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約束と裏切りの刃
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しおりを挟む彼等が戻って来る、数分前のこと。
覚悟を決めたような風だった兄さんだったが、さすがに落ち着いてはいられなかったみたいだった。
「大丈夫、兄さん。彼等ならうまくやるよ」
「……そうだよな、悪い。本当は俺がお前を心配しなきゃいけないのにな」
そう言って申し訳なさそうに笑う兄さんが、なんだかいつもより年相応らしくて愉快だった。
「そうだよ。こんだけ盛大にフラれたんだから、新しく彼女作らないと。誰か可愛い女の子紹介して?」
それで思わず、ふざけたことを言ってしまった。
「そんなこと言ってるからフラれるんだ」
兄さんは露骨に嫌な顔をする。
相変わらずこういう話は苦手らしい。
「兄さんも厭味だよね。顔よし性格よし頭よし、おまけに家柄よし。なのに女性に興味ないなんて」
「……その言い方はやめろよ」
「何も間違ってないじゃん。昔から口を開けば王様か民人さんのことばっかり。中央の大学まで行ってるくせに女の子の名前なんてほとんど聞いたこと無いよ」
本当に勿体ないよ。
ろくでもない友達持つと苦労するね、とは口が裂けても言えなかった。
兄さん、怒ると怖いし。
「それは……俺にだって色々あるんだからほっといてくれよ! ……それより、今民人君のこと、なんて呼んだ?」
「ん? 民人さんだけど」
細かいところ聞いてるなあ。
「どういう風の吹き回しだよ。あんだけ頼まれても呼ばなかったくせに」
「気分だよ。そう呼ぶ理由なんて、もうないし」
彼はオレの兄でもなんでもないんだから。
勘のいい兄さんは気づいたみたいだった。
「……お前、おにーさんってそういう意味かよ」
「それ以外に、「お」までつけて兄さんよりも敬意を払う理由なんかないよ」
「呆れた。お前意外と現金なんだな」
「家出してばっかりだから弟の事もろくに知らないんだよ」
兄さんの顔がひきつる。
この言葉を使えば、大体喧嘩はオレの勝ちだ。
「……あと、民人君は翠ちゃんの従兄弟なんだから、おにーさんはおかしいだろ」
「知らないよ、そんなの」
いちいち細かい兄だ。
オレにはいつも口うるさい。
兄さんに聞こえるようにため息をついたとき、ちょうどドアが開く音が聞こえた。
◇◆◇
民人さんとお嬢さんが、思ったより早く戻ってきた。
やはり、というべきか。
かなり錯乱していた民人さん。
そして、それ以上にお嬢さんが取り乱したようだった。
こちらは、予想外だった。
翠とはなんの接点もないはずなのに。
民人さんは一人になりたいと言ってここを去った。
オレたちに彼女を押し付けて――と言ったら、人聞きが悪いかも知れないけれど。
正直、彼の選択は間違っていなかったと思う。
予想外だった。
一体何が起こったのか。
「……ごめんなさい、私がこんなんじゃいけなかったのに」
「気にしないでいいよ、杏奈ちゃん。俺もちょっと無用心だった」
兄さんがそう言ってなだめながら、杏奈ちゃんをソファに座らせる。
「民人さん、大丈夫でしょうか」
こんな状況で人の心配なんて、まったく健気な子だな、なんて思う。
「心配しないでもいいよ、あの人案外すぐああなるからそっとしといてやって」
確かにそれは本当だ、けど、今回はちょっと違う。
兄さんも口ではああ言ってるけど、わかってる。
いつもその状態の彼を引っ張り出してくれる恵さんが、今は彼に会わせてはいけない状態なこと。
「……お嬢さん、何があったか、話せる?」
オレたちには、彼はどうにもできないだろう。
でも、彼がオレたちに託した彼女だけはなんとかしないと。
オレたちでどうにかなる問題では、無いかも知れないけれど。
「……圭介さん、1つだけ、確認してもいいですか」
小さな声で、確かにオレを呼ぶ。
「何でもどうぞ、正直にお答えしましょう」
「翠さんが言ってたんです。翠さんのお父様は自殺じゃなくて圭介さんや大助さんが殺したんだって。私、皆さんの事、信じてもいいんですよね?」
兄さんの表情が強張る。
