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第三章『君には届かない』

変わらない距離

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 さいんがこさいんでたんじぇんとして……るーとのなかみが……。
 あいきゃんふらい……えーびーふらい……。

「量が、多い……」

 チマチマとやってはいるものの、一向に終わりの見えない戦いに、私はぐえぇぇと机に倒れこむ。
 これ、そろそろ本格的にやらないと、終わらない気がするんだけど。

「……圭は終わってるのかな? 終わってなかったら、一緒にやろうとか誘っても良いのかな?」

 友達なのだ。
 誘ってはいけない道理はない……のだけれど、なんだかこう……緊張してしまう。
 なんでかはわからないけど。

 しかし、そんなときに限って、大体タイミング良くスマホが鳴り響くのだ。
 そして今もそう。

『へーい、雪奈ー。愛しの圭ちゃんだよー』

「はいはい。そうですねー」

『ツレないにゃー。まあ、そういうところも素敵だぞっ』

「……切っていい?」

 ゲーム内と変わらないテンションで通話してきた圭に、私はちょっとイラッとしてそんなことを言ってしまう。
 すると、圭は少し慌てたような声で『ちょちょ、ちょっと待って!』と言葉にしていた。
 ……私も切りたいとは思ってないよ。

『いやー、気づいたら夏休みももう二週間くらいしかないんだよね。アチャーって感じに宿題が残っててさー』

「それは私もそう」

『雪奈も? そりゃ渡りに船ってことで、明日か明後日に一緒にやらない? リンに連絡したら、ナイン君の装備にリアル二日はかかるって聞いたし』

「ふむ……。良いけど、どっちでやるの?」

『……できれば雪奈の部屋で』

 つまり、全然片付けてないってことらしい。
 うん、分かってたけどね?

「また散らかしたままなんだ」

『ま、またとはなんだ! 一応ドコにナニがあるかは把握してるんだぞっ!』

「それ、片付けしない人の常套句じゃん」

『……すみませんっス』

 ナインの真似はやめろ。
 あのテンションを思い出して、ちょっとイラッとするから。

「じゃあ明日うちに来て。時間は?」

『できれば一日で終わらせたい』

「じゃあ朝から」

『あいよー! 世話になるぜ!』

 その言葉を最後に、通話は切れる。
 ……世話になる、ねぇ?

「とりあえず……お母さーん! 明日、朝から圭が来るってー!」



「おっじゃまっしまーす!」

「おはよう、圭」

「ういー、おはおはー」

 タンクトップにパーカー、ショートパンツとすごいラフな格好で現れた圭が、ペタペタと音を慣らしながら階段を上がっていく。
 小学生の頃から何度も来たことがあるからか、もはや勝手知ったる的な感じだ。

「朝なのに外あっついのなんのって、もう体力の八割使い切った感じだぜ~」

「昼にかけてどんどん上がるってねー。エアコンが手放せないですなー」

「ですですにゃー」

 座卓を避けるように、部屋の床にぐにょりと倒れ込んで、顔だけ向けて話す圭に、私は少し笑ってしまう。
 でもこのまま放っておくと、たぶん勉強が始まらないし……ここは心を鬼にして!

「ていっ」

「ふがっ!? な、なにをふるー!」

「そろそろ起き上がらないと、このまま鼻を引きちぎっちゃうぞー?」

「こっわ!?」

 手で鼻をつまみ、ふがふが言ってる圭に追い討ちをかける。
 すると圭は慌てて体を起こし……私のすぐ目の前に座った。
 え、近くない?

「てぇーはなひて」

「あ、うん」

「ふぇー、引きちぎられるかと思ったぜー」

 ゲーム内とは違う、ごくごく一般的な顔。
 なのに、なんだかすごく瞳に吸い寄せられるみたいで……。

「……どしたの?」

「え、あ、なんでもない。大丈夫!」

「……? 変な雪奈だにゃー。あ、もしかして、圭ちゃんのびぼーに見惚れちゃった? あちゃー、罪な女でごめんね!」

 にやにやと笑う顔も、ちょっとドヤる顔も……なんだか可愛く見える。
 え、どうしたの、私?
 圭だよ?

「……雪奈? ほんとに大丈夫?」

「っ、大丈夫、大丈夫!」

「熱でもあったりするのかにゃ? なんだか微妙に顔も赤い気がするし」

「違、違うから。勉強! そう、勉強しよ! ね!?」

 心配そうに見つめてくる圭から目を逸らしつつ、私は逃げるように勉強机へと向かう。
 数学、科学、物理に英語、大丈夫、頭は動く。
 
 動いている、はずだった。

「あっ」

 教科書を手に、座卓へと振り返った時、なぜか……何が原因か、ツルッと足が滑ってしまった。
 いつもなら空中半捻りで、スタッと着地できるのに、今日は目の前の地面に、圭がいた。
 それゆえに、私は圭にのしかかるように、その身を重力に引っ張られたのだった。

「っ、てて……雪奈、大丈夫?」

「うん……ごめ、」

 衝撃に閉じていた瞼を開けば、目の前に圭の顔。
 その事に気づいて、私の頭は考えることを放棄し、完全に真っ白になっていた。
 え、あ、えっと?

「うはー、雪奈さんは間近で見ても美人さんですにゃー。なっがい睫毛しやがって、このっこのっ……雪奈?」

「……あ、うん、なに?」

「その、そろそろ降りていただけると、わたくしとても嬉しいんですが」

「あ、ご、ごめん!」

 シュバッと身を翻し、圭から離れる。
 きっと今の動きは、忍者にも負けてない気がする。

「んー雪奈、ほんとに大丈夫? 調子悪いとかなら帰るよ?」

「大丈夫、大丈夫だから! ごめんね」

「ならいいけど……ま、とりあえず宿題始めますかー。遅くなっちゃうし」

 そう言って座卓へと教科書やノートを広げ、圭は宿題を始める。 
 その普通通りの姿に、私もなぜか早くなっていた鼓動を落ち着けて、勉強を始めたのだった。
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