


「ごちそうさまでした」
「だんだん、ちゃんとしたものに変えていくそうです」
「はい」
彼は優しく笑った。
「それじゃ、また明日」
音も立てず、上品な物腰で彼は立ち上がる。
「あの、恵さん」
僕に背を向けた恵さんは、振り返る。
「ありがとうございます。こんなに、優しくしてくれて。――あの、はじめに、通りがかったって言われてましたけど、それだけでどうしてこんなに、よくしてくれるんですか」
それは、素直な疑問だった。
通りがかっただけで、見ず知らずの人間にここまでよくしてくれるものなのだろうか。
それに、普通の会社員にしては、大助と親しい気がしたし。

彼はまた、少し天井を見上げる。
「そうですねえ。……あなたがとても、私の大切な人に似ていたもので」
背広を靡かせて部屋を去る。
少し、寂しそうな表情で。
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

またのご利用をお待ちしています。

あらき奏多
BL
職場の同僚にすすめられた、とあるマッサージ店。 緊張しつつもゴッドハンドで全身とろとろに癒され、初めての感覚に下半身が誤作動してしまい……?! ・マッサージ師×客 ・年下敬語攻め ・男前土木作業員受け ・ノリ軽め ※年齢順イメージ 九重≒達也>坂田(店長)≫四ノ宮 【登場人物】 ▼坂田 祐介(さかた ゆうすけ) 攻 ・マッサージ店の店長 ・爽やかイケメン ・優しくて低めのセクシーボイス ・良識はある人 ▼杉村 達也(すぎむら たつや) 受 ・土木作業員 ・敏感体質 ・快楽に流されやすい。すぐ喘ぐ ・性格も見た目も男前 【登場人物(第二弾の人たち)】 ▼四ノ宮 葵(しのみや あおい) 攻 ・マッサージ店の施術者のひとり。 ・店では年齢は下から二番目。経歴は店長の次に長い。敏腕。 ・顔と名前だけ中性的。愛想は人並み。 ・自覚済隠れS。仕事とプライベートは区別してる。はずだった。 ▼九重 柚葉(ここのえ ゆずは) 受 ・愛称『ココ』『ココさん』『ココちゃん』 ・名前だけ可愛い。性格は可愛くない。見た目も別に可愛くない。 ・理性が強め。隠れコミュ障。 ・無自覚ドM。乱れるときは乱れる 作品はすべて個人サイト(http://lyze.jp/nyanko03/)からの転載です。 徐々に移動していきたいと思いますが、作品数は個人サイトが一番多いです。 よろしくお願いいたします。

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

売り物の身体ー社長に躾けられる美形タレントー

しち
BL
芸能界で生き残るために身体を武器にしてきた清瀬累。 枕営業も厭わない累の“商品価値”に口を出してきたのは、所属事務所の若き社長・剣崎だった。 「価値を下げるな」 そう言って累を囲い込む男の真意は――。 身体で仕事を取ってきた若手タレント兼俳優を事務所社長が躾け直す話です。 この世界で生きるための「価値」を教え込まれる話。

上司と俺のSM関係

雫@不定期更新
BL
タイトルの通りです。読む前に注意!誤字脱字あり。受けが外面は一人称私ですが、砕けると僕になります。

おすすめのマッサージ屋を紹介したら後輩の様子がおかしい件

ひきこ
BL
名ばかり管理職で疲労困憊の山口は、偶然見つけたマッサージ店で、長年諦めていたどうやっても改善しない体調不良が改善した。 せっかくなので後輩を連れて行ったらどうやら様子がおかしくて、もう行くなって言ってくる。 クールだったはずがいつのまにか世話焼いてしまう年下敬語後輩Dom × (自分が世話を焼いてるつもりの)脳筋系天然先輩Sub がわちゃわちゃする話。 『加減を知らない初心者Domがグイグイ懐いてくる』と同じ世界で地続きのお話です。 (全く別の話なのでどちらも単体で読んでいただけます) https://www.alphapolis.co.jp/novel/21582922/922916390 サブタイトルに◆がついているものは後輩視点です。 同人誌版と同じ表紙に差し替えました。 表紙イラスト:浴槽つぼカルビ様(X@shabuuma11 )ありがとうございます!