上 下
1 / 1

私の名前はグランジェット。聖剣を操る、人族の勇者なり。

しおりを挟む
 私の名前は“グランジェット”、古より伝わりし聖剣で魔を討ち滅ぼす、人族の勇者なり。
 ――もっとも、今は猫だが。

 自らの身体が猫になっていることに気付いたのは、ほんの数ヶ月前のこと……窓辺で春の日差しにウトウトとしていた時のことだった。
 窓から差し込む光が、私の得意技“ジャッジメントアロー”とよく似ていたことが原因だと思っている。
 あまりの衝撃に、つい二足で立ち上がってしまい、今の主に見られてしまったのが痛恨の極みだ。

 なんにせよ、猫として生まれ変わってしまったが、私の魂は人を導く勇者であることに違いはない。
 そう思い、私は意思を強く固め、その日は窓辺で寝たのだった。



 そして運命の覚醒から数日が経った頃――私はさらなる運命と出会ってしまった。
 あれは降り注ぐ日差しが温かく、将来を誓い合った賢者の胸に抱かれている時を思い出してしまうほどの、清々しい朝だった。

 勇者として街を見回っている最中、とても禍々しい気を感じ、私は現場へと急行した。
 毛が逆立つほどの圧力……!
 これは絶対にヤツが――魔王がすぐ近くにいると、魂が確信していたからだ。

「……くっくっく。ついに目覚めたか、グランジェット」
「き、貴様は、魔王“アンバザール”!」
「如何にも、我が名はアンバザール……! 魔を統べるモノなり」

再会したヤツは……顔の潰れた犬になっていた。
つまり、さっきの会話は「ぶるっぶるっぶる。ぶわんわんわん、わわん」である。
正直、猫の自分には何を言ってるのか分からなかったので、漂う雰囲気で上部のような会話を頭で想像し、こちらも返答した。

貴様ニャニャン性懲りもニャなく私の前ニャナナニャに現れるとは……ニャーウ!」
くっくっくぶるっぶるっぶる貴様の魂をぶぶるわん確実に破壊わんぶわんするために決まっているわわんわんわん!」

 奴は言い切ると同時にその後ろ足で地面を蹴り、私のいる門の方へと飛び込んで来る。
 大型ではないとはいえ、犬と猫ではその力に差があるのは明白!
 受ければ死、あるのみ……!

 ――くっ、間に合えっ!

 無理矢理身体を捻るように後方へと飛び退く。
 そんな私の目に映った奴の姿は……首に結ばれた鎖で、動きを封じられている姿だった。

 ――魔縄、エターナルラブ。
 そういえばあのアイテムを、戦いの際に使ったような気がする。
 相手の動きを阻害する、錬金術師の最強アイテム……いや、恋禁術士だったかもしれない、惚れ薬とか作ってる人だったし、牢屋に住んでたし。
 何にせよ、時代を超えても相手を縛り続けるエターナルラブ重い愛に感謝をしつつ、私はその場を大急ぎで離れることにしたのだった。
 今のままでは勝てないと、素直にそう認めた私を褒めろ。



 あれから今日に至るまで、私は毎日のように巡回へと出かけ、奴の姿を監視し続けた。
 雨の日も、風の日も……寒い日はちょっとやめて、基本的に暖かい日に、あと雨の日は最初の頃だけ。
 奴は私を見ると、潰れた顔の中から鋭い眼光をこちらに向けて、低く唸りを上げてくる。
 私はそんな奴の首に、エターナルラブが繋がれていることを確認しつつ、塀の上から監視を続けたのだ。

 しかし、いまだこの身は細く、可憐ではあるし美しいし、正直毛並みも極上だけれど、奴に勝てる武力は持ち得ない。
 弱いことと同時に、ある意味美しいことは罪だ。
 特に私は勇者である。
 魔を滅することが、私の魂に刻まれた唯一にして最大の使命。
 しかし、この身は細く、可憐ではあるし美しいし、正直毛並みも極上だけれど、奴に勝てる武力は持っていない。
 そして、この先もその力を得ることは難しいだろう。

 なぜなら、私の今生は猫だ。
 勇者だけど猫だ、それ以上でもそれ以下でもない。
 ならば私が今生でするべきことは、奴が暴れ出さないよう、監視を続けることなのだろう。

 ――ふっふっふ、私は見ているぞ。
 この塀の上から、貴様の姿を……暖かい日に!
 どうせ貴様は鎖に繋がれ、私の身体をその逞しい腕で引き寄せることもできないのだ!
 ふっふっふ……はーっはっはっはっは!



「あら、あの猫ちゃん、今日も来てるわぁ」
「よっぽどうちのエスカフローネが好きなのね。今度家の中に呼んで一緒に遊ばせてあげようかしら」
「あら、それは素敵ねぇ」

 勇者は知らない。
 勇者のあずかり知らぬところで、恐怖の会合が準備されていることを。

 がんばれ、勇者。
 今ならまだ間に合うぞ、勇者!
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...