「彼は自殺だったよ。それは翠もわかってるはず」
「……気づいてれば、止められたんだけどな」
兄さんのつぶやきは、彼女に聞こえたのだろうか。
「……信じます、大助さんや、圭介さんのこと」
「お嬢さんが、したいようにすればいい」
彼女の緊張は、少し解かれたようだった。
「ごめんな、杏奈ちゃん。変な心配させて」
「いいんです、私なんて、民人さんに比べたら全然、辛くないんです」
そう言ってまた、泣きそうな顔をする。
「杏奈ちゃん、俺でよかったら何でも聞くよ。一人で抱え込まなくていい」
そう言って兄さんは彼女の背中をさする。
「圭介さん、大助さん……お二人は、ご存知なんですか、綺羅さんのこと」
その名前を聞いて、兄さんは動きを止めた。
なんで彼女が、彼を知っているのか。
「……知ってる。杏奈ちゃんも、知ってたんだな」
「やっぱり……。名前は知らなかったんです、でも、私にとって大事な人でした」
兄さんは、ただ黙って彼女の話を聞いていた。
「名前を知ったのはつい先ほどでした。でも嬉しかったんです、約束通り、私を迎えに来てくれたのが」
「約束?」
「両親が死んで、兄様と離れ離れになって、私が施設に行く時に、約束してくれたんです。必ず迎えに行くって」
兄さんは驚いていた。
「千菜様が言ってたの、このことか」
そして、どこか納得していた。
兄さんも知らないうちに、彼が行動していたなんて。
「私のこと忘れてても、また会えたのが嬉しかったんです。兄様の命令でもなんでもよかったんです。でも、今日、綺羅さんを見たんです」
彼女の錯乱の理由が、少しずつわかってきた。
たぶん、彼女が見たのは。
長くて青い髪。
小柄な体。
「綺羅」と「翠」。
一瞬、後ろ姿を見ただけでは、二人を見間違うのに十分なほど、似ていた。
「その人は、圭介さんの花を見ていました。気づいたら、その人を追いかけていました。見失っちゃった、と思って立ち尽くしていたら、後ろから、民人さん、が……」
翠が、オレの花を。
何を思って見ていたんだろう。
杏奈ちゃんの瞳からは、堰を切ったように涙が溢れ出る。
「わかった、杏奈ちゃん、もう言わなくていい、大丈夫」
とっさに兄さんが彼女を抱きしめる。
「私……民人さんに、ひどいことしちゃいました。許せなくて、私が。民人さん、私にあんなに、優しくしてくれるのに……」
彼女の嗚咽、そして、彼への謝罪がただ部屋中に響いた。
「なあ、杏奈ちゃん。君が民人君の事大事に思ってるのは、彼が約束通り迎えに来てくれたから、それだけ?」
なだめるように、優しい声で兄さんは訊く。
彼女は、必死に首を横に振った。
「民人さんは、私を助けてくれました。それだけじゃない、いつも優しくしてくれて」
「だったら、民人君が大事なんだろ? 昔のことなんて関係ないんじゃないか?」
「はい……民人さんが、大事です」
「だろ? ……なんて偉そうなこと言ってるけど、ちょっと前まで俺も悩んでたんだ。口では昔のことなんて関係ないとか言っておいてさ。民人君のこと見てると、あ、ここは綺羅君そっくりだな、とかそんな風に思っちゃって。一体俺にとってあの人は何なんだって考えてたら、よく解んなくなっちゃって」
兄さんの本音らしい本音なんて、久し振りに聞いた。
「でも、な最近思い始めたんだ。もしあそこで俺が拾ってきた民人君が、たとえ昔綺羅君じゃなかったとしても、全く別の人でも……俺は民人君の親友でいたいってさ」
そうだろ? なんて、お嬢さんに訊けば、お嬢さんも笑顔で頷いた。
たぶん、兄さんが一番、民人さんに言いたい言葉。
彼が、今の彼であるがゆえに大切であるということ。
「大助さん、私に出来ること、何ですか?」
彼は優しく微笑んで、彼女の頭を撫でる。
彼女は少し恥ずかしそうで……でも、どこか嬉しそうだった。
「今、あの人を救うのは、多分君にしか出来ない事だよ。支えてやってくれないか」
「はい」
彼女は胸元のペンダントを、大切そうに包み込んだ。
きっと、彼女のやるべき事は、もう既に彼女がわかってる。
「うらやましいね、民人さん」
あなたの味方は、いくらでもいる。
